2015.07.24
LGBTが病気になると……
今年の4月。私は、だれもが「2歩先はゾンビ」である事実を発見した……!
それまで私はLGBT(セクシュアル・マイノリティ)当事者として社会から1歩分「マイノリティ」だったのだが、4月に難病持ちになったことが発覚し、もう1歩分「マイノリティ」になった。2歩先で垣間見えたのは、ゾンビの世界だった。ゾンビとは、すなわち「肉体的,精神的ならびに社会的に人間としてどうかと思う状態」のことである。
日本社会で「ダブル・マイノリティ」は、もはやオリジナルすぎる個人のことを指す。あまりに個性的すぎて、「個性」という爽やかな言葉には溶かしきれない状況がそこにはある。不覚にも「二歩分」進んでしまったとき、私やあなたには、いったい何が起きるのか。本連載は、そんなダブル・マイノリティたちの傾向と対策を綴っていきたい。
これは「そんなの関係ないよ~」「1歩分だって進んでないよ」と思っている“フツー”や“マジョリティ”のあなたにも、ふりかかるかもしれない危機なのです。っていうか、たぶんあなた、“フツー“じゃないですよ!
LGBTであるということ
連載第一回は、私個人の「LGBT×病気」な体験から始めたい。
私はトランスジェンダーで、女の体で生まれたが、自分のことを男だと感じており、心身の性別が一致していない。幼い頃から性別をめぐるトラブルがあり、思春期には「おれは男だから制服のスカートをはきたくねぇんだよ!」などと悪戦苦闘した。
しかし、子どもの頃には、性別への違和感を訴えても、どうせ一過性のこと、テレビやインターネットに影響されすぎているのだろう、思春期で脳みそが発酵している、といった程度にしか扱われなかった。合掌。
そんな世間の不条理を正すべく(!)、私は、教育現場や子ども支援に関わる人にLGBTを知ってもらう活動を10年ほど続けてきた。すると、ここ数年はうっかり朝日新聞の「ひと」欄に出たり、本やテレビに出たりと、世間から話を聴いてもらえるようになった。
LGBTの問題への関心が高まるにつれ、子どもの頃には聴いてもらえなかったことを、今ではお金を払ってまで聴きたいと「大人」たちがやってくるようになった。
まるで、ストリートでギターをかきならして冷たい視線を投げられていた若者が、突然メジャーデビューを果たしたような状況の変化(ある意味、これもまた不条理)。
こうして、私は歳を重ねるにつれて、自分の望まない性別で振る舞うように強要されることが劇的に減り、トランスジェンダーである自分自身との付き合いについても「飼い慣らした感」を持っていた。しかし、私は「もう1歩分」進んでしまったのだった。
カミングアウトする体力がない!
冬の終わりに「もうぼくわかんないよ」と近所の病院の医者に言われた。体温計が38.9℃を指しており、私だって意味がわかんないよと思った。なんだこれ。起きているのもつらく、院長が大学病院への紹介状を書いている時間がひたすら長く感じた。翌日には新幹線に乗ってシンポジウムで当壇する予定だったのに、こりゃどうしたって無理じゃんね。申し訳なさで半泣きになりながらことわりをいれ、大学病院に行くと、大至急入院だと言われた。
昨年末から立て続けに感染症にかかり、熱がさがらなかった。髪は抜け、肌は荒れ、咳が止まらない。自己免疫疾患のひとつで、全身性エリテマトーデス(SLE)という難病だった。
こうやって書くと、いかにも「ご重体」だが、本人は体温計が壊れているのだと思いこんでいた。認識のズレというのは恐ろしい。のほほんとしているうちに、どんどん弱っていき、4月1日に私は某大学病院へと「収監」されたのだった。とんだエイプリル・フールだ。
トランスジェンダーの人口は300人~数千人にひとりと言われる。
SLEのほうは1万人にひとりなので、この状況、単純に計算すると300万人とか数千万人にひとりだ。『困ってるひと』著者の大野更紗さんは、ご自身が難病になったことを「難病のくじをひいた」と表現をされている。大野さんとは、昨年とある勉強会の打ち上げで偶然一緒になり、隣でごはんを食べる機会があった。そのときは「大変っすね~」と思っていたが、まさか一年後、自分のところにも飛んでくるとは思わなかったよ、くじ……!!
