2012.12.12

地産地消のためのセカンドオピニオン 

五十嵐泰正 都市社会学 / 地域社会学

社会 #食品汚染#震災復興#「My農家を作ろう」プロジェクト#ふんばろう東日本

直販農家へのターゲティング

放射能のホットスポットとなってしまった千葉県柏市。この地で、農家・消費者・流通業者・飲食店が顔を合わせて、協働的な問題解決を試みた「安全・安心の柏産柏消」円卓会議。11月27日に当サイトで公開された記事「「My農家」方式の放射能測定がもたらしたもの」 https://synodos.jp/fukkou/925 では、円卓会議が採用したきめ細かな放射能測定と、自主基準値の意義について紹介した。

「My農家」プロジェクトが一定の成果を収めることができた大きな要因とは何か? そのひとつとして無視できないのは、巻き込んでいく農家にも、訴えかけようとする消費者に対しても、全方位的に目を向けなかったことだろう。

円卓会議のプロジェクトは「地産地消」という理念の確認からスタートした。当然ながら、このコンセプトからブレないかたちでターゲットを設定していくことになった。すなわち、消費者への直販を主軸に置き、どちらかといえば少量多品種の生産を行う中小規模の主業農家と、彼らの野菜の購買者層をターゲットとした。都市近郊という立地条件を考えると、ここが柏の地域農業のもっとも有望な成長軸になるだろうと、ストリート・ブレイカーズ(ストブレ)の数年間の活動からも確信していたからだ。

一般住民=消費者にとっては、抜群の鮮度で高品質、さらには大手の流通にはあまり乗ってこない特色ある少量栽培品種の旬の野菜を、地域の直売所・スーパーや野菜市で手軽に買えること、ときには農家に直接説明を受けながら買えたり、地域の飲食店で味わえたりすることは大きな魅力だ。

魅力ある地域の農業の存在が、住民の地域アイデンティティやシビックプライドの醸成にもつながっていくのだとしたら、こうした食をめぐる経験がシンプルに積みあがっていくことこそがその出発点となる。そうしたニーズとマッチングすべきは、生産効率を極限まで上げて規格化された「商品」を、市場や加工工場に大量に流通させる植物工場ではないし、また海外での生産に打って出るような大規模農場でもない。小規模でも地域の消費者に近い距離を保とうとする直販志向の農家なのだ。

一方、柏の農業者にとっても、直販はひとつの合理的な回答である。その理由の一端は、都市近郊であるがゆえの高コスト体質という宿命にある。

住宅地がスプロール的に広がっている都市近郊だけに、柏では各戸の農地が非常に細かく分散する傾向がある。農地をくまなく放射能測定してゆく中で、わたし自身あらためて驚愕したことだが、2~3ha程度の耕地面積を有する主業農家の圃場が、10~15箇所にも細分化されているケースも、決して珍しいことではない。数km単位で点在している10箇所以上の圃場を、軽トラックで巡回していく営農スタイルでは、いかに一戸当たりの耕地面積という意味では集積が進んだとしても、大型機械の導入による生産性向上を要する土地利用型農業(*1)で戦うことは至難だ。また施設園芸にしても、すべての圃場をシーズンごとに十分にケアすることすら難しくなる。

(*1)土地利用型農業とは、穀類や油糧作物など(稲、麦、大豆、そば、菜種、てんさい、でんぷん原料用ジャガイモ)を生産する、土地を直接的に利用して行われる農業をさし、政治的に強く保護されている主食のコメ以外はどれも自給率が低いことでもわかるように、広大な土地で大規模に生産することが重要になる。一方、野菜や果実、花卉などを集約的に生産する園芸の中でも、土地よりもビニールハウスなどの施設に投資して行う、高い技術で高度にシステム化された営農形態を、施設園芸という。

柏のような都市近郊においては、農家の競争・淘汰による農地集積・規模拡大と、生産性の向上や高収益性が必ずしも一致しない。そのため、別の方向での収益向上を考えなければならないのだ。

また、住宅地と隣接していることから必要となる住民への配慮も、高コスト体質になりがちな一因となる。農薬の空中散布のハードルがきわめて高いのを筆頭に、堆肥の匂いや土ぼこりでの近隣住民とのトラブルもしばしば起こり、農村部では考えられないような周囲に気を遣った営農が求められるからだ。

