2012.07.19

放射線の健康影響をめぐる誤解

片瀬久美子 サイエンスライター

科学 #内部被ばく#健康被害

東京電力の福島第一原発の事故から1年数ヶ月過ぎて、福島県内に住む人達の被曝量の計測が進み、そのデータが次々と公開されてきました。健康被害のより正確な見積もりが可能になってきたことで、事故当初に情報も少なくパニックになっていた頃と比べると、社会の様子は落ち着いてきました。被災地では、復興に向けての取り組みが本格的に行われるようになってきています。しかし、一方で放射線をめぐるあやしい情報はまだしきりに流され続けており、それによって不安を募らせている人達もいます。

ここでは、誤解されがちな放射線の健康影響について解説します。

誤解されがちな放射線の健康影響

【その1.甲状腺の検査結果】

原発事故による子ども達への健康影響を心配して甲状腺検査を希望する人達が増えています。

今年2月23日発売の週刊文春に、札幌で自主的に行われた甲状腺検査の結果に関する記事が掲載されました。その記事には「7歳女児、8ミリの結節が微細な石灰化を伴って見られた」こと等が癌の疑いの様に報じられましたが、この検査を担当した医師から、その週刊誌の記事にある癌の疑いというのは誤りで「良性のものであった」という指摘がされています。その件で二次検査をした医師の読影では、そのお子さんのケースは実は「石灰化はなく、コロイド嚢胞の疑い」と訂正されたそうです。コロイド嚢胞とは癌とは異なる良性のものです。

癌と関連する健康診断をして二次検査をしましょうと言われると、誰でも不安になるものです。二次検査をして「癌ではなく良性腫瘍(良性病変)なので、今後様子を見ましょう」と言われても、「良性だったけど、今後癌になるかも」と解釈してしまい、心配になってしまうかも知れません。

基本的には甲状腺の良性腫瘍(良性病変)が癌化することはありません。甲状腺の良性腫瘍の大半は組織細胞の過形成による腺腫様甲状腺腫で、本質的には腫瘍とは違ったものです。腺腫様甲状腺腫の経過を観察していると、中には増えたり減ったりと変化する症例もあるそうです。

これまでスクリーニングが広く行われていなかっただけで、若い人が知らずに甲状腺癌を持っている事例も多いと思われます。甲状腺癌は、比較的若い層にも多くみられます。北海道大学の医学部で学生実習の担当をしていた人の話によると、学生にお互いに甲状腺エコーの練習をさせていたら、4年間で学生約400人(大半は20代前半)から要精査が5~6人、甲状腺癌が2例見つかったそうです。

甲状腺癌の種類で最も多いのは甲状腺乳頭癌で全体の8~9割です(乳頭というのは組織学的構造の名称で、癌細胞が乳頭状に配列するのでそう呼ばれています)。次いで多いのが甲状腺濾胞癌で1-2割弱。チェルノブイリのケースでも事故後に増えたのは甲状腺乳頭癌が主でした。

「若い人は癌の成長が早い」というのが悪性腫瘍の一般論ですが、甲状腺癌には当てはまらず「予後良好因子」の1つに「若年発症であること」が挙げられます。成長の遅いタイプがむしろ若年発症型に多く、治療成績も良好です。参考として甲状腺乳頭癌の危険度分類を示します。


<甲状腺乳頭癌の主な癌死危険度分類法と予後>
<甲状腺乳頭癌の主な癌死危険度分類法と予後>
(MyMed:甲状腺癌 より  http://www.mymed.jp/di/v7c.html?PHPSESSID=95e591d64c3ff0826e60437aa4f9e0c7

成長が早く悪性度の高いタイプの癌は一次検査である超音波エコーでの見た目も異常になります。成長が早い癌は、周囲の組織への明らかな浸潤が見られるなど、検査上もいかにも「悪性病変」という形態を示すので、そういうものは経過観察にはならず、直ちに二次検査を要するものに分類されます。

放射性ヨウ素は医療目的にも使われるため、長年の研究によって内部被曝に伴う人体への影響はかなり明らかになっています。もっと甲状腺の被曝量が多かったチェルノブイリのケースでは事故の4~5年後から子ども達の間で甲状腺癌の増加が確認されています。

