2011.11.10

都市部の自動車はもうちょっと不便でもいいのではないか

山口浩 ファィナンス / 経営学

社会 #自転車

タイトルに反して、まずは自転車の話から。というか本題は自転車の話でもある。自転車については、少し前に、「シノドスジャーナル」で取り上げたことがある。以下は、いわばその「つづき」にあたるものといってもよい。

「そろそろ自転車についてまじめに考えよう」

https://synodos.jp/society/2743

自転車規制強化の動き

この記事(何度か言及するので、以下「前の記事」と呼ぶことにする)では、自転車の対歩行者事故のリスクについて取り上げ、歩行者の視点から、そろそろ何かきちんとした対策が必要ではないか、という趣旨の主張をしたわけだが、最近それと整合的な方向性の政策が相次いで打ち出されているようだ。最近報道されたのはこれ。

「自転車は車道」徹底へ 警察庁、歩道の通行許可見直し(朝日新聞2011年10月25日)

http://www.asahi.com/national/update/1025/TKY201110250565.html

警察庁は25日、これまで自転車の通行が許されていた一部の歩道のうち、幅3メートル未満の歩道は許可しない方向で見直すことを決め、全国の警察本部に通達を出した。歩行者との事故を減らすのが目的で、通行できる歩道でも悪質な例は交通切符を切って厳しく対応するよう求めている。規制強化の一方で、自転車道を新設するなど環境の整備も進める方針だ。

7月21日付の、別の朝日新聞記事では、「縁石などで区切られた自転車道と、歩道上に設けられた自転車用の通行帯に、一方通行の規制を設けられるようにする案を公表した」としていた。今回のものは、狭い歩道ではそもそも自転車が歩道を走行すること自体を禁止しようという趣旨かと思われるので、もう一歩進めた、という印象だ。ちなみに記事中の「通達」というのは、おそらくこれだろう。

http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/bicycle/taisaku/tsuutatu.pdf

もちろん、軽車両である自転車はもともと車道走行が原則だが、例外が幅広く設定されていた。10月の朝日新聞記事はこうつづく。

「軽車両」の自転車は、原則として歩道を通行してはいけないことになっている。例外は、13歳未満の子どもや70歳以上のお年寄りが運転する時くらいだ。

 ただ、歩道の幅が2メートル以上あり、歩行者の邪魔にならない場合は、各都道府県警の判断で自転車の通行が許可されてきた。こうした歩道が全体の5割近くを占めるとみられる。

今回の方針は、この「2メートル」を3メートルにして、自転車運転者の属性に関係なく適用されるルールを設定し、取り締まりも強化するというものだ。自転車の車道走行自体は、自転車にある程度入れ込んでいて、自転車のことを真剣に考えている人たち(前の記事では「シリアスサイクリスト」と呼んでみた)のあいだでこれまでも主張されてきたことと整合的だ。現在は、自転車は車道通行が原則ということすら知らない人が多く、自転車は当たり前のように歩道を走っている(警察官が歩道走行しているのもよく見かける)。歩行者の立場から見て、自転車が歩道を我が物顔で走りまわるのは迷惑かつ危険であるから、それが規制されるのはありがたいことなのだが、だからといって両手をあげて賛成、とはちょっといいがたい。

非現実的かつ「本気」でない規制

前の記事にも書いたが、自転車乗りの大半は、家から近所のスーパーやら最寄りの駅・学校等までの比較的短距離の移動のための気楽な、あるいは安楽な交通手段として自転車に乗る人びと、もっと踏み込んでいえば、歩道走行が当たり前と考えている人びとだ。こうした「カジュアルサイクリスト」たちにとって、今回の方針は正直な話、とても現実的にはみえないだろう。彼らが気軽な足として自転車を使ってこられたのは、自動車と接触するリスクが低い歩道を通ることができたからだ。車道では安心して走れない、という声はすでに上がりはじめている。

