2013.05.30
外国人を災害弱者としないために――多言語災害情報システムについて
防災情報は、すべての人に正確かつ迅速に伝えられ、正しく理解されねばならない。だが、日本語のわからない外国人が十分な情報を得られない「情報弱者」となり、実際の災害時に「災害弱者」となってさまざまな困難を余儀なくされる状況が発生している。本稿では、防災情報の重要性、および外国人への情報提供の必要性と課題について述べ、外国人を災害弱者にしないことを目指して開発された「多言語防災情報システム」を紹介する。
防災情報の重要性
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、地震発生から3分後に避難を促すために出された津波警報は『予想される津波の高さは岩手県と福島県で3メートル、宮城県で6メートル』であった。実際よりも大幅に低いこの予測が、逆に避難の足を鈍らせ、逃げ遅れや犠牲を招いたとされる。
気象庁は近年のおもな津波の到達時間から、地震後3分を目標に迅速性を優先して津波警報・注意報を出した。しかし、東日本大震災では揺れが3分以上つづいたため、途中までのデータによる初期予想では、実際にはマグニチュード9.0だった地震の規模を7.9と過小に推定し、津波予測も小さくなったのである。
東日本大震災で想定外の事態に対応しきれなかったことで、防災情報の正確さや適切な伝達の重要性を改めて示す結果となった。気象庁は、津波警報・津波注意報の区分を2013年3月7日に改正し、津波の高さ(m)の予想値を発表する方式に加え、マグニチュード8を超える巨大地震では、予想される津波の高さを数値で示さずに、「巨大」(大津波警報)、「高い」(津波警報)などと表現することとした。
防災情報には、気象警報・注意報、気象情報、海上警報、台風情報、洪水予報、土砂災害警戒情報、竜巻注意情報、津波警報・注意報、津波情報、津波予報地震情報、東海地震関連情報、噴火警報・予報などの防災気象情報に加え、緊急地震速報、避難指示・避難勧告などがある。さらに、防災情報は、災害予防のための平常時における防災教育・過去の災害の教訓・ハザードマップ(防災地図)・防災施設や避難所の周知から、災害の危険に対する注意喚起や防災行動を促す防災気象情報、災害発生時の避難情報、安否確認、救命・救急情報、救援物資・避難生活情報や復旧情報など多岐にわたる。
防災情報は、地震や津波の警報、その後の火災や救援、避難所、医療、食料、通信、交通など、どれをとっても人の生命にかかわる重要な情報であり、人種・国籍を問わず、迅速かつ正確に伝える必要がある情報だといえる。
多言語情報(外国人への情報提供)
在日外国人数は、2008年をピークに減少に転じたものの、2011年末で208万人に上り、1991年末の122万人と比べると20年間で1.7倍の大幅な増加を示しており、国籍も、中国、韓国、ブラジル、フィリピン、米国、ペルーなど多様である(法務省登録外国人統計)。また、訪日する外国人旅行者数も増加しており、2012年には 836.8万人を数えた(日本政府観光局「訪日外客数」)。
在日外国人や外国人旅行者への災害情報の提供は、日本語で提供される情報をたんに各国語に直訳するだけでは不十分な場合がある。たとえば、気象庁は現在、地震の揺れの大きさを震度階級(震度0, 1, 2, 3, 4, 5弱, 5強, 6弱, 6強, 7の10段階)で示すが、この「震度」は日本独自のものであり、外国人にはなじみがない。また、「地震」や「津波」そのものになじみがなく、情報を得てもどう行動すべきかがわからないケースもある。
東日本大震災時の外国人の状況
2011年東日本大震災のとき、東京においても、交通機関の麻痺による大量の帰宅困難者などの問題が生じた。2012年4月の東京都地域国際化推進検討委員会報告によれば、とりわけ外国人は、正確な情報を得ることが難しい状況のなか、大きな混乱が生じたことが各種調査で報告されている。外国人がどのような情報を必要とし、どのように入手しようとしたのかを明らかにし、「災害時における外国人への情報提供」をより効果的なものとすべきである。
