「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制

徹底した情報統制――予測も被害も隠す

 

政府による情報統制は、「将来的な空襲予測を隠す」と「実際に起きた空襲被害を隠す」という二重の隠蔽からなる。

 

前者は、陸海軍の「昭和十八年度 防空計画設定上ノ基準」に明記された。今後の戦況として、大量かつ反復の空襲を予測しながら、そのことは「作戦上に及ぼす影響をも考慮し、一般に対し伝達を行わざるものとする」として、国民には隠したのである。

 

後者は、昭和18年4月に内務省が「敵襲時 地方庁に於ける報道措置要領」により定めた。空襲時の報道事務は「特高課」が担当し、すべての空襲報道は事前検閲を受けることになった。空襲についての独自取材記事は掲載できなくなった。

 

 

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朝日新聞 昭和17年4月19日付 空襲の威力を隠し、「軍を信頼せよ」と説く

 

 

こうして国民は、空襲の予測も、空襲被害の恐ろしさも、知ることが不可能になった。

 

 

防空壕も政策転換 ――「床下を掘れ」

 

さらに政府は、「防空壕」についても非道な政策をとる。

 

かつて防空壕は、原則として「敷地内の空き地に設ける」、「家屋の崩壊、火災等の場合、速やかに安全地帯に脱出し得る位置に設けること」とされていた(昭和15年12月・内務省「防空壕構築指導要領」)。

 

ところが防空法の改正後、この方針は大転換された。防空壕は床下を掘って設置することが原則とされた。爆弾が投下されたら「そこから迅速に飛び出して防空活動に従事し得ること」が設置目的となり、名称も「待避所」に改められた。退避所ではなく待避所、つまり逃げ場所ではなく消火出動拠点なのである(昭和17年7月・内務省「防空待避施設指導要領」)。

 

 

写真8

昭和18年8月政府発行「写真週報」
床下の待避所の設置方法を解説

 

 

この方針について、内務省発行の冊子『防空待避所の作り方』(昭和17年8月)には、防空壕の設置場所について次のような記載がある。

 

「家の外に作るか、家の中に作るか、二つの場合が考えられますが、一般には家の中に作った方が・・・一層便利であると思います。また、外にいるよりも家の中にいる方が、自家に落下する焼夷弾がよく分かり、応急防火のための出勤も容易であると考えます。」

 

しかし、床下で焼夷弾の落下を察知したときには、すでに猛火に包まれて脱出不能である。こんな「安全神話」を疑うことは許されなかった。空襲時には、崩壊した建物の床下で圧死・窒息死・生き埋めとなる被害が続出した。

 

 

東京大空襲の後も不変―― 「疎開は認めない」

 

昭和20年3月10日の東京大空襲。一晩で10万人が死亡する惨状を目にしても、政府は方針を変更しなかった。翌月には次の方針が閣議決定されている。

 

 

写真9

疎開の中止を呼びかける新聞記事。
毎日新聞戦時版・昭和19年12月13日付(左)、朝日新聞・昭和20年5月5日付(右)

 

 

閣議決定「現情勢下ニ於ケル疎開応急措置要綱」(昭和20年4月20日)

 人員疎開に付いては、(一)老幼妊産婦・病弱者、(二)疎開施設随伴者、(三)集団疎開者、(四)前各号以外の罹災者及び強制疎開立退者をまず優先的に疎開させるものとし、右以外の者の疎開は当分の間、これを認めざるものとする。

 

要するに、老幼病者・罹災者・建物疎開による立退者以外の疎開は、「当分の間、認めない」というのである。学童疎開は広く実施されたが、それ以外の者は簡単には疎開できなかった。地方で就労先や食糧を確保するのは至難の業であった。

 

退去禁止と疎開抑制の方針は、終戦まで変更されなかった。こうして市民は、襲いかかる焼夷弾と爆弾の下に縛り付けられた。

 

 

裁判所も認定 ―― 戦時中の国策の問題性

 

こうした防空法制と情報統制の問題点が明確に認定された裁判がある。2008年12月に空襲被害者が国に謝罪と補償を求めて提訴した「大阪空襲訴訟」である。 2011年12月の一審判決、2013年1月の控訴審判決は原告敗訴だったが、その内容は特筆に値する。情報統制により国民が空襲への対処法を知ることができず、都市からの退去ができず危険な状況に置かれたことなどが判決文で認定されたのである(詳しくは、こちらのサイトへ)。

 

残念ながら、空襲被害者に対する補償の不存在・不平等は一見して明白かつ重大であるとまでは言えない、という理由で敗訴となった。しかし、戦時中の国策を批判する判決が出されたことは、空襲被害者への補償を求める大きな足掛かりとなる。

 

 

現代に生きる私たちへの問い

 

情報統制と一体となった防空法制は、いったい何を守ろうとしたのか。その問いは、現代を生きる私たちにも突きつけられている。同じ過ちを繰り返してはならない。

 

防空法制について先駆的な研究を重ねてきた第一人者である水島朝穂教授(早稲田大学)と私との共著『検証 防空法 ―― 空襲下で禁じられた避難』(法律文化社)を、昨年出版した。数多くの史料やエピソードを紹介し、戦時中の市民がおかれた状況をリアルに伝えている。これまで知られなかった事実に光をあてるものとして、多くの方にお読みいただきたい。

 

 

解説サイトはこちら

 

 (文中の旧法令や新聞記事の旧仮名遣いの一部を、現代仮名遣いに変えました。)

 

 

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