2023.06.05

公衆衛生政策における介入の基準設定について

鈴木基 感染症疫学、国際保健学

社会

本稿では公衆衛生政策における介入の基準設定について、「技術的行為」と「実践的行為」という2つの行為を通して考えます。そして、こうした基準が理論や計算から導かれるのではなく、医療介護者共同体あるいは政治家-行政官共同体の実践的知識に基づく合意によって設定されることを明らかにします。

公衆衛生政策における介入の基準

新型コロナウイルス感染症のパンデミックでは、公衆衛生政策のありかたをめぐってたびたび議論が起こりました。なかでも繰り返し問題となったのが、介入を実施する際の基準です。例えば以下のようなものが挙げられます。

・検査対象者の範囲
・検査陽性者の判定基準
・検査陽性者の隔離期間
・濃厚接触者の定義
・緊急事態宣言を発出もしくは解除する基準

これらは、いずれも行政が介入を実施する条件であり、実施を判定する基準に相当します。つまり、対象がそれを満たすときには介入を実施し、そうでなければ実施しないということです。

公衆衛生政策において、こうした介入の基準を設定する理由は明らかでしょう。もしそれがなければ、政府が任意のタイミングで緊急事態宣言を発出したり、保健所の裁量で検査陽性者を長期にわたって隔離したり出来ることになります。これでは感染対策の効果が期待できないばかりか、実際には必要がない行動の自由の制限が行われるかもしれません。介入に先立って行政と市民の間で認識を共有しておくためにも、基準の設定は重要になるのです。

ところが、今回のパンデミックが始まって以来、こうした基準に関して、適切に設定されていないのではないか、科学ではなく政治によって決められたのではないか、といった批判的な声が相次ぐことになりました。これが政策と科学的助言のあり方、そして行政と市民とのコミュニケーションのあり方に関する制度上の問題に起因することは間違いないでしょう。次のパンデミックに備えるためにも、課題を明らかにして体制を整備することが求められます。

ただ、そもそも介入の基準とは何であり、それがどのように設定されるのかが明確になっていなければ、行政と市民の間で認識共有が進まず、同じことが繰り返されるかもしれません。そこで本稿では、公衆衛生政策における介入の基準設定について原理的な側面から考えることにします。

「技術的行為」と「実践的行為」

最初に準備として、「技術的行為」と「実践的行為」という2つの行為を区別しておきましょう。技術的行為とは、その行為と帰結の関係が知識として確立されているもののことです。例えば禁煙指導という行為については、「喫煙者に禁煙指導をすると肺癌になるリスクが低下する」という知識が該当します。これは技術的知識と呼ばれるもので、科学的な研究に基づいて確立されるものです。この場合、禁煙指導が技術的行為であり、肺癌リスクの低下が帰結となります。

これに対して実践的行為とは、目的の達成を目指す行為のことです。例えば医療者が「喫煙者が肺癌になるリスクを下げるために禁煙指導をする」という場合、肺癌のリスクを下げることが目的であり、禁煙指導が実践的行為となります。ここでは技術的行為である禁煙指導が、目的を実現するための手段として用いられることになります。

さて、実際の禁煙指導は、個別の喫煙者との対話を通じて、その性格や生活背景を考慮しながら行われます。経験豊富な医療者は、どのような特性を持つ人に対してどのような指導を行うことで目的に近づけるかを知っているはずです。このような実践的行為を通じて獲得された知識を実践的知識と呼びます。

実践的知識に基づく判断と合意

この2つの行為の区別を踏まえて、検査陽性者の隔離期間について考えてみましょう。この場合の行為は、検査陽性者を隔離すること(感染する可能性がある人と物理的に接触しない環境に留めおくこと)です。仮に隔離と他人に感染させる(2次感染)リスクの低下との関係が確立されているならば、これは技術的行為になります。このとき、横軸を感染者が感染してから隔離を継続する期間、縦軸を隔離解除後に2次感染を起こすリスクとし、両者の関係を示すグラフを描くことが出来るでしょう(図)(現実に2次感染リスクを直接測定することが難しい場合は、検査陽性率やウイルス量に基づいて推定が行われます)。

では、このグラフからどうやって隔離期間が設定されるのでしょうか。直ちにわかることですが、そもそも他人に感染させる可能性のある期間はすべて隔離するのか、ある程度は他人に感染させる可能性があるとしても許容するのか、その場合はどの程度まで許容するのか、ということが決まっていなければ、隔離期間は決まりません。縦軸を集団内の感染者数にしたとしても同じです。やはり、どこまで感染者数を減らすのかが決まっていなくてはなりません。つまり、技術的行為と帰結の関係だけから、その行為を実施する基準を設定することはできないのです。

このことは基準の設定が技術的行為ではなく、実践的行為においてなされることを示しています。この場合の実践的行為は、目的の実現のために隔離を実施する行為です。つまり公衆衛生的介入のことであり、その目的は公衆衛生じたいの目的であるところの「集団の健康を実現すること」になります。

