2013.11.20
『安全・安心』を超える〈価値〉とはなにか――危機を転機に変えるために
2013年3月31日に開かれた、復興アリーナ(WEBRONZA×SYNODOS)主催シンポジウム「『安全・安心』を超える〈価値〉とはなにか――危機を転機に変えるために――」。経済学者飯田泰之氏を司会に、波大学大学院人文社会学系准教授の五十嵐泰正氏、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任助教石井秀樹氏、農家兼野菜ソムリエ藤田浩志氏、「いわきの子供を守るネットワーク」「子ども未来NPOセンター」代表團野和美氏の五名をお迎えしました。毎日口にするものだからこそ、安全安心は非常に重要な「食」。「食」が提供できる価値は安心安全だけなのか、各パネリストが安全安心を超える「食」の価値を模索する。(構成/小嶋直人)
はじめに
飯田 さて第二部では、第一部の基調講演でご講演いただいた石井秀樹さん、五十嵐泰正さんに加えて、郡山市で農家をやられており、また野菜ソムリエとしても活動されている藤田活志さんと「いわきの子供を守るネットワーク」「子ども未来NPOセンター」の代表を務められている團野和美さんをお迎えして、ディスカッションを行っていきたいと思っています。
まずはお二人に簡単に自己紹介をしていただきたいと思います。
藤田 こんにちは、福島県で農家をやっている藤田と申します。わたしは8代目の農家で主にコシヒカリやひとめぼれなどのお米や酒米などを作っています。また昨年からは、福島県の新品種「天のつぶ」も作付けをはじめました。また野菜も育てていまして、靜御前から名前をいただいた、御前人参、このニンジンは郡山のブランド認証も受けておりますが、こういった野菜も生産しております。
また私は震災以前に野菜ソムリエの資格を習得しました。というのも、加熱すると美味しいシシリアンルージュというトマトを栽培していたのですが、いくら料理研究家にお話をしても、なかなか加熱する調理法が浸透せず、むしろトマトサラダにされてしまっていて(笑)。野菜ソムリエとして発言すれば、ちゃんと話を聞いてもらえるんじゃないかと思ったんです。まあ、あと女の子にモテたかったというのもあるんですけど(笑)。
この2年間、これからの福島の農業は、黙々と生産していく姿をみせていなかなければいけないと感じています。今わたしは「ふくしま新発売」という事業を行っているのですが、この事業は県が行ったモニタリング検査をウェブサイトで検索できる、というのがメインコンテンツにあります。これまでに合計でおよそ7万件のデータが集まり、200以上の品目を地域ごとに検索できるようになっています。もうひとつ、情報員として在籍している一般の方がそれぞれの視点で生の声を発信するというコンテンツもこの事業のメインコンテンツです。
なぜわたしがこの事業に携わっているかというと、震災直後から福島の農業は、データ、そして前向きな物語と悲劇の物語でしか伝えられてこなかった。しかし実際は、それぞれが違う環境のなかで、それぞれの思いを抱いている。わたしはそのリアルな情報を発信したいと思ったんです。
いまでこそ「ふくしま新発売」というネーミングは評判がいいのですが、当初は大バッシングを浴びました。Googleで「ふくしま新発売」と検索すると、検索候補に「笑わせるな」が出てくる。この事業は2011年の8月11日に始まったのですが、「いきなり売り込む気満々じゃねえか」と批判もされています。観測データを公開することが事業内容なのに、です。
