2012.04.27

セクシュアルマイノリティと自殺リスク

日高庸晴×荻上チキ

社会 #セクシュアルマイノリティ#自殺リスク

社会的包摂をめざした政策実現のために、貧困や自殺問題が注目されるなか、セクシュアルマイノリティ(性的少数者)にも焦点が当てられつつある。こうしたなか、セクシュアルマイノリティの実態について、疫学研究を行い、自殺・エイズ予防に向けて政府への提言を行っているのが、宝塚大学看護学部准教授の日高庸晴氏だ。

日高氏は、セクシュアルマイノリティの問題が社会的に広く取り上げられるようになったことを評価する一方で、性同一性障害(性自認と身体の生物学的性の不一致)と性的指向(性愛の対象が同性や両性である同性愛、両性愛)が混同して捉えられ、教育や精神医療においてもその扱いに混乱がみられている現状を指摘。それぞれへの理解と対策の必要性を訴えている。データは、「セクシュアルマイノリティが直面している問題」をいかに物語っているのか。編集長・荻上チキが聞く。(構成/宮崎直子)

世に訴えるための「データ」


荻上 日高さんはこれまで、セクシュアルマイノリティに関する調査を多く行ってこられました。調査を始めたきっかけやいきさつは、どういったものだったのでしょうか。

日高 1999年に、日本初のインターネットによるゲイ・バイセクシュアル男性の調査を行いました。それがセクシュアルマイノリティに関する一番最初の調査でした。

私は研究領域としては医学・保健系の研究者で、もともと「自尊心と健康行動」について関心がありました。「自分なんかどうなってもいいや」とか、「うまくいかなかったのは自分のせいなのではないか、自分のやり方が悪かったからだ」とか、常に自分を罰してしまう自罰的なタイプの人は、健康リスク行動が顕著であるといわれており、その実態に興味を持っていました。

また、周囲にHIV/AIDSを研究している先生がいたため「自尊心」と「HIV」を関連づけて調査をやれないかと思ったのが、セクシュアルマイノリティ研究を始めたきっかけになります。文献を紐解くと日本ではほとんど先行研究がなく、欧米では40年以上も前から進んでいる分野だということがわかりました。

初めてのインターネット調査では、研究参加者から「集計結果が出たら教えて欲しい」「公表して欲しい」というメールをたくさんいただきました。当時はネットも今ほど普及していない頃で、私も技術的なことはあまり得意ではなかったので、有効回答1,025人のうちの半分近くの方、数百人に対して一人ひとり、結果をコピー&ペーストして返信するという作業を行いました。

その作業をしながら、研究をしたら必ずフィードバックしなければいけないということを強く感じました。どの研究領域もそうですが、データをとるときだけお願いして、論文まで書けずに力つきる人がたくさんいます。だから論文を書き上げたら、一仕事終えた気になってしまいがちなのですが、研究参加者へのフィードバックを行うまでが調査研究の一連のプロセスなのだと認識しています。

お叱りのメールも時々いただきますが、「頑張らないといけないのは僕たちです。それを裏支えするデータをください」といった、10代の男の子からのメッセージもありました。データとしてまとめること自体が、セクシュアルマイノリティの問題を世に訴えていくものになるだろうという手応えは、初めの調査から感じていました。

荻上 自分たちがどういう存在で、集団の中のどの位置にいるのかということは、様々な当事者が最も知りたいことの一つだと思います。ヘテロセクシュアルの人が思春期に何を悩みがちなのかということは、保健の教科書に載っており、授業でも語られますが、セクシュアルマイノリティについては書かれていない。多くの研究参加者の方がデータを欲しがっていたというのは、納得できるお話ですね。

サンフランシスコ留学で得たこと


荻上 その後、セクシュアルマイノリティの調査をライフワークとして続けようと思った理由は何ですか。

日高 インターネット調査を行った後、一年間アメリカの大学の研究所で働く機会がありました。エイズ予防の研究所であることはわかっていましたが、どういったプロジェクトで働くことになるのか渡米前にはよくわからないでいました。滞在中は、有色人種のトランスジェンダー(性同一性障害)の健康問題に関する研究プロジェクトと、アジア人MSM(Men who have Sex with Men:男性と性交渉をもつ男性)のHIV予防を研究するプロジェクトに参画していました。