このとき、2次感染リスクの低下や感染者数の減少という隔離の帰結は、目的に照らして肯定的に評価されるものですが、目的と完全に合致するわけではありません。なぜなら、2次感染リスクを下げること自体が公衆衛生の目的ではないからです。また長期の隔離によって、対象者がストレス反応を起こし、身体的健康を損ない、通学や通勤ができないことで社会的・経済的な損失を被るかもしれません。これらは否定的に評価される帰結です。

実践的行為として隔離が実施される際には、以上の肯定的な帰結と否定的な帰結が合わせて考慮されることになります。すなわち、公衆衛生的介入の「集団の健康の実現」という目的に照らして、2次感染のリスクをどこまで低減し、どこまで許容するかが判断され、その結果、いつまで隔離するかという期間が設定されるのです。

これは実践的行為を通して経験的に獲得された知識(実践的知識)に基づく判断であり、理論や計算から導かれるものではありません。例えば、肯定的帰結と否定的帰結を数値に換算して、隔離期間ごとに比較することが出来るかもしれませんが、そこから何らかの理由(例えば、肯定的帰結が否定的帰結を上回る期間が適正であるなど)をつけて基準を決めるのは、結局のところ実践的知識に基づく判断なのです。

ただ、こうした経験に基づく判断は誰がやっても同じになるとは限りません。従ってそれを他人と共有するには、あらかじめ「合意する」という過程が必要になります。つまり介入の基準は、その実践的行為を行う集団内で判断に関する合意が成立することで設定されるのです。

医療介護者共同体と政治家-行政官共同体

現実社会で公衆衛生政策に関わる集団には、大きく分けて医療介護者の共同体と政治家-行政官の共同体(行政機関)があります(なお、患者や市民の団体もこれに関わりますが、それはおもに介入の対象者としてであることから、ここでは含めないでおきます)。医療介護者は、患者を含む個別市民の目的(個別の健康)を実現するために技術的行為を用います。この者たちが集まって技術的行為を用いる基準について合意したものが、例えば学会が作成する診療やケアのガイドラインです。一方で政治家-行政官は、技術的行為を公衆衛生(集団の健康)の目的を実現するために用いています。こちらが設定する基準は、例えば法令や行政によるガイドラインです。

医療介護者共同体と政治家-行政官共同体は、前者が個別の健康の実現、後者が集団の健康の実現という異なる目的を有しています。したがって、両者の実践的知識の内容は違っている可能性があります。どちらの知識に基づく介入の基準が、公衆衛生の目的に照らしてより「妥当」なのでしょうか。原理的には、集団の目的の実現を図る後者の経験に基づくものが妥当であると期待されるでしょう。しかし、現実的には個々の政治家や行政官が必ずしも公衆衛生的介入の実践的知識を有しているとは限りません。一方で、多くの個別市民と相対してきた医療介護者が、集団の健康の実現に関する実践的知識を一定程度有している可能性があります。あらかじめどちらが妥当であるとは言い切れず、最終的に社会全体による事後的な判定にゆだねられることになります。

共同体の合意に基づく基準設定は「科学的」か

では、これらの共同体の合意に基づいて設定された介入の基準は、「科学的」に決められたものであると言えるでしょうか。仮に理論からの演繹や観察データの計算から唯一の正解を導くことをもって科学的であると呼ぶのであれば、それには当てはまらないことになります。しかし、だからと言って科学的ではないというのは正しくないでしょう。

もし隔離に関する技術的知識が確立されておらず、従って隔離期間と2次感染リスクに関する分析結果もなければ、「不満を言う人が増えるからとりあえず3日にしておこう」とか、「安全のためには長いほうがよいから30日にしよう」というように、当て推量で隔離期間を決めるほかありません。しかし、分析結果があれば、例えば「出来るだけ健康被害を小さくするために、2次感染リスクが9割減少するまで隔離しよう」というように、目的に照らしながら帰結に基づく判断と合意が出来ることになります。

つまり、たとえ同じ実践的知識に基づく判断であるとしても、技術的知識が確立されることによって、合意形成のための客観的な「物差し」が提供されるのです。これは、共同体内の合意形成だけでなく、行政と市民の間で介入についての認識を共有するうえでも重要になります。このように合意に基づく基準設定は、技術的知識を利用した判断なのであり、技術的知識が科学的に確立されたものである以上、それは広い意味で科学的であると言えるでしょう。

終わりに

以上のように、公衆衛生政策における介入の基準は、理論や計算から一貫した答えが導かれるような性質のものではなく、実践的知識に基づく合意によって設定されるものです。実際にこれを設定する役割を担う医療介護者共同体及び政治家-行政官共同体は、このことを市民に対して周知しなくてはなりません。同時に個別の基準の設定に際しては、その技術的行為がどの程度まで確立されたものであるのか、どのような実践的知識に基づいて判断したのかについて説明することが求められます。

プロフィール

鈴木基感染症疫学、国際保健学

1972年生まれ。1996年東北大学医学部卒業。国境なき医師団、長崎大学ベトナム拠点プロジェクト特任助教、長崎大学熱帯医学研究所准教授などを経て、現在、国立感染症研究所感染症疫学センター長。専門は感染症疫学、国際保健学。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードのメンバーとして、流行分析と対策に関する提言を行っている。

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