2023.10.05

科学者は政策形成にどう貢献しているのか?――公衆衛生における「科学-政策インターフェイス」について

鈴木基 感染症疫学、国際保健学

科学

はじめに

「科学-政策インターフェイス(science-policy interface)」という言葉があります。科学技術の急速な発展に伴って社会的課題は複雑化しており、何が問題なのかを正確に理解して解決策を探るには、科学者の協力が不可欠です。一方で、様々な利害関係を調整することが求められる政策形成の過程においては、科学的に正しい見解が必ずしも社会の最適解であるとは限りません。科学-政策インターフェイスとは、政策過程で科学者と政治家や行政官の活動が交わる境界域のことであり、新型コロナウイルス感染症の対策を巡って専門家と政府が協力と対立を繰り広げたのも、まさにそのような場所だったと言えるでしょう。

前回の論稿(「公衆衛生政策における介入の基準設定について」)では、検査陽性者の隔離といった公衆衛生的介入を実施する基準が、技術的行為を手段として用いる者(医療介護者共同体と政治家-行政官共同体)の実践的知識に基づいて設定されることを明らかにしました。そしてこうした基準設定は、技術的知識が科学的に確立されたものである以上、広い意味で科学的であると述べました。では「技術的知識の科学的な確立」とは何を意味しているのでしょうか。また科学者は介入の基準設定に際してどのような役割を果たすのでしょうか。

これらの問いに答えるために、本稿では前回の議論で用いた技術的行為と実践的行為に加えて、新たに「論理的操作」という考え方を導入します。そのうえで、科学者とは科学的知識の確立を目的として技術的行為と論理的操作を行うものであることを示し、科学者が共同体内で共有している科学者規範について述べます。後半では、科学者共同体がどのように公衆衛生政策の形成に関わるのかについて検討します。

「論理的操作」とは

「論理的操作」を定義するに際して、操作と知識という2つの言葉の意味を明確にしておきましょう。まず操作とは、行為と同様に、対象を特定して運動や変化をもたらすことです。ただし操作は意識においてのみ行われ身体活動を伴わないのに対して、行為は身体活動を伴う点が異なります。例えばリンゴを思い浮かべ、それを想像の手でつかんで持ち上げることは操作であり、同じことを目の前にある現実のリンゴについて実際の手を使って行うことが行為になります。

次に知識とは、概念と属性(あるいは主語概念と述語概念)、および概念と概念の結びつきのことです。例えば「リンゴは赤い」はリンゴという概念と赤いという属性から成り立つ知識であり、「リンゴとミカンは異なる」はリンゴとミカンという2つの概念から成り立つ知識です。なお、単に知識という場合には、それが必ず成り立つものであるのかどうかは問いません。

以上を踏まえて、論理的操作は「知識の成立を目的とする概念の操作」と定義されます。これには概念と属性を結び付ける操作と、概念相互を結び付ける操作とがあることになります。

科学における論理的操作と技術的行為について

科学的知識は様々な知識の一部を構成しており、他の知識と同様に論理的操作によって成立します。ただし科学的知識は普遍性、再現可能性、交換可能性といった特性をもっており、成立には論理的操作だけでなく観察や実験を必要とします。

例えば「コレラ菌に感染するとコレラになる」という科学的知識が成り立つには、まずコレラ(という疾患)及びコレラ菌という概念がそれぞれ確立される必要があります。コレラについては、発症者を観察して、どのような症状があるかを記録し、身体の所見や血液、便の性状等を調べなくてはなりません。またコレラ菌については、顕微鏡で形や運動を調べ、培養や遺伝子検査で特徴を明らかにしなくてはなりません。こうした対象の実験、観察、測定、調査は、いずれも対象を運動-変化させる行為です。概念は一連の行為に対する対象の応答を通して確立されるのです。

ただこの段階では、コレラという概念とコレラ菌という概念のそれぞれが確立されただけで、相互に結びついていません。それには、対象となるヒトがコレラ菌に感染しているか否かを特定し、同じ対象がコレラを発症するか否かを特定する必要があります(もちろん実際に人為的に感染させることについては倫理的な問題があります)。ここでもコレラ菌に感染しているヒトがコレラを発症するか否か、あるいはコレラ菌に感染していないヒトがコレラを発症するか否かを特定するために、実験、観察、測定、調査といった行為が必要になります。

