メディアから官邸へ ―― 決断の本当の理由と、今だから話せる官邸の第一印象

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実現しなかった報道官制度

 

難波 官邸に入ることになった《きっかけ》を聞かせて下さい。下村さんが公務員になられたのは、菅直人さんに誘われたから、ということでしたでしょうか。

 

下村 そうです。なぜ菅さんかと言えば、30年近く前の学生時代から、彼を手伝っていたからです。当時、菅直人の政治団体は「あきらめずに参加民主主義をめざす市民の会」という名前で、ぼくは、この人は市民参加を政治の世界に実現する人だと思って手伝い始めたんです。奇跡の当選と言われた泡沫議員1期生の青年・菅直人が、われわれ学生と一緒に酒飲みながら、「天下を取ろう!」と熱く語ってた。そのときみんな、《天下を取る》こと自体が目的ではなくて、閉鎖的な政治屋どもから天下を奪って、《市民にオープンな政治にする》ことがモティベーションでした。当時は遥か彼方の夢だったけど、民主党への政権交代で、ついにそれが実現できるポジションまで来たんですよ。入口に立ったんです。

 

そこでまず、民主党政権ができたとき、すぐに菅さんに電話で、「報道官をぜひ置いた方がいいよ」と言いました。テレビで各国の政府関係のニュースを見ていると、報道官という職種の人が登場して、コメントしてますよね。情報を扱うプロだから、ちゃんと記者とコミュニケーションできています。過剰に防衛的ではない。

 

日本だと、大臣や官房長官が会見で何か言うと、言った中身より、言ったことの政局的思惑とか、言葉尻の失言とか、「あっちの大臣の言ってることと微妙に食い違うじゃないか」とか、そういう部分ばっかりが、情報の本質より大きな伝わり方をすることが、よくありませんか? そういう部分が大事じゃないとは言わないけれど、物事の軽重の順位付けとして、これはすごーくおかしいなと、メディアにいたころから思っていたんです。政治的な責任を伴った発言や政局について聞きたいときは、議員バッジをつけてる人に聞けばいいけど、政策についてはちゃんと報道官を置いて国民に説明してよと、それが政権交代直後の菅さんへの注文だったんです。

 

難波 民主党が政権を取ったときに菅さんにそういう注文をし、そして菅さんが首相になったときに、下村さん自身が首相官邸に入られたんですね。

 

下村 いや、すぐには、手伝いに入ろうとは思いませんでした。そもそも民主党が政権とった後も、なかなか報道官は設置されませんでした。と言うか、いまだにできてません。「いろいろ難しいんだよ」みたいなことを菅さんが言って、なんか「当分ムリだな、こりゃ」と感じたんで、ぼくも距離を置いて見ていました。

 

もともとぼくは、政権交代には期待してたけど、1回目で簡単にうまく行くとは思ってなかったんです。必ず次の2回目(注:2012年12月に行なわれることになった総選挙) は、民主党が大敗すると思ってました。50年近く続いた堅固な体制をひっくり返して数年で、こびりついたさびが易々と落とせるわけがない。

 

でも、国民はそんなこと待っちゃくれないから、期待の反動の幻滅が来て、そこでわっと批判票が流れて、また自民に戻るのか他のフレームに移るのかはわからないけど、とにかく民主党政権は1期で終わる。その次の3回目の総選挙が、ほんとの大事な選挙でね。2大勢力がどっちも《与党をやって下野する経験》を持った。さぁ、そこでどんな腰すえた政権を国民が作るのか。

 

だから2009年8月の選挙直前、政権交代の予感でメディアの皆が浮かれているときから、ぼくは「勝負の選挙は、今回じゃないよ。3回目だよ」と言ってました。当時それを聞いた某テレビ局の中堅どころは、納得しかねる顔してましたけど。ちなみに今でも、ぼくのこの見方は変わってません。

 

だから、1回目の政権交代で報道官ができないのを見て、その時点で一旦距離を置きました。

 

 

「ちょっと、乾杯ぐらいさせてくださいよ」―― 菅直人機関説

 

下村 ところが、まったく思いのほか、鳩山さんがもたないで、1年も経たないうちに急に菅さん自身が総理大臣になっちゃった。そうすると、やっぱり、もう一回あわく期待しちゃいますよね。「いろいろ難しいんだよ」と言ってたけど、自分がトップになったら、かなりのことはできるだろうと。

 

総理になったその晩、菅さんには会いました。前からの約束で菅伸子夫人には、総理になった当夜にインタビューさせてねとお願いしてあり、都内某ホテルに避難している伸子さんのところに、「サタデーずばッと」のクルーを連れて行ったんです。そこに菅さんから電話があって、思ったより早くホテルに戻れることになったと連絡が来たから、インタビュー終了後、クルーが帰ってからもぼくだけ残ったんですよ。友人として、一言ぐらいお祝いを言って帰ろうと思って。

 

そしたらね、ホントこの人らしいなと思ったけど、菅さんは戻るなり、「健ちゃんもいるから、ちょうどいい。これからどうしようか」と、3人で仕事の相談を始めようとしたんです。「ちょっと、乾杯ぐらいさせてくださいよ」とぼくは言ったの。ずーっと30年近く新人時代から応援してきた者としては、やっぱり嬉しいんだから、乾杯ぐらいさせてよと。あの人、ほんとにドライなんですよね。情よりも、理の人。ウェットなところがまったくなくて、情で人心を掌握した組織運営がうまくできない。

 

難波 でも、下村さん、菅さんのそういうところが嫌いじゃないんですよね?