最近はこの名前をほめてくれる方もいるので、タイミングにあわせてネーミングすることが重要なのだと思います。この二年で、私もいろいろなことを考え、変わってきました、そんなことをお話できればと思っています。
飯田 ありがとうございます。日本では、農業は一種特別な扱いを受ける産業です。だれもが仕事をしてお金を稼ぐように、農業をしてお金を稼いでいるのに、一種の聖職者のように取り扱われる。かつては「農家がお金を稼いでいる」と知られると、なぜかバッシングを受ける風潮があったくらいです。
そして最近では被災地全体で同じような現象が起きています。たとえば、被災地が「被災地らしく」していると支持されるのに、立ち上がろうとすると「被災地をマーケティングのツールにしている」と叩かれてしまうことがある。このような話を聞くたびに、「いやいや、マーケティングのツールにしていいじゃないですか」と言うのですが、なぜか不謹慎だと言い返されてしまうんですね。
福島の農家は、「農家であること」そして「被災地」であることで起こりうるバッシングを上手にすり抜けていかなければいけない、とても難しい状況にある。
その一方、消費者のなかで、福島産品について最も気にされるのは子どもを持つ家族でしょう。團野さんには、福島、あるいは東北産の商品がどのように受け入れられていくのかといった視点を含めてお話をいただければと思っています。
それでは團野さん、自己紹介をお願いいたします。
團野 いわきの子供を守るネットワーク代表の團野と申します。よろしくお願いします。
福島県の農業は震災以前でも、右肩下がりで衰退傾向でした。それが震災の影響で、急降下していき、農家の方を苦しめていくことになりました。
風評被害だ、実害だと騒いでいる中で、廃業に追い込まれた農家さんもたくさんおります。私達は何の利害や縛りもなく子供を抱える母親という立場から、“子どもを守る”そして“故郷の未来を考える”時に欠かすことの出来ない、食の安全という生きるための根底について考えていく活動をしています。具体的には「いわきの食のフォーラム」という活動を始めました。食べる人と、作る人・売る人の間には大きなギャップがあります。作る人は「こんなに安全なのに」と思い、食べる人は「本当に安全なの?」と思ってしまう。それは当然のことだと思います。そこで、作る人、売る人、食べる人が一緒になって食の安全について考えていこうという活動です。
また市の委託事業として保育所の放射能測定をしています。いわき市内の食材を測定すると、高い数値はそれほど出ません。しかし保育所は、食品の8~9割が遠方の西日本・九州・北海道産を使用しています。最終的に地産池消を進めていきたいということは分かりますが、遠方の食材を測定し“安全”をアピールする現在の施策は方向性が違うように感じます。その場しのぎの安全の在り方(測定など)で得られるものよりも、その間に失われるものの大きさを考えてしまいます。
飯田 ありがとうございました。どうしても検査がどの程度の精度で行われているのかという不安、また農地に関しては、どの時期の検査値を使っているのかなど不安を消費者は抱いている。そのような不安を解消するために、線量の計測をできるだけ細かい区分けでしていくという方法があります。
しかしこの方法は、行政・地元の側からみて非常に難しい問題があります。ひとつが細かく区分けしていくと、問題のない農家と問題のある農家がはっきりとでてしまう。確かに消費者側はその情報を知りたいと思われるでしょう。しかし生産者側からすると一種の犯人捜しになりかねないことは避けておきたい。
このように両者の都合が相反するような状況で、石井先生がいま行われているプロジェクトはどのようなお考えをお持ちなのか、お話いただけますか?
