2014.03.20
スィースィー待望論は「ムバーラク体制ver. 2.0」への道筋か
「彼がナンバーワンだ」、「彼は力強い指導者である」、「彼こそエジプトの大統領にふさわしい」。筆者が最近の現地調査(2014年2月下旬~3月上旬)でカイロに滞在した際、エジプト人からしばしば聞いた言葉である。
彼とは、エジプト軍を率いるアブデルファッターフ・スィースィー。2013年7月にムハンマド・ムルシー大統領を失脚させた「事実上のクーデタ」を指導したとされる人物である。クーデタ後に成立した暫定政権では国防相の座に就いており、現在のエジプトにおける最高実力者とみなされている。
本稿執筆現在、スィースィー自身による大統領選挙への正式な出馬表明は行われていないが、彼の大統領就任を既定路線と考えるエジプト人は多い。無論、彼の出馬を疑問視する声も一部ではみられる。しかし、筆者は現地でエジプト人に接するたび、彼らが抱く「スィースィー待望論」を強く感じた。その一方で、ムスリム同胞団など反対派からなる「正統性を守る国民連合」(「親民主主義国民連合」と呼ばれることもある)は、依然としてクーデタの不当性を主張し、街頭や大学キャンパスで抗議活動を継続している。
よく使われる表現ではあるが、エジプト情勢は依然として予断を許さない状況にある。しかし、現在のところ、クーデタ以降のエジプト情勢はスィースィーの大統領就任を収束点として動きつつあるように思われる。本稿では、スィースィー待望論、およびこれに反発する同胞団の動向に注目し、最近のエジプト情勢の現状分析を行いたい。
強まるスィースィー待望論
「民主的に選出された政権を打倒した軍の行動を多くのエジプト国民が支持しています」。筆者が講演会などでこのように述べると、聴衆の方々の頭上にいくつもの「?」マークが現われる。「その軍事クーデタを指導した人物が次期大統領の最有力候補と取り沙汰されています」と続けると、「?」マークはさらに増える。
世界的に見れば、不人気な政権を打倒したクーデタを国民が支持するという事態はしばしば起こる。もちろん、2013年7月のクーデタについては、今なおエジプト社会で見解の相違がみられる。しかし、クーデタを支持する多くのエジプト人にとって、ムルシー前政権はエジプトの政治・経済・社会へ大きな混乱をもたらした「諸悪の根源」であった(詳しくは、前回の拙稿「クーデタはエジプトに何をもたらしたか?」を参照)。
彼らにとって、2013年7月の軍の行動は、同胞団による祖国崩壊を防いだ偉業であり、「諸悪の根源」を追放した「革命」への貢献として映っている。それは、ムバーラク政権崩壊をもたらした2011年の「1月25日革命」に続く「第2の革命」とされ、ムルシー政権崩壊の契機となった大規模デモの実施日にちなみ「6月30日革命」と呼ぶ者も多い。
エジプトでは、国民投票(2014年1月14~15日)で新憲法草案が承認されて以降、スィースィーの大統領選挙への出馬表明が間近と何度も噂されるが、それがいつも期待外れに終わるという事態が繰り返されてきた。
なお、この国民投票では98.1%の賛成多数で新憲法が承認されたが、この結果をもってスィースィーの大統領就任への道が整ったとする声が強い。当然のことながら、新憲法は暫定統治終了後の新体制の根幹にもなる重要な法典である。軍主導の暫定統治下で起草作業が進められたため、新憲法にはクーデタ後のエジプト政治の変化が強く反映されている。新憲法では、軍、司法機関、スンナ派イスラームの最高教育機関であるアズハル機構など支配的エリートの既得権益の確認・強化がなされている。
特に、軍に対しては、(時限規定ではあるが)国防相人事への承認権、軍事予算作成への関与、軍事裁判権の対象拡大など有利な規定が設けられた。軍の強い独立性と優越性を前提とする憲法と言っても過言ではない。
