2014.01.22

韓国における対人地雷被害問題――終わらざる冷戦に巻き込まれる人々

小峯茂嗣 NPO法人インターバンド代表理事

国際 #韓国#対人地雷#地雷廃絶国際キャンペーン#ランドマインモニター#朝鮮戦争#韓国対人地雷対策会議#韓国対人地雷除去研究所

地雷という兵器は、第一次~第二次世界大戦時に広く使用されてきた。人間の体重がかかると爆発する対人地雷の役割は、大きく3つある。第一に敵兵を「負傷」させることにある。あえて殺傷しない意図は、負傷兵を後退させる救護者も戦場から後退させることで戦場の戦力のバランスを自軍にとって有利にするためである。第二に負傷者の治療や後遺症のケアのために、敵国の予算を圧迫することができる。第三に地雷が埋設されている可能性がある土地への居住や耕作を不可能にさせることができる。

冷戦終結後、アジアやアフリカで国内紛争が頻発するようになり、政府軍、反政府軍ともに、大量の対人地雷を使用した。無秩序、無計画に埋設された対人地雷は、紛争が終結したのちですらも国内社会に潜み続け、時として民間人を殺傷している。

このような状況に対して行動を起こしたのが、1991年に欧米の6つのNGOによって立ち上げられた「地雷廃絶国際キャンペーン(ICBL)」である。ICBLはNGOの国際ネットワークを形成し、各国政府に対して、対人地雷の製造、貯蔵、使用を禁止する国際条約作りをはたらきかけた。ICBLはそのキャンペーンを広く浸透させるために、対人地雷の非人道性を前面に掲げ、戦闘員でもなく、女性や子どもまでもが紛争が終わった後にもかかわらず死傷していく現状をアピールした。英国の故ダイアナ妃がこの問題に関心を持ち、世界の地雷被害者を訪問する姿が広くメディアで取り上げられたことも大きなアピールとなったとされる。

ICBLはカナダなどのミドルパワー(中級国家)と連携し、「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)」の起草に参画した。条約は1997年にノルウェーのオスロで開かれた条約起草会議で署名され、同年ICBLはノーベル平和賞を受賞した。しかしながらこの条約にはアメリカ、ロシア、中国といった地雷を製造し輸出している国、そして60年間「休戦」状態が続く韓国と北朝鮮も、国防上の理由から地雷が必要であるとして加盟していない。

photo1

韓国における民間人の対人地雷被害

民間人の対人地雷被害は、アジアやアフリカの紛争終結国、つまり日本から遠く離れた国の問題というイメージが強い。しかしながら日本の隣国である韓国は、知られざれる地雷被害者の国なのである。

ICBLが毎年刊行している報告書「ランドマインモニター(“Landmine Monitor”)」の国別レポートによると、韓国における近年の地雷事故は、以下のように報告されている。

2010年

7月、北朝鮮から流出した「木箱地雷」により、1名が死亡、1名が負傷。また1名が対人地雷で負傷。両方の事故とも京畿道にて発生。

2011年

7月、京畿道漣川郡で1名が掘削作業中に事故に遭遇。11月には江原道楊口郡で1名が負傷。

2012年

5月21日、京畿道の74歳の男性が、坡州市近郊で野草を採集していた際に、対人地雷を踏んで負傷。

10月31日、白翎島において基地建設作業に従事していた2名の兵士が対人地雷で負傷。

このように件数こそ多くはないものの、毎年のように死傷者が出ている。そして事故の多くは北朝鮮との軍事境界線の近辺において起きている。

韓国内における埋設地雷

韓国内には現在も、軍事境界線南方地域を中心に数多くの地雷が埋設されたままでいる。その多くが朝鮮戦争時の残留地雷とされているが、冷戦期の東西対立や南北間の緊張が高まった時期にも、韓国内の政府や軍事施設周辺の防衛のために埋設されてきた。

 1962年、キューバ危機発生に伴う埋設。

 1970年、青瓦台事件(北朝鮮の工作員による朴正煕大統領暗殺計画)後の埋設。

 1988年、ソウルオリンピック開催に伴う埋設(前年に大韓航空機爆破事件)。

ソウル市南部の牛眠山にある公園には、市民が散歩できる遊歩道がある。山頂には軍事施設があり、ソウルオリンピック開催前に地雷が埋設された。2000年に軍が地雷除去を行ったが、埋設数と除去数の数があわなかったため、現在もいたるところに立ち入り禁止の鉄条網と警告文が設置されている。地雷は降雨による土砂の流動によってその位置を移動される場合があり、数が合わないのもそのためであると考えられる。韓国では身近なところに地雷の存在がある。