石井 今の飯田先生のご質問はとても本質的なもので、大きなジレンマがあります。
福島大学ではJA新ふくしまと提携して、福島市内の全水田、全果樹園の放射能計測を一枚一枚毎に進めています。土壌の測定は際限なく細かくしてゆくと、個人が特定できてしまうし、その公開が難しくなります。際限なく測定を細かくしてゆけば良いものではなく、それが対策に結びつかなければ何の意味がありません。逆に対策を視野にいれながら、労力や時間を勘案しつつ計測をすることが必要でしょう。
福島大学の小山良太先生は、何らかの対策や行動を起こすためには、何よりもまず実態把握が重要だと言っています。どこが・どの程度汚染されているのかがわからなければ、暮らせるのか、農業ができるのか、どこから除染をしたらよいのか、全く計画を立てることも判断をつけることもできません。一方、汚染状況を明らかにするということは、風評被害を助長したり、不動産価格の低下につながると考える人もいます。けれども放射能計測をすることによって風評被害が生じたり、不動産価格が低下するのではなく、放射能計測などしなくても、既に風評被害はあり、そこを離れざるを得ない人が多いのです。
現実に汚染はしているわけですから、状況を打開するためにも、実態把握から始めよう。実態把握なくして何も方針は定まらない、「そこは譲れない!」という想いで、農地を計測する事業を展開してきました。
もう一つ考えていることは、この放射能計測を農業対策に結びつけることの重要性です。公害でも指摘されることですが、「被害者は被害を隠したがるし、隠さざるを得ない」側面があります。放射能計測をすることで風評被害が生じるだけならば、地権者にとっては迷惑でしょう。逆に被害や損害の全容を明らかにするためにも、ポジティブな解決策を見出さなければならないと思います。健康診断をして病気があることが判明しても治療法がなければ、途方に暮れてしまうのと同じです。処方箋があるからこそ、人は健康診断を受けることができるのと同じです。
「検査」そのものが持つリスク
飯田 ありがとうございます。五十嵐先生にお聞きしたいのですが、細かい区分で検査すれば土壌の線量が明確になる。すると五十嵐先生の「ベクレルを表示することで汚染に意識を向けてしまう」というお話同様に、検査をし、数値を公表することで、人々が汚染に意識を向ける原因になりうると思うんですね。
線量を測る必要性を理解してもらい、公表することによるイメージの悪化をいかに軽減していくのか、についてコメントをいただけますでしょうか。
五十嵐 基本的には、先ほど石井先生がお話しになったように、処方箋をセットに計測をすることが重要なのだと思います。
柏市の場合、ホットスポット報道がされた当初、消費者はなぜ生産者自身が自主測定に及び腰なのか疑問を抱いていました。しかし生産者、つまり農家は地域の農業コミュニティの中で生きていますから、自主測定というような突出した行動をすることを警戒するんですよね。突出した行動で汚染が発覚したら地域の農業コミュニティ全体に迷惑をかける、下手をしたらもう住んでいられないかもしれない、つまり職も生活の場も失ってしまうかもしれない。決して放射能問題を軽視しているわけじゃないんだけど、周囲の目を気にして二の足を踏む人が多かったっていう事情が、消費者には想像がつきづらいものでした。
しかしきめ細かな測定をすることで、汚染範囲の確定と限定された範囲での対策をセットにし、放射能問題は回復不可能なカタストロフィではないことがわかる。加えて、アンケート調査結果からいま買い控えしている人は潜在的な柏野菜のお客様だと示せたことで、一歩目を踏み出せるようになりました。
そのうえで付け加えますと、まず細かく個別農場ごとに測定を行うことで、コストばかりの増える割にはメリットがない人と、手間はかかっても大きなメリットがある人の二つにわかれてしまうことが考えられます。食品の表示義務は「県産」が基本です。柏の農産物の場合、千葉県産で表示をすると買い控えされにくい。しかしホットスポットで知られてしまった「柏産」だとどうしても買い控えがでてしまう。
だから、JAを経由するなどして、「県産」表示で市場出ししよう出そうと思っている一般的な農家にとっては、細かく検査を行うことにインセンティブがありません。しかし柏市の農家には、地域名に加えて個人名までをだして、顔が見える直販をしている農家も多く、地産地消や都市農業という課題を考えると、まさに彼らが柏の農業の成長軸でした。しかし、その直販農家層が最も深刻な打撃を受けていて、彼らはリスクを負ってでも細かく検査をして数値を公表する必要がある。わたしたちは、彼らが目指すべきマーケットに対応した測定方法を構築して、そこを支援することができましたが、別の農家によってはそうなるとは限りません。「農家」とひとくくりにはできないんですね。
このような状況では、行政はある一部の農家層の利益になるような検査、そして情報公開は行えないでしょう。そうしたとき、行政の一律の検査体制を批判するだけではなくて、柔軟に動ける私たち民間が、必要だと思うところに特化したやり方でそれを埋める。そうした官民の補完関係の構築が求められているのではないかと思っています。
行政の壁
飯田 行政には平等原則がありますが、たとえば農家一人あたりの補償額が同じであれば平等かというと、そうとはいえません。直販モデルか、兼業か専業かなど、状況によって被害状況は異なります。
行政の平等原則が、本質的な平等ではないかもしれないという問題は、農業だけの問題ではないかもしれません。團野さんは子どもを対象にした事業を行っていますが、このような行政の限界、壁を感じることはありますか?
