2025.06.03

少数派政権の時代?
石破政権が誕生して、早くも半年以上が経つ。最初の難関と目された予算も成立し、次なる関門は7月に迎える参議院選挙となる。もしこのまま参院選まで、あるいは参院選を超えて政権が続けば、少数派政権として比較的長期政権となる。戦後の少数派政権は、吉田内閣(第48年の2次125日、53年の第5次569日)、鳩山内閣(54年の第1次100日、55年の第2次249日)、羽田内閣(64日)を数えるのみで、うち第5次吉田内閣は改進党などの閣外協力を得た事実上の連立政権だった。しかし、それゆえか、少数派政権とはそもそも何であって、いかに誕生し、どのような制約や可能性を持つものなのか、といった観点からの分析は少ないままだ。
2024年は世界人口の約半数が投票所に足を運んだ選挙イヤーだったが、日本のみならず、台湾やフランス、ポルトガルなどで少数派政権が生まれ、その後も連立崩壊からカナダやドイツなどで同様の状況が生まれた。4月末に総選挙を行ったカナダでは、少数派政権をふたたび迎えることになった。
他方で、ノルウェーやスウェーデンなどの北欧諸国では、少数派政権は珍しいものではない。中にはデンマークのように少数派政権が常態である国、あるいはスウェーデンのように約9割が少数政権であるような国も存在する。連立か単独政権かを問わず、1990~2020年の間で少数派政権が占める割合はスペインで77%、チェコで50%、ポルトガルで42%、オランダで36%もあった。
近年、少なくない先進国で、選挙を実施しても明瞭な多数派が生まれない状況が続いている。少数派政権はそうした傾向のひとつと考えられる。もしそうだとしたら、今後も、日本を含め、少数派政権は珍しいものではなくなるかもしれない。この間、言われたように「熟議の国会」が実現したものとして少数派政権を済ましてしまうわけにはいかない。日本の議会制民主主義を考えた場合、それが意味することはより重大なものであるはずだ。
そこで、本ポストは、石破内閣の特徴を把握することを目的として、これまで政党政治論や政治学でも十分に顧みられてこなかった少数派政権の位置づけを明らかにしてみたい。
少数派政権とは?
およそ議院内閣制である限り、選挙が実施され、そのときどきの多数派が生まれ、その多数派の進める政策が実現されるというサイクルが想定されよう。もちろん、選挙で一つの政党がそのまま議席の過半数を得るとは限らない。多数派を生みやすい選挙制度である小選挙区制でも、イギリスでは2010年と2017年の選挙でいわゆる「ハングパーラメント」が生まれ、比例代表制を採っている国では複数の政党が連立を組んで多数派を作ることが当然となっている。後述のように、少数派政権が生まれる理由は複数存在するが、当然ながら、比例制による複数政党制を採用している国での方が少数派政権の生まれる可能性は高い。
当然ながら、少数派政権は、多数派が形成されないことで生まれる政権のことを指す。ここでは、ひとまず「多数派に達成する以前の段階で政権を構成する政権」と定義しておこう。
留意すべき点は、少数派政権が生まれるのが内的要因か、外的要因のいずれによるものなのか、という点だ。前者は、原則として多数派形成の責任を負う議会第一党が、何らかの理由で多数派を目指さないというものだ。これは多数派がなくとも政権運営が可能だと予測したり、適当な連立パートナーが見つからなかったり、閣外協力のパートナーに依存できる場合である。後者は、議会第一党以外の勢力が、多数派形成に乗り出さなかったり、第一党の連立パートナーとなることを選択しなかったりする場合を指す。
石破内閣の場合は、この2つの理由が重複した事例としてみなすことができる。連合(連立)理論においては、第一党が連立パートナーを選択する条件が2つある。
ひとつは、最も少ない議席数を持つ政党と組んで多数を達成することだ(最小勝利連合)。その方がコストは少なく、政権運営も容易になるためだ。石破政権の場合、衆院定数465議席中、自民党196議席と公明党24議席で、多数まで13議席足りない。13議席以上を持つのは、立憲(148議席)、維新(同38)、国民民主(28議席)だから、この中での選択肢となるが、議席が最も少ないのは国民民主だから、これと組む誘因を持つ。
もうひとつは、もっとも政策が近い政党と組んで多数を達成しようとする場合だ(最小距離連合)。この場合、政策的距離は国民民主よりも維新の方が自民と近いと推計されているから、維新と組む誘因が働く。しかし、国民民主も連立入りを拒否し、維新との連立については公明党が難色を示したため、結果的に多数派形成はならなかった。そもそも、日本の場合、選挙から国会召集までの時間が限られ、十分な連立協議ができない仕組みになっていることにも留意したい。
対する野党の側が多数派を握るには、立憲民主が自公を除くほぼすべての政党と連立しなければならないから、政策的距離が大きすぎ、かつ参議院で多数派を持っていないことからも、新たな多数派形成の誘因に欠けることになった。よって、野党勢による政権交代も実現することがなかった。かくして、石破政権は少数派政権のまま発足することになった。
少数派政権の特徴
少数派政権についての研究は、これが少なくとも代議制民主主義の常道とみなされていないためか、多いとは言えない。例外は、カーレ・ストロムによる『少数派政権と多数派統治(Minority Government and Majority Rule)』(1990年)と、フィールド=マーチン編『比較の視座からの少数派政権(Minority Government in Comparative perspective)』(2022年)である(ともに日本の事例は扱っていない)。それぞれの各国での少数派政権の知見をおおよそまとめてみると以下のようなものなる。
