2016.10.14

東京に部落差別はない?――見えない差別を可視化するBURAKU HERITAGEの挑戦

上川多実 BURAKU HERITAGEメンバー

社会 #部落差別#BURAKU HERITAGE

部落差別は西日本の問題?

「少なくとも東京には部落差別なんてない」

高校生のとき、社会科の教員から言われた言葉だ。被差別部落出身者として講師をした先日のワークショップでも受講者から同様の発言が飛び出した。ママ友に部落問題について話したときにも「ああ、部落問題ね。西日本とかではまだ残ってるやつでしょ」と返ってきた。

「自分は東京で長年暮らしてきたが、部落差別なんて見聞きしたことがない!だから、東京に部落差別があるなんて言われても信じがたい」と言われることも度々ある。

東京は被差別部落の存在を感じにくい街だ。関東大震災や東京大空襲で街がめちゃくちゃになり、人口の流出入も多い。さらに、被差別部落に対して同和地区(注)の指定を都が行わなかった。そのため、集落としての部落の存在が見えにくい。

(注)同和地区…被差別部落の中で行政から指定され同和対策事業の対象となっていた地域を指す。同和地区としての指定を受けていない被差別部落も多く存在するため厳密には被差別部落すべてを指すものではないが、被差別部落を指す行政用語として使われることも多い。

しかし、東京にも部落差別が存在する。私の周りには、子どものころから差別が身近にあった。実際に、私の父は結婚差別が原因で妹と音信不通になっている。近所の会社では就職差別が起こり、友人の家には嫌がらせの脅迫ハガキが届いた。「見聞きしたことがない」「感じにくい」のは「実際にない」こととイコールではない。

アンケートから読み解く、部落差別

部落差別は見えにくいが、見ようと思えばその手がかりはいくらでもある。そのひとつとして、東京都で行われたある調査結果をご覧いただきたい。

図1 子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合(東京都,2014:52)
図1 子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合(東京都,2014:52)

図1~4は、東京都が2014年に行った「人権に関する世論調査」の中で「同和地区出身者との結婚について」という項目を抜き出したものである。

もしも部落差別はもうないというのならば、図1の設問の回答は「子供の意志を尊重する。親が口出しすべきことではない」が100%になるはずである。しかしどうだろうか。100%どころか、そう答えているのは46.5%と半数にも満たない。

図2 同和地区出身者との結婚に反対された時の対応(東京都,2014:52)
図2 同和地区出身者との結婚に反対された時の対応(東京都,2014:52)

図2の設問は、差別があるとした上でそれに直面した時にどう行動するかについてだが、こちらでは「家族の者や親戚の反対があれば、結婚しない」(10.5%)、「絶対に結婚しない」(4.9%)を合わせると15.4%が結婚しないと回答している。

次に、1999年に行われた前回調査との比較を見てみると、

図3 子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合の対応 過去との比較(東京都,2014:53)
図3 子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合の対応 過去との比較(東京都,2014:53)

子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合(図3)、「子供の意志を尊重する。親が口出しすべきことではない」とする割合が前回は53.9%だったものが、比較可能な今回調査の既婚者のみを見ると、45.3%となっており、10ポイント近く結婚を認めるとする回答の割合が低下している。

一方、「家族の者や親戚の反対があれば結婚を認めない」は2.0%から3.1%へ、「絶対に結婚を認めない」は1.9%から3.1%へと上昇している。(前回調査ではこの質問を既婚者のみに聞いていたためこのような表記になっている)

図4 同和地区出身者との結婚に反対された時の対応 過去との比較(東京都,2014:53)
図4 同和地区出身者との結婚に反対された時の対応 過去との比較(東京都,2014:53)

同和地区出身者との結婚に反対された時の対応(図4)も、前回調査と比較可能な未婚者をとりあげると、「親の説得に全力を傾けたのちに、自分の意志を貫いて結婚する」回答が39.3%から32.1%と低下し、「家族の者や親戚の反対があれば結婚しない」が3.9%から7.4%へ。「絶対に結婚しない」が0.9%から6.3%へと明らかに上昇している。(前回調査では未婚者のみに聞いていたため、このような表記になっている)

この調査ひとつをとってみても、部落差別が未だに存在し続けていることも、西日本だけの問題でないこともおわかりいただけるであろう。しかも、前回の調査よりも今回の調査の方が差別の傾向は強くなっている。

差別を可視化するハードルの高さ

では、なぜ差別は可視化されないのだろうか?

