2025.12.14

「旗」を奪還せよ――リベラルが「愛国心」を語らねばならない理由

芹沢一也 SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

政治

世界中で「自国第一」を掲げるポピュリストや権威主義的なリーダーが台頭しています。
彼らは声高に「国を守れ」「偉大な国を取り戻せ」と叫び、熱狂的な支持を集めています。

一方で、私たちリベラルはどうでしょうか。
「国家」や「愛国心」という言葉を聞くと、どこか居心地の悪さを感じてしまわないでしょうか。
「それは排外主義につながる危険なものだ」「時代遅れの感情だ」と、距離を置こうとしてはいないでしょうか。

しかし、私たちがそうやって「国家」という概念をゴミ箱に捨てているあいだに、そのゴミ箱から「国家」を拾い上げ、自分たちの都合のいいように磨き上げ、強力な武器として独占してしまったのが、現代の排外主義者たちです。

今回紹介するのは、カリフォルニア大学バークレー校の政治学者M・スティーブン・フィッシュが『Journal of Democracy』誌に発表した論考、「リベラル・ナショナリズムの力(The Power of Liberal Nationalism)」です。
https://www.journalofdemocracy.org/articles/the-power-of-liberal-nationalism/

この記事は、リベラルが陥っている「潔癖症」に警鐘を鳴らし、民主主義を守るためにこそ「ナショナリズム」を再定義すべきだと説く、極めて挑発的かつ建設的な提言です。

リベラルはなぜ「負け」続けているのか?

著者のフィッシュは、現代の民主主義を脅かしているのは「多様性」そのものではないと断言します。
真の脅威は、排外的な物語を語るデマゴーグ(扇動政治家)たちです。

彼らが強い理由はシンプルです。彼らは「旗」を持っているのです。
彼らは「我々こそが真の愛国者であり、国民を守る守護者だ」と主張し、人々の帰属意識に訴えかけます。
対するリベラルは、ナショナリズムを「野蛮な遺物」として軽視し、戦う前からこの主戦場を放棄してしまっています。

民主主義を守るリベラルな勢力は、しばしばナショナリズムの力を軽視し、それを「不愉快な先祖返り」と見なしてきました。 もし多民族社会において民主主義を本気で守ろうとするならば、リベラルはナショナリズムを「排外主義」と混同するのをやめ、「旗」を奪い取らねばなりません。そして、自由を敵視する勢力が紡ぐ偏った物語よりも、はるかに広く人々の心に響く、感情的で魅力的な「ナショナル・デモクラティックな物語」で自らを武装しなければならないのです。 (Democracy’s liberal defenders have often neglected the power of nationalism, regarding it as an unsavory atavism. … liberals must … seize the flag…)

「エスノナショナリズム」と「国全体のナショナリズム」

ここで重要になるのが、「悪いナショナリズム」と「良いナショナリズム」の区別です。
フィッシュは、この二つを明確に分けます。

  1. エスノナショナリズム(Ethnonationalism): 「血統」や「人種」、「特定の宗教」に基づいたナショナリズム。これは確かにマイノリティを排除する危険な思想です。現在の右派ポピュリストが使っているのはこれです。
  2. 国全体のナショナリズム(Whole-country nationalism): その国に住むすべての人々を包摂するナショナリズム。共有された法、制度、そして「私たちは同じ社会の一員である」という連帯感に基づくものです。

リベラルの致命的なミスは、この二つをごちゃ混ぜにし、「ナショナリズム=悪」と決めつけてしまったことにあります。
その結果、本来は「国全体のナショナリズム」によって団結できるはずの人々まで、排外主義者たちの側に追いやってしまったのです。

記事の中で紹介されているデータは衝撃的です。
リベラルな知識人は「マイノリティは愛国心を嫌うはずだ」と思い込みがちですが、事実は逆です。
例えばアメリカでは、白人よりもアフリカ系アメリカ人の方が、自身のアイデンティティとして「アメリカ人であること」をきわめて重要視しているという調査結果があります。
インドにおいても、95%のイスラム教徒が「インド人であることに非常に誇りを持っている」と答えています。

リベラルなエリートたちの「誤った評価」が、自分たちの可能性を過小評価させています。彼らは、力強く、包摂的で、反エスノナショナリズム的な「ナショナリストのメッセージ」が、どれほど大衆に響く可能性があるかを見誤っているのです。 (Such erroneous assessments might lead left-leaning elites to underestimate the potential popular resonance of vigorously inclusive, anti-ethnonational nationalist messages.)

虐げられてきた人々こそ、自分がその国の対等な構成員として認められる「包摂的なナショナリズム」を求めているのです。

「我々」という感覚を取り戻すために

リベラリズムを、未来の望ましいヴィジョンとして鍛え上げるためには、私たちは「冷めた態度」を改める必要があります。

「国なんてどうでもいい、地球市民でいいじゃないか」という態度は、一見かっこよく見えますが、多くの人々が抱える「どこかに属したい」「仲間と共にありたい」という切実な欲求を無視する冷淡さとして映ります。
その心の隙間に、排外主義が入り込むのです。

私たちが考えるべき「新しいリベラリズム」は、愛国心を右翼の専売特許にしてはなりません。

「この国が好きだ。だからこそ、差別を許さない」
「この国の文化を誇りに思う。だからこそ、多様なルーツを持つ人々を新しい家族として迎え入れたい」

そう胸を張って言える「熱いリベラリズム」こそが必要です。
フィッシュが言うように、ナショナリズムとは単なる制度への忠誠心ではありません。
それは「感情」であり、「物語」です。

ナショナリズムの力は持続します。したがって、民主主義者にとっての課題は、自分たち自身を「包摂的で、感情に訴える物語」で武装することです。 (But nationalism’s power endures. The challenge for democrats, therefore, is to arm themselves with an inclusive, emotionally compelling national-democratic narrative…)

リベラルであることは、国を愛することと矛盾しません。
むしろ、自由で公正な社会を築こうとすることこそが、最高の愛国にほかならないはずです。

憎悪の対象となっているリベラルを救う道。
それは、私たちがもう一度「旗」を掲げ、多様性に満ちた新しい「我々」の物語を、高らかに語り始めることから始まるのではないでしょうか。

プロフィール

芹沢一也SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

1968年東京生。
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
・株式会社シノドス代表取締役。
・シノドス国際社会動向研究所理事
http://synodoslab.jp/
・SYNODOS 編集長
https://synodos.jp/
・SYNODOS Future編集長。
https://future.synodos.jp/
・シノドス英会話コーチ。
https://synodos.jp/english/lp/
著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。

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