2011.10.31
「存在しない」サバイバーたち ―― セックス・労働・暴力のボーダーで(3/3)
(*本稿では、現在「差別用語」とされている表現を、資料・記録の記述に即し、変更をせずに使用しています)
Sさんの部屋
施設長のYさんが、Sさんの個室のドアをノックする。
「部屋入ってもいいよ」
「いいんですか、見せてもらっちゃって」
「いいよ、きれいにしてるから」
「これ、さっき作業所で作ってたランチョンマットだね。うわー、刺繍の目がすごい細かい。そして裏側の処理がすごい丁寧」
「朝の9時から、夜の11時までやるよ。夜はここで、部屋でやるの」
「そりゃ、もう、職人だ」
「うん。次、作んないと」
Sさんの現在の部屋は、約6畳ほどだ。この婦人保護施設では一番広いタイプで、窓も大きくてベランダに出ることもできる。施設のスタッフが寄付を集めて、何年もかけて継ぎはぎで改装を重ねているので、個々の部屋の間取りや構造の差は大きい。
Sさんの隣の部屋は、たった3畳でベランダもない。ベッドだけで部屋の半分は埋まってしまっている。2年に一度の部屋替えでは、狭い部屋だった人が優先的に広い部屋に移れるようにするのだという。
音楽が好きだというSさんと、持っているCDの話をした。
話しぶりもしっかりしていて、現在の知的障害に対する制度の枠組み、医師診断書のADL判定や知能検査では、愛の手帳は取得できないだろうな、と話を聞きながら考える。
「ベランダの景色、いいですね」
「そう、この目の前の木は桜だから。春になると特等席」
Sさんは、部屋のベランダから数回ほど、飛び降り自殺を図っている。
Sさんが入所した際の保護理由は、「居所なし」である。売買春や性産業との接触経験はない。しかし幼少期から、家族からの虐待を受けてきた。その親の所在も、現在は全く不明だそうだ。
「Sさんのことを考えると、どこにも寄る辺がない、孤独な人というのが本当にいるのだと、いつもはっとするんです」
Yさんは、Sさんの部屋を出てからぽつりと口にした。
20代のサバイバーたちの素描
わたしは、福祉関連の作業所や授産施設などでは、賃金や売り上げ、経営の状況についてはできる限り訊くようにしている。だがこの婦人保護施設、M寮で、作業賃金の話をするのは違和感があった。
地域の近隣の住民の人たちが開講する「教室」は、ここでは、賃金労働として行われているわけではない。刺繍や絵画、写真などの教室は必ず参加しなければならないものではないし、就労訓練というよりも、外部の人たちと交流しコミュニケーションを重ねるトレーニングをするという要素のほうがずっと大きいように感じたのだ。
社会から侮蔑のまなざしを受け、暴力にさらされ続けてきた〈彼女〉たちは、ほとんど自身に対する肯定感や、社会参加経験を持っていない。記録簿の備考回答欄に並んでいた「自分なんていなくていい」「自分は汚い」の文字が頭をよぎった。
外部者に恐怖感を感じて、一言も話せない人もいる。「教室」を経て、M寮から高齢者福祉施設などにボランティアとして通って、就労トレーニングをしている人もいる。それぞれの人に、それぞれのペースがある。
M寮における、2000年代以降入寮、20代の若年利用者に限定して、〈彼女〉たちのデータとしての背景をもう少し記してみたい。
寮の記録から、2ケースのみを抜粋する。抜粋したものは、他のケースと比較して特異性があるものを抽出しているわけではない。ただ、手元にまとめてある2000年以降の年代順のリストの一番上と、一番下を選んだだけだ。
・ケースA
29歳
養育環境:両親に身体障害・歩行困難、貧困 / 脆弱な性意識(男性関係多)
疾患の有無:精神疾患
子ども:あり。児童養護施設へ預け
入寮:2001年。在籍8年後にグループホームへ転居
・ケースB
27歳
養育環境:母死亡・貧困 / 風俗、被暴力経験あり
疾患の有無:リストカット / オーバードーズ(薬物飲)
子ども:あり。特別養子縁組
入寮:2008年。在籍2年、死亡(引き取り手なし、無縁仏)
非対称的な性の消費のなかで
貧困層の家庭に生まれ育ち、ボーダーラインの知的障害、精神疾患を抱えるサバイバーにとって、通常の就業へのハードルはきわめて高い。そのような環境下では、性産業は参入障壁が低い甘い誘惑でもある。
現実的に彼女たちを吸収する雇用や支援が存在しないなかで、とにかく「今」食べて生きていくお金を稼がなくてはならない。家がなくても、緊急連絡先、保証人や履歴書がなくても、学歴や社会経験がなくても雇ってくれる仕事。しかも女性がつける仕事となると、選択肢は限られる。そうして結果的に、性産業へ向かう。
