2010.08.14

ひとつの事件

ホメオパシーをめぐる動きがあわただしくなってきた。きっかけは、山口で起こされたひとつの民事訴訟である。新聞にも大きくとりあげられているのである程度ご存じのかたも多いとは思うが、まずはポイントを簡単にまとめておこう。

原告は、助産院で出産したのち、その赤ちゃんをビタミンK2欠乏症で失ったというお母さんである。ビタミンK2欠乏症は新生児の1/2000から1/4000程度(母乳と粉ミルクで違い、母乳のほうが倍ほど確率が高い)が発症するとされるが、ビタミンK2を与えれば予防できることがはっきりして、いまでは新生児にビタミンK2のシロップを与えるのが標準的な医療になっている。

ところが、問題の助産院ではビタミンK2シロップの代わりに、ホメオパシーのレメディが与えられ、それにもかかわらず助産師は母子手帳にビタミンK2投与と嘘の記載をした。細かい事実関係は法廷で明らかにされるのを待つとして、新聞報道によると、少なくとも上記二点は間違いなさそうなので、それを前提として話を進めよう。

じつこの事件そのものは、訴訟になるずっと以前からインターネット上では知られていた。「助産院は安全?」というブログがこの件をずっと伝えてきたからだ。訴訟を起こすにあたっても、ブログでこの件に注目した方のアドバイスがあったとも聞く。原告側の観点については、このブログを一読することをお勧めする(今回の件にかぎらず助産院問題を継続的にあつかってきたこのブログが、最近、移転を余儀なくされたことを付記しておく)。

ホメオパシーがどういうものなのかについては以下で説明するが、少なくとも科学的には、ホメオパシーのレメディがビタミンK2の代用にならないことは自明である。したがって、レメディ投与には実質的になんの意味もない。もしレメディではなくビタミンK2シロップを飲ませていれば、欠乏症は防げていた可能性がきわめて高いし、母子手帳にビタミンK投与と書かなければ、誰かがその点を母親に注意していたかもしれない。その意味で、この助産師の責任は重い。

ホメオパシーとはなにか

ホメオパシーとはなにかを簡単にまとめておこう。

ホメオパシーは200年ほど前に、ドイツのザムエル・ハーネマンという人物によってはじめられた代替医療のひとつで、ヨーロッパを中心として根強い人気がある。ハーネマンは病気の症状に着目し、その症状とよく似た症状を引き起こす物質を摂取すれば症状がよくなるという「原理」を提唱した。これがホメオパシー、つまり「同種療法」という言葉の由来である。

むろん、本来なら、その物質は症状をなおすのではなく引き起こすはずだが、ハーネマンはさらにその物質を水で希釈することで治療に使えると考えた。しかも、希釈を繰り返すほどその効果は強くなるとされている。この希釈した水を砂糖粒に染みこませて乾かしたものがホメオパシーのレメディであり、薬としての役を果たすものである。

ホメオパシーは、ずいぶん以前から懐疑の対象になってきた。たとえば、科学的懐疑主義にもとづく疑似科学研究の嚆矢ともいうべきマーティン・ガードナーの『奇妙な論理』でも取り上げられているし、最近ならサイモン・シンとエツァート・エルンストの『代替医療のトリック』やBen Goldacreの”Bad Science”(邦訳が予定されている)でも大きく扱われている。

理由としては、「似たものが似たものを治す」という原理が単なる思いつきにしかみえないこと、そしてなにより、レメディに効果があるはずがないことがあげられる。というのも、レメディをつくる際の希釈度が尋常ではないからだ。

よく用いられるレメディは100倍希釈を30回繰り返してつくられる。1回ごとに100倍に薄まるので、これは10の60乗(1のあとに0が60個)倍の希釈である。コップ一杯の水に含まれる水分子の数は10の25乗(1のあとに0が24個)個程度だから、コップ一杯の水にレメディの元となる成分は平均として1分子も含まれない。

つまり結局はただの水にすぎず、砂糖粒に染みこませたところで、なんら特別な効果をもたないのは、論じるまでもなく明らかだろう。まさに、毒にも薬にもならないものである。だから、仮に症状に対する効果があるとすると、それは精神的な効果、いわゆる「プラシーボ効果」にかぎられる。

