2010.09.17

世論調査をめぐる3つの「幻想」  

山口浩 ファィナンス / 経営学

政治 #世論調査#ネット投票

2010年9月14日に投開票が行われた民主党代表選は、菅直人首相が小沢一郎前幹事長を破って代表に再選される結果となった。この代表選をめぐって、マスメディアによる世論調査と、ネットでの人気投票の結果が大きく異なっていたことに、一部の注目が集まった。このことは、マスメディアではあまり報道されなかったように思う。例外のひとつは産経新聞のこの記事だ。

世論調査とネット投票のずれ

「民主党代表選、なぜ異なる結果 ネット投票と報道機関の世論調査」(2010年9月9日)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100909/plc1009092108016-n1.htm

簡単にいえば、世論調査では当初から、菅首相との回答が多数を占める状況であるにもかかわらず、多くのネット投票では逆に小沢前幹事長が優勢だった、という話だ。根深いマスメディア不信からか、このことをネタに、世論調査の「偏向」を疑う意見がネット上で散見された。むしろネット投票の方が正しいのではないか、というわけだ。

あるいはそれらは、世論調査で繰り返し不利を伝えられた小沢氏に近い政治家や、その支持者によるやっかみや焦りに近いものだったかもしれない。しかし、世論調査に関して、かねてから「偏向」と批判する声があったことも事実だ。下に挙げる記事をみるまでもなく、ずっと以前から、政権の支持率が下がってくると、政権や与党、あるいはその周辺から、世論調査を含むマスメディアの報道への批判が上がるのは毎度おなじみのことになっている。

「世論調査でメディア批判=仙谷官房長官」(時事通信2010年7月5日)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201007/2010070500647

もともと世論調査も多くのネット投票も、回答者に対して、「あなたは誰が民主党代表になってほしいか」を聞くものであって、代表選の結果自体を予測するものではない。

民主党代表選は、選挙とちがって国民全体ではなくその特定の一部、つまり民主党国会議員と地方議員、党員・サポーターの投票結果を、通常の選挙とはちがう所定の方式で集計して決めるものだし、政治家が自らの所属政党のトップを選ぶ際に世論以外の要素を考慮することになんらの制約もないから、世論調査等の結果を代表選での優勢、劣勢に直接結びつける必要は必ずしもないはずだ。

マスメディアの報道は多くの場合その点をきちんとふまえたものではあったが、ややはきちがえたような議論も、なかにはみられたように思う。

このような、世論調査をめぐる最近の言論をみていると、「人はしょせん見たいものしか見ないのだな」といいたくなるのだが、それはさておくと、人びとは世論調査に対して、ある種の「幻想」のようなものを抱いているように思われる。少しまじめに考えると、3つくらいあげられるのではないか。

第1の幻想 ―― 世論調査はうそっぱち

まずあげられるのは、世論調査がまったく信用に値しないとするような見解だ。いうまでもないが、このような考え方は、あまり妥当なものとはいえない。現在多くのマスメディアが世論調査に採用しているRDD方式は、国民全体の意見を千ないし数千程度のサンプルで効率よく把握すべく、統計学的知見に基づいて考えられたものだ。

たとえば朝日新聞社の「朝日RDD」についてみてみると、市外局番、市内局番に自動生成されたランダムな番号を組み合わせた電話番号から、使われていないものを除去し、それを調査対象世帯としている。

当然、回答者は固定電話をもつ世帯で、調査時点に在宅の人にかぎられるが、調査後に母集団の性別および年齢層の構成に応じたウェイト調整が行われる。完全なランダムサンプリングになっているというわけではないにしても、合理的なコストの範囲内でそれに近づけようとする工夫の結果ではある。

少なくとも、希望者が誰でも(場合によっては何度も)回答でき、サンプルバイアスを排除するしくみをもたないほとんどのネット投票と比べ、偏りははるかに少ないはずだ。

今回の民主党代表選において、一般国民にもっとも近い層である党員・サポーターからの得票は菅60:小沢40の比となったが、これは多くの世論調査結果とほぼ整合的なものだった。このことは、今回の世論調査が、おおむね適切に世論をとらえていたことについてのひとつの傍証となろう。

後記の通り、質問のしかた等で世論調査の結果をある程度左右することはできるが、仮にそうだとしても、特定の選挙について、世論調査の投票結果を望む構成比にすることはきわめて困難であろうし、ましてや実際の投票行動を世論調査結果の通りにコントロールすることなどできるわけがない。