子ども達の甲状腺の被曝量の分布をチェノルブイリのケースと比較してみます。被験者はベラルーシとロシアの15歳未満の子ども達です。

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甲状腺等価線量の分布 (1mGyは大雑把に1mSv程度)
チェルノブイリ事故後の甲状腺被曝量
・Risk of Thyroid Cancer After Exposure to 131 I in Childhood より
http://jnci.oxfordjournals.org/content/97/10/724.full.pdf

福島の原発事故後、2011年3月26、27日に検査が実施された子どもの甲状腺被曝量の調査

対象年齢は1~15歳。この調査での最高値は、甲状腺等価線量に換算して35mSvでした。
対象年齢は1~15歳。この調査での最高値は、甲状腺等価線量に換算して35mSvでした。http://www.nsc.go.jp/info/20120221.pdf
・小児甲状腺簡易測定調査結果の概要について より http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan067/siryo1.pdf

参考までに、国が安定ヨウ素剤を投与する水準は甲状腺等価線量100mSvです。

(ただし、甲状腺等価線量が50mSv以上で甲状腺がんリスクが上がるというチェルノブイリの調査の報告があり、IAEAがこの水準を50mSvに下げたのを受け、国も近く50mSvに下げる見通しの様です)

[注意] 甲状腺等価線量のSvの値は、全身のダメージを表す実効線量のSvとは数値の意味と大きさが違ってきます。甲状腺等価線量のSvの値に0.04をかけ算した値が実効線量のSvとなります。

また、次の様なデータも出されました。検査が実施されたのは2011年4月11~16日です。

NHK:福島の甲状腺被ばく 国際目安下回る(7月13日付)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120713/k10013560711000.html

“弘前大学被ばく医療総合研究所の研究チームは去年4月、福島県内の住民62人を対象に甲状腺の検査を行い、ことし3月には、被ばく量が最も多い人で87ミリシーベルトだったという調査結果を公表しました。その後、研究チームは、原発事故の直後の「放射性プルーム」と呼ばれる雲の動きなど、より詳しいデータを基に再び解析しました。”

“その結果、被ばく量の最大値は成人で33ミリシーベルト、20歳未満でも23ミリシーベルトと、いずれも前回の公表結果の半分以下で、健康への影響を考慮して予防策が必要だとされる国際的な目安の50ミリシーベルトを下回っていたということです。”

この検査結果では、子どもの最高値は23mSvでした。

これらの検査結果を見ると、チェルノブイリでのケースと比較して、福島での原発事故による子ども達の甲状腺の被曝量は低く抑えられています。甲状腺がんのリスクが心配される甲状腺等価線量が50mSv以上の子どもはこれまでに確認されていません。(ただし、今後も慎重に継続して健康調査を行っていくことは必要だと考えます)

今回の福島での原発事故で考えられる程度の甲状腺被曝量では目に見えて甲状腺癌が増えることは予想されませんし、まして今の段階では原発事故発生後1年少々しか経っておらず、甲状腺癌の成長の遅さを考えると発症が早すぎますので、もし癌が見つかったとしても原発事故との関係は薄いと推定されます。現時点で「原発事故の影響で(前代未聞の速さで)甲状腺癌が発生」というのは荒唐無稽な話ですので、そういう噂話があっても無視していいでしょう。

検査の本番は3年後からの本格的な調査で、定期的に継続した検査をしていき、現在よりも甲状腺異常が増えてくるかどうかが大事なポイントになります。現時点で異常なしの人達も、何年か後に変化が現れる可能性はあるので、継続して検査を受けていくことが大切です。

福島県が実施している甲状腺検査での診断基準は次の様になっています。

平成23年度 甲状腺検査の結果概要(平成24年3月末日現在)

http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/240612shiryou.pdf

A判定(A1)結節や嚢胞を認めなかったもの[64.2%]

(A2)5.0mm以下の結節や20.0mm以下の嚢胞を認めたもの[35.3%]

B判定    5.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞を認めたもの[0.5%]

C判定    甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの[0.0%]