車道走行が原則とはいっても、もちろん例外はある。例外自体は以前からあったわけだが、今回少し変わった。下に通達の文章を引用しておくが、要するに「歩行者の通行量が極めて少ないような場合、車道の交通量が多く自転車が車道を通行すると危険な場合等」は見直しの対象から除いていいということのようだ。各警察本部が地域の実情に応じて決めるしくみになっている。実情に合わせるのはもちろん悪いことではないし、ぜひそうしてもらいたいが、実際にどうなるのかがきわめて曖昧になるという問題点もある。

 (2) 自転車と歩行者との分離

ア 普通自転車歩道通行可の交通規制の実施場所の見直し

歩道上で自転車と歩行者の交錯が問題とされている現下の情勢に鑑み、幅員3メートル未満の歩道における自歩可の交通規制は、歩行者の通行量が極めて少ないような場合、車道の交通量が多く自転車が車道を通行すると危険な場合等を除き、見直すこと。

イ 普通自転車歩道通行可の交通規制が実施されている歩道(普通自転車通行指定部分の指定がある場合を除く。)をつなぐ自転車横断帯の撤去

多くの普通自転車の歩道通行が念頭に置かれている普通自転車通行指定部分の指定がある場合を除き、自歩可の交通規制が実施されている歩道をつなぐ自転車横断帯は撤去すること。

また、他に何もしないということではなく、通達には、自転車用信号の整備やら路上駐車対策やら、あるいは安全教育やらといった項目も並んでいる。しかし、力点の置き方などからみて、あまり実質的な効果が期待できるものはみられず、正直、お役人さんの文章によくある、言い訳のための付け足しという印象を免れない。結局のところ、これまでとたいして変わらないという状況で、ただ何かあったら警察の裁量で取り締まれる範囲が広がる、といったところがせいぜいのような気がする。もしそうなら、それは個人的にもまったくありがたくなどないし、社会としても望ましくない。

悲観的になってしまうのは、もともとこの問題については、本質的な部分に踏み込もうとせず、とりあえず何かしておけばいいといった姿勢を行政側から感じることが常態化していたからだ。もちろん、抜本的な対策には時間もコストもかかるし、意見の対立もあろう。そう簡単に決められる問題ではないということはわかっている。一方、日々現場では事故が起きたりしているわけで、何もしないわけにもいかない。今回の方針も、そうしたせめぎあいの結果であろうことは想像がつく。しかし、だからといって、自転車乗りの大半を占めるカジュアルサイクリストたちを危険にさらしていいというものではない。わたしが前の記事で、自転車の車道走行そのものについては取り上げず、歩道を走る自転車乗りの人たちに歩行者を傷つけるリスクをどのように自覚し行動に反映してもらうかという観点から書いたのは、そうした考えからだった。

「強者」かつ「弱者」である自転車

もし、自転車の走行に関して、今回のような大きなルール変更を「本気」で行うのであれば、安全の観点から、自動車との関係で生じるリスクを無視するわけにはいかない。前の記事で紹介した表をもう一度貼っておくが、なにせ、自転車が関係する交通事故のうち8割強は対自動車事故であり、そこでは自転車はまぎれもなく弱者であるからだ(表1)。

表1:自転車関連事故の相手当事者別交通事故件数の推移 *警察庁

事故はさまざまな年齢層のサイクリストに起きているが、そのなかでも比較的多いのは若年層と老人であり、そのほとんどが、上記の分類でいうカジュアルサイクリストであろうことは容易に想像がつく。地域でいえば、当然ながら自動車も自転車も多い大都市での事故件数が多く、なかでも事故発生場所は交差点など一部に集中する傾向がある。危険な場所、危険な状況の具体的な姿を、都市に暮らすものであれば誰でも思い浮かべることができるだろう。子どもや老人を含むカジュアルサイクリストたちを、そうした現在のような危険な車道に「追い出す」のは、どう考えても非現実的だ。だからといって、ただ必要に応じて歩道走行も柔軟に認めるというだけでは、現状と変わりがない。

となれば必要なことは、大都市圏の自転車を、「車道を走行するもの」と「歩道を走行するもの」の2種類に分類し、それぞれで交通安全を高めるための方策をとっていくことではないだろうか。子どもや老人など、対自動車事故で犠牲になりやすい層のサイクリストについては、歩道走行を中心に考える方が現実的だ。一方、それ以外のサイクリストには車道を走行してもらい、同時に車道における交通安全対策をとればよい。