調査報告によれば、来日まで地震未経験の在住外国人が約4割であり、東日本大震災で初めて地震を経験してパニックになったという人が多かった。また、日本語や日本の生活に慣れている人でも、発災時にはどうすればよいかわからなかったという人が目立った。発災時、6割近くの外国人が自宅以外の場所におり、約1割の人がその日帰宅できなかった。電車で帰ろうとしても、交通機関の運休状況を説明する駅のアナウンスが理解できない人が多くいた。徒歩で帰宅した人には、帰り道がわからず困った人が多かった。
また、家族や友人の安否や被災状況を知るために、携帯電話やメールで連絡を取ろうとした人が多かった。しかし、通信各社が通信規制を実施したことなどにより通信障害が起こり、約4割の外国人がうまく連絡を取ることができなかった。東京圏では、ツイッターやフェイスブックは比較的つながりやすく、それらを使って家族や友人に無事を伝えたという人が目立った。
災害情報の入手については、テレビやインターネットにより地震の情報を利用した人がもっとも多かった。平時から、相談は友人にするとしている外国人が多く、震災時も友人に相談して情報を入手した人が、テレビやインターネットに次いで多かった。地震後の行動としては、本国にいる家族の呼びかけや大使館の指示で、4分の1の外国人が帰国した。こうした行動をとった外国人は1年以上3年未満の滞在年数の人がもっとも多かった。一方で、約6割の外国人は帰国、引越し等をしなかったが、そうした外国人では10 年以上の滞在年数の場合が最多であった。
地震に伴って発生した原発事故では、さまざまな情報が流通するなか、日本政府より本国の情報を信頼した外国人が多かった。
災害時に外国人が必要とした情報は、地震情報や原子力発電所の事故情報が多く、水や食料がどこで買えるのか、計画停電の予定等の生活情報を求める相談もあった。小さい子どもを持つ外国人の母親からは、とくに放射能の影響を心配する声が多かった。震災発生後困ったことを訊ねると、「情報」に関する意見が多数あった。情報不足が問題であったことがわかった。
東日本大震災で外国人が経験した情報不足の実例として、「母国語の解説が無く、怖いニュース映像を見たため、とても不安になった。」「原発事故や放射能の専門用語が理解できなかった。」「説明書が日本語のため理解できず、友人に教えてもらうまで、1週間ガス栓が開けられなかった。」「買い占めの食料・水不足が理解できず対応が遅れた。」「計画停電のお知らせが読めず、エレベーターに閉じ込められた。」「日本語がよくわからず、インターネットを利用しないため、情報をうまく入手できなかった。」などが報告されている。
外国人を災害弱者としないために
在日外国人や外国人旅行者を災害時の情報不足によって「災害弱者」にしないためには、外国人への多言語による情報提供ルートの整備が必要である。また、日本人が学校や地域で防災に関する知識を学び、避難訓練などを実施してきたのと同様に、外国人を対象とした防災知識の普及と防災訓練の実施も望まれる。外国人を災害弱者としないための定期的な連絡会の開催や、外国人と地域の日本人が知りあう機会を日ごろから持つことへの支援が望まれる。
多言語災害情報システム
外国人への多言語による防災情報提供を目指したWebシステム「多言語防災情報翻訳システム」(http://ergo.itc.nagoya-u.ac.jp/mlis/mlistop.aspx から「防災情報」バナーをクリック)を紹介する。このシステムは、1995年の阪神・淡路大震災で、日本語の不自由な外国人が情報遮断状態におかれ、避難所への移動や生活物資の確保に多大な困難を余儀なくされたことから、緊急時に外国人が必要とする防災情報の各種を正確・迅速に多言語に翻訳するシステムをめざし、「多言語防災情報研究開発コンソーシアム(代表:名古屋大学宮尾克、岡本耕平)」(*)によって開発され、2005年にWeb上に無償公開された。地震や水害などの情報を含む防災情報をカバーする500以上の定型文がリストアップされ、日時、場所などをローマ字または数字で入力すれば、即座に4言語(日本語から、英語・中国語(簡体字)・ハングル・ポルトガル語の4言語)に翻訳できるテンプレート翻訳システムである。