もっとも、『代替医療のトリック』にも描かれているとおり、ハーネマンの時代、欧米では瀉血のように、根拠がないだけでは、なくむしろ危険な行為が「医療」として行なわれていた。そういう時代には、毒にも薬にもならない砂糖粒のほうが、むしろ「ましな医療」だったかもしれない。しかし、それはあくまでも200年前の話。

ハーネマンが知らず、いまわれわれが知っているもっとも重要な科学知識は、「物質は原子や分子で構成」されており、したがって、物質を無限に細かくすることはできないということである。原子・分子の実在は、1905年にアインシュタインが書いたブラウン運動の論文と、それを受けてペランが行なった一連の実験によって確立した(ペランはそれでノーベル賞を受賞している)。だから、ハーネマンが成分をどこまでも希釈できると考えたとしても、別にハーネマンが悪かったわけではない。

むろん、現代のホメオパシーは分子論を受け入れて、物質を無限に希釈できないことは認めている。その代わりに今度は、水が薬効成分の情報を記憶するのだという説明が付け加えられる。しかし、その説明は「科学の用語をでたらめに並べた」という趣のものにすぎない。典型的な疑似科学・ニセ科学的説明といっていいだろう。

実際には、水分子同士のつくるネットワーク構造は非常に速く変化する。水が長期にわたって情報を記憶する科学的な証拠はないし、ましてやそれを砂糖粒に染みこませて乾かしても情報が保持されるという主張を支持する根拠もない。

それにもかかわらず、じつはホメオパシーにはかなりの数の臨床研究がある。なかには「レメディにはプラシーボ(偽薬)を超える効果あり」と結論づけている研究も少なからずあるが、それらを総合的に検討した結果、じつは臨床実験としての条件をきちんと設定したものほど「レメディの効果は偽薬と変わらない」という結果がでていることがわかっている。

それに対して、「偽薬と変わらないとまでは言い切れないのではないか」と反論する研究者もいるが、いずれにしても、ある程度しっかりした研究にかぎれば、偽薬と明確に違うという結果はでていない。

つまり、物質科学の観点からも臨床の観点からも、ホメオパシーを治療に使う根拠は認められないのである。

助産師とホメオパシー

ビタミンK2問題に戻ろう。

ビタミンK2の代わりとなると称するレメディがどういう成分を希釈してつくられたのか、ぼくは知らない。もちろん、どんな成分だったにしても、レメディには含まれないのだから、知る必要もない。ただ、ハーネマンの時代には(少なくともビタミンK2の代用になるという概念は)存在しなかったものであることは間違いないし、このような奇妙なレメディを認めているのはごく一部のホメオパシー団体だけのようだ。

いずれにしても、ビタミンを必要とする人に、ビタミンを含まない何を与えたところで意味がないことは明らかだ。問題の助産師がこのレメディをビタミンK2の代わりになるものと信じたのだとすれば(信じていなかったのなら、ひどく悪質である)、それはあまりにも常識に欠けたのだというしかない。しかも、新生児に対しては、プラシーボの効果すら期待できない。

この事件は例外なのだろうか。いや、現実に多くの助産院がホメオパシーを利用し、ビタミンK2レメディも使われていた。(1)にも書いたように、ビタミンK2欠乏症の確率は母乳育児の場合で1/2000程度とされている。これが意味するのは、ビタミンK2シロップの代わりにレメディを与えている助産師のほとんどすべては、ビタミンK2欠乏症を経験しないだろうということだ。そうなると、ビタミンK2の代わりにレメディを与えておけば大丈夫という信念も強くなるに違いない。

しかし、この程度の確率だからこそ、自分のまわりでビタミンK2欠乏による事故が起きていないという個人的体験に頼ってはならないのである。実際には、シロップの代わりにレメディを与えるという行為は、何も与えない場合と同じだけの潜在的なリスクを新生児に与えている。したがって、シロップではなくレメディを使っていた助産師の誰が当事者になってもおかしくはなかったはずだ。いや、発覚していないだけで、同様のできごとが他にも起きている可能性は高い。

といっても、だから助産師はだめなのだ、といいたいわけではない。ぼくのブログには医療従事者のかたがたからもコメントをいただくことが多い。そのなかには助産院でのホメオパシー問題に危機感を抱いている助産師もおられる。つまり、これは端的に常識の問題であって、常識ある助産師もそうでない助産師もいるという話にすぎない。