歩道に自転車が残るのでは、歩行者が依然として危険な状態に置かれるという意味で、現在のやり方とそう変わらないが、そのままでは困る。歩行者の立場からすれば、歩道は今より安全かつ快適な場所になってほしい。これまでのように、歩行者が肩身の狭い思いをしながらおっかなびっくり歩道を歩くような状態がつづくのはごめんだ。そのためには、小さい子どもや老人は別として、いま歩道を走っている自転車のかなりの部分には、車道に下りてもらう必要がある。そうした多くの自転車にとって車道が危険な状態だとなれば、まずそこから手をつけなければならない、ということだ。

つまり、もし自転車の車道走行を「本気」で守らせたいのであれば、歩道上では「交通強者」でも車道上では「弱者」となる自転車だけに負担をしわ寄せするのではなく、車道において自転車が安全に走行できる状態を実現すること、すなわち問題の抜本的な解決をめざした「本気」の取り組みを行うべき、というのがこの記事の主張だ。自転車が安全に車道を走行できなければ、歩道の危険も残ることとなろう。もちろんこれは、言うは易し、行うは難しというわけで、現実には困難だとされてきた。そもそも抜本的な対策が難しいから現在の状況があるわけで、これまでと同じ考え方をしていたのでは、あまり進展はない。

自動車を不便にする、という考え方

しかし、ここで暗黙裡の前提条件になっているものがある。自転車のための交通環境の整備によって、自動車の通行を阻害してはならない、という点だ。自動車は物流など、経済活動に直結した使われ方をしているから、これを阻害すれば経済に悪影響がある。だから自動車の事情を優先しよう。そんな配慮だろうか。もし「本気」なら、ここにこそ踏み込むべきだ。少なくとも大都市においては、公共交通機関など代替の交通手段がかなりの程度整備されている。あくまで原則論としてだが、少なくとも大都市においては、自動車はいまより多少使い勝手が悪くなってもいいのではないだろうか。逆にいえば、自動車を少々不便にする覚悟もなしに、自転車に負担をしわ寄せするような、安直な対応をとるべきではない、ということだ。

事実上の与件となっていた「自動車を妨げない」という制約が取り払われ、自動車の走行をもう少し不便にしていいということになれば、打てる手は格段に増える。自転車レーンをつくることも、これまでのようにごく一部での言い訳のような実施ではなく、車道の車線数を減らしたりするなどの対応も含めた大規模な実施が現実的な策として視野に入ってくるだろう。

自転車の対自動車事故でもっとも多いのは信号のない交差点などでの出会い頭衝突だが、信号が整備された大きな幹線道路であれば、信号無視は比較的やりにくい。自転車、自動車双方のマナーにもよるだろうが、こうした道路に自転車レーンが整備され、快適に通行できるようになれば、出会い頭事故の防止につながるのではなかろうか。その次に多い、交差点での左折・右折時の事故も、いわゆる歩車分離式信号機を増やすことで、少しは防げるかもしれない。

それらの結果生じるであろう渋滞の増加が、自動車側の負うべき負担ということになる。移動にそれまで以上の時間がかかるという意味で経済効率を引き下げるだけでなく、ガソリンの無駄な消費やそれによる大気汚染もあるかもしれない。またそれによって自家用車の需要が減少すれば、渋滞はそれほどひどくならないかもしれないが、逆に自動車産業への影響が気になるところだろう。

しかし自動車は、近隣地域で実用の足として走りまわるだけでなく、遠出の際に使われるだけという場合も少なくないし、あるいは単純にステータス・シンボルとして保有されている場合もあろう。東京都によると、都内の自動車のうち自家用車は、排出CO2量によっても、走行量によっても、おおむね全体の1/4程度を占めるらしい。それが多少でも減れば、渋滞の増加も少しは抑えられるだろう。また、たとえば都内であれば、高速道路や自動車専用道の整備もあって、一般道路の自動車走行量全体は減少傾向にあるようだ。また、折しも、都市部の若年層を中心に、自動車を持たないライフスタイルが勢力を伸ばしつつあるという。全体として、都市部の一般道路が多少走行しにくくなったとしても、その影響はかつてほどではなくなってきているかもしれない。