そして決定的なのが、都市近郊として宿命的な地価と税金の高さである。合併前の旧柏市地域(*2)は、利根川河畔の遊水地と、手賀沼畔およびそこに流れ込む大堀川の周辺を除けば、ほとんどすべての地域が市街化区域に指定されている。そのため、市街化区域に圃場がある農家も数多いが、三大都市圏に立地している柏市では、そうした農地は特定市街化区域農地として宅地並みの固定資産税の対象になる。

(*2) 柏市は、2005年3月に東南隣の沼南町を編入合併している。旧沼南町の面積は、現柏市の約36.5%に相当する。

営農されていれば宅地並み課税を免れる生産緑地制度もあるが、相続時などの家族内外の農地転用への圧力は当然ながら大きく、それをはね返して農業を維持していこうとするならば、農外収入が十分にある中での趣味的な農業か、小さな圃場で十分な収益を上げる高度化された営農をするしか道はない。

このように、構造的な高コスト体質につながる都市近郊という環境は、農家にとって確かに厳しいものだ。しかし、それは足枷としてのみ考えるべきものではない。むしろ、消費地との近接性という何よりの強みにもなりうる。農協や卸売りを通して市場に出荷すると、市況に左右されて値段が上下するため、スーパーで消費者が目にする単価の半分以下の値段で出荷する羽目になることも珍しくない。

それに対して、直売所に毎日梱包して持っていく時間と手間さえかけることができれば、自分の作った野菜をある程度主体的に値付けした上で、周辺人口の多い都市近郊では、かなりの売り上げと利益率を期待することができる。また、野菜の鮮度と食味さえ認められれば、かなり高めの単価で買い取ってくれる高級志向の飲食店も、柏には数多く立地しており、そこに日常的に納入できる距離にあることも直販農家に有利な点だ。

また、価格面だけでなく、卸し市場や大手の流通に出荷する際には、梱包や長距離運搬の効率性から厳格に要求される商品規格が、直売所や飲食店ではあまり重視されないことも大きい。曲がっていたり大きさにムラがあったりするものでも、高品質であれば高く評価されるのだ。希少な品種や尖った味を追求した野菜を、流通のタイムラグを考慮することなく、ベストなタイミングで出荷することもできる。大規模な農薬散布ができないことや、狭い圃場というマイナスポイントさえも、目と手間が行き届く面積というふうに考えれば、安全性と付加価値の高い減農薬・有機農法を志向しやすい条件でもある。

そもそも、直売所や地元スーパーの直売コーナーでは、一軒の農家にあまりたくさんのスペースを割くことはできないし、地域の飲食店もそう大量の野菜を仕入れるわけではないので、高品質で珍しい野菜を季節にあわせて収穫する少量多品種生産の農家が有利になる。

珍しいと言えば、生産者と購買者が市場を通さずにつながっていくことで、思わぬところに価値が創造されることもある。前回の記事で、放射能測定の際に、フレンチのシェフが市場に出回らない「育ち過ぎの」ホウレン草を注文した例を紹介したが、ほかにも、田畑にはどこにでも生えてくる厄介者の雑草「スベリヒユ」が、フレンチの付合せの「プルピエ」であることを、農場を訪れたシェフが発見し、レストランに出荷するようになった例もある。

このように、直販・地産地消というスタイルでは、効率化・収量と価格の競争ではなく、栽培技術力とアイディアの付加価値競争が生じやすく、規模拡大に限界のある都市近郊の環境には適合的なものだ。しかし、原発事故以降の打撃は、ほかならぬこの直販農家層にもっとも深刻な影響を与えてしまった。従来、地元野菜をもっとも熱心に購買していた層ほど、いわゆる食の安全に対する関心の高い層であり、今回の放射能問題を経て地元野菜を買い控えする傾向が顕著だったからだ。

しかも、田植えと稲刈りのときだけ休みを取れば何とかなるために、副業的農家が多いコメ農家と違って、直売所に野菜を朝持っていき夕方に持ち帰るといった手間をかけている直販農家は、主業農家比率が高い。そのため、売り上げ減や価格低下は生活に直撃する。そして、一部の消費者の無遠慮な言葉にも晒され、傷ついたり悩んだりするのも、消費者と向き合う機会の多い彼らだ。