さて、ダブル・マイノリティな物語はここから始まる。私のゾンビ問題の中心は「話せない」ことだった。入院当初は具合が悪く、自分のニーズを伝える体力がなかった。入院という環境自体が初めてだったし、話すこともだるい。看護師さんにものを頼むのも慣れないから、「氷枕ください」というのが精いっぱい。
そんな環境の中で、「飛べない豚はただの豚」もとい「カミングアウトのできない私はただの女体」で、私は戸籍上の性別のまま扱われるしかなかった。
「実は、自分はトランスジェンダーで……」と切り出してカミングアウトするのは、勇気や精神力、体力、もろもろのエネルギーを要する。たいていの場合、LGBTのことを相手は詳しく知らないので、こちらが解説しなくてはいけない。さながらプチ講演のような状況になることもある。そんなことより、入院直後の私は、熱があり、だるくて眠りたかった。
入院センターというところで(洗濯をしなくて済むから楽ちんという)パジャマレンタルセットを申し込んだところ、ピンクのしましまパジャマをあてがわれることになった。戸籍上が女性だからだ。
しまった、と思ったが、変えてもらうために交渉する体力が無かった。「こんなピンク・パジャマ姿を友達や周りの人には見られたくないな」と頭によぎったが、切り出せない。そのままピンク・パジャマと共に時間がずっと過ぎていった。
再び、合掌……。
医療費が数十万円も変わる
そして、ピンク・パジャマだけでは済まなかった。治療方針をめぐって、性別問題は大きく影響していった。
まず、ステロイドの投薬が始まるにあたり副作用についての説明を受けた。「女性の場合には、こういうのは気になるでしょうけれど…」と担当医は切りだして、毛が濃くなることやムーンフェイス(顔が丸くなること)、妊娠・出産によって症状が悪化する可能性のあることについて触れた。
私は、毛が濃くなることについてはむしろ歓迎だったし、妊娠・出産の予定は考えたこともなかったので、「あ、全然気にならないっす!」という感じだった。むしろ、眉毛やもみあげの濃くなることはウェルカムだった。その副作用なら、どんとこい。
その程度の会話のすれ違いなら、かわいいものだった。しかし、性別認識をめぐるすれ違いは、やがて大きな問題になる。
入院3週間目あたりに、治療のために毎月6万円の薬(未認可薬)をしばらく使うという話になった。
半年使えば36万円。しかも保険が効かないので混合診療という扱いになり、入院費用もかさむ。健気な若者(ビョーキだが)が払うには、あまりに経済的ダメージが大きい話だった。
治らないビョーキへの心配に加えて、お金の心配もしなくてはいけないのかと思うと、暗澹たる気持ちになった。なんとかならないんだろうか。
薬について詳しく聞いてみたところ、担当医は「今ある認可薬だと、不妊のリスクがあるんだよ。若い女性にはオススメしないんだ」という。
「でも、子どもとか産むつもり全然ないですから」
「遠藤さん、そうは言っても、これからいい出会いがあるかもしれないでしょ?」
あぁ、ラチがあかない…!と思った。
これは正直に言うしかないなと思って、自分の性別について、ここでようやく話すことになった。
いい出会いはありません!!