言葉も文化も違うので、生活に慣れるまではけっこう苦労したのですが、オフィスのおばちゃんたちが「日本からはるばる男の子が来た」と、とてもよくしてくれました。ごく普通に楽しく接していたのですが、仲良くなるうちに、その人たちはみな、「以前は男性だった」ということが後にわかりました。背の高い女性だなとは思いましたが、全く気づきませんでしたねぇ……。今でも連絡を取っていますが、サンクスギビングやクリスマスは彼女らと一緒にパーティでしたし、姉がたくさん出来たみたいな気持ちでした。

自分は何もわかっていなかったことを痛感して、多くの経験を積むことができました。同時に、セクシュアルマイノリティであれ、HIV感染症であれ、人は実に多様である、ということに加えて、そのことを当たり前に語りあえることの大事さを教わったように思います。法的なことも、日本とアメリカ――州によっても異なることもありますが――では全く異なる状況にあります。そういう環境の中に、何もわからないながらも一年間生活して、研究はもちろんのこと、人間関係からも非常に大きな影響を受けたと思います。

20代の前半にアメリカのキーウェストに行って白人にからまれたことがありました。「アジア人がアメリカのリゾート地に来やがって」というようないい方をされ、怖い思いをしたのですが、人種差別があるとは聞いてはいたけれども、肌の色が黄色いというだけで、実際に自分が差別や嫌がらせを受け、生まれや見た目だけを理由に差別される恐怖を身をもって知ったことも、差別問題を考えるきっかけのひとつになっていると思います。

社会学、フェミニズムとの接点について


荻上 日本では、セクシュアルマイノリティに関する社会理論的な言及や、文化研究は多く見受けられますが、データをとっての調査というのは、なかなかありませんでした。セクシュアルマイノリティの研究は、社会学やフェミニズムの領域だという意識も強くあります。実際に研究を始めてからは、勉強会や発表会など社会科学方面からのアプローチもありましたか。

日高 あまり接点はないですね。研究手法が違ったからかもしれません。

荻上 そもそも文化が違うような感じですか。

日高 そうですね。あとやっぱり使う言葉が違うので、議論をしてもなかなか咬み合わない部分が多かったりします、一般論として。

荻上 統計に対する考え方も違ったりしますよね。また、研究であったとしても、どこかで文化批判的な政治性と結びつけないといけない感じもあります。

日高 もちろんイデオロギーは大事な視点です。ただ、私の専門は疫学で、しかも社会疫学です。今、目の前に明らかにリスク行動があったり、具合の悪い人たちがいれば、その人たちの助けになるような研究がしたい。現実の日常生活や政治の中に、研究の結果をどうフィードバックしていくかを考えています。少なくとも私たちの研究領域では、エビデンス(データ)を蓄積して、できる限りニュートラルに分析して示していくことが役目であると考えています。

HIV感染者について

荻上 それでは、この10年の調査研究で明らかになったことについて伺っていきたいと思います。まずは、HIV感染者と同性愛者の関係について教えていただけますか。

日高 国に報告されているHIV/AIDSの発生数は右肩あがりに年々あがってきています。感染爆発が起こるといわれながら30年が経ちましたが、欧米の流行国のような感染爆発は、今のところ国全体でみれば起こっていないと言えるかもしれません。

※資料1「日本国籍HIV感染者の年次推移」
※資料1「日本国籍HIV感染者の年次推移」

しかし、感染経路別にグラフを色分けしてみると、男性の新規感染者の7割強は男性同性間での感染であることがわかります。年齢階級別に見ると20~30代が多いです。最近では10代での感染も報告されるようになってきました。

※資料2「性別・感染経路別」
※資料2「性別・感染経路別」

感染者に「若い人が多い」と報道されるときに、テレビでは出会い系サイトや女の子の映像が流れ、あたかも若い女の子に感染が広がっているような印象を与えてしまうことがあります。他の性感染症と同じくHIVも感染が拡大していると誤解されてしまいがちです。そうなると、流行が起こっていない集団にばかり対策を打ってしまうことになり、現在流行が起きているゲイ・バイセクシュアル男性に対しては、注目も対策もされないまま放置してしまうことになります。

実際に、ゲイ・バイセクシュアル男性を対象にした調査によれば、「学校で男女間でのHIV感染に関して教育を受けた人」は7~8割いますが、「男性同性間での感染の可能性について教育を受けた人」は1~2割に下がります。日本の疫学状況とは違うことが教育現場で情報提供されているということです。ただ、初期の頃には、エイズ=同性愛というようなスティグマになってしまったことがあるので、それゆえに報道のあり方にも慎重にならなければいけない、だから逆にブレーキがかかってしまってきた側面もあるかもしれません。