韓国内の地雷地帯は総面積112.5平方キロメートルあるとされ、埋設地雷数は、未確認のものも含め、前方地域(北朝鮮と隣接する地域)には100万個以上、後方地域(それ以外の南部の地域)にも約75,000個はあると言われている。

牛眠山内の地雷標識と鉄条網
牛眠山内の地雷標識と鉄条網
「過去地雷地帯」の標識
「過去地雷地帯」の標識
地雷を警告する案内文
地雷を警告する案内文
市民が散歩する遊歩道のわきにある地雷警告文
市民が散歩する遊歩道のわきにある地雷警告文

韓国の民間人地雷被害の実態

1997年のICBLのノーベル平和賞受賞を契機に発足したNGO「韓国対人地雷対策会議(KCBL)」は、韓国内の民間人の地雷被害について調査や被害者への支援を行ってきた。KCBLが2006年と2011年に行った韓国北東部の江原道における民間人地雷被害者の調査によって、この地域の歴史的な特性と、それに関連する地雷被害者の実情が明らかになった。

江原道(「道」は国に次ぐ行政単位)は軍事境界線を隔てて北朝鮮と接している地域である。1953年の休戦協定によって、軍事境界線から南北にそれぞれ2キロメートルずつの非武装地帯(De-Militarized Zone:DMZ)が設けられるようになった。韓国政府は休戦成立後、DMZの南方限界線からさらに5~20キロメートルの民間人統制地域(Civilian Control Zone:CCZ)を設け、民間人の立ち入りを制限してきたが、1960年代になり、CCZの縮小や、CCZ内への民間人の居住と開墾を進めるようになった。

たとえば江原道鉄原郡の大馬里(「里」は行政単位で「村」に相当する)は、70年代に民間人の移住が進められたが、移住した者は除隊兵士とその家族であった。自分たちで地雷を除去して開墾ができることと、有事の際は戦闘任務に就くことができるからである。

移住者は文字通り命がけで開墾を行った。そして多くの人々が朝鮮戦争時の残留地雷によって死傷した。しかしながら移住者は移住するにあたってその地域の軍との間で覚書を交わすことが義務付けられ、その中には、開墾した土地を所有できるかわりに、その過程での地雷や不発弾などによる死傷事故については、軍は補償の責任を負わないことも記されていた。地雷被害者は事故に遭っても訴え出ることができずにいたのである。

KCBLの調査報告書の中で、人々がどのような経緯で地雷事故に遭ったかが記されている。

(図1)韓国対人地雷対策会議「강원도 내 민간인 지뢰피해자 실태조사 보고서(江原道における民間人地雷被害者実態調査報告書)」(2006年、29ページ)より抜粋したものを筆者が和訳。
(図1)韓国対人地雷対策会議「강원도 내 민간인 지뢰피해자 실태조사 보고서(江原道における民間人地雷被害者実態調査報告書)」(2006年、29ページ)より抜粋したものを筆者が和訳。

報告書によると、事故発生地域は、ほとんどがDMZに近い、京畿道や江原道の北部の村落部である。具体的な事故現場は、図1に見るように、村の山中が約半分を占めている。

(図2)韓国対人地雷対策会議「강원도 내 민간인 지뢰피해자 실태조사 보고서(江原道における民間人地雷被害者実態調査報告書)」(2006年、30ページ)より抜粋したものを筆者が和訳。
(図2)韓国対人地雷対策会議「강원도 내 민간인 지뢰피해자 실태조사 보고서(江原道における民間人地雷被害者実態調査報告書)」(2006年、30ページ)より抜粋したものを筆者が和訳。

そして事故当時に何をしていたかを示すのが図2である。図1とあわせてこれを見ると、山中で野草や薪を集めていた時の地雷事故が約半数であると言えよう。このことから、山菜を集めてナムルを作り、薪を燃料にするという、経済的に苦しかった農村生活の状況がうかがえる。山菜や薪の収集のために人々は、時として軍が設置した地雷地帯を示す柵を乗り越えて山中に入り、その結果事故に遭遇したケースが報告されている。住民に対する軍の影響力が強かった時代、軍が定めた柵を越えて許可なしに立ち入れば、最悪の場合は立ち退きを迫られるかもしれないことをおそれ、地雷で事故に遭ったことを公にできなかった地雷被害者もいるという。