一方で、JAなどを経由して市場に出荷された野菜は、柏のどこかのJAのマークが貼られればいいほうで、誰が作ったという情報などは一切添付されずに、表示義務としては「千葉県産」という枠で市場に流通していく。会津やいわきの生産者が、地域の放射線量がさほどのものでなくとも「福島県産」として激しい「風評被害」や価格下落をこうむっているのと反対に、「千葉県産」というくくりになると、柏市産の農産物もほとんど打撃を受けることはなかったのだ。

にもかかわらず、現状での生産者に対する補償の体系は、個人で販路を開拓してきた直販農家に著しく不利なものになってしまっている。東京電力は基本的にはJAを第一の交渉相手としていて、JA経由の出荷実績がどれだけ減少しているかで補償額を決めているからだ。

JAを経由した東電からの補償金は、それぞれの作物の価格下落率を県単位で算出するかたちで、柏の農家に対しても、2011年秋にはすでに第一回目の入金がなされている。その金額は、耳にする範囲では10~15万円程度のことが多く、決して大きな額ではないが、ちょっとした臨時収入と思えなくもない。

それに対して、JAでの出荷実績が中心でない直販農家は、どれだけ売り上げが減っても自分で記録して、自分で交渉しなければならない。仮に補償にこぎつけたにしても、柏産で勝負している人が県単位の下落率からの算定では納得しにくいし、自主的に出荷を自粛した分や自主検査費用などは基本的に補償されない。

しかも、補償の要求には、一品目ごとに膨大な事務コストをかけて煩雑な書類を提出することを要求される。昨冬以降、東京電力も市に催促されて個別農家向けの補償の説明会をようやく開いているが、多い場合には100品目以上にのぼるような少量多品種生産をしている直販農家にとって、その膨大な書類の束は、補償請求を断念させる嫌がらせのようにしか映らなかったという。

今後の近郊農業の希望であった直販農家が、売り上げも大きく減っているのに、補償も十分に見込めず、消費者から心ない言葉を投げられて傷ついている。

円卓会議が、「My農家を作ろう」プロジェクトのターゲットをここに絞るのは自然なことだった。逆に言えば、それ以外の農家は、個別農場の情報を公開するというリスクを取り、手間もかけて自主的に放射能を測定すること自体にあまり意味を感じないし、消費者と協働的に安全確認をするというコンセプトなど、ふだん直接に消費者とやり取りする機会のない農業者には、まったくピンとこないものだっただろう。

すなわち、市内すべての農家に「My農家」方式の測定への賛同を得ることなど不可能。メリットを感じた農家からだけでも、やれるところから始めればいい。それを突破口として柏産農産物への全般的な信頼回復につなげていければ、というのが円卓会議の一貫したスタンスだった。

官民の補完関係に向けて

円卓会議の事務局であるストブレが、長く頭を悩ませてきたことのひとつは、行政、すなわち柏市との関係だ。そもそも2011年6月時点の円卓会議の最初の構想は、行政と二人三脚で、地元農産物の安全確認と情報発信を行っていこうというものだった。その提案は、当時まだ放射能問題に及び腰であった柏市に断られた。そのため、翌7月に、純粋に民間の運動として円卓会議を立ち上げることになった。

当時の市民の行政不信を考えると、この選択は結果オーライであったと今でも思っている。とはいえ、それでもストブレは、当時から一貫して、行政と対抗して何かをしていこうと考えたことはない。それならば、柏市農政課も7月末から市産農産物の測定と情報公開を開始した中で、あえてそこに屋上屋を架すようなことをなぜ始めたのか。

端的に言えばわたしたちは、行政と円卓会議は「得意なことに機能を住み分けた上で相互補完」する存在と考え、「My農家」方式による測定と情報発信は、「特化されたセカンドオピニオン」として位置づけていた。

ここでもポイントとなるのはやはり、円卓会議はあくまで一部の農業者にターゲットを絞り、彼らの営農に適合的で、かつその未来につながるかたちで測定メソッドと情報発信を組み立てようと考えてきたということだ。繰り返しになるが、円卓会議がターゲットとしたのは、近郊農家の未来と住民にとっての便益を考えたら、もっとも有望であるにもかかわらず、原発事故後にもっとも深刻な打撃を被っていた直販農家層である。