ともあれ、特定の集団に病気が流行しているということは、何か理由が存在する訳です。そのリスクファクターをデータとして示す必要がありますが、研究を進めていくと、リスクファクターのひとつに、セルフエスティーム(自尊心)の低さやメンタルヘルスの関与があることがわかってきました。

自殺対策のリスク群


【自殺未遂経験の割合】

日高 ゲイ・バイセクシュアル男性を対象に、2011年度に実施したインターネット調査によれば、自傷行為(刃物などでわざと自分の身体を切るなどして傷つけた経験と定義)の生涯経験割合は全体の10.0%、30代で9.2%、20代で11.8%、10代で17.0%と、年代が若いほど高くなる傾向がみられています。

首都圏の男子中学生における自傷行為の生涯経験割合は7.5%であり、それを比較しても10代のゲイ・バイセクシュアル男性における自傷行為の生涯経験割合(17.0%)は2倍以上高くなっています。

荻上 とても高い数字ですね。自殺対策に取り組んでいるNPO「ライフリンク」の清水康之代表も、以前お会いした時、この実態について懸念していました。

日高 アメリカのコロンビア大学の研究者は、HIV感染症は氷山の一角であり、ゲイ・バイセクシュアル男性が抱える健康問題のうちで、最も予算がついて注目された疾患でしかないといっています。これまでに実施されてきた研究によって、HIV感染に至るまでの背景要因として、いじめ、自殺、性被害、アルコール薬物、といったメンタルヘルスの課題があることが数多く示されています。

日本のゲイ・バイセクシュアル男性においては、全体の65%が自殺を考えたことがあり、15%が自殺未遂をしているという結果が出ています。1999年(1,025人から有効回答)と2005年(5,731人から有効回答)に行ったインターネット調査、またその他のサンプリング手法によって行った160人規模の調査でも、ほぼ同じような割合が出ました。新聞やテレビなどのマスメディアでも、この結果が大きく取り上げられました。

※資料3「これまでに自殺を考えたこと・自殺未遂」
※資料3「これまでに自殺を考えたこと・自殺未遂」

また、2001年に厚生労働省のエイズ予防研究の一貫で大阪ミナミのアメリカ村で実施した若者の健康リスクに関する街頭調査(http://www.health-issue.jp/suicide/)では、性的指向を分析軸に自殺未遂経験割合の実態を明らかにしています(15~24歳の男女2,095人からの有効回答)。自殺未遂の生涯経験割合は全体で9%(男性6%、女性11%)であり、自殺未遂経験に関連する要因を男女別に、ロジスティック回帰分析によって分析しました。

その結果、男性のみ他の要因の影響を調整してもなお、性的指向が最もリスクの高さを示し、ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺未遂リスクは異性愛者よりも5.9倍高いことが示唆されました。同じく、いじめ被害にあったことのある人は被害を経験していない人に比べて自殺未遂リスクは5倍、薬物使用経験のある人はない人の3倍高いという結果でした。

※資料4「自殺未遂経験に関連する要因」
※資料4「自殺未遂経験に関連する要因」

国内で性的指向を分析軸にした自殺未遂に関連するデータは、今のところこれが唯一だと思います。これらのデータをもとに、ゲイ・バイセクシュアル男性を自殺のリスク群として、国や自治体がきちんと認識し、救える命のためにどのような対策ができるかを真剣に考えていく必要があります。

【抑うつ傾向について】

荻上 「同性愛者である」ということに、苦悩を抱かざるをえない社会状況があるということですね。こうした実態が明らかにされた後に、年齢にあわせた、教育的なアプローチやバックアップが必要になってくると思います。調査では、同性愛者の方が、いつ、どのような傾向に陥りやすいと出ているのでしょうか。

日高 研究に参加してくださったゲイ・バイセクシュアル男性の二人に一人がうつや不安のリスク群にあり、年齢階級別にみれば、明らかに若年層に抑うつ傾向が顕著です。また、気分の落ち込み・不安などの症状に基づく、心理カウンセリング・心療内科・精神科の生涯受診歴はゲイ・バイセクシュアル男性の約27%であり、過去6ヶ月間では約9%です。受診時に自分の性的指向を話した経験のある者は8.5%と低い割合でした。

メンタルヘルスはどの指標においても若年層のほうが悪いです。また、ゲイ・バイセクシュアル男性は30代ぐらいになって、他の集団の平均値(メンタルヘルスの状況を客観的に測定する心理尺度の平均値)と同じぐらいになるということが、99年の調査でわかっています。