他方、イスラーム色の強かった旧憲法(2012年12月制定)と異なり、新憲法は宗教政党の禁止を明記するなど、同胞団ら反体制的なイスラーム主義勢力を規制する内容となっている。
つまり、先般の国民投票は、単に新憲法の是非を問うものだけでなく、クーデタとそれに伴うエジプト政治の変化、さらには軍主導の新体制発足を認めるか否かという審判でもあった。同胞団や青年運動など反体制派は国民投票のボイコットを呼びかけたが、旧憲法制定時の国民投票(投票率32.9%、賛成63.8%)よりも高い投票率(投票率38.6%)と賛成票を達成した。これにより、暫定統治を指導してきたスィースィー国防相の大統領選挙出馬へ道が開けたと考えられた。
最近では、2014年2月下旬のハーゼム・ベブラーウィー内閣総辞職に際して、スィースィーの出馬表明は間近とする声が高まった。新憲法によれば軍籍保有者は大統領職に就くことができないため、内閣総辞職に伴い国防相を辞したスィースィーが軍籍を離れて出馬表明すると噂された。しかし、彼は後継のイブラーヒーム・メフレブ内閣で国防相に再任され、出馬表明も行わなかった。
筆者はカイロのある研究機関を3月初めに訪問した際、スィースィーの出馬表明が遅れている理由について質問した。それに対して、同研究所員は、スィースィーは大統領選挙法の制定(3月8日、アドリー・マンスール暫定大統領が承認済み)と彼自身の選挙綱領の完成を待っているのだと筆者に説明した。ちなみに、再任されたのにすぐに辞任するのは少し変だと筆者が感想を述べたところ、何もおかしくないと強く反論された。現在も、多くのエジプト人はスィースィーの出馬表明を待ち続けている。市中では、スィースィー支援の勝手連的な運動が登場し、彼を讃える巨大ポスターも次々と出現中である(写真1)。
エジプト社会で広くスィースィーが待望されている要因としては、クーデタを支持する多くのエジプト人にとって、もはやスィースィーしか選択肢が残されていないという事実を指摘できよう。
「腐敗の権化」であったムバーラク政権を打倒した「1月25日革命」直後のエジプトでは、「腐敗」から一定の距離を取っていたと考えられ、かつ政権担当能力があると期待された政治的アクターとして、同胞団と軍が存在した。しかし、ムルシー政権の「失政」により、かつて多くの国民が抱いた同胞団への期待は消滅した。同胞団にもはや期待できない現在、彼らの期待はスィースィーが率いる軍へと向けられている。もちろん、エジプト社会に根強い軍への信頼感もこれを促がしている(2013年9月のゾグビー・リサーチ・センターの世論調査では、軍を信頼するという回答は70%)。軍への強い信頼感、そして軍なら何とかしてくれるという期待感から、スィースィー待望論が広がっているのであろう。
ムスリム同胞団の動向
同胞団は、2013年7月のクーデタやスィースィー待望論に強く反発しているが、軍・暫定政権の流血を厭わない弾圧によって苦境に陥っている。もちろん、同胞団を主体とする「正統性を守る国民連合」は、クーデタの不当性とムルシーの復権を主張する抗議活動を依然として継続している。しかし、多くの有力メンバーの逮捕・起訴に伴い、同胞団の指揮系統は寸断され、最近では抗議活動への動員に支障が生じているとされる。エジプト社会に反同胞団感情が次第に定着化する中、同胞団が政治的にも社会的にも周縁化されつつあると指摘する声もある。
2013年12月、暫定政権は同胞団を「テロ組織」に指定した。エジプト刑法では、テロ組織に所属する者は最大懲役5年の刑に処される。この決定に伴い、軍・治安機関には、同胞団を取り締まるための実質的な「フリーハンド」が与えられることとなった。筆者はエジプト滞在中に、「ムスリム同胞団はテロ組織だ」との言葉をよく聞いた。世俗的なリベラル派知識人はいうまでもなく、1年前に当時の同胞団への支持を明言していた知人の多くも同様である。現地メディアは、「テロ組織」としての同胞団に関する報道を繰り返しており、多くのエジプト人がそれを事実としてとらえている。スィースィーの写真と「テロとの戦い」という言葉がセットになったポスター(写真2)を街中でよく見かけたが、これを見たエジプト人の多くはテロと同胞団を結び付けているらしい。