さらに、今回の民主党代表選に関していえば、さまざまな政治的傾向をもつはずのマスメディア各社の世論調査結果がおおむね似通ったものとなっていることも説明できない。マスメディアが世論を思うままに操っているといった子供じみた陰謀論は、幻想以外の何ものでもない。

第2の幻想 ―― 世論調査は中立公平

しかし、だからといって、逆に、マスメディアによる世論調査が、まったく公平で完全に中立だと考えるのも早計だ。

たとえばRDD方式は、上記の通り固定電話の保有世帯だけに回答者をかぎっているため、最近増えているような、固定電話をもたない世帯はカバーできず、そうした層の意見は反映されない。

また、質問文の書き方、質問の並べ方その他、具体的な調査設計のさまざまな部分で、回答の方向性にある程度の影響を与えることは可能だ。さらに、調査機関に対するイメージや好き嫌いによって、回答者の層に偏りが生じる可能性もある。

政府による意識調査ですら、何らかの色彩を帯びることは避けられない。あらゆる偏りを完全に排除することは、事実上不可能だ。要するに、世論調査なるものが完全に公平中立に行える、あるいは行われるべきと考えること自体、世論調査に対するある種の幻想といわざるをえない。

第3の幻想 ―― 他からの影響を受けずに判断するのが正しい姿

ではやはり、世論調査は意味のないもの、あるいは有害なものなのか、やるべきではないのだろうかというと、もちろんそういうわけではない。

わたしたちが何かの価値を判断するためには、たいていの場合、比較の対象となるベンチマークが必要だ。完璧とはいいがたい世論調査の価値を評価するためのベンチマークは、上記のような問題をすべて解決した、どこかにあるかもしれない「完璧な世論調査」ではない。そんなものは、少なくとも現在の環境下では、合理的なコストで実現可能とはいえず、いわば、どんなに求めても得られない「聖杯」のようななものだ。

その他のもの、たとえば今回うまく世論をとらえることができなかったネット投票をベンチマークとするなら、世論調査が合理的なコストで世論を適切にとらえることのできる、優れたツールのひとつであることに議論の余地はなかろう。

一部には、いまの世論調査にはいくつかの問題があるとして、選挙前の一定期間等には規制すべきだという意見もあるようだが、これにも与することはできない。

人間は社会的動物であり、その意思決定が周囲の人たちの意見も含むさまざまな要因によって影響を受けるのは、むしろ自然な姿だ。外部情報を遮断し、周囲から「孤立」した状態は、そのような人間のあり方からすればむしろ不自然だし、それで正しい決断につながる保証もない。

このような意味で、たとえ現状で完璧とはいえない世論調査でも、それが規制されたり存在しなかったりする状態をベンチマークとするなら、まちがいなくあったほうがいい。仮に、「自立」し他者からの情報を受けずに判断できる個人の意思決定の集積が民意だとする考え方があるのだとしたら、それは人間を完全に理性的で合理的に意思決定できるマシンのようにみるものであり、いわば20世紀的な「幻想」といえよう。

「正しい調査」と「多様な調査」

もちろん、上記の「弊害」を放置していいということではない。世論調査に何らかのバイアスが不可避なのであれば、そのもっとも「正統」な解決法は、それを制限することではない。個々の調査をよりよいものとすべくさらに改良していくのは当然として、それ以外に、その多様性が確保され、それらが全体としてバランスが保たれるべく工夫していくことが必要ではないだろうか。

多様な調査があれば、そのなかからさまざまな考え方に沿って選ぶことも、全体の傾向を推し量ることもできる。調査手法が公開されていれば、検証することもできる。当然、ネット投票を含むほかの調査手法にもその機会は開かれるべきだ。あからさまに人を欺こうとする悪質なものは論外だが、それとて多様な調査がフェアに競いあう状況であれば、大きな影響力をもちつづけることは難しいだろう。

さまざまな立場からのさまざまな意見を、さまざまな手法で集約した結果を知ることで、わたしたちはよりよい判断をできるようになる。それがより健全な考え方であり、また民主主義の理念にもかなうものではなかろうか。

推薦図書

日本の世論調査は、プロパガンダと結びついていた戦前の暗い過去への反省をふまえつつ、民主主義をデータで支