クーデタはエジプトに何をもたらしたか?

2013年7月3日、アブドゥルファッターフ・スィースィー国防相兼エジプト軍最高評議会(SCAF)議長は、軍部隊を市中に展開し、憲法停止とムハンマド・ムルシー大統領の解任を発表した。このクーデタにより、エジプト史上初の自由な大統領選挙で選出されたムルシーは、就任から1年余りで失脚することとなった。カイロ市中心部のタハリール広場に集結した百万ともいわれる市民は、ムルシー政権崩壊をもたらしたクーデタを称賛した。

 

現在、エジプトでは、軍の影響下で暫定政権が発足し、2014年までの民政移行に向けて政治日程が進められている。しかし、ムルシー支持派による抗議デモと治安部隊との激しい衝突が頻発する事態になっており、いまだ混乱状態から脱していない。

 

2011年にホスニー・ムバーラク政権を崩壊させた「1月25日革命」以降、エジプトでは混乱をともないながらも議会選挙、大統領選挙、新憲法制定が行われ、新しい国づくりが進められてきた。しかし、今回のクーデタによって、振り出し地点に再び戻ることとなった。しかも、それはムバーラク政権崩壊時よりも複雑な問題を抱えながらの再出発と考えられる。本稿では、エジプト国内に焦点を定め、クーデタの背景を検討した上で、エジプト政治の現状を概観し、クーデタがエジプトにもたらした諸問題について考察する。

 

 

クーデタと軍の思惑

 

2013年6月下旬、ムルシー大統領就任1周年を間近に控えたエジプトでは、ムルシー政権打倒を標榜する抗議行動が活発化した。その中心的な役割を担ったのが都市部青年層を中心とする緩やかな反政府組織の「反抗(タマッルド)」であった。彼らは、ムルシー大統領の辞任を求め、6月30日までに1,500万人の署名を集める活動を行っていた。6月30日までに、彼らは2,200万を超える署名を集めたといわれる。

 

6月末、大統領辞任を求める多数の国民の声に後押しされたタマッルドは、タハリール広場で大規模な反ムルシー・デモを組織した。この抗議行動はエジプト各地へ波及し、全土で数百万人が反ムルシー・デモに加わったとされる。ムルシー政権および同大統領の出身母体ムスリム同胞団に批判的な世俗主義・リベラル派の野党・政治勢力もこの動きに合流した。ムルシー政権下で周縁化されていた野党にとって、市民による政権打倒の声に乗じることは当然の選択であった。

 

エジプト軍も反ムルシー・デモの拡大にともない、政権から明確に距離を取った。7月1日、スィースィー国防相は、ムルシー大統領に対して48時間以内の事態収拾を求める「最後通告」を行った。また、収拾がかなわない場合、新たな政治プロセスを軍独自の「行程表」でしめす用意があるとした。これに対して、ムルシー大統領は軍の不当な政治介入としてこれを批判し、選挙によって選出された自らの正統性を主張した。同大統領は事態収拾へ向けた対話を試みたが、反ムルシー派はそれに応じなかった。結局、ムルシーは期限内に事態を収拾することはできなかった。

 

7月3日、クーデタによってムルシーは権限をはく奪された。軍部隊は大統領府周辺や同胞団系テレビ局などの要所に展開し、ムルシー支持派の行動を封じ込めた。スィースィー国防相は声明において、軍はエジプト国民の要求に従って今回の行動を取ったのであり、政治的な奪権の意図はないと強調した。軍はたびたびムルシー大統領に国民対話を要求してきたにもかかわらず、同大統領は「国民の要求に応じることができなかった」とし、軍は自らに課された責任を果たすために行動したと主張した。

 

タハリール広場に集結する市民からは、ムルシー政権の幕を引いた軍の行動に対して賞賛の声が上がった。他方、同胞団を中心とするムルシー支持派は、クーデタという不当な手段によって正統かつ民主的な政権が打倒されたと主張し、この「暴挙」に対して徹底的に抵抗すると反発した。

 

今回のクーデタについて、エジプト軍が国民の声に従ってやむを得ず行動したと考えるのは、いささか表層的な見方であろう。軍がクーデタに動いた最大の要因は、ムルシー政権が軍の既得権益に挑戦しようとした経緯にある。

 

ナセルからの歴代政権下、エジプト軍は予算・人事などで政府や議会の監督・介入を受けない独立性を有してきた。また、軍は食品、建設、観光、警備などの多様な業種に及ぶ関連企業群を有している。諸説はあるが、軍関連企業は同国GDPの10~40%を占めるとされ、これら企業は軍のほぼ独占的な管理下にあるといわれる。エジプト軍は独立性を有する特権的な組織として既得権益を保持してきた。

 

ムルシーは自由かつ民主的な選挙で国民に選ばれた正統性を背景に、軍は国防に専念すべきと発言するなど、軍の既得権益へ挑戦する可能性を示唆した。また、昨年8月にムルシーがタンターウィー国防相兼SCAF議長(当時)を更迭し、軍の最高人事権に介入したことは、軍に危機感を抱かせた。ムルシー政権下で、軍の既得権益が制限される恐れが高まったが、軍は民意に支えられた大統領の排除に動くことはできなかった。

 

危機感を抱いた軍は、ムルシー政権の正統性の基盤、すなわち国民の支持が弱まるのを虎視眈々と待っていたのではなかろうか。反ムルシー・デモの急速な拡大は、軍にとって千載一遇の機会であったと考えられる。混乱が拡大し、ムルシー政権への支持が低下する中で国民の要求に応じるという構図は、軍が実力行使によってムルシーを排除する上で、必須かつ絶好の大義名分であった。

 

上述のように、エジプト軍はその物理的な力(軍事力)を背景に、大きな経済的特権と政治的独立性を維持してきた。軍出身者が大統領を務めた歴代政権下、軍はいわば不可侵の存在であった。しかし、「1月25日革命」後の政治変動の中で台頭した同胞団、およびそこから誕生したムルシー政権は、軍の既得権益への初めての挑戦者として登場した。既得権益の維持を図る軍と、それに挑戦しようとする同胞団・ムルシー政権は、遅かれ早かれ衝突する運命にあったともいえよう。また、エジプト社会で強固かつ広範な支持基盤を有する同胞団は、軍に対抗しうるほぼ唯一の政治的アクターである。軍にとって、反ムルシー・デモの高揚は最大の挑戦者である同胞団を弱体化させる機会であり、クーデタはさらなる同胞団弾圧の端緒でもあった。

 

 

 

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