[ ]内は、検査の結果それぞれに分類された割合です。

A1、A2判定は次回(平成26年度以降)の検査まで経過観察

B、C判定は二次検査

A2判定は、わずかな所見はあるけれど正常範囲内のもので、約30%の人に見られるようなものです。

B判定となり二次検査が指示された人は186人(嚢胞の1人を除いて他は結節によるもの)です。B判定でも、基本的には良性であるケースが多いと考えられます。

福島県による検査結果の表を示します。

<結節>
<結節>
<嚢胞>
<嚢胞>

(参考)原発事故後の福島県内における甲状腺スクリーニングについて

http://www.fmu.ac.jp/univ/shinsai_ver/pdf/koujyousen_screening.pdf 

「最近では、超音波検査機器の向上から10mm以下の微小癌が多数発見されるようになってきましたが、極めて予後が良いものが多いために、甲状腺被膜外浸潤、リンパ節転移、遠隔転移、遺伝性甲状腺がんなどが否定される場合には直ちに手術をせず経過観察をおこなうこともあります」

甲状腺癌のほとんどの種類は非常に長い期間をかけて増大しますので、しばらく経過観察をしても手遅れになる心配はありません。先に述べた様に進行の早い悪性の癌は特徴的な異常があるので判別できますし、そういうものが経過観察になることはありません。また、甲状腺の結節自体は非常にありふれたもので、ほとんどが良性です。

この県民調査は事故後3年後になる平成26年4月以降から本格的な検査を開始予定とのことです。(チェルノブイリのケースでは事故後4~5年後から増加が見られたので、それを目安にしていると思われます)

今回の福島の甲状腺検査と、以前に長崎で調査したケースとを比べて、福島県の子どもたちの甲状腺の状態は明らかに異常なのだという指摘がネット上の複数のブログに書かれ、それらを読んで大変な事態だとして不安になってしまった人達も多数いました。

こちらが、その長崎のデータが掲載されている論文です。

Urinary Iodine Levels and Thyroid Diseases in Children; Comparison between Nagasaki and Chernobyl

https://www.jstage.jst.go.jp/article/endocrj1993/48/5/48_5_591/_pdf

長崎で2000年に7~14歳の子ども達250人を調べた甲状腺検査の結果を報告しているもので、論文の要旨に、“thyroid screening by ultrasound (US) in Nagasaki revealed only four goiter (1.6%) and two cases (0.8%)that had cystic degeneration and single thyroid cyst.”「長崎での超音波による甲状腺検査の結果、甲状腺腫は4人(1.6%)で、嚢胞様変性と単一の甲状腺嚢胞を有したのが2人(0.8%)であった」と書いてあります。

また、この論文では長崎とベラルーシのゴメリでの甲状腺検査結果の比較をしています。

(Goiterは甲状腺腫、Noduleは結節、Cancerは癌)
(Goiterは甲状腺腫、Noduleは結節、Cancerは癌)

これらの結果に対して、福島での甲状腺検査では「結節や嚢胞を認めなかった」とするA1判定の他は35%以上にもなっており、福島県の子どもたちの甲状腺の状態は明らかに異常なのだと結論していました。

さてここで、その論文のMaterials and Methods(材料と方法)のThyroid ultrasound screening in schoolchildren in Nagasaki (長崎の学童の甲状腺超音波検査)の項には、Nodule(結節)の判断基準として、Nodules more than 5 mm in diameter were considered to be “positive”.「直径5mmより大きい結節を陽性とした」 と書いてあることに注目です。長崎の調査では「5mmより大きい結節を陽性」としているのです。これは、福島の調査でのB判定に相当します。

Goiter(甲状腺腫)の基準は” The criterion for goiter in Gomel was a thyroid exceeding the volume calculated by the formula developed by us [9] and Parshin et al. [10], and the criterion for goiter in Nagasaki was a thyroid exceeding the volume calculated only by the formula developed by Parshin et al. [10].” とあり、所定の計算式に従って計算した体積を超える甲状腺となっています。

福島の甲状腺検査ではこの様な基準では分類していないので、データを比較することはできません。また、長崎の調査でのCyst(嚢胞)の基準はその論文中に書かれていません。(ゴメリでの調査結果にはCystの分類がなく、論文中での比較には不要なので省いたものと考えられます) 仮に、「嚢胞様変性と単一の甲状腺嚢胞を有すること」が基準だとしても、福島の調査ではこの様な基準では分類していないのでやはり比較はできません。