……もとい、トランスジェンダーの私は自分の体を使って子どもを持ちたいとは思わないし、私が好きになるのは女性なので「いい出会い」だろうが「悪い出会い」だろうが、子どもは持てないんだってば。
担当医の反応はフランクなものだった。
「なんだ、そういうことだったのか!早く言ってくれたら良かったのに。」
でもまぁ言いづらいか、といって彼は笑った。
その後、改めて治療方針について確認したのち、不妊リスクを減らすための未認可薬(月額6万円)は、あっさりと別の薬へと代えられたのだった。こうして、医療費は大幅にカット。
カミングアウトしなかったら医療費が数十万円上乗せされるところだった、という事実は、重たいものだった。たまたま体調が良くなってきたから、体力が戻っていたからカミングアウトすることができた。でも、入院直後のエネルギーでは出来なかった。偶然このタイミングだったからよかったものの、これがもっと体調が悪かったら、もし意識がはっきりしていなかったら、自分の意思は反映されることはなかっただろう。
そして、自分でコインランドリーをまわす余裕と体力が生まれた4月末、ようやく私はピンク・パジャマを「卒業」できたのだった。入院開始から数週間が経っていた。
傾向と対策:言葉を、握りしめておくために
この社会で多数派である人は、ほとんどの場合には、自分が多数派であることを意識することなく生活できてしまう。
日本のスーパーで食糧を買うときに「あぁ、ここは日本のスーパーだ」と強く意識する日本人はあまりいない。多くの場合、「日本のスーパー」は「ただのスーパー」として認識される。というか、そもそも「日本のスーパーなのかどうか」なんてことを誰も考えたりもしない。しかし、もし外国に行ったら、状況は変わってくる。異国のお店であれば、自分の買いたい商品がなかったり、見慣れない商品が並んでいることに戸惑ったりするからだ。
私はトランスジェンダーというマイノリティとして、これまで異国のスーパーに紛れ込んだように生きてきた。多数派の人が「フツー」だと思い、通り過ぎてきた様々なものにつまずいてきた。子どもの頃には、それは男女で色の違うランドセルだったり、修学旅行で「女子」の一員としてお風呂に入るよう求められることだったり、制服だったりした。
大半の人には疑問さえ持たれない制度に、強烈な違和感を持ってしまう自分がいる。黙っていては、自分に必要なものを得ることができない。それでは幸せに生きることができない。そんな中で、自分が多数派文化に「殺されない」ためには、マイノリティとしてのサバイバル・スキルとして、下記の三か条が決定的に重要なのだと思う。
(1) 「自分が必要なものはこれです」と言葉で伝えられること
(2) その言葉を訊いてくれる周囲の人たちがいること
(3) そもそも、自分が必要なものが何かを比較検討できる環境
外国スーパーに例えたら、こんな感じだろうか。
(1)「米や豆腐がほしい」なとどいうニーズを、母語ではなく相手に理解される言語で伝えること
(2)店員に無視されないこと
(3)そもそも、その国で米や豆腐を要求することはワガママと思われるのか、フツーの範疇にふくまれるのか、価格は高いのか、どこの店で聞けばいいのか、といった総合的な情報を得られること
私の性別問題に照らすと、
(1)相手に理解される言語で、LGBTについてきちんと伝える
→「プチ講演」になる場合も少なくないことを思うと、具合が悪いときには難しい。
(2)LGBTへの誤解や偏見、無関心にさらされると厳しい
→初対面の人たちに囲まれると相手がどんな価値観なのか分からずカミングアウトしにくい。
(3)今ここで性別の話をするのは空気が読めないと思われるのか、話すことで自分の居心地がどう変わるのか、そもそも誰に話せば状況が変わるのかといったことの状況把握。
→入院という慣れない環境で、そこでのルールが分からず身動きが取れない。
という状況だった。
災害や病気、突然の事故など、想定のできないできごとが襲いかかることが人生には、ままある。「話せなくさせられた人」が、再び自分の言葉で話せるようになるのに、時間を要することがある。
周囲のサポートや情報提供によって、安心して話しても大丈夫だと思えることで、ようやく言葉を取り戻せる場合もあるだろう。もはや、その状況では話すことができず、前もって手紙を書くことや、周りの人に意思を伝えておくことでしか、個人の想いが伝わらない状況やタイミングもある。
もしあなたが、何らかの理由で「1歩」進んでいる人だったら、病気や災害に直面したとき、あなたの言葉は届かないかもしれない。言葉を出す力がなく、言葉を生みだす余裕さえ生まれないかもしれない。
だから、もし今なんかしら対処できることがありそうならば、作戦を立てておくことを、ピンク・パジャマ・ゾンビ経験者としてお勧めしておく。言葉を、握りしめておくために。
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「10,000人の医療・福祉関係者にLGBTの二ーズを知ってほしい!」
愛する人の最期に立ち会えない、手術や病気の説明にも同席しづらい、性別を移行したら病院にいけない。そんな状況を変えるべく、あなたの力を貸してください。 http://japangiving.jp/p/2689
プロフィール
遠藤まめた
1987年生まれ、横浜育ち。トランスジェンダー当事者としての自らの体験をもとに、10代後半よりLGBT(セクシュアル・マイノリティ)の若者支援をテーマに啓発活動を行っている。全国各地で「多様な性」に関するアクションや展開している「やっぱ愛ダホ!idaho-net」代表。著書に『先生と親のためのLGBTガイド もしあなたがカミングアウトされたなら』(合同出版)