2013.06.18
TPPが日本の水産業に与える影響について
「TPPで日本の水産業にどういう影響がありますか?」と質問される機会が多いので、私見を書いておきます。結論から言うと、「日本に安い輸入魚が殺到して、魚の値段が下がって、国内の水産業が衰退する」というような事態は起こりません。その理由は以下の通りです。
1)水産物の関税はすでに低い
現在の水産の関税は3.5%~7%程度です(http://www.customs.go.jp/tariff/2013_4/data/i201304j_03.htm)。
日本の水産物はもともと輸出産業だったので、外から魚が入ってくることは想定しておらず、関税が低く設定されています。何百%という関税で守られている農業とは、そもそも現状が違うのです。
日本が外国から魚を買うときに問題になるのは、関税よりもむしろ為替です。円・ドルのレートは2007年に1USDが120円だったのが、2012年には1USDが80円まで円高になりました。日本から見れば、北米の魚は3割安で買えるようになったのです。それで水産物の輸入が増えたかというとほぼ横ばい。それなのに、関税を無くしたとたんに、山ほど輸入魚が入ってくるというのは、あり得ない話です。
●水産省「(3)水産物の輸出入の動向」:http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h23_h/trend/1/t1_2_1_3.html
2)購買力が低下した日本は、水産物争奪戦に負けつつある
近年は世界的な魚価の値上がりによって、日本の水産物の輸入量が減少しています。ここ数年は、空前の円高によって、首のかわ一枚でつながっている状況。世界規模での水産物争奪戦が繰り広げられているのに、日本は蚊帳の外なのです。バブル期ならいざ知らず、購買力が低下した今の日本に、世界の水産物が集まるようなことは、あり得ません。
実際に、水産の貿易に携わっている人と話をすると、「TPPで安い魚が日本にどんどん入ってくることはあり得ない」ということで意見が一致しています。誰が書いたかしりませんが、こちらの回答がわかりやすいです。私もほぼ同感。
●教えてgoo!「TPPに参加すると水産業はどのような影響があるか」:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6325459.html
「TPPで日本の水産業が大打撃」という主張の根拠
「TPPで日本の水産業が壊滅的な打撃を受ける」と主張するひとが、良く引用するのが次の資料です。
●農水省の括的経済連携に関する資料:http://www.maff.go.jp/j/kokusai/renkei/fta_kanren/pdf/rinsui_hinmoku.pdf
「関税を撤廃したときに国内産業がうける影響を積み上げていくと、4200億円になる」という内容ですが、輸入先がTPP加盟国に限定されていないので、この試算をもって「TPPの影響」とするのは妥当ではありません。残念ながら、この4200億円をTPPの影響試算として使った人は、少なくありません。これ(http://www.shinohara21.com/blog/archives/2011/01/tpp_1118_201115_1.html)とか、これ(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ssa/ssk/TPP_QA2.pdf)とか、これ(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-12/2011011204_02_1.html)とか。
農水省は、TPP加盟国に絞った影響試算結果を今年の3月に発表しました。
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/pdf/2013/3/130315_nourinsuisan-2.pdf
平成22年11月に公表した全世界を対象に関税撤廃した試算では、農林水産物の生産減少額を4.5兆円程度と試算。これと同じ方法で、TPP交渉参加11ヶ国に対して関税を撤廃した場合の農林水産物の生産減少額は、3.4兆円程度となるようです。水産分野はこんな感じ。
どう変わったかを見てみましょう。まず、サバのところから、ノルウェーという文字が無くなりました(ノルウェーはTPPと無関係)。TPP加盟国から輸入実績が無い品目については、ゼロになりました。そして、TPP加盟国から輸入実績が少しでもあるものは、一律9割になりました。
微々たる関税を無くしたら、国内のシェアが3割~6割も奪われるというのも凄い話ですが、現在のシェアに関わらず、つまり、関税を撤廃したときに入ってくる水産物のシェアは、TPP加盟国が9割というのも無茶苦茶です。
サバについて見てみましょう。TPPによる生産量減少率が30%というと、約15万トン程度ですね。ノルウェーのサバは大量に入ってきていますが、TPP加盟国で輸入実績があるのは、カナダのみ。それも日本のサバ輸入量全体の1%にも満たない水準です。そもそも、2007年から30%以上円高になっても、ほとんど入ってこなかったカナダのサバが、TPPによって大量に輸入されるようになるとは思えません。2012年のカナダのサバの輸出量は、全体で2000トン弱(http://www.dfo-mpo.gc.ca/stats/trade-commerce/can/export/xsps12-eng.htm)ですから、日本の巻き網の1回の水揚げぐらい。漁業の規模自体が小さいのです。
さらに、理解不能なのが「いわし」です。これはおそらくマイワシだと思うのですが、日本のマイワシの生産金額(2001-2010平均)は80億円程度なのに、どうやって230億円の生産減少になるでしょうか。マイワシの冷凍設備をもっているのは米国とメキシコぐらい。現在の輸入実績は、3600トン、3.6億円です。2000年前後にマイワシの国内の漁獲生産はほぼ途絶えた状態ですら、ほとんど輸入されてこなかったマイワシが、今後も入ってくる可能性は低いでしょう。
私の目から見ると、この試算は、あまりにもお粗末です。「相手国の資源も産業も考慮せず、とにかく数字を膨らませました」という印象ですね。
TPPが漁業者に与える影響は軽微と思います。では、TPPが水産分野に影響が無いというと、そうではありません。TPPに関する、俺の最大の懸念は、食の安全です。TPP参加国が、日本では許可されていない薬物を利用して養殖をしているケースがあります。該当国で利用許可がでているなら、輸入を禁じることはできません。「TPPの枠組みの中で、どうやって消費者の食の安全をどう守るのか」というのがTPPを進める上で重要な論点なのですが、そっちの議論はほとんど見かけません。
結論
TPPでも水産物の輸入はそれほど増えないし、価格も安くならない(生産者のデメリットも、消費者のメリットも、あまりない)
食の安全、特に養殖物の安全性をどの様に担保していくかが重要な課題 (食の安全について、ちゃんと議論すべき)
●本記事は「勝川俊雄 公式サイト http://katukawa.com/?p=5295」からの転載です。
サムネイル:『DSCN1933.JPG』patchanism
プロフィール
勝川俊雄
1972 年、東京生まれ。三重大学生物資源学部准教授。東京大学海洋研究所助教を経て、2009年より現職。専門は、水産資源管理、水産資源解析。日本漁業の改革のために、業界紙、インターネットなどで、積極的な言論活動を行っている。