よって、データを比較できるのはNodule(結節)の「5mmよりも大きい結節」という分類だけになります。長崎の調査結果では250人中で結節は0人(0.0%)、ゴメリの調査結果では19,660人中で結節は342人(1.74%)です。

今回の福島での調査結果は、結節に分類された年齢別のデータが無いのですが、B判定とされた中で嚢胞は1名(年齢不明)で、その他全員は「5mmよりも大きい結節」に分類されています(上の<結節>と<嚢胞>の表)。長崎の調査対象に近い6~15歳の人数は22,128人中で83人ですが(下表)、この年齢での全てのB判定が「5mmよりも大きい結節」だとすると、その比率は0.38%、1名が嚢胞だとすると82人となり0.37%です。

一見、この数字を見ると長崎(0.0%)より多くなっていますが、ここで気を付けなければならないのは、長崎の調査では250人と被験者数が少ないので、結果の誤差がその分大きくなっているということです。福島の被験者が250人だと仮定すると、同じ比率(0.38%)で結節が陽性と分類される人数は0.95人となり、1人見つかるかどうかという偶然に左右されるレベルになってきます。この程度の差では、長崎よりも福島の方が陽性の結節をもつ人が多いと判定することは困難です。ゴメリでの調査結果(1.74%)については、ゴメリの被験者数は充分に多いので、福島よりもゴメリの方が陽性の結節をもつ人が多いと考えられます。

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以上の様に、福島県の子どもたちの甲状腺の状態は明らかに異常だとしていた話は、全く異なる分類の数字を比較していたのです。それぞれの甲状腺検査の基準についてきちんと確かめずに早とちりをしたと考えられます。分類の基準を合わせてデータを比較してみると、福島と長崎の検査結果の差はほとんどないことが分かりました。資料はちゃんと読まないとダメですね。

データを比較する場合は、それぞれがどういう基準で分類されたものかを確認してから行う必要があります。

この例は全く異なる分類の数字を比較しているので論外ですが、別々の調査の結果を比較する際に陥りがちな落とし穴というのがいくつかあります。

例えば、甲状腺の病気はある程度遺伝する傾向があるので、地域ごとに元々の発生率が多少異なる可能性がありますし、超音波エコー検査の機械もこの10年で大幅に改良されて、小さい病気が見つかりやすくなっています。数字が出ているからといって安易に飛びつくと、大変な勘違いをしてしまいがちなので、要注意です。

【その2.線形閾値なし( linear no-threshold: LNT )モデル】

低い量の放射線被曝による癌のリスクの大きさについては論争があるものの、2006年に全米科学アカデミーのBEIR VII委員会は、そのリスクは低量では閾値無しに直線的に続く(これは「閾値無し直線モデル」または「LNTモデル」と呼ばれます)と思われると結論しています。

LNTモデルは、健康影響がはっきりと現れない低線量被曝の範囲でのリスクの目安として使われるもので、影響がはっきりしている高線量の領域から、低線量の領域へ直線を引くことによって作られたモデルであり、放射線の被曝量が少なくなればそれに応じてリスクも小さくなります。

ここで、強い放射線を一気に被曝した場合と比べて、同じ総量でも、低い線量をゆっくりと時間をかけて被曝した場合は、生物に与える影響が小さくなること(線量率効果)が知られています。

(注意:線量率効果は、放射線ホルミシス説とは違うので混同しないようにして下さい。ホルミシス説は低線量の放射線を被曝することで、逆に体が元気になるという説です。放射線ホルミシス説は充分に証明されておらず、放射線防護として使うことは一般的にしません)

DDREF (dose and dose-rate effectiveness factor:線量・線量率有効係数)というのはこの線量率効果を補正するための係数で、低線量率照射で高線量率照射と同一の効果を得るのに何倍の量の放射線が必要かを表す概数です。DDREFの値が2だと、放射線を一気に被曝した場合に比べて低線量率での被曝のリスクはその半分ということになります。

高線量率照射でのリスク値を10%として、ICRPではDDREFを2とし、低線量率照射では1Svあたり5%(100mSvの被曝は生涯のがん死亡リスクを0.5%上乗せする)としています。

こうして設定されたLNTモデルは、放射線防護のための大まかな指標としてどの程度の危険があるかを見積もり、例えば避難するかどうか等の判断のよりどころにする目的で使われます。