ただし、地域によっては助産師会がホメオパシーの講演会を開催するなど、危うい例も目につく。まず必要なのは、ホメオパシーには偽薬以上の効果がないことをきちんと理解することだ。助産師は出産という医療の一部に従事する専門家として国家資格が与えられている。それなら、砂糖と水以外の物質が含まれていないものが、他の物質の代わりになるはずはないことくらいは理解できてしかるべきだろう。ホメオパシーにプラセボ以上の効果があると信じるなら(助産師どころか、そういう医師もいるが)、医療に携わる専門家としては失格というしかない。

もちろん、ホメオパシーを推進する団体は、ホメオパシーにプラシーボ以上の効果があるかのように主張する。そして、誰に失格といわれようが、信じるだけなら個人の自由ではある。

しかし、だからといって、助産師という国家資格をもつ専門家がホメオパシーを使うことが正当化されるわけではない。助産師法第37条は助産師が医師の指示なく医療行為を行なうことを禁じている。

たしかにホメオパシーはその意味で禁じられてはいないのだろう。しかし、37条の精神は決して「代替医療なら勝手にやっていい」というものではなかったはずだ。ホメオパシーが37条に書かれていないのは、やっていいからではなく医療と認められていないからにすぎない。信じることと行なうこととは、まったく違う次元の問題である。

害のないものの害

ホメオパシーのレメディ自体は、毒にも薬にもならない砂糖粒にすぎない。したがって、本来なら害はないはずだし、ホメオパシー側も害がないことをひとつの売りものにしている。

しかし、ぼくたちがいま目にしているのは、「害のないものによる害」である。積極的には害をおよぼさないはずのものでも、本来必要とされる薬や治療を遠ざけるという消極的効果によって、害をおよぼしうるのだ。今回の事件はそれを明確に示している。

これは決して、ビタミンK2だけの問題ではない。前述のように、ビタミンK2のレメディなどという妙なレメディを認めないホメオパシー団体もあるのだが、だからといってK2レメディを認めない団体の推奨するホメオパシーならよいというわけにもいかない。

どのような流儀のホメオパシーであれ、「害のないものによる害」は起こりうる。毒にも薬にもならないものだからこそ、助産師のような専門家はこれを慎重に扱わなくてはならないのである。

ホメオパシーは数ある代替医療のなかでももっとも奇妙なもののひとつである。現代の目でみればその主張は医療よりは魔術というべきもので、そして自明に誤っている。その自明性にぼくはかえって大きな衝撃を受ける。

「物質」というものについての、ほんのちょっとした常識さえあれば防げたはずの死が現実にそこにあることに、ぼくはやりきれない気持ちになる。

周産期医療に携わる医師のかたが、ぼくのブログにつぎのようなコメントを寄せてくださった。

「我々の最優先事項は母子の安全であり母親にとっての満足度ではありません。それは、我々が人の生死に関わることを生業とするプロだからです」

人の命を扱っているという自覚があれば、母親の満足よりも先に考えるべきことはあったはずなのだ。周産期医療は危機的状況にある。その問題はぼくの手にあまるので、これ以上は書かないが、助産院と代替医療の問題には、その観点からの議論も望まれる。

ホメオパシー・ビシネスと医療の拒否

助産師問題を離れて、ホメオパシー・ビジネスの側に目を転じよう。

ホメオパシーにはいくつかの流儀と団体があり、ウェブサイトなどをみると、互いに自分たちのホメオパシーこそが本物だと主張しあっているようだ。

とくに今回の事件が報道されてからは、「あれは本当のホメオパシーではない」というたぐいの主張がいたるところにみられるようになった。違いがあるのは事実だし、穏健なものから過激なものまで幅もあるのだが、本物論争はホメオパシー団体間でやってもらうことにして、ここではあまり踏み込まない。

穏健・過激と書いたのは、通常医療との関係を念頭においている。

もちろん、表向きはどの団体も一様に、「通常医療を否定しない」「症状に応じて、医師の治療を勧める」といってはいるが、団体幹部が講演をした記録や著書などを読んでみると、実際には、いかに通常医療が危険であるかを強く説いたり、薬や予防接種に強硬に反対する団体があることがわかる。