荻上 思春期以降、自分の性の形に折り合いをつけるのに、時間がかかっているのですね。

日高 異性愛が前提とされる社会において、ゲイ・バイセクシュアル男性は生きづらさを抱えていることが容易に推測できます。これまでの調査でも、異性愛者を装う心理的葛藤が強い者ほど抑うつや不安、孤独感の強さや自尊心の低さなど、メンタルヘルスに不調があることもわかっています。

しかしながら、心理カウンセリング・心療内科・精神科の受診歴は抑うつ割合の高さに比較すれば概して低く、仮に受診に辿りつけたとしてもその場面においてでさえ、自身の性的指向を話すことに躊躇する現状があることが調査から示されています。

教育の圧倒的不足


荻上 HIV感染者に同性愛者が多いというのは、あくまでHIV検査をした人の中でとられた数値です。つまり、「同性愛者の中で多い」と考えられる一方で、「検査に行った方がいいという文化や規範が同性愛者にあるから、数値も高くなる」とも見れますね。

日高 その通りです。しかし、人口比率を考慮してもなおそう言えるのかどうか、その点は慎重に考え、議論していく必要があると思います。

荻上 掘り起こしをしていこうということでは、やはり「検査を受けよう」「コンドームをつけよう」と啓発キャンペーンを広げていくことが、今は重要なのでしょうか。

日高 いろいろアプローチはあると思いますが、一つは教育環境を変えることだと思います。たとえば教育現場で性的指向に関する情報提供は「ほぼ皆無」という結果が出てきます。数千人のゲイ・バイセクシュアル男性に何度聞いても同じ傾向です。おそらくそれは、文部科学省の現行の学習指導要領に入っていないからであると言えると思います。

では、まったく扱われていないかといったらそうでもなくて、異常なものや否定的なものといった情報提供がされている現状もあります。

※資料5「調査結果が示す、不適切な教育環境」
※資料5「調査結果が示す、不適切な教育環境」

2005年のデータを年齢階級別に見てみると、性的指向について一切習っていない人の割合は、10代のほうが低いですが、否定的な情報提供をされた人の割合は、どの年齢層よりも高いです。ですから、最近のほうがセクシュアリティに関する情報が広まってきているかもしれないけれども、それが適切なものであるのかという疑問が残ります。

そんな中、セクシュアルマイノリティの学齢期のいじめ被害経験割合は、最も高値を示した調査では約80%であり、彼らの生きづらさは子どもの頃から既に始まっていることがわかります。自殺未遂を試みた初回の平均年齢が17歳であったことからも、学齢期からセクシュアルマイノリティへの情報提供が、中学校や高校などを通じて実施されることが不可欠です。

先ほど、HIV抗体検査についての指摘がありましたが、ゲイ・バイセクシュアル男性を対象にしたインターネット調査では、HIV抗体検査の生涯受検割合は約5割、過去一年の受検割合は全国平均で約2割という結果が出ています。都市部は検査環境が整いつつあり、検査に行きやすいということもあり、最新の調査では2割後半~3割強との報告もあります。

他の集団に比べれば、検査に行っている割合は圧倒的に高いと思いますが、先ほども申し上げましたが、人口比率を考慮してもなおそう言えるのかどうか、その点は慎重に考え、議論していく必要があると思いますし、実際のところそのあたりの詳しい分析はまだ行われていません。正直にお話しすると、その比較に個人的にはあまり興味がありません。目の前にこれだけ感染が広がっている集団があって、十分な対策ができていないのであれば、そこに手を打つべきだろうと考えるわけです。

自殺防止に取り組むにあたって、ゲイ・バイセクシュアル男性をリスク群と捉え、学校や行政・民間の電話相談などの相談窓口、精神保健医療の領域などで、性同一性障害と性的指向について、それぞれ固有の背景があることを理解することが必要です。その上で、適切な対応と援助技術習得のための研修機会の確保を含めた、効果的な自殺対策・実施が急務と考えます。

性教育の文脈で語らなくてもいい

荻上 民主党の議員有志らが、「性的マイノリティ小委員会」を作り、意見交換をしていますね。日高さんもそちらに呼ばれたと聞いています。調査を受けての、関係者の方々の反応はいかがでしょうか。

日高 ネット上でフィードバックするだけでなく、国会議員や行政に訴えて、どう政策に活かしていくかということを意識しなくてはと思っています。それが、データ(統計)を取ってしまった者の責務、実態を知ってしまった者の義務だと思っています。

地方自治体の感染症対策の担当部局に一連の調査のデータをもっていくと、話はとても早くて、何か一緒にやりましょう、すぐに何が出来るでしょうかという反応をいただくことが多いです。しかし、教育委員会にもっていくと、ここまで渋い顔をされるかというぐらい前に進みません。性的指向と性同一性障害の混乱ぶりも大変目立ちます。教育委員会にこそ動いてほしいことはたくさんあるのですが、反応は概してよくありません。