 

下村 いや、ぼくはそこが好きなんですよ。ぼくは学生時代から、イラ菅に反発して離れていこうとする仲間には、「菅直人機関説」というのを唱えてて(笑)。あの「人」を応援するんじゃなくて、菅直人という「機関」を応援するんだと。この趣旨は菅さん自身も初当選時から言ってたことで、「俺を《応援》するんじゃなくて、《活用》してくれ。仲間が国会議員という機能を持ったんだから、国政調査権とか議員立法とか、どんどん世の中良くするために使ってくれよ」と。多分あの頃から離れずにいる、いわゆる“菅グループ”の人たちは、ほとんどそういう思いだったんじゃないかなあ。親分・子分の関係じゃなくてね。

 

ただ、そういうドライな繋がりで来たぼくでさえ呆れるほどの、ドライな総理初夜でした(笑)。ほんと今にして思えば、あそこで乾杯すらしようとしなかったことが、なんか最後に味方がどんどん減って、ボコボコに叩かれて去っていったことに繋がる象徴的な出来事だったって気がします。なんだかんだ言って、政治は人の情で動くところがあるから、周りの側近たちや有力な対抗勢力に対する人間的な気配りをある程度はやらないと、離れていっちゃいますよね。それは惜しいなと思いました。

 

それから、とりあえず3人で乾杯だけはして、5秒後には、「それでさあ、これからさあ」って話になっていきましたけど(笑)。

 

でも、その時点でもぼくは、応援しに官邸に入るつもりはなかった。一報道人として菅政権を見ていく。そういうスタンスでした。菅さんの方からも、手伝ってという話はありませんでした。というのも、その前およそ四半世紀にわたって、社民連時代からずっと、ぼくが出馬要請を断っていたんで。ぼくは、学生時代は政治家になることに関心を持っていたけど、メディアの世界に入ってからは、一介のメディア人として、メディアを真っ当にしていくことの方が大事だと思ってきました。それで、ある時期から、菅さんもぼくを誘い込むことを諦めてくれていました。

 

難波 では、手伝うことになったきっかけは?

 

下村 手伝ってと言われた最初の機会は、伸子さんの本『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』が出たときです。そのときに、出版のお祝いのごく少人数の夕食会に呼ばれたんです。本のゲラの段階で、若干の相談にのったから。で、まったく予定外だったんですけど、お開きの頃に、菅さんがSPとともに、ポンと来たんです。

 

菅政権が始まって2ヶ月余り経ってて、こりゃあいい機会だと思ったから、ぼくは噛みつきました。「何やってんですか。あんなにずっとやりたいと言ってた総理大臣になったのに、なってからまるで精彩を欠いてる。何やりたいのか、気心知れてるはずのぼくにも見えないんだから、まして国民に見えるわけがない」と。鳩山さんが、ああいうかたちで唐突に辞めたから、何の準備もなく総理大臣になっちゃったというドタバタした事情はわかるけど、「だれか周りに一人ぐらい、他のこと何も担当しないで情報発信だけに専念する人は置けないのか」と詰め寄りました。そしたら菅さんから、「そんなこと言うんだったら、あんたやってよ」と切り返された。これが最初です。

 

ぼくは虚を突かれて、菅さんも言いながら半分苦笑してたから、その場はそれで終わりました。というのも、そのあと代表選を9月に控えて、小沢さんとの一騎打ちだったから、ほんとにそこでどうなるかわかんなかった。参院選での大敗の責任を問われて、ものすごい短期の総理で終わる可能性も十分にあったので。

 

でも、9月半ば、代表選でふたたび勝って、これでまあ、しばらくは続くわなと。しかも参院選でガタ落ちになった内閣支持率も、小沢さんに勝った瞬間、ぽんと跳ね上がって、菅政権発足当時と同じかもっと上ぐらいまで高くなった。その状況で、官邸筋から「下村さん、ほんとに来れますか」と一気に話がリアルになったんです。うーむと思いましたが、これで長く菅政権が続くなら、誰かが情報をちゃんと出さなきゃダメだよなと思いましたし、あれだけ菅さんに噛みついて、「ぼくは安全地帯から批判だけしてますから」とは言えないなと。

 

難波 それで、打診に応えて入ろうと思ったんですね。

 

下村 ちょっと考えたけど、これはやるしかないなと腹をくくったわけです。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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