こうした一部の農業者、柏市全体から見れば決して数的なマジョリティではない層へのターゲティングは、民間ならでは、というよりも、民間にしか許されない発想である。地域の直売所や農家を紹介した『となりの農家』というパンフレットを制作したように、柏市もこうした地産地消志向の直販農家層に期待をかけ、彼らを育てていこうという意識を強く持ってはいる。しかし、行政はあくまで市内のあらゆるタイプの農業者に目配せしなければならないし、またそうあるべきものだとわたし自身も考えている。

さらに、市による検査は、放射線防護学の手続きにのっとって標準化された形式――それが消費者にとって納得できるものであるか、産地の選択を前提にしたとき「風評被害」の克服に有効かどうかはともかく――で、国-都道府県-市町村と、一貫した体制の一部を構成している必要がある。そして、ひとたび基準値を越える農産物が出てしまったら、市町村全体の当該品目の出荷停止が必要となる行政による検査の「重さ」を考えると、より厳しい基準値や、「圃場中でもっともリスクの高いポイントの農産物を安全確認する」という考え方を採用しづらいのも、十分に理解できる。

行政には行政の役割と機能があり、その情報発信で市産野菜の安全性を納得する消費者に関しては、それはそれで望ましいことだ。2011年の夏から始まった柏市農政課による放射能検査を否定するつもりは一切ないし、実際にわたしたち自身、そのデータの蓄積をつねに参考にしてきた。

しかし、確実に存在するそれでは納得しきれない消費者層をターゲットに、プラスアルファのセカンドオピニオンとして、柏でもっとも頑張っている農業者たちからの戸別の情報発信をアシストしたい。もちろん、それでもなお、柏産農産物に手を伸ばそうとしない消費者層がいることは最初から承知しているが、農家の姿勢を示すことが少しでも誰かの納得と購買につながればいい。わたしたち円卓会議がしようとしてきたことは、それ以上でもそれ以下でもない。

行政との補完関係を志向するこうした円卓会議のスタンスは、行政の対応への不満から出発し、行政へのカウンターを目指して展開していった震災後のある種の市民運動とは、一線を画そうとしたものでもある。たとえば、「ふんばろう東日本」(*3)という非常に高く評価すべき被災地支援プロジェクトがある。

(*3)「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に関しては、西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』ダイヤモンド社、2012年を参照のこと。ここで触れている「公平性」という行政の足かせについての西條の考えは、同書283~285頁の「公平主義からの脱却」で言及されている。

被災地で孤立している個人宅や小規模な避難所に、ウェブを経由してパーソントゥパーソンの支援物資を届けるプロジェクトからスタートして、多面的な活動を展開していったプロジェクトであり、わたし自身ここを通して何度か物資を送り、実際に家族で大船渡まで物資を届けに行ったこともある。しかしわたしは、特に初期の「ふんばろう東日本」をめぐる語りに、若干の違和感を覚えてもいた。

「ふんばろう東日本」が爆発的な支持を拡大していった昨年4~5月ごろ、twitter上で盛んにリツイートされて支持を集めていた代表の西條剛央の発言は以下のようなものだった。被災地には支援物資が届いていない被災者がまだまだいる。しかし、大規模な避難所では、支援物資の食糧が腐って廃棄されている。被災者全員に平等に行きわたる数量が確保できない限り、行政は配給することができないからだ。こんな行政に被災者支援を任せておくわけにはいかない――。

こうした事態が現場で起こったのは事実だったのだろうし、そこへの義憤を動機として多くの関心を集め、結果的にごく短期間に個人と個人を結ぶ支援システムを作り上げた「ふんばろう東日本」の功績は、いくら賞賛しても賞賛しきれない。

ただ、このプロジェクトがこうした言葉を通じて、一部とはいえ行政や官僚制の批判を糧として支持を拡大していくことに、わたしは若干の引っ掛かりを感じていたのだ。こうしたかたちでの行政批判が、新自由主義的な行政不要論や官僚バッシングと結びついていってしまった先に、よりよい未来が待っているとは思えないからだ。

西條に指弾されたような行政の姿勢は、確かに鈍重だ。しかし、それぞれの局面では、その鈍重なまでの公平性が、何らかの理由で行政に要請されていることだったのかもしれない。