同胞団のテロ組織指定後、暫定政権は同胞団系の社会奉仕活動に対する資産凍結や活動禁止の措置を採った。1,000以上の同胞団系組織の資産調査に当局が乗り出したとの現地報道も見られた。この措置は、同胞団にとって組織存亡にかかわる脅威であった。というのも、同胞団は無料医療奉仕や貧困家庭支援などの社会奉仕活動を基盤とする運動で、その政治活動は社会奉仕活動を通じてエジプト社会に構築されたネットワークを動員力の源としている。社会奉仕活動の禁止は、同胞団の組織基盤を揺るがす事態であった。
筆者は同胞団の社会奉仕活動の現状を調査するため、カイロ市内マアーディー地区にあるファールーク病院を訪問した。当院は同胞団系NGO「イスラーム医療協会」に所属する病院で、筆者は約10年前の滞在中に何度か訪れたことがある。
病院に向かう道中、建物は閉鎖されており、治安当局者に冷たく追い返されるだけだろうと、筆者は半ば諦めていた。というのも、病院訪問に先立って筆者が同胞団本部を訪問した際、治安当局者が厳重な警戒を行っており、敷地への立ち入りは厳禁であったからだ(写真3、4)。だが、到着した病院の様子は予想を裏切るものであった。そこは10年前と変わらず来院者で溢れていた(写真5、6)。
マグディー・アフマド・アブデルアズィーズ院長(写真7)によれば、一旦は銀行口座の凍結処分を受けたが、当局(恐らくは社会問題省)に活動再開申請をしたところ、間もなく凍結が解除された。それ以降は、通常の診療活動を行っており、イスラーム医療協会所属の他院、さらには同胞団系の他の医療組織も同様だという。テロ組織指定後も、一部の同胞団系社会奉仕活動は継続していることがうかがえた。
なお、ガマール・アブドゥッサラーム元院長ら筆者がかつて会った面々は多くが投獄されていた。逮捕されることは覚悟の上だと述べるアブデルアズィーズ院長の姿が印象的であった。
軍・暫定政権と「正統性を守る国民連合」の対立をめぐる最近の動きとしては、両者間の対立緩和を目指す試みが挙げられよう。カイロ大学政治経済学部教授ハサン・ナファーが2月中旬に発表した「対話イニシアティブ」はその代表例であり、対立緩和のための仲裁者委員会の発足を唱っている。
こうした試みに対して、「国民連合」では、その一翼を担うワサト党や建設発展党から好意的な反応が示されている。ワサト党広報担当者アムル・ファールーク(写真8)は、暫定政権承認などクーデタの正当化につながる前提条件は認められないとしながらも、こうした対立緩和の試みを歓迎している。
他方、「国民連合」の中核をなす同胞団は明確な反応を示していない。同胞団内には、軍・暫定政権との対立緩和を重視するメンバーも存在するが、その実現方法について意見の統一ができていないようだ。現在の同胞団では、逮捕を免れた穏健派が暫定的に組織運営を担っており、軍・暫定政権との全面的な武装闘争や和解といった急激な方針転換に踏み切るとは考えにくい。恐らくは、弾圧への「忍従方針」を堅持し、抗議活動の継続と、再開が認められた社会奉仕活動の温存に努めるであろう。その上で、軍・暫定政権との対立緩和の可能性を徐々に模索すると考えられる。
なお、こうした対立緩和の試みに対して、軍・暫定政権側は冷淡な対応を示している。彼らは「国民連合」の抗議活動の抑え込みにおおむね成功しており、現段階では和解に向けたインセンティブが弱いのであろう。
「ムバーラク体制ver. 2.0」?