実際、ホメオパシーにかぎらず代替医療の多くが、程度の差こそあれ(表向きはさておき)、通常医療を否定することによって顧客を獲得するというビジネス・モデルを採用しているので、「これは重病なので医者に行きなさい」というアドバイスはどうしても自己矛盾になってしまう。

そのため、いったんこういったものを信じてしまうと、医師の治療を受けること自体に抵抗を感じるのは避けられないように思える。とくに、過激な流儀を信じてしまった場合には、必要な医療を強硬に拒否する事態になりかねないし、実際、そういう事件は起きている。

医学知識をもたない「代替医療専門家」の危険性

ここで、ホメオパシー医学協会のサイトに掲載されていた健康相談の内容をめぐって、インターネット上で起きた最近の事件を紹介したい。

これは、医学知識をもたない「代替医療専門家」がどれほどの危険を引き起こしうるかを示す恰好の例となっている。なお、この団体は、一般にホメオパシーのなかでも過激な部類と目されている。

健康相談は腎臓に病気を抱えた10歳のお子さんがいるというお母さん(当然だが、ウェブサイトには匿名で掲載されている)からのものだった。一部を引用する。

病院では、免疫抑制剤がだされ、毎日飲まなくてはならず、とても疑問を感じていたところに、ホメオパシーに出会い(中略)、今は病院の薬は飲ませていません。かんじんひぞう、バーバリスをとっておりますが、調子よさそうにしています。ただ、やはり毒だしのレメディ(抗生剤、全身麻酔、胸腺の毒だし)をとると、すごい好転反応がでてしまいます。わかってはいますが、ちょっと続けられないくらい、顔、特に目がはれてパンパン、足もむくみ、蛋白尿がでて、みているのが辛くて断念してしまいます。

それに対してホメオパシー専門家は以下のように回答した。

むくみや蛋白尿に対するレメディですが、エイピス(Apis), アーセニカム(Ars),カンサリス(Canth)などが良いものです。(中略)好転反応が強くてお困りということですが、そういう場合には通常レメディと共にマザーチンキを一緒に摂り、臓器サポートをすると臓器の機能が高まり、強い好転反応が出にくくなります。(中略)もし、マザーチンキを既に取っているにも関わらず・・・ということであれば、担当のホメオパスにポーテンシーの変更してもらいましょう。LMポーテンシーにしてみるという手段もあります。

これがなぜ大きな騒ぎになったか、おそらく多くのかたがおわかりだろう。質問に書かれた症状は、このお子さんが即座に医師の治療を受けなければならない状態であることを示していたからだ。

これを読んで、医師を含む多くのかたが児童相談所や警察に連絡した。結局、このお子さんは相談に書かれていたほどのひどい症状でもなく、医師の診療を受けていることもたしかめられて、騒動は終わった。警察によれば、母親は相談を取り上げてもらうために症状を大げさに書いたといっていたそうである。

この騒動からいくつかのことが読みとれるが、ここではホメオパシー側の回答に注目したい。

緊急の対応を必要とする症状であるにもかかわらず、この悠長な対応はどうだろうか。ちょっとした医学知識があれば、このような回答はとてもできないはずである。万が一、症状がこのとおりで、母親がこの回答にしたがって行動していたら、お子さんの病状は大変なことになっていたに違いない。まさに、本来受けるべき治療を受けさせないことによる被害の実例になりかねなかったところだ。

結局、ホメオパシー団体のウェブサイト上で質問に答えるほどの人でも、最低の医学知識すら持ち合わせていないことが明白に示されたわけだ。

まして、末端のホメオパス(ホメオパシー療法家はこう呼ばれる)にそれ以上の期待をしてもしかたあるまい。いや、彼らは正規の医学教育を受けたわけではないのだから、当然といえば当然だろう。診断行為が医師にしか認められていないのも、医師が国家資格になっているのも、理由があるのだ。

「好転反応」というマジック・ワード

もちろん、医師のスキルだってぴんからきりまでだし、科ごとの分業が進みすぎた弊害もあるだろう。

個人的な話をさせてもらうと、ぼくの父が最近ある難病と診断されたのだが、最初にかかった医院ではわからず、かなり時間がむだになった。たしかにそういうことは往々にしてあると思う。