ある時、わが家の8歳になる子どもに「今日、ママの名前をインターネットで検索してみた」と言われ、どんなものが上位にくるのか確認しようと自分の名前を検索してみた。

すると、部落解放同盟の関係者を一覧にしたというリストがインターネット上に公開されており、その中に私の名前があることを知った(私自身は部落解放同盟員ではないのだが……)。私は名前だけだったが、そこに掲載されている多くの人は住所や電話番号までが載せられていた。

数年前から、全国の部落の地名をインターネット上で「晒して」いる人物がいると問題になっていたのだが、同じサイト内に部落解放同盟の関係者リストも作られていたのだった。

今年、このリストに掲載されている人々が中心となり、サイト運営者に対して慰謝料請求をする裁判が起こされ、私も原告の一人となっている。裁判に参加したことで、裁判資料として原告ひとりひとりの名前と住所が被告によってインターネット上に公開され(現在は削除)、私は名前だけでなく住所まで公開されることになってしまった。

差別的なサイトに自分の名前だけでなく住所までが晒されたというのは、ただ地域の電話帳に住所が載ることとは別の意味を持つ。そのリストをみた人が悪意をもってわが家を訪ねてくることがあるかもしれない。もしそんなことがあったとして、子どもが家に一人でいるタイミングだったら? 心配し始めたらきりがない。

しかし、私が日々接する人たちの中で、私の身に降りかかったこの出来事を知っている人はごく少数しかいない。なぜなら、差別の被害を可視化することは難しいからだ。

たとえば、「私は差別的なサイト上で名前を住所を晒された」という事実を周囲に伝えるためには、

(1)被差別部落出身者だというカミングアウト

(2)被害の言語化

(3)伝える機会

(4)受け取る側の理解

という4つの要素が必要になる。

(1)には差別されるリスクが、(2)には被害の現状や不安と向き合うというしんどさがあり、(3)はそれを用意設定すること自体がそもそも簡単なことではない。日常生活の中でこういう話題を話す機会というのはなかなか巡ってくるものでも作れるものでもない。

(4)にかんしては被害者側にはどうすることも出来ない。(1)(2)(3)をクリアして差別があった事実を話せたとしても、「本当にそんなことがあるなんて信じられない」「何か恨みを買うようなことをしたんじゃないの?」といわばセカンドレイプのような言葉を投げかけられることもある。「この人になら話しても大丈夫かな」と意を決して話したのに拒絶された時に受ける精神的なダメージは計り知れない

それでも、差別の現状を知ってほしいとと覚悟を決め、この4つのハードルを越えて初めて、「私は差別的なサイト上で名前を住所を晒された」と伝えることができるのである。だが、これを日常生活の中で実行し続けるのはたやすいことではない。

差別の被害を受けている人の中には、周囲に伝えたくてもなかなかその機会をつくれない私のような人もいれば、周囲に話すことの心理的ハードルの高さから口をつぐむことを選択している人も少なくない。こんな風に、すぐ隣に差別を受け、傷ついている人がいたとしても、周囲はそのことに気づかないし知らない。それは決してめずらしいことではない。可視化が難しいゆえに「東京に部落差別がある」と「東京で部落差別を見聞きしたことはない」は両立してしまうのだ。

可視化が難しい原因は差別を告発できない被差別者側にあるのではない。もし、周囲の部落差別への理解が深く関心が高ければ、可視化へのハードルはグッと下がるのだから。

私は部落差別を身近に感じながら、一方で部落差別に無理解で無関心な人たちに囲まれてこの東京で生きてきた。部落問題を知らない友人知人もたくさんいたし、「知らない人が増えれば差別は減るのになんでわざわざ教えようとするの?」「被害者意識が強すぎるんじゃないの?」という反応をされることにも慣れっこになっている。

しかし、だからといって傷つかないわけではない。部落差別の存在が、部落差別によって苦しんでいる人たちがいる事実が、こんな風に無化されている社会で生きているのだという現実を、その都度突きつけられているからだ。

 「わたし」の体温がこもったリアルな言葉がもつ力

部落差別はある。しかし、その事実を知らない人や、リアリティをもてない人たちがいる。「差別をなくす」以前の問題であるこのギャップをどうしたら埋められるのだろうか。そのアプローチのひとつとして部落問題と関わっている友人たちと2011年に立ち上げたウェブサイトがある。

「わたし」から始まる「部落」の情報発信サイトBURAKU HERITAGEである。

メンバーは、自分の状況を明らかにしたうえで、自分の感じていることを「わたし」として発信する。「わたし」を軸に発信することで、差別を受けているリアリティを伝えることができると考えているからだ。

「今ここに暮らしているこんな『わたし』のこと」としてひとりひとりの声を提示することが、なかなかもたれにくい「リアリティ」を伝えるために有効だと考えるからだ。

例えば、週刊朝日で当時大阪市長であった橋下徹氏の出自に関する記事が書かれた問題を受けて、BURAKU HERITAGEサイト内で、「部落の名前や場所を、報道することってアリ?ナシ?」という座談会記事を公開した。以下、一部を引用する。

たみ この中で、実際に今現在部落に住んでるのは、みどりんとC?

みどりん 生まれ育った部落には、今は住んでない。春から実家に戻るからまた住むことになるけど。

C 住んでる。

たみ 自分が住んでる部落の地名が雑誌とかで出されるのはどういう感覚?