團野 ありますね。各地で行われた農業の販売促進キャンペーンは、特定の農家が中心になって行われていました。そのあいだに小さな農家はどんどん苦しくなっていく。行政に訴えてみても何も解消されません。さらには助成金の奪い合いまで起きてしまった。行政と一部の生産者・販売業者のあいだで進められる施策に消費者が入る余地なんてありませんでした。世論も声の大きい人の思いが“正”とされる感が強いように感じますが、そこを考えない限り、何も進まないのではないかと思います。
コミュニティにおける一次産業の役割
飯田 なるほど。補助金の分配はどれだけ公平を期しても全員が納得というわけにはいかない。簡単に言ってしまうと、すごく補助金が取りやすい事業と、そうでない事業があるということです。僕自身も補助金の審査をしたことがありますが、どうも「ウケる」事業があるんですよね。それは必要性というよりも、行政側の監督やコントロールのしやすさによるというイメージです。
先ほどの五十嵐先生のお話で、農家はコミュニティで生きているという指摘がありましたが、東北地方はコミュニティ形成において一次産業の果たす役割は非常に大きいでしょう。漁師だと元網元とか、農家だと大百姓だとかが地域のコミュニティにおいて重要な地位を占めている。
震災後、農業を中心としたコミュニティに何か変化があったのか、それとも震災以前からの問題があったのか、藤田さんの方からコメントいただければと思います。
藤田 まず先ほど團野さんからお話があったように、福島の農業は震災前から衰退傾向にありました。その危機感は、震災と原発によって一気に現実のものになりました。
危機に追い込まれて、初めて動き出す人、知恵を出す人が増え、活動は活発になったところが多いです。非常に厳しい現実ではありますが、いままでなんとなくやらなきゃまずいよなあ、と思っていたことが、震災によって「いますぐやらなければいけない」ことに変わり、行動する人が非常に増えた。しかし残念ながら、将来を悲観して農業をおやめになる人もいました。「郡山市の農家はこう思っている」とは一概に言えないんですね。
前に進むためのお話をしますと、よく「行政がー」と批判される方がいますが、行政だって前例のないなかでがんばっています。だったら自分たちで前例を作ればいい。わたしたちはそれをやっているんです。
そのために最初にやったことは、なにもしない農場、ゼオライトを撒いた農場、カリウムを撒いた農場を比較してみたことです。それについては、どの農場の農作物からも放射性物質が検出されなかったので安心しましたが、とにかく安全性を確認し、そしてデータを蓄積することをわたしたちは始めたわけです。
ただわたしたちが本当にやるべきことは放射能に向き合うことだけではないでしょう。郡山市の農業を復興させ、うちらがイキイキしていくことなのではないでしょうか。
福島での六次産業化の可能性
飯田 2009年から2010年、東京では福島産の日本酒がブームになっていました。これは余談ですが、福島県産のお酒は、燗酒や常温で飲んでもおいしいので、わたしは福島県産のお酒が大好きです(笑)。
本題に戻りますが、六次産業化は農水省が非常に推奨しています。通常農家さんは、農協を通すと農家個人の名前が表示されないので、市場流通分には比較的良くない製品を出す。いまいちの品なので、安価で市場にしか出回らない。そういう負のサイクルがありました。一方、六次産業化をすれば、中身は良いが見栄えなどに問題があるB級品でも加工により、付加価値がつく。さらに加工により雇用も生まれるといういい循環ができる。そこで五十嵐先生にお伺いしたいのですが、柏市ではどのような加工に関する取り組みが行われているか、またはどのように加工のことをお考えでしょうか。
五十嵐 柏の六次産業化についてはすべてを把握しきれてはいないのですが、いわゆる大産地と比べて特産品に特化した産業集積がないので、加工に関しては遅れていると思います。県主導の会議が始まるなど、六次産業化への取り組みは活発になってきていますが。
象徴的な事例としては、円卓会議にも参加していただいた高級スーパーの「KEIHOKU」さんが、柏市の農家が作っているサンマルツァーノという加工用トマトを使ったトマトケチャップを売り出しているのですが、これは柏で採れたトマトをわざわざ四国で加工して、また柏で売っているんですね。食品の流通過程で一番付加価値がつくのは加工であることが多いわけですが、これでは地域内でお金が循環しませんから、大きな課題だと思っています。
飯田 地域内でお金をまわす、というのはひとつの重要な視点だと思います。地域毎に儲かる品目・品種というのが厳然としてあるんですよね。単一で、さらに加工をしてより利ザヤを確保できるような品目は、福島だとどのようなものがあるのでしょうか?