KCBLの調査によると、1953年の朝鮮戦争休戦から2006年までの間で、1000人以上の地雷被害者(軍人と民間人)がいるとされ、1999年から2006年の期間は、60人(民間人のみ)が被害を受けたとのことである。

地雷地帯であることを示す標識と鉄柵(京畿道漣川郡)
地雷地帯であることを示す標識と鉄柵(京畿道漣川郡)

地雷被害者への補償の問題

前述の大馬里では、80年代の韓国の民主化以降、被害者たちが過去の地雷被害について補償を求めてきた。しかしながら現行の国家賠償法では、事故から3年以内に申し立てを行ったケースのみを審理対象としており、それ以前の地雷事故についてはその対象外となっているため、そのような地雷被害者は国から補償を受けることができない。

補償を受けることができなかった地雷被害者たちは、農作業などの仕事に従事できず、一方で治療費を自己負担せねばならないため、土地を売り払うなどして生活費や治療費をねん出しなければならなかった。その結果、被害者たちはさらに経済的に困窮を極めるようになったのである。このような状況下、KCBLは設立以来、民間人地雷被害者の補償のための特別法制定を国会議員に働きかけているが、いまだに実現はできていない。

この取り組みと並行してKCBLは、近年の地雷被害者に対しては、弁護士を紹介するなど法律面の支援も行っている。2002年に江原道で地雷事故に遭った17歳の少年は、両手首から先を失い、片方の目を失明する被害に遭った。少年の家族は国家賠償法による補償を求め訴訟を起こしたが、その地雷が韓国軍のものであることが立証されなければ補償の対象にはならないことが問題となった(北朝鮮側から地雷が流出する場合もあるため)。結果的には少年の体内に残った地雷の破片を手術で摘出し、鑑定を行うことで、この地雷が韓国軍のものであることが証明され、少年は補償を受けられることとなった。これらの過程で、KCBLは支援を行ってきた。

またKCBLは、事故時に不十分な治療を受けられなかった地雷被害者に対して、再手術のための費用の支援も行っている。大半の地雷被害者への国家による補償がない中、KCBLのようなNGOがサポートを行っているのが現状である。

地雷除去に向けた取り組み

前述したように、韓国は対人地雷禁止条約に署名を行っていない。朝鮮戦争があくまで休戦状態に過ぎず、国防のためには地雷を使用するというオプションを放棄できないことが大きな理由である。また、もし対人地雷禁止条約を締結した場合、国内の地雷を除去、廃棄することが義務付けられているため、韓国においては膨大な時間と労力、費用を伴うことになる。

だが軍による除去がまったく行われていないわけではない。2000年の金大中大統領と金正日総書記との南北会談で合意された京義線(南北が分断される前に南のソウルと北の新義州を結んでいた鉄道。南北分断により路線も断絶)の再開通工事が行われた際にも、その一帯の地雷除去は軍により行われた。

また江原道楊口郡にある頭陀淵(ドゥタヨン)渓谷は、民間人統制地域内に位置していたおり、50年以上にわたって民間人の出入りが統制されてきた。そのため、手つかずの原生自然が保存されており、2004年の一般公開以降は、トレッキングコースや家族連れのレジャースポットとして多くの人々が足を運ぶ観光地になっている。この一体もまた多数の地雷が埋設されていたが、観光開発に伴って軍が除去作業を行った。しかしながら今も、遊歩道のわきには地雷があることを示す標識と鉄柵がある。あくまでも観光客が利用する部分だけ地雷除去が行われたのである。

頭陀淵(ドゥタヨン)渓谷の遊歩道わき。地雷があることを示す標識。
頭陀淵(ドゥタヨン)渓谷の遊歩道わき。地雷があることを示す標識。
頭陀淵渓谷の管理事務所に掲示されていた警告文。2011年の夏は大雨だったために、流出した地雷に注意喚起を促す目的で、韓国陸軍第5993部隊によって作成された。
頭陀淵渓谷の管理事務所に掲示されていた警告文。2011年の夏は大雨だったために、流出した地雷に注意喚起を促す目的で、韓国陸軍第5993部隊によって作成された。

その他にも、軍が大規模な除去作業を行う場合もある。

2013年4月、合同参謀本部は地雷事故防止のために、11月末まで地雷の除去作業を実施することを表明した。CCZ以南の京畿道漣川郡の地雷埋設地帯などと臨津江(イムジンガン)や漢灘江(ハンタンガン)などが地雷除去地域となり、流失地雷を捜索することが計画された。合同参謀本部は、2012年の除去作業では対人地雷134発などを回収する成果を上げたことも報告している(韓国MBCニュース2013年4月2日)。