大統領就任後のスィースィーはどのような体制を構築するのか? これは、筆者にしばしば投げかけられる悩ましい質問である。大統領選挙の候補者や日程(2014年4月以降と噂されている)すら決まっていない中では、本当に答えに窮する。しかし、エジプト情勢が彼の大統領就任を収束点として動きつつある現在、これまでのエジプト政治の動きを手がかりにすれば、何らかの回答を示すことは可能であろう。スィースィー体制とは「ムバーラク体制ver. 2.0」ではないかと、最近の筆者は答えている。
もしスィースィーの大統領就任が現実となれば、暫定統治を担ってきた政治的アクターが彼の政権運営を引き続き支えることとなり、現在の統治体制がほぼ継続することとなろう。すなわち、スィースィーの出身母体の軍、治安機関、官僚機構、司法機関、財界、アズハル機構やコプト正教会などの宗教機関、マスメディアなどが、新体制下でも支配的エリートを占める。新設が予想される政権与党もここに加わる。また、公認野党は許容範囲内で政治活動を行うこととなろう。反体制派の抗議活動に対しては、2013年11月に制定された「デモ規制法」で対処すること考えられる。
エジプト政治に詳しい方なら、これはムバーラク体制とそっくりではないかと思われるかもしれない。おおむねその通りである。それゆえ、「ムバーラク体制ver. 2.0」と筆者は呼んでいる。2013年7月のクーデタ後のエジプトでは、同胞団の「行き過ぎ」や「過ち」の是正と、ムバーラク政権期からの支配的エリートの復権が進められてきた。ムバーラク政権期の与党国民民主党(NDP)幹部であったメフレブの首相就任はその一例である。また、新憲法を一読すれば、軍など従来の支配的エリートの権限強化は明らかであろう。
では、誕生が確実視されているスィースィー体制は、ムバーラク政権とはどう違うのか。
第1にスィースィーがムバーラクと比べカリスマ的な人気を博している点、第2にスィースィー体制では軍がより政治へ直接的に関与すると予想される点、が異なると筆者は考えている。ムバーラクは、腐敗や強権のイメージが付きまとったためか、国民的な人気には恵まれなかった。他方、スィースィーは上述のように国民的な支持を博している。腐敗のイメージがないことや、祖国崩壊を食い止めた「実績」も有利に働いている。
スィースィーは、同じく国民的人気の高かったナセル元大統領を尊敬しているとも聞く。ナセルがかつてやったように、個人的なカリスマ性を最大限に活用しつつ政権を運営するのではないか。また、ムバーラク体制下の軍は政治への直接的関与に消極的であったが、クーデタ以降の軍は実質的な軍政を施行している。同胞団ら反体制派の挑戦を確実に退けるためにも、政治への直接的関与を今後も継続すると考えられる。こうした点から、スィースィー体制はムバーラク体制よりもヴァージョンアップしたものになると予想されるので、「ムバーラク体制ver. 2.0」と筆者は呼ぶのである。
なお、軍に対する最大の挑戦者である同胞団はどうなるのか。これまでの経緯に鑑みると、ムバーラク体制下とほぼ同じ扱いを受けると思われる。つまり、政治活動は非合法とされるが、社会奉仕活動は「必要悪」として黙認されるであろう。上述のアブデルアズィーズ院長によれば、病院の口座凍結中、多くの近隣住民が医療サービスを受けることができず大変困っていたようだ。こうした事態はエジプト各地でみられたようで、その後間もなく凍結は解除された。同胞団系社会奉仕活動の代替となるサービスを暫定政権が提供できなかったためである。
これまでの歴代政権は、同胞団の社会奉仕活動の全面的禁止にまでは踏み込まなかった。予算上の理由などから、全国民に十分な公的社会サービスを提供できなかったためだ。現在も同様のようである。これは、同胞団にとって組織存亡の危機を回避できたことを意味しており、体制との全面対決へのインセンティブは減退したと考えられる。こうしたことは、新体制下での「暗黙の和解」の要因になるのかもしれない。