藤田 福島の農業は、器用貧乏なところがありまして、どの品目も優等生なのですが、全国ナンバーワンの作物がないんですよね。さやいんげん、桃は全国2位、お米に関しては全国4位など、入賞はするけど、表彰台には立てないんです。
これは豊かすぎてなんでも作れてしまうのが原因です。なにかひとつの品目に絞って生産をしてこなかった。こうした状況を変えるのは難しいですが、もしひとつに絞るとしたら、それはお米かな、と私は思っています。
やはりお米は、全量全袋検査が行われるようになり、一概に安全ですよとは言えませんが、これだけの数を検査していますと提示ができる分、他の作物よりも優位なんだと思うんです。まずはお米をモデルにプロデュースをして、他の作物でもあとに続けばいいんじゃないか、そう思います。
水質汚染に対する多角的なアプローチ
飯田 お米を育てるとなると、どうしても水の問題を考えなくてはいけないでしょう。土壌は同じ場所に留まっていますが、水は循環するので検査が難しい。作物の検査においても、水分の出入りがあるため数値も変化しやすい。石井先生はこのような不安定さは、どのように解消することができるとお考えでしょうか?
石井 おっしゃる通り水の計測は非常に難しいです。土壌ならば放射性セシウムが数千Bq/kg程度含まれています。食品ならば数Bq/kg程度の値が争点になりますね。一方、水の場合は天然にはなかなか存在しませんが、1Bq/kg程度の濃度でも作物への移行に大きな影響を与えてしまいます。またセシウムの存在形態もさまざまで、それぞれ異なる挙動をしますから、その分離と評価が難しいのです。
一方、水のセシウム濃度を調べることは重要だし、確かに農作物へのセシウムの移行を説明する一つのファクターなのですが、あくまで一つの要因にすぎません。イネだって、田植えをしてから収穫をするまで水を吸収することで、養分やセシウムが蓄積されてゆく。
環境内に存在する水を計測しても、それはあくまで一瞬の値であって、農作物には一定の時間をかけて蓄積してゆくわけです。水のセシウム濃度からイネのセシウム吸収を予測することよりも、全袋検査の結果と土壌診断の結果を踏まえて、セシウムの吸収が顕著な水田であれば、水のセシウム濃度が高かった可能性を疑うというアプローチもあるのだと思います。
いずれにしろ土壌や水の成分や放射性セシウム濃度から「フォアキャスト」で予測する方法と、検査の結果から土壌や水の成分や汚染状況を探索してゆくという「バックキャスト」の考え方が二つあるのであって、これらをうまく組み合わせて対策をとることが戦略的ではないかな? と思います。
あと藤田さんが、ひとつの品目に絞るならばお米だろうとおっしゃっていましたが、その意見に私は賛成ですね。お米は兼業農家も作ることが多いし、水田は地域の景観や原風景を構成するものですから、地域農業のシンボルです。お米の安全性が共有できなければ産地のイメージも改善しないと思うからです。そうしたシンボル作物のようなもの、福島ならばコメや桃などから重点的な対処をしてゆくことは非常に重要だと思います。
ゼロリスク志向のメカニズム
飯田 そこで團野さんにお伺いしたいのですが、いわき市内の給食では、西日本の産地の食材をつかっているとお話になっていましたが、なぜいわき産のものをさけているのでしょうか?