また、たとえ日常の会話には支障がないように見えても、新しい環境下や混乱した状況では、適切な判断をすることが難しい人が多い。〈彼女〉たちは騙しやすく、使い勝手よく、利用しやすい存在であるとも言える。
性産業の「雇用主」から、「逃げたらこうなる」と手を押さえつけられて包丁で指を切られそうになったり、殴られたり、脅されたりしたケースを、いくつも施設長のYさんから伺った。
たとえ、「契約」という名目があったとしても、雇う側と雇われる側の情報の非対称性、力関係の非対称性、その売買春や性産業が「労働」として真っ当に成立していないことは容易に想像できる。
「お金が介在するからこそ、構造はより支配的になるんです」
「『金をもらってるんだから何されても仕方ない』という暗黙の了解を、社会が性産業従事者に対して持っている」
「実際、1人の労働者として彼女たちがおかれている搾取的な実態は、なかなか明らかになっていきません」
「でも、そうでも思わないと、『消費』の対象としては見れないでしょうね」
「『物』や『商品』として扱わないと、彼女たちが生きている『人間』だと思ったら、そこに1人1人の人生があるのだと思ったら、圧倒的な支配の構造を前に足がすくむのは、むしろ消費する側でしょう」
それでも、社会と向き合うこと
既存の社会システムのすき間に落ち込み、複合的な要因によって「暴力」にからめとられる女性たち。親に虐待を受けるか、他人に暴行されるか、自分の腕を切りつけるか、自分の身をベランダから投げるか。自らを傷つけて生をやりすごすしか、ただ術もなく。
でもわたしは、サバイバーが「かわいそう」だとは書かない。実際、そんなことはないと思ったからだ。その部分だけが〈彼女〉ではない。居住棟で交わした会話を、一部そのまま記しておきたい。
Aさん「ヒャッキン(100円ショップ)でお菓子買ってきちゃった。」
「ヒャッキンはヤバいよね!100円しか使わないつもりで行くのに」
Aさん「そう、チョーやばい。」
「すっごいおしゃれだね。メイクとか、その髪型とか。自分でやってるんでしょ」
Aさん「そう。絵も描くよ。筆じゃなくてさ、こう、手で描くの。アート好きなの」
Kさん「有料老人ホームで、ヘルパーさんの補助役をしてて、認知症のミツコさんの世話をしてて」
「認知症の方の介助って、すごく大変な仕事でしょう」
Kさん「もう最初はね、ずっとついてきちゃうし、文句もいっぱいいっぱい言われて、帰ってくるとね、もうぐったりしてね」
Kさん「でも今はね、ミツコさんがどうしてそうするのかなってちょっとずつわかるようになってきた。うーんと、わかるっていうのとはちょっと違うんだけど。ミツコさんも苦しいんだろうなって、だからそうするんだよなあって。だからゆっくり話を聞いて、ミツコさんのペースにあわせる」
「すごい、介助者の鏡みたいなこと言うなあ」
深い切り傷の痕が腕にあっても。手首と首から上を除く全身に、すなわち誰かに意図的に焼き付けられた火傷の痕があっても。何度もベランダから飛び降りた傷跡があっても。〈彼女〉の身に、過去に何が降りかかっていたとしても。一緒に会話しているこの瞬間は、ただ必死に生きて日常を過ごす1人の女性だ。
最後に、施設長のYさんの言葉で一旦、初回の報告を締めくくりたい。
「インビジブルな存在として無視されてきた女性たちを、守るだけでも精一杯です」
「時間はかかります。労力もかかります。トラブルは尽きません。いろんなものが降りかかってきます」
「それでも、わたしは彼女たちが抱え込んでいる暴力について、少しずつ慎重に丁寧に、伝えていきたいと思っています」
「ここは、もう『不可侵の地』では、ないんですよ」
推薦図書
21世紀のリベラルへの、果敢な挑戦。現代の普く論において、最大のインパクトを有するジョン・ロールズの正義論と〈基本財〉の理念。ロールズの「自由で自立した存在としての人間」という前提を根底から検討しなおす、ポスト・正義論の理論的支柱。
リベラルが配分的正義を掲げながらも、正面からは扱ってこなかった、依存とケア労働。それらに向き合うことなしに、急速なグローバル化と人口変動に直面するこの先の社会を展望してゆくことは困難である。「人間の条件としての依存」と、「あらたな平等」を示唆する、様々な領域での応用の可能性に満ちたテキスト。
著者のキテイの出自が、フェミニズムでも障害学でもマイノリティ論でもなく、古典的で「マッチョ」な正統派西洋哲学研究者であることは、特筆しておきたい。
プロフィール
大野更紗
専攻は医療社会学。難病の医療政策、