1.少数派政権は民主主義において珍しいものではない、2. 政治的危機によって生まれるわけではない、3. 少数派政権は政党の合理的計算から生まれる、4. 少数派政権は野党が議席数以外でもって政策に影響を与える制度がある場合(議会の委員会制度など)生まれやすい、5. 少数派政権は野党との事前協議がある場合、長く生存する割合が高いものの、必ずしも制度化されていない、6. 少数派政権であっても法案成立率などのパフォーマンスは悪くない、7. その理由として政権は野党に様々な働きかけができるからである、8. 連邦制を採るなどして地域に足場がある政党は連立に加わりたがらない。
石破政権の場合、以上の指摘にかなりの程度、当てはまることがわかる。確かに日本で少数派政権は例外的ではあるものの、与野党ともにそれぞれの利得を最大化しようとした結果、実現した。例えば、自民党は新たな連立パートナーを加えて自公関係を悪化させることを嫌い、参院選を見据えて、維新は教育の実質無償化を、国民民主は「103万円の壁」廃止を、政権に加わらないまま、自民に飲ませることで得点を稼ごうとした。しかも両党ともに、要求のハードルを少しずつ上げることで、支持者に実績をアピールしようとした。これは両党ともに、無党派層を基盤としているためだ。
また、立憲民主党は、衆院の常任委員会17のうち8つの委員長ポストを得て、法案審議のアジェンダをコントロールする権力を手に入れた。これによって、予算委員会の省庁別審査など、法案提出後の条文変更を想定しない自民党の事前審査制度ゆえ、過去には実現できなかった革新的な国会運営が可能となった。また、自民党は維新の要求と国民民主の要求に対して個別的に対応し、場合によって両者を競わせることで、予算成立に漕ぎつけた。こうした状況は、政治とカネをめぐる折衝でも再現されるだろう。つまり、与野党ともに、それぞれの利得を最大化させようとして、少数派政権であることを望んだのである。
このように考えると、石破少数派内閣はそれぞれが求めるものが――100パーセントではないにせよ――少しずつ実現する「奇妙な均衡」を実現したことがわかる。参院選後の事態がどのように推移するかは想像がつかないが、ここから少なくともそれまでは安定した政権が続くものと予想される。
少数派政権の問題点
もちろん、少数派政権が例外であり、そしてそれが安定的だからといって手放しで喜ぶわけにはいかない。有権者は現状に概ね好意的なようで、「石破総理が野党の主張を受け入れている」ことについては世論の66%が評価している(2月10日NHK世論調査)。そもそも対決型の政党政治を歓迎する意見が減退していることを考えれば、こうした意見は当然かもしれない。
しかし、現状のような少数派政権が抱える問題点は指摘されておくべきである。
まず、選挙時と選挙後で実現される民意が食い違うという問題がある。選挙後に連立交渉がなされる国がそうであるように、有権者は自分の一票がどのように活かされるのか、予測がつかない。今回の選挙のように、国民民主党のように比例で約1割もの得票しかなかった政党の政策が少数派政権だからという理由で実現することの是非は問われるべきだろう。結果として、第一党が責任を持って作成した予算の方向性が大きくぶれてしまう可能性がある。是非はさておき、これは高額医療費をめぐる土壇場での予算案修正にみられた。予算は政策そのものだから、政策合理性そのものが崩れてしまうことになる。
オランダやスウェーデンの多くの政党のように、政党組織が党員をきっちり囲い込んでいる場合は、選挙後に議員に白紙委任する合理性はあるが、日本はそうではない。野党の側も、選挙に際して与党の過半数割れが予測できるのであれば、予め政権設立協議を行い、まとまった政策パッケージを有権者に示すべきだろう。
次に国会運営および与野党協議の在り方だ。当然ながら、法案を成立させるためには与野党で妥協や交渉が必要となるが、それは有権者にとって予測可能で、透明性の高いものでなければならない。例えば維新や国民民主は何を根拠に自らの当初の主張を変化させ、どのような取引材料でもって与党に実現を迫ったのか、そして自民党はどのようなラインを設けて交渉に臨んだのかなど、支持者に対して逐次説明をする責任を負っているはずである。有権者の預かり知らぬ形や場所で政策が決まってしまうのは、代議制民主主義の原則に反するはずだ。
これを回避するためには、与野党間での協議のための制度の整備が必要だろう。あるいは、カナダのように、少数派政権であっても政権を安定させ、政策的な一貫性を担保したいのであれば、不信任案を提出せず、予算案に賛成する(confidence and voteと呼ばれる)ということを与野党で合意し、それから政策協議をするという方策も考えられる。少数派政権が珍しくないスウェーデンでは、「消極的議院内閣制」と呼ばれる、過半数の反対がない限り、政権は信任されたとみなすような工夫も存在する。野党の側が不信任案や法案否決を人質に政策実現を迫るような国会運営は、政策の継続性や安定性、政治の予測性という観点からも望ましくないからだ。
繰り返しになるが、今後とも日本で少数派政権が常態化するのか、あるいは引き続き例外的なものに留まるのかは予想がつかない。しかし、議会の安定した多数派形成がますます困難な状況になっている点では、他の先進国も同じであり、そうした蓋然性は高いと言わざるを得ない。そうであるならば、多数派につながる連立はどのように作るべきなのか、そして少数派政権となっても党利党略に終わらない国会運営がいかに可能なのかについて、知恵と視座を備えておくべきだろう。
プロフィール

吉田徹
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。