このように政府・軍によるイニシアティブで国内の地雷除去作業が行われることもあるが、すべての地雷を除去していこうという動きにはなっていない。

地雷地帯に指定されて鉄柵で囲まれてしまった私有地もある。そして土地の所有者は、地雷除去をしてもらえないかぎり、その土地を使用することはできない。現行の「地雷など特定在来式武器使用および移転の規制に関する法律」においては、国家・軍の所有する兵器である対人地雷を民間人が除去する行為は禁じられている。土地の所有者は、軍によって「未確認地雷地帯」(地雷が埋設されている可能性があると認識された土地)と指定されて鉄柵によって囲い込まれた土地は、自分の土地であっても立ち入ることも使用することもできない(土地にかかる税金の免除や、国に使用料を求めることも可能であるが、その知識も手続きも知らない者も多い)。

このような状況下、対人地雷除去をうったえる韓国の民間組織の一つに、2004年に発足した「韓国対人地雷除去研究所」がある。設立者であり所長のキム・キホ氏は軍人であったが、京義線の再開通の過程で対人地雷が多量に埋設されて、民間人が被害を受けているのを目の当たりにし、除隊したのちにこの研究所を創設した。軍で培った地雷をはじめとする兵器の構造の知識と、最新の探査機や除去時の防護装備を整えている。

CCZ内の「未確認地雷地帯」は、個人や民間組織が地雷を除去することは認められていない。しかし同研究所は、以前はCCZ内であり、そしてCCZ縮小によって現在は民間人が居住している地域にも残留地雷が存在すること、また「未確認地雷地帯」とすら認識されていない土地の埋設地雷を問題視している。

キム所長は、そのような地域を訪れて地元の住民への聞き取り調査を行い、軍によって認識されていない地雷地帯の調査を行ってきた。2007年12月にキム所長は、京畿道漣川郡の調査の際、地元の住民から、1963年に軍人が地雷事故に遭ったことを聞き、探知機で調査を行ったところ、その土地に地雷が存在することを確認した。この土地は、軍による「未確認地雷地帯」の指定はされていない。そのため除去後に軍に報告する必要はあるものの、個人による地雷除去も可能である。キム所長はこのことをマスコミにうったえ、韓国MBCテレビの生中継で、約50発の残留地雷を除去した。

このことは、軍によって管理されていない地雷が多数存在し、住民に脅威を与えていることが広く知られることとなった。これをきっかけに、2009年に軍は半年間かけて、この土地で対人地雷の探知と除去作業を行ったところ、284発の対人地雷が発見された。またキム所長は、同じように元はCCZだった地域で建設工事が行われる際に施工業者から依頼を受けて地雷探知と除去を行ったこともあり、除去した地雷を軍に届け、軍に対人地雷の除去をうったえている。

2007年12月に対人地雷除去研究所のキム所長によって地雷が発見された地域(右側の土地)。左側が土地の所有者の家
2007年12月に対人地雷除去研究所のキム所長によって地雷が発見された地域(右側の土地)。左側が土地の所有者の家
事故防止のためにテープをはるキム所長
事故防止のためにテープをはるキム所長
2009年に地雷除去が軍によって行われたことを示す案内
2009年に地雷除去が軍によって行われたことを示す案内
現在は畑として使用できるようになった土地(2013年12月)
現在は畑として使用できるようになった土地(2013年12月)

民間による地雷除去を認める法律の制定については、KCBLが長い間、国会議員や国防部に働きかけてきた。これによって2008年3月に、民間業者による地雷除去を可能にする「民間地雷除去業および処理に関する法律(案)」制定の動きが大きく前進した(聯合ニュース「民間人の地雷除去を可能に、新法制定を推進」2008年3月21日)。これは、民間人の地雷除去を可能にするよう、地雷除去業種の営業範囲と活動内容を骨子とし、同法案では、大統領が定めた資本金と技術者、装備を備え、国防部長官に「地雷除去業」登録を行った民間業者(営利企業)ならば、地雷の探知・除去作業を行うことができるとしている。

しかしながら除去費用はその土地の所有者が負担することになる。前述のキム所長は、高額の費用負担ができる土地所有者がどれだけいるか、採算が取れなければ除去業を行う企業はいないのではないか、そもそも軍が埋設し、放置してきた地雷は軍が責任をもって除去すべきではないかと語っている。