では、来たるスィースィー体制が直面する問題は何であろうか。クーデタ以降の暫定政権の諸政策に鑑みれば、恐らくは、補助金などで最低限の国民生活を保障した上で、国民の政治的権利を抑制し、社会の安定を目指すこととなろう。これは、「管理された安定社会」とも呼べる。その実現のためには、「1月25日革命」以降の懸念である治安と経済を回復させなければならない。スィースィーは治安回復・維持を重視しており、カイロやデルタ地帯でのテロ予防政策、シナイ半島でのイスラーム過激派の掃討作戦に注力するであろう。しかし、一部市民の間でクーデタ以降に生じた反軍感情、極めて小さな単位での犯行形態、シナイ半島における地元ベドウィンの反中央感情などに鑑みれば、短期的に十分な成果を上げるのは難しい。
治安回復の遅れはエジプト経済再生の足かせとなるが、サウジアラビアなど湾岸諸国の経済援助が続く限りは、エジプト経済は何とか「低空飛行」を維持できる。しかし、援助が永遠に続くとは考えにくい。また、原油価格急落などによって援助が停止すれば、再びエジプト経済は危機に直面するかもしれない。その際には、エジプトの政権を誰が担っていようと、政治危機が再現する恐れがある。そうなれば、ムバーラク政権とムルシー政権の打倒を先導した青年運動が再び抗議活動を呼びかけることとなろう。こうした事態を避けるためにも、スィースィー体制は早期に治安回復を達成し、外貨収入源である観光業や外国直接投資などを活性化し、経済再建を果たさなければならない。
おわりに
今回の現地調査で最も筆者の印象に残ったのは、多数のエジプト人に根強く民主主義への不信感であった。
筆者は名門カイロ大学生・卒業生約10名と意見交換を行う機会を持った。その際、「なぜムルシー政権を1年で見限り、街頭行動に訴えたのか」、「3年後の選挙をなぜ待てなかったのか」という話題になった。参加者の1人は、「誤った権力者の下では公正な選挙はありえない。ムルシーが残る3年間大統領職にあれば、再選のための権力固めを行い、エジプトの政治・経済はさらに悪化していた。エジプトには3年間も待つ余裕などない。ムルシーの失政を止める方法は選挙ではなく、直接的な街頭行動のみだった」と答えた。
この意見に頷く同席者も複数おり、さらには選挙に基づく民主主義を疑問視する声もあった。筆者はエジプト滞在中、機会を見つけては同様の質問をしたが、同じような考えをしばしば耳にした。民主主義のルールに基づく制度政治よりも、デモや集会に依拠する街頭政治の方が支持されているエジプトの現状を示す一例といえよう。このような考えを聞く中で、早急に結果を出すことが求められ、かつ失敗が許されないエジプトの為政者に対して、筆者は同情せざるを得なかった。
現在、多数のエジプト国民がスィースィーの大統領就任を待望している。しかし、国民の過度の期待は、彼の政権運営が失敗した場合に、大きな反動となって帰ってくる可能性もある。今は不人気のムルシーも就任当初は高い支持率を誇った。時と場合によっては、ムルシー政権崩壊をもたらした街頭政治の論理が、大統領に就任したスィースィーに対しても用いられる可能性は否めない。
最後となるが、本稿はスィースィーの大統領就任を前提として議論を行ってきた。もしもスィースィー以外の人物が大統領に就任したとしても、その人物は軍から何らかの同意を得ていることは間違いない。それゆえ、その場合の新体制もスィースィー体制とおおむね同じようなものとなるだろう。ただ、スィースィーに匹敵する国民的人気を有する政治家は現在いないため、新大統領が誰であろうとカリスマ性に頼った政権運営は難しくなり、政権を支える軍の意向に沿った政策が実施されることとなろう。
いずれにせよ、もう間近とされるスィースィーの大統領選挙への出馬表明を待ちつつ、エジプト情勢の動きに注視したい。(2014年3月14日記)
※本稿執筆の土台となる現地調査では、北海道新聞社カイロ支局長・小林基秀氏から多大なるご協力を賜った。ここに記して、感謝申し上げます。
プロフィール
横田貴之
日本大学 国際関係学部准教授。1971年、京都府生まれ。京都大学博士(地域研究)。早稲田大学政治経済学部政治学科卒(1995年)、北海道電力(株)勤務を経て、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了(2005年)。(財)日本国際問題研究所研究員を経て、2010年4月より現職。主な著書・論文に、『現代エジプトにおけるイスラームと大衆運動』(ナカニシヤ出版、2006年)、『原理主義の潮流―ムスリム同胞団』(山川出版社、2009年)など。