むしろ、行政はその支援規模の大きさと包括性を生かして行政のなすべき支援をし、ただし行政だけではできないことがあることを率直に認め、そこは機動的かつきめ細やかに動ける市民・民間の運動に任せて、漏れてしまうニーズを満たしていくというのが、あるべき官民の姿ではないのか。その官民の動きは、両方とも欠くべからざるものなのであって、別に行政批判を駆動力とせずとも、市民は市民で、自分たちのなすべき、市民にしかできない運動を組み上げていけばいい。

円卓会議をめぐる状況も、これに似たところがある。個別農家ごとの測定など、きめ細かい測定体制の構築に踏み切ることのできない「頭の固い」「動きのとれない」行政に対して、「My農家」方式のようなよりやり方を要望すること自体、そもそもがお門違いなのではないかと、わたしは徐々に考えるようになった。

円卓会議の取り組みがメディアで取り上げられるたび、「きめ細かい放射能測定は行政のやるべきことなのでは?」という批判も多々耳に入ってきたが、わたしはまったくそうは思わない。機動力や要求される「公平性」の水準、アナウンスメントのインパクトなどがまったく違う官民は、農産物の放射能検査という課題ひとつとっても、あるべき姿勢や得意な手法がそれぞれ異なる。ならば、お互いに得意なことを補完し合うかたちでやればいい、というのが円卓会議の考え方だ。

円卓会議は、行政との対決でも、行政の下請けになることでもない、官民の成熟した関係を目指そうとしていたのだと言ったら、自画自賛に過ぎるだろうか。円卓会議の経験を振り返って、いま行政に要望したいことがあるとすれば、行政機関による「公式な」施策だけで事態のすべてを覆い尽くそうとせず、自分たちの施策の限界と、民間による補完的・並行的な活動の存在価値も認めて、何かの時には協力しあえる体制を作ってほしい、という一点に尽きる。

グローバルな流通に支えられた消費社会の中で、えてして一般住民からは遠いところにある地域の一次産業の問題を、食という人間にとっての不可欠の営みを媒介に、自分自身の生活の延長線上で捉えなおしていくこと。そうすることではじめて、311以前から存在していた地域の分断、消費者と生産者のあいだの溝を架橋して、放射能問題のみならず、日本の一次産業が抱えている課題をときほぐす道筋が見えてくる。

「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の濃密な1年あまりは、そこに関わったメンバーみなが、それぞれの受け止め方で、食と農を、自分たちの暮らしと地域のあるべき姿を、見つめ直す貴重な日々であった。その1年を振り返った『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト311の地産地消をさがして』は、円卓会議事務局長の五十嵐が社会学的視点からプロジェクトを定位していく記述だけでなく、会議参加者の多様な声をひとつずつ拾い集めていく「ありそうでなかった」構成を大きな特徴としている。

この本の白眉は間違いなく、ストブレに声がけされた会議の各参加者15人に、どんな動機でこの会議に参加したのか、1年間のさまざまな場面でどのようなことを感じてきたのか、そして、柏の農業や柏に住むということをどのように考えているのか、自分の言葉で語ってもらったインタビューから構成されている第2章だ。

円卓会議が、放射能問題という難題に対して一定の達成をなしえたのだとすれば、その最大の原動力は間違いなく、さまざまな立場と感じかたをしている人たちが集まり、彼・彼女たちのどの声をも抑圧したり、聞かなかったことにしたりすることなく、回りくどい全員一致の熟議を積み重ねてきたこと、そしてその上で、メンバー全員がそれぞれの役割を誠実に、真剣に果たしてきたことにある。

ひとつの狭い街の中にさえも存在するさまざまな立場と、そこから見える多様な景色、そして、それらが折り合ってひとつのビジョンを見つけていく過程をこそ、この本を手に取った読者の皆さんにも実感してもらえれば、何より嬉しい。

プロフィール

五十嵐泰正都市社会学 / 地域社会学

筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。都市社会学/地域社会学。地元の柏や、学生時代からフィールドワークを進めてきた上野で、まちづくりに実践的に取り組むほか、原発事故後の福島県の農水産業をめぐるコミュニケーションにも関わる。他の編著に、『常磐線中心主義』(共編著、河出書房新社、2015)、『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(共著、亜紀書房、2012)ほか、近刊に『上野新論』(せりか書房)。

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