團野 行政や保育所は、万が一でたらどうしようと考えていたようです。
飯田 震災後、ゼロリスク志向のせいか、関東の学校は福島県の会津や岩手県の平泉のような内陸部、場合によっては出発本の関東地区より線量の低い地域への修学旅行をあいついでとりやめました。
そこには「なにかあったら困る」という視点と、行政らしい「ひとりでも嫌だといったら行けない」という発想があったのだと思います。
五十嵐 現代のゼロリスク志向については根深い背景がありますが、問題の社会的文脈により発動しやすくも抑えられたりもすると思います。今回のゼロリスク志向はSPEEDIの情報を公開しなかったこと、汚染状況がまったくわかってない時期から始めてしまった早すぎる「食べて応援」キャンペーンなど、震災直後の政府による対応の打ち間違いによって、政府や科学者という社会における重要なアクターへの信頼感が毀損したことに端を発しているように思います。公的な情報発信にまったく信頼感をおけないならば、ゼロリスクという極端な予防原則をとることが合理的な行動になってしまいがちです。
興味深い対称事例があります。ノルウェーは、チェルノブイリの事故でホットスポットとなった地域があり、そこでは福島県内で放射線量が高めの地域と同じくらいの線量でした。そんなノルウェーは、一般の食品の基準値を600ベクレル/kgに設定しています。しかも、ぼくも聞いて驚いたのですが、トナカイをはじめとした狩猟肉や淡水魚はもっと高い数千3000ベクレル/kgに設定されていて、さらに言えば、事故後8年間は狩猟肉の基準値は6000ベクレル/kgでした。
なぜかというと、狩猟肉や淡水魚なんて一般人はそう頻繁に食べるわけではない一方で、サーミの人たちの生活であり文化であるトナカイ遊牧は存続されるべきものである、というまさに放射線防護のメリットとディメリットの社会的な比較衡量から、こうしたかなり緩い基準が合意されているんですね。トナカイ肉を日常的に食べるサーミ人に関しては、トナカイ肉も一般食品と同じ600ベクレルという基準が設定されているのも、筋が通っていると思います。
この基準値の科学的な是非はともかくとして、ちょっといまの日本では考えられないような高い基準値で、なぜ社会的に合意できたのか。ノルウェーに視察に行った「福島のエートス」の方の講演を聞いたのですが、政府に対する信頼がものすごく高かったことが重要であるように感じられました。しばしば指摘されるように、北欧諸国ではオープンな社会参加を前提とした社会の一般的信頼がものすごく強い。政府にしろ、専門家にしろ、まずは信頼して耳を傾けることから入っている、というのは日本とは全く違った状況だったように思います。
さらにノルウェーにはもともと原発がありません。事故が起きたのはウクライナチであり、少なくとも国内的には責任追及という議論にはなりえませんから、脱原発とか、将来のエネルギー政策とか、賠償請求といった政治的な問題と最初から切り離された形で、純粋に科学的かつ社会的に放射線リスクを判断して議論が行われ、合意がなされたんですね。
これが、事故後の日本とノルウェーの展開がまったく違う理由だと思います。国内の主体である東京電力への責任追及が必要なこと、いまそこに原発再稼働の問題があることなど、置かれた状況が日本とは違いすぎるので、単純にノルウェーを真似ればいいとは思いませんが、ここには非常に大事な示唆がある。ゼロリスク志向は、不信感で加速する。いざというときに、政府や専門家、そして農家など自分と立場の異なる人の言うことがまったく信じられないとならないためには、平時からコミュニケーションとコミットメントを伴った多方面の信頼の束を、社会の中に醸成しておく必要があると思います。
今後の食のあり方
飯田 ありがとうございます。
そろそろお時間も迫っていますので、藤田さんと團野さんに、それぞれ生産者と消費者という立場で、今後福島でどうしていきたいとお考えか、また行政に対して何をしてほしいと思っているかお話いただけますか?