荻上 一番の要になる部分でもあるはずなのですが、教育の現場が耳を傾けようとしない状況は、具体的にはどのように改善していけばいいのでしょうか。

日高 やはり教育委員会の人たちに、セクシュアルマイノリティの問題を理解してもらうことが一番大事だと思っています。「自分たちの親玉は文科省です。そこからきた話なら聞き入れるが……」と言われてしまうことばかりなので、その状況を変えないといけない。地方自治体がセクシュアルマイノリティ支援に躊躇することなく動き出すためには、文部科学省からの号令が最も必要で、それは急務であるはずです。厚労省管轄では「エイズ予防指針」が改正されて、そこには若者には性的指向を含めた多様性があるという一文が加えられていますし、学習指導要領においても明確に言及される必要があります。

荻上 しかし、教育系の話題はすぐにイデオロギーの象徴闘争となり、特に性教育に関しては、ちょっとした文言を教えるだけでも、「過激」などと叩かれる分野です。実態データに基づかない議論が非常に蔓延る空間でもあります。

日高 そうですね。ただ、すべての教育関係者が目を背けているわけではないのも事実です。教育委員会に訪問した時など、面会の最後のタイミングになって、「自分の教員生活を振り返ってみると、今でも気になる生徒がいるんだよね……」と口を開く先生に何人もお会いしています。制服を嫌がったり、水着を嫌がって夏は体育の授業を見学する子がいたとか、自分の若い頃は同性愛や性同一性障害に関する情報が今ほどなかったから、もしかしたら今思えばそういうことだったのかもしれない……と語る先生方もおられますし、セクシュアルマイノリティの支援を一緒にやっていこうと意欲的な現場の先生もおられます。

また、自分の教え子を自殺で失くしたという先生もおられます。あの時自分は何もできなかった、支援の仕方もわからなかったけど、性的指向が背景要因だったことに気付いていなかった訳ではない……と仰る先生にもお会いしています。いじめ被害や自殺の背景に、もしかしたら性的指向の関与があるかもしれない、という視点でもって現状を捉えていく想像力が必要なのだと思います。

保健やエイズ予防の授業でセクシュアルマイノリティを話題にすることが難しいならば、人権や道徳の授業で扱っていこうとしている自治体もあります。みんながみんなだめというわけではありません。世の中の大きな仕組みをすぐに変えることはできませんが、まったく現実が変わらない訳でもないと思っています。

同性を好きになる人もいれば、異性を好きになる人もいる。男女両方を好きになる人もいれば、誰にも性的な興味をもたない人もいる。性的指向は、志望校や好きな色を選ぶような次元と同じようにご本人の選択の結果ではない、ということを先ずは理解する必要があると思います。選択の結果ではないこともあるかもしれないけれども、人は実に多様である、ということを認識する必要があります。

加えて必要なことは、性の在り様や性的指向の多様性について、教育現場で極めて中立的に情報提供されればいいだけの話です。特別何かの教科でやらないといけない話ではなく、ホームルームでも扱える題材であるはずです。性教育といった大きな枠組みを変えていくのも一つの方法ですが、現場レベルで、今の体制の中でもすぐに出来ることがあり、まずは取り組みを始めてみること。その両方のアプローチが今、急がれていると思います。

荻上 データの強みは、「存在していることを無視するなよ」というメッセージにもなることです。統計的、疫学的な調査も、もっといろんな方が多面的なアプローチでやって欲しい。それ自体が一つのバックアップというか、気運を変えるための駆動要因になると思いますね。それを基に、実情についての議論が盛り上がって欲しいとつとに願います。貴重なお話を、本当にありがとうございました。

「ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2」
http://www.j-msm.com/report/report02/

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事

日高庸晴

宝塚大学看護学部准教授。厚生労働省エイズ動向委員会委員。厚生労働省エイズ対策研究事業の一環として実施されているインターネットによるHIV予防に関する研究プロジェクトの研究代表者を務める。専門は社会疫学、行動科学、HIV/AIDS対策、ジェンダー・セクシュアリティ領域。行動疫学調査に社会心理学の手法を援用した社会調査を通じて、マイノリティであるゲイ・バイセクシュアル男性の抱え持つ健康問題を明らかにする調査研究を数多く実施し、エビデンス(データ)に基づく施策提言を行っている。国や地方自治体のエイズ対策研修、自殺予防対策の講師など数多く務める。

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