このように、科学的知識の成立に際しては、論理的操作に加えて対象を運動-変化させるという行為が欠かせません。これらの行為(つまり実験、観察、測定、調査)は対象から再現性を有する応答を導くものであり、技術的行為に相当します。以上から「科学者とは科学的知識の成立を目的として技術的行為と論理的操作を行うものである」ということが出来ます。

科学者共同体の実践的知識としての「科学者規範」

科学者が行う技術的行為と論理的操作は目的を実現するための手段であり、実践的行為です。したがって、科学者はどのように技術的行為を行い、どのように論理的操作を行うことで目的に近づけるかという実践的知識を有しています(技術的行為と実践的知識の関係については前回の論稿を参照のこと)。

例えば、どのような道具を用いてどのように観察や実験を行えば再現性をもった結果を得ることが出来るのかという知識(技術的行為に関する実践的知識)や、どの程度の観察や実験の結果があれば概念や概念同士の関係が確立されたと判断できるのかという知識(論理的操作に関する実践的知識)です。これには何をもって多い/少ない、差がある/差がない、必然である/偶然である、といった判断をするかという知識が含まれます。

こうした実践的知識は、各研究領域の経験ある科学者の間で合意が成立し、その共同体の中で共有されているものです。これらは学会のガイドラインやマニュアルなどに記載されている場合がありますが、必ずしもすべてが明確に言語化されているわけではありません。よってこれから科学者になろうとするもの、例えば博士課程の学生は、研究室での教授からの指導、先行論文のクリティカル・リーディング、学会や論文発表時に行われる同業研究者間でのピアレビューなどを通してこれらの知識を獲得することになります。もし獲得しなければ、学生は科学的知識の成立に貢献することが出来ず、科学者として共同体に加わることはできません。

このように科学者共同体が共有する実践的知識は、科学的知識の成立という目的を実現するための知識であると同時に、科学者自身がそれに従わなくてはならない規範としての働きをもっています。これを「科学者規範」と呼ぶことにします。

科学者共同体と政治家-行政官共同体

では公衆衛生的介入の話に戻りましょう。もう一度確認しておくと、公衆衛生に関わる政治家-行政官共同体の目的は集団の健康の実現であり、そのために公衆衛生的介入という技術的行為を行うのでした。これに対して科学者共同体は、科学的知識の成立を目的として、技術的行為と論理的操作を行います。

両者の目的は異なっていますが、時に同じ技術的行為を行うことがあります。例えば「感染者を隔離する」という技術的行為は、「他人に感染させる(2次感染)リスクの低下」という帰結をもたらします。政治家-行政官にとってこれは集団内の感染者数を減らし、集団の健康を実現するための手段です。一方で科学者にとっては、「隔離された感染者の2次感染リスクは低い」という科学的知識を導くための、観察や実験の手段になります。

このとき両者は同じ技術的行為を行っていますが、目的が異なるため、そこで獲得される実践的知識の内容は異なります。政治家-行政官共同体が獲得する実践的知識は、どのように感染者を隔離し、どの程度まで2次感染リスクを下げれば集団の健康を実現できるか、というものです。隔離期間の設定はこうした知識に基づいて行われます。しかし、政治家-行政官共同体は感染者の隔離と2次感染リスクの関係(概念同士の接続、つまり科学的知識)の確立に関する実践的知識は持っていません。つまり、感染者の隔離が技術的行為であるかどうかを科学的に確定することは出来ないのです。

これに対して科学者は、どのように感染者を隔離し、2次感染リスクを観察すれば科学的知識を確立できるかについての実践的知識(科学者規範)を持っています。これによって感染者の隔離が技術的行為であるかどうかを科学的に確定することが出来るのです。しかし、それが集団の健康を実現できるかについての実践的知識は持っておらず、したがって隔離期間を設定することは出来ません。