藤田 行政に対するお願いは特にありません。行政は柔軟性もなく、スピードも遅い。でもそれは仕方ないことで、そういうものだと達観をしています。
マスメディアは、「行政に対する不満はなんですか?」と対立を煽ることがありますが、わたしはまったく敵対するつもりはありません。行政の人たちもその土地に住む住人の一人です。そして自分の土地のことを真面目に考えている人が多い。ですから、われわれ農家は自分たちでできることはやるし、協力できることがあれば協力したい。
そしてもうひとつ、これから生産者としてなにができるかというと、まずいま出来上がった検査体制を維持し、ブラッシュアップすることでしょう。わたしたちが目指しているのは、福島県が世界でもっとも安全性を保障された農作物を出荷できる産地にすることです。
「安心・安全」は、生産者や行政が決めることがではありません。消費者が決めることです。わたしたちができることは、しっかりと計測をして、そして情報を公開することでしょう。さきほどゼロリスク信仰のお話がありましたが、福島県産のものを食べたくないというかたがいることは事実ですからこれは受け入れるしかありません。福島県産のものはおいしい、応援したいと言ってくださる方のために全力を尽くしていきたいと思っています。
飯田 では團野さん、「地産池消」の「消」の部分についてどうお考えでしょうか?
團野 そういう意味では、いま消費者の意識はたいへん低いですよね。
一方で風評被害は、解消できない不安によってもたらされるので、それをどう解消していくかというのをみんなで考えていきたいなと思います。きれいごとじゃなくて、“生きていかなければならない”という現実もふまえ現実を直視しながら進んでいかなければならないと思います。
飯田 ありがとうございます。被災地だけでなく、一次産業に従事している方にぜひ参考にしていただきたいお話がたくさんでてきたディスカッションになったかと思います。これから農家の皆さんがどういう方向を辿っていくのか、注目していきたいと思います。
(2013年3月31日 「安全・安心」を超える〈価値〉とはなにか――危機を転機に変えるために――より)
プロフィール
藤田浩志
福島県郡山市で農業を営む農家の8代目。野菜ソムリエとしても活動を行い、生活者と農業者の懸け橋となるべく講演活動を行いつつ、地元生産物の直売会を企画・運営。震災以降は福島県の復興過程を全国に発信する「ふくしま新発売。」プロジェクトの情報員として、県内を飛び回り福島の「今」を伝える記事を精力的に執筆している。「ほぼ日刊イトイ新聞」における糸井重里氏との対談「東北の仕事論。」も話題を呼んだ。http://goo.gl/wUk7F
團野和美
「いわきの子供を守るネットワーク」「子ども未来NPOセンター」代表。福島第一原発事故を受けていわき市からの避難・疎開希望者の支援活動や、各地の空間線量データの集約などの活動を行う。同時に行政と生産者との橋渡し役も担い、市民も参加した協働プロジェクトを立ち上げ、柏の「安全・安心の柏産柏消」円卓会議との連携も図っている。
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。
五十嵐泰正
筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。都市社会学/地域社会学。地元の柏や、学生時代からフィールドワークを進めてきた上野で、まちづくりに実践的に取り組むほか、原発事故後の福島県の農水産業をめぐるコミュニケーションにも関わる。他の編著に、『常磐線中心主義』(共編著、河出書房新社、2015)、『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(共著、亜紀書房、2012)ほか、近刊に『上野新論』(せりか書房)。
石井秀樹
1978年、埼玉県生まれ。京都大学理学部卒。東京大学新領域創成科学研究科博士課程単位取得退学。2012年3月より福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任助教、現在に至る。専門は造園学。著書に、『放射能汚染から食と農の再生を』、『環境と福祉の統合』など。