しかし、このモデルによって算出された集団内の死亡数は、ごく低い線量の範囲では健康影響が不明瞭なので正確さに欠けており、特に個々の人がガンで死亡する危険性を見積もるための目的で数字を出して使うのには適していません。LNTモデルの適用の仕方については、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)と国際放射線防護委員会(ICRP)から次の様な方針が出されています。

(参考)

原子力安全委員会事務局:低線量被ばくのリスクからがん死の増加人数を計算することについて

http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/info/bassi_0908.pdf

UNSCEAR 2008 Report Vol.2, Annex D. “Health effects due to radiation from the Chernobyl accident” 98 項

“The Committee has decided not to use models to project absolute numbers of effects in populations exposed to low radiation doses from the Chernobyl accident, because of unacceptable uncertainties in the predictions. It should be stressed that the approach outlines in no way contradicts the application of the LNT model for the purpose of radiation protection, where a cautious approach is conventionally and consciously applied.”

「委員会は、チェルノブイリ事故によって低線量の放射線を被ばくした集団における影響の絶対数を予測するためにモデルを用いることは、その予測に容認できない不確かさを含むので、行わないと決定した。強調されねばならないことは、このアプローチは、慎重なアプローチが習慣的にかつ意識して適用されてきている放射線防護の目的でLNT モデルを適用することとは何ら反しない」

ICRP Publication 103, 2007 年勧告(訳文は日本アイソトープ協会の邦訳版に基づく)

第3 章 放射線防護の生物学的側面

3.2 確率的影響の誘発 66 項

「しかし,委員会は,LNT モデルが実用的なその放射防護体系において引き続き科学的にも説得力がある要素である一方,このモデルの根拠となっている仮説を明確に実証する生物学的/疫学的知見がすぐには得られそうにないということを強調しておく。低線量における健康影響が不確実であることから,委員会は,公衆の健康を計画する目的には,非常に長期間にわたり多数の人々が受けたごく小さい線量に関連するかもしれないがん又は遺伝性疾患について仮想的な症例数を計算することは適切ではないと判断する」

同 第4 章 放射線防護に用いられる諸量

4.4 放射線被ばくの評価

4.4.7 集団実効線量

160項

「集団実効線量Sは,しきい値のなす確率的影響に対する線形の線量効果の仮定に基づいている(LNTモデル)。これに基づき,実効線量を加算的とみなすことが可能である」

161項

「集団実効線量は,放射線の利用技術と防護手順を比較するための最適化の手段である。疫学的研究の手段として集団実効線量を用いることは意図されておらず,リスク予測にこの線量を用いるのは不適切である。その理由は,(例えばLNTモデルを適用した時に)集団実効線量の計算に内在する仮定が大きな生物学的及び統計学的不確実性を秘めているためである。特に,大集団に対する微量の被ばくがもたらす集団実効線量に基づくがん死亡率を計算するのは合理的ではなく,避けるべきである。集団実効線量に基づくそのような計算は,意図されたことがなく,生物学的にも統計学的にも非常に不確かであり,推定値が本来の文脈を離れて引用されるという繰り返されるべきでないような多くの警告が予想される。このような計算はこの防護量の誤った使用法である」

LNTモデルと一緒に組み合わせて用いられる重要な考え方に、ALARA(As low As Reasonably Achievable:合理的に達成できる範囲で、できる限り低く)の原則というものがあります。放射線被曝によって生じる害とそれを避けないことによる利益(医療を受ける、避難せずに済ます、など)を比べて、上手に利害のバランスをとりながら被曝量をできる限り低くしていくという考え方です。

このALARAの原則を忘れてLNTモデルのみを使うと、放射線被曝量が0に最も近いことが常に一番良い状態と判断されることになり、必要な医療を受けることを避けることになる等、実際の生活上での様々な不都合が生じてきます。

LNTモデルはALARAの原則と上手に組み合わせて用いていく必要があります。

プロフィール

片瀬久美子サイエンスライター

1964年生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。博士(理学)。専門は細胞分子生物学。企業の研究員として、バイオ系の技術開発、機器分析による構造解析の仕事も経験。著書に『放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち』(光文社新書:もうダマされないための「科学」講義 収録)、『あなたの隣のニセ科学』(JOURNAL of the JAPAN SKEPTICS Vol.21)など。

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