C 問題ない。お父さんとかBH(BURAKU HERITAGEの略称)とかセーフティネットがあるから。自分に関してだけだったら問題ない。差別されるのはイヤだけど、自分のルーツや家族を誇りに思っているし、何も恥じることはないから。

たみ それはでも「自分に関しては」なんだよね?

C うん。そう、自分にはセーフティネットがあるからそう思えるんだと思う。でも、部落出身を隠したい人がいて、地名が公表されることによって差別される恐怖を感じてしまうんだったら良くないのかなと思う。

みどりん 地名を出す、とか、出てOKとする、というのは、地域ぐるみでのカミングアウトみたいな意味をもつと思うねん。

たみ なるほど。

みどりん 例えば、地域のリーダーが、地域の取り組みを取材してくれた新聞やテレビに「この地域は○○市の●●」という情報を出してOKと言って、実際に報道されたとするやん?その場合でも、住民全員に同意をとって出すのは無理やんね。

同じように、私個人が、自分のこととして、地名や場所を含めてカミングアウトしたら、同じ地域の人のことも、カミングアウトしちゃった意味合いを自動的にもってしまう。それは難しいことだな、と思う。けど、実際は、ええい、言っちゃえ、と思って言ってる。

たみ 躊躇したりとかはあまりなく?

みどりん 最初はあまり、そのことの意味に気付いてなかったんだけど、気付いたときは躊躇は、した。

たみ でもまたそこから変化があって今は言っちゃえ!になってる?

みどりん 今は、やっぱり差別を避けるよりも、オープンにして発信していくほうが大事だと、考えてるからかな。

たみ それで地域のほかの人に何か言われたりとかはない?

みどりん 今のところは。

C さっき言ってた難しいっていうのは、どのへんが難しいと思うの?

みどりん 私のことやけど私のだけのことじゃないから。

りゅうし でも「わたし」のことでもあるやんなー。わたしってみどりんのことね。

(中略)

たみ あと私は、隠したい人は地名をオープンにされることに対してどう思うのかなっていうことを、どうしても考えちゃう。私自身は隠したらいいと思っているわけじゃないんだけど、隠したいっていう人の権利はどう守るのか、守れないのか、守られないのか…。

りゅうし オープンにしたい人と隠したい人がぶつかるね。

たみ そこがひっかかって、私はイマイチ、オープンでいいんじゃない?とは開き直れない。

みどりん だから、「私のことでもあるんだから、勝手にオープンにしないで」って言われたら、謝ると思う。単純に、ごめんなさい、ってなる。

りゅうし でも、出したい私もいると。

たみ 引き裂かれる感じだね。気持ち的にも。

これをまとめると、「個人として自分の住む部落の地名を表明したのだとしても、それは結果的にその地域に住む人すべてを巻き込むことになる。表明したい人と隠したい人の想いは両立し得ない」という数行で済むのかもしれない。

しかし、そんな顔の見えないコンパクトな情報としてではなく、一人ひとりが自分の言葉で、自分の想いや細かいディテールを語ることで、その言葉に体温が宿り、それこそがリアリティのある情報として伝わるための力となるのではないか、と私は考えている。

さらに、最近ではウェブでの活動にとどまらず、フィールドワーク、ワークショップ、トークセッションなどのイベントを開催し、実際に部落問題や部落出身者・関係者の意識に直接触れたり意見を交わしたりする場をつくることにも力を入れており、今後は部落に限らず様々なマイノリティの子どもや親たちのセーフティネットとなるような子ども会活動を立ち上げることも計画している。

私たちの活動は、大きくも派手でも早くもなく、小さくて地味で、そしてゆっくりだ。メンバーひとりひとりが、仕事をしたり、ご飯を食べたり、遊びに行ったり、映画を観たり、そんな生活の一部として自分たちにとってリアルなスタンスで取り組んでいると、どうしてもこんな風になってしまう(実際、ウェブサイトの更新も度々止まる……)。

でも、それでもいいのかもしれないな、と思う。大義名分ではなく、「わたし」がリアルだと思う情報を、「わたし」を主語にして、「わたし」の生活の一部として伝えていく。それは、部落問題を「教科書の中の話」から「あそこに暮らしているあの人の話」へと変化させてくれる力をもつ。それは小さくても力強い確実な前進なのだという確信を、BURAKU HERITAGEを運営してきたこの5年で感じているからだ。

BURAKU HERITAGEのHERITAGEには、遺産・財産という意味がある。

「差別する・される」という文脈でみれば部落問題は「負の遺産」だ。しかし、その事実と向き合い、自分たちが生きる社会をどうつくっていくのかという方向に活かすのならば、それは「財産」に転じる。どちらを選択するのかは、私たち次第だ。いや、この社会に暮らす、すべての「わたし」次第だ。

プロフィール

上川多実BURAKU HERITAGEメンバー

1980年生まれ。関西の被差別部落出身の両親のもと、東京で生まれ育ち、現在二児の子育て中。2011年に友人らと「わたし」から始まる「部落」の情報発信サイトBURAKU HERITAGEを立ち上げる。サイト運営のほか、イベント、講演、ワークショップなどで活動中。

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