公衆衛生政策における科学-政策インターフェイス

以上のように、同じ技術的行為を用いる場合でも、科学者共同体と政治家-行政官共同体の役割は原理的に区別されるものです。しかし、現実社会においては両者が協力することがあります。政治家-行政官は政策の再現性や公平性について市民に説明することが求められており、ときに介入が科学的に確立されたものであることを示さなくてはなりません。また、科学者には研究活動を通して社会に貢献したいという動機があります。ここに政治家-行政官共同体と科学者共同体の活動が交わる科学-政策インターフェイスが現れるのです。

公衆衛生の政策過程において、科学者共同体の役割には以下のようなものが考えられます。

①技術的行為の科学的な検証と開発

政治家-行政官共同体は、その実践的行為が技術的行為であるかどうかを確定することが出来ません。科学者共同体の役割は、政治家-行政官共同体が現に行っている実践的行為が技術的行為であるかどうかを検証すること、利用可能な技術的行為を提案すること、新たな技術的行為を開発することです。これらは科学者規範に則って行われるものであり、政治家-行政官共同体が検証や提案を要請することがあるとしても、内容について関与することはできません。ただし、どの技術的行為を公衆衛生的介入として用いるかは、政治家-行政官共同体の判断になります。

②代替指標を用いた公衆衛生的介入の妥当性評価

科学者共同体は、技術的行為の帰結が公衆衛生の目的に照らして妥当であるかどうかを判断することが出来ません。その代わり、特定の帰結を目的の代替とみなすことで妥当性を評価することは可能です。例えば、介入がもたらす肯定的帰結と否定的帰結を測定し、何らかの理由(例えば前者の値が後者を上回るなど)を設定して判断するやり方が考えられるでしょう。実際に介入の基準設定に際してこうした方法が用いられることがあります。ただし、何をもって目的の代替指標とするのか、それらをどのように測定するのか、何をもって目的に照らして妥当であると判断するのかについて、政治家-行政官共同体と合意を形成する必要があります。もし、どちらかにとって都合の良い結論を導くために合意を反故にするなら、両者の関係は破綻し、妥当性評価は成立しません。

③科学的知識と期待に基づく公衆衛生的介入に関する提言

以上はいずれも科学者共同体が、政治家-行政官共同体との合意を前提として、もしくはその要請に応じて行うことです。しかし合意や要請がなくとも、科学者共同体が自発的に介入の科学的検証や妥当性評価を行い、公衆衛生政策について提言することがあります。このとき、科学者共同体は事後的な合意を想定あるいは期待しているのだと言えるでしょう。こうした科学的知識と期待に基づく提言は、政治家-行政官共同体の実践的行為に直接的に反映されるとは限りませんが、有権者である市民を通して間接的に影響する可能性があります。

終わりに

本稿では科学者共同体と政治家-行政官共同体の違いを明らかにし、両者が政策過程に関わる場所であるところの科学-政策インターフェイスについて検討しました。そこで科学者共同体が役割を果たすことが出来るかどうかは、事前あるいは事後に政治家-行政官共同体と諸々の合意が成立するかどうかにかかっており、決して確定的なものではありません。2つの共同体はそれぞれ成立の目的が異なる以上、両者が合意する理由は、ある特定の政策課題の解決といった局所的・暫定的なものとならざるをえないのです。一方で、いまやあらゆる社会的課題は科学技術と深く結びついており、またその解決に再現性や公平性が求められるなかで、科学-政策インターフェイスをどのように機能させるかということ自体がひとつの課題となっています。そこで求められるのは、両者の間でどのような課題であれば合意が成り立つのか、どうすればある課題に関する合意を形成できるのか、合意に至らないときはどうするかという、科学者規範とは別の実践的知識なのです。

プロフィール

鈴木基感染症疫学、国際保健学

1972年生まれ。1996年東北大学医学部卒業。国境なき医師団、長崎大学ベトナム拠点プロジェクト特任助教、長崎大学熱帯医学研究所准教授などを経て、現在、国立感染症研究所感染症疫学センター長。専門は感染症疫学、国際保健学。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードのメンバーとして、流行分析と対策に関する提言を行っている。

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