しかし、だからといって、医学教育を受けていない代替医療家に診察を受けるほうがいいと考えるのは間違いである。仮に父の病気をどこかのホメオパスに相談していたところで、医学知識を持たないホメオパスにわかったとは考えられない。医師のセカンドオピニオンを早めに求めるべきだったのである。

もうひとつ、「好転反応」という言葉にも注意しておきたい。

これは、症状が改善する前に一時的に悪化することを示す言葉として、代替医療ではよくみかける。つまり、いったん悪化するのは、むしろよい兆候というわけだ。一種の魔法の言葉で、これを認めてしまうと、結局症状がよくなろうが悪くなろうが、ホメオパシーが効果を発揮している証拠になってしまう。

しかし、ちょっと考えればわかるように、これは非常に危険な概念である。悪化しているにもかかわらず「好転反応」と判断されたばかりに、まともな治療の機会を逃してしまう可能性があるからだ。

実際、悪性リンパ腫の悪化をホメオパシーの好転反応と判断され、医学的な治療を拒否したため、最終的に医師の診断を受けたときにはすでに手遅れになっていたという例が最近報道された。ここでも、普通の医師にかかっていればまずありえないような判断の誤りがあったわけだ。ちなみに、これもやはり、ホメオパシー医学協会に属するホメオパシー療法家が関係した事件だった。

知識の役割とは

これは推測だが、前の助産師と同様、おそらくこのホメオパシー療法家も自分の判断がなんらかの悲劇に結びついた経験をもっていなかったのだろう。ちょっとした悪化を好転反応と解釈して、適当なレメディを与えつづけることで、これまではうまくいっていたのだと思う。

実際にはそれはホメオパシーが効いたわけでも好転反応だったわけでもなく、症状の自然な経過に過ぎなかったのだが、それで問題が起きないかぎり、信念は強化されていく。

個人の体験など、たかが知れている。リスクをともなう行為が、あたかもなんの危険もなかったかのように済んでしまうことはままある。体験を客観視するために必要なもの、つまり、それが知識の役割なのである。

考えてみよう。仮に好転反応というものが実際にあるのだとして、では単なる悪化と好転反応を誰がどのように見分けるのだろう。それを見分けるために必要なものは、結局のところ、きちんとした医学知識ではないのだろうか。

なお、好転反応はホメオパシーがもともともっていた概念ではないので、これを認めない流儀もあることは付け加えておく。

推薦図書

『暗号解読』などすぐれた科学書の著者として知られるシンが、代替医療の専門家であるエルンストと組んで、代替医療全般についてまとめたもの。

本文でも紹介したように、ホメオパシーにも多くのページを割いている。単に現代科学の目で見てホメオパシーがどうなのかということだけではなく、ハーネマンがいかにしてホメオパシーの思想にたどりついたかから始まる200年間の歴史もまとめられているので、ホメオパシー問題を理解したい方には一読をお勧めする。

ホメオパシー以外に鍼・カイロプラクティック・ハーブ療法などがとりあげられている。なかでも日本人であるわれわれにとってもっとも興味深い問題は鍼だろうし、本書の結論に不満が上がりそうなのもここかと思う。鍼や東洋医学(本書はヨーロッパでの代替医療に焦点を当てているので、鍼以外は扱われていない)については、本場日本でのきちんとした検証が望まれるところだ。

「真実は重要か」と挑戦的なタイトルがつけられた最後の章では、プラセボ(プラシーボ)程度の効果しかもたない代替医療を医療として用いることの是非が議論される。一筋縄ではいかない問題だが、著者たちの立場は明快である。ちょっと明快すぎるかもしれないが、これを読んでいろいろ考えてみるといいだろう。

代替医療にはお国柄があるので、本書の日本バージョンのようなものを誰か書いてくれないだろうか。

プロフィール

菊池誠統計物理学 / 計算物理学

大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。専門は統計物理学・計算物理学。テルミンという怪しい電子楽器も弾く。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『おかしな科学』(渋谷研究所Xと共著、楽工社)、『信じぬ者は救われる』(香山リカと共著、かもがわ出版)、訳書に『ニックとグリマング』『メアリと巨人』(ともにフィリップ・K・ディック、筑摩書房、後者は細美遥子と共訳)などがある。

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