(*)「多言語防災情報研究開発コンソーシアム」- Multilingual Disaster Information System Consortium/代表:名古屋大学情報科学研究科教授宮尾克、名古屋大学大学院環境学研究科教授岡本耕平、主な構成員:名古屋大学環境学研究科教授山岡耕春、英文情報誌アベニューズ代表佐藤久美、トライデントコンピュータ専門学校講師田中正造、レッツコーポレーション代表取締役後藤益巳、海外移住旅行社名古屋支店長稲垣達也。
カテゴリ別ワンタッチ選択機能を搭載し、地震発生前、地震発生、そして発生後の被害・救援から安否・相談まで、必要なカテゴリ別に分類して配置してある。利用者は、防災情報の重要なキーワードで検索、または、分類されたボタンから、翻訳したい日本語の文章を選択する。
日本語定型文内の、日時、地域などは、空欄またはメニュー選択になっており任意に変更可能である。
翻訳ボタンを押せば、英語・中国語(簡体字)・ハングル・ポルトガル語の4言語の訳文が生成される。訳文はあらかじめテンプレートとして用意されたもので、各国語に適切に誤訳なく訳されたものである。
生成した翻訳文は、そのままパソコンからE-mailで送信したり、MS-Wordなどのアプリケーションで再編集したりすることができる。生成した多言語の文章は、印刷して掲示したり、ファックス、インターネット、携帯電話、Webテレビ・ラジオなどさまざまなメディアで配布され得る。
このシステムは、現在、地震災害に関する、予知段階(注意情報、観測情報、警戒宣言、避難誘導、交通関係、金融関係、備え)、地震発生(地震発生、津波、余震、避難勧告、避難場所)、被害・救援(被害状況、火災、消火救出、医療、物資配布、給水、ボランティア)、生活情報(トイレ、入浴、ゴミ処理、金融関係、販売、学校、気象情報)、交通・ライフライン(電話・インターネット、電気、ガス、水道、道路、鉄道・バス、航空・船舶)、安否・相談(安否情報、相談窓口、住宅、罹災証明、入管)に関する文章に対応している。
このシステムによる翻訳を活用すれば、翻訳ができるスタッフが確保できない緊急時でも、地方自治体が、地域の状況に即して必要な防災情報を、在留外国人や外国人旅行者向けに迅速・的確に提供できる。
システムの応用と今後
前述のように、外国人を災害弱者としないためには、平常時から外国人と地域の日本人が知りあう機会を含めた情報提供も必要である。現在、このシステムは、在日外国人の地域での生活情報(http://ergo.itc.nagoya-u.ac.jp/mlis/mlistop.aspx から「生活情報」バナーをクリック)や、外国人旅行者向けの観光情報(http://ergo.itc.nagoya-u.ac.jp/mlts/mltstop.aspx)にも応用され、多様な情報提供に利用可能になっている。
なお、本システムを開発した「多言語防災情報研究開発コンソーシアム」は、今後も同システムの充実と応用を進めていく計画である。このようなシステムは、必要な語彙やカテゴリを増やすことで多様なニーズ(生活・観光情報の他、地震以外の災害や医療支援など)に対応するシステムに応用可能なだけでなく、今後、たとえば日本の防災情報や災害対策のノウハウを、アジア諸国をはじめとする日本以外の国での津波や地震の対策に役立てていくために活用できる可能性がある。国籍や言語、文化の違いにかかわらず、災害の犠牲を減らすために、各地域や状況に応じた多言語情報システムの構築と活用が望まれる。
プロフィール
長谷川聡
名古屋文理大学情報メディア学部教授。1964年生まれ。名古屋大学大学院情報科学研究科修了。博士(情報科学)。島津製作所勤務を経て短大・大学で情報教育に従事。iPadなどタブレット端末や情報システムの教育活用、モバイルシステムの応用と人間工学評価。モバイル学会理事。著書:『よくわかるC言語-イメージと例題で理解する』(近代科学社)、『蛍光分光とイメージングの手法』(共著、御橋廣眞編,学会出版センター)。
宮尾克
名古屋大学大学院情報科学研究科教授。1977年名古屋大学医学部医学科卒業。医師免許取得。1982年同大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。ユーザビリティ、3D・立体映像、モバイル人間工学、電子ペーパー、多言語翻訳システム、産業医学、社会医学、医学統計学。モバイル学会副会長。多言語防災情報研究開発コンソーシアム代表のひとり。著書:『現代のコンピューター労働と健康』(かもがわ出版)他。