予測可能性と統治の正統性

予測不能な政府

 

と、ここまでの説明をしてきたのは現在の菅政権が抱える「正統性」の問題について述べるためであった。前回、西岡武夫・参議院議長が菅直人・総理大臣を批判している理由がほとんど「正当性」に関するものであり、不信任決議の基礎となり得るような「正統性」の問題ではないことを指摘した。では、菅政権には正統性の問題はないのだろうかといえば決してそうはいえまいという話である。問題は、政府の行動に関する予測可能性にある。

 

現政権の政策に賛成する人も反対する人も否定しないであろうと思われることは、つまりその政策自体がどういうものであるのか・どこで誰が発言すればそういう政策が存在するということなのかが、さっぱりわからないということである。たとえば菅総理大臣がG8サミットで《国内1000万戸の屋根に太陽光発電パネルを設置する》という構想を突如発表し、だが所管の海江田万里・経済産業相は事前に一切聞かされておらず、現在進められている同省の他の政策や政府全体の方針との整合性がどうなっているのかも謎であり、あげく仙石由人官房副長官に「壮大な夢」と形容される始末であって結局どうなるのかもわからない。

 

あるいは浜岡原子力発電所の停止について。もちろん政策としてその「正当性」については賛成する人も反対する人もいるだろうが、しかし停止を要請することを発表した記者会見の段階ではそれにより電力不足が生じるのか生じないのか、生じるとして節電で足りなければみんなで我慢しましょうという話なのか火力発電などによる増産で乗り切りますという話なのか、その際に生じる燃料費の増加やCO2排出についてどうするのかといったことについての具体的な説明はまったくなかった。あるいはなぜ浜岡なのか・浜岡だけなのかといったことも総理自身はまったく説明できなかったので、その判断の射程がどこまでなのかということも予測できない。

 

そして今回の不信任決議前後の騒動であって、要するに辞職するのかしないのか、するなら時期はいつなのかといったことがさっぱりわからず、したがって対応のしようも対策の立てようもない。政府に従うべきかどうかという問題以前に、そもそも《「政府に従う」ためには何をどうしたらいいのか自体がわからない》のである。

 

動作の予測ができない政府、命令の不明確な政府に対しては、そもそも正統性の感覚自体をもつことができない。菅政権がこの間にもたらしたのは、このような予測不能性に起因する政府の正統性危機なのだ。

 

 

正統性自体の危機へ

 

「総理大臣は解散の時期と公定歩合については嘘をついてもいい」という言葉がある。これは逆にそれ以外のことで嘘をついてはいけないということを示しているし、人々の予測可能性を守ることがいかに重要だと考えられてきたかということでもある。もちろん「今まではこうだった」という予測を裏切ることなしには改革を実現することはできない。しかしそれならそれで新たな命令を明確に与え、人びとがそれにもとづく将来の予測を明確に行えるようにしなければ、命じられた内容を正当だと思うにせよ不当だと感じるにせよ、行動のしようがない。

 

個別の政策に関わる正当性ではなく、危機後の・資源の有効活用をもっとも考慮しなければならない時期に、予測不能な行動を取りつづけることによって正統性の危機をもたらしていることこそが現在の政権の最大の問題点だと、おそらくはそういうことになろう。

 

 

推薦図書

 

 

喧嘩両成敗法の生まれてきた背景と経緯を探ることを通じて、その意味と位置づけに再考を迫る著作。同制度はあくまで資源の限定された状況で紛争を抑止するために生まれた過渡的な制度であり、それをあたかもわれわれの文化の中心ないし象徴であるかのように捉えるのは適切ではないということになろう。日本法の比較法的評価などにも影響を与える、射程の大きな業績である。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

・橋本努「新型コロナウイルスとナッジ政策」
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