また同法案では、地雷除去の民間専門家育成に向け、「地雷除去技術者」の資格試験も導入し、国防部が主管する試験に合格するか、国防部長官が定める資格、学歴、経歴が認められれば、技術者資格が与えられるとしている。法案はいまだ議会で承認されていないが、2013年11月にも再度、この法案が審議されることが報じられている(Newsis「軍 아닌 민간인도 지뢰제거할 수 있다」2013年11月13日)。

このような韓国における対人地雷被害の問題について、韓国人に話を聞くと、意外なことにこの問題について知らない人が多い。もちろん、南北が分断状態にあり、国防上、地雷が分断地域を中心に埋設されていることはよく知られている。また韓国の男性は約2年間の兵役に就くことが義務付けられており、任務についている間には地雷の使用や埋設作業に従事し、その機能や威力については熟知している。しかしながら地雷事故が今でも年に2~3件は発生し、被害者が苦しんでいる実情について気にかける人はけっして多くはないようである。

「地雷があるならそういうことが起きても仕方がない」というあきらめや、ソウルなど後方地域に住む人なら「自分には関係のない話し」という無関心のせいかもしれない。あるいは韓国内でもさまざまな社会問題があり、その中の一つにすぎないという認識なのかもしれない。このような反応は、良くも悪くも「平和ボケ」でいることができた日本人には驚きであり、意外に思えるだろう。

おわりに

今年(2013年)は、朝鮮戦争が休戦となって60年の節目である。韓国と北朝鮮は依然として「休戦状態」のままにあり、南北分断は事実上、固定化している。金大中政権期は北朝鮮に対する「太陽政策」を掲げ、開城工業団地での合弁事業や、金剛山観光事業など、南北間の交流は進んでいた。しかし李明博政権期以降は、南北間の緊張は高まっている。

また視点を北東アジア全体に広げてみよう。現在の国際社会において、「二大巨頭」である米中が実際に砲火を交えた起源は、朝鮮戦争にある。そして南北分断は、米中ロといった「大国」(しかも3国とも国連安保理常任理事国であり核保有国である)のバッファーゾーン(緩衝地帯)として機能しており、これらの国々にとって必要とされている側面もあることは指摘しておきたい。このような北東アジアの国際政治の駆け引きの中、無垢の人々が地雷という「悪魔の兵器」の脅威にさらされているのである。

朝鮮半島の南北分断状態とは、単に南北政府間の「政治ゲーム」ではなく、北東アジアの国際関係による「終わらざる冷戦」である。その南北分断によって朝鮮半島に蔓延する地雷は、確実に人々を傷つけ、時には命を奪っている。そういう意味では、朝鮮戦争は「現在進行形」の戦争であるといえよう。

参考文献

・聯合ニュース「民間人の地雷除去を可能に、新法制定を推進」2008年3月21日。

MBCニュース「합참, 지뢰 제거 작전 시작‥11월까지 실시」2013年4月2日。

Newsis「軍 아닌 민간인도 지뢰제거할 수 있다」2013年11月13日。

韓国対人地雷対策会議「강원도 내 민간인 지뢰피해자 실태조사 보고서(江原道における民間人地雷被害者実態調査報告書)」2006年。

韓国対人地雷対策会議「강원도 민간인 지뢰피해자 전수조사 보고서(江原道における地雷被害者全数調査報告書)」2011年。

International Campaign to Ban Landmines, “Landmine Monitor 2013”.

・目加田説子『地雷なき地球へ―夢を現実にした人びと』岩波書店 1998年4月

映像資料

NHK海外ネットワーク「忘れられた韓国地雷被害者」2009年12月13日放送。

プロフィール

小峯茂嗣NPO法人インターバンド代表理事

1994年、ジェノサイド後のルワンダでの国民和解支援や、アジア諸国の民主化支援のための国際選挙監視活動、紛争経験国のファクト・ファインディング(実態把握)に、NGOとして関わる。
また大学教員として、紛争地域や平和構築の調査研究とともに、ルワンダ、バングラデシュ、タイ、東ティモール、韓国の南北軍事境界線付近といった、開発途上国や紛争経験国での海外実習プログラムを多数企画。
これらのプログラムに参加した数多くの卒業生が、国連機関、開発援助機関、国際協力NGO、国際報道などの分野で活躍している。

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