日本自動車工業会「2009年度乗用車市場動向調査の概要」

http://release.jama.or.jp/sys/news/detail.pl?item_id=1434

M1F1総研「若者のクルマ離れに関する検証」

http://www.m1f1.jp/m1f1/files/report_070228.pdf

また、走行の障害になりやすい路上駐車も、自転車が多く走行する道路での取り締まりをさらに強化すべきだろう。この点に関しては、自家用車だけでなく、輸送のため店舗の前に停められる輸送用車両なども影響を受けることになるはずだが、時間帯を区切って駐車規制を行ったり、最近の宅配便のように手押しの車を使ったりする等、「本気」ならいろいろと工夫の余地はあるはずだ。車線を減らすことも視野に入れるのであれば、パーキングメーターなどの路上駐車施設を増設するといった対応も、やりやすくなる。ETCによる駐車料金の決済などもすでに実例があるので、パーキングメーターへの応用も考えられよう。そのくらいの「本気」度を示して初めて、堂々と、自転車乗りの大半を占めるカジュアルサイクリストたちに、車道を走行せよと迫ることができるのではなかろうか。

よりよい道路の使い方を求めて

前の記事からの繰り返しになるが、わたしは基本的に、歩行者の立場から発言しているつもりだ。歩行者の安全を考えれば自転車の安全を考えざるを得なくなり、自転車の安全を考えれば自動車にある程度我慢してもらわねばならないのではないか、と主張しているわけだ。しかしこれは、歩行者vs自転車vs自動車といった対決の図式ではない。自転車に乗る人も自動車に乗る人も、そして歩行者も同じ人間であり、ときによって立場は使い分けられる。たとえ自動車の運転をしない人でも、自動車による恩恵を受けながら生活している。

そうであれば、この問題は、利害を異にするもの同士の争いではなく、わたしたちが社会全体として行う選択、つまりわたしたちがかぎりある道路をどのようなバランスで使ったらもっともよいか、という観点での選択ということになる。社会や技術が変われば、それまでなじんできた制度やしくみであっても、見直していくべきだ。

これまで自転車は、生活者としての歩行者と、産業に近い立場の自動車のあいだにあってその性格づけがあいまいなまま、なかば放置されてきた。しかしいまや、日常の足として定着し、環境や健康など、新たな価値観からその意義が高まっているのであるから、もうそろそろ、道路の上でも「居場所」を確保すべきときではないか。そして新しい「バランス」は、自転車にこれまで以上のルール遵守を求めると同時に、少なくとも都市部においてかつてほどの重要性を持たなくなった自動車という乗り物を多少不便にして、「弱者」として歩道上でも危険にさらされてきた歩行者の安全により配慮することによって、実現するのではないだろうか。

推薦図書

いわずと知れた、経済学界の重鎮である。もともと公害・環境問題などへの積極的な発言で知られているが、反グローバリズム的なお立場でもあって、最近も反TPP運動で活躍されるなど、お達者であるらしい。本書は自動車が社会に与える影響、なかでも市場メカニズムの外で与える外部不経済(ここでいう社会的費用)を経済学的に考察したものである。

本書では、その社会的費用を自動車1台当たり年間200万円と試算しているが、書かれた1974年当時といまとではいろいろな条件が違いすぎるし、そもそも計算の根拠となるものの考え方についてもやや偏りが感じられる部分があって、少なくとも現時点で直接参考になるようなものではないと思う。

しかし、こうした外部不経済がいわゆる「市場の失敗」の一種であることは認めざるを得ないし、それを内部化、つまり何らかの価格メカニズムに反映させて是正しようと考えること自体は、意味がある。ちなみに本書には、自転車についても、歩行者に危険を及ぼすといった社会的費用があり、そのために「専用のレーンを作るなり、スピードその他にかんする規制を設けて、社会的費用の内部化をはかることが、ある程度必要」としていて、前の記事、および今回の記事は、それと整合的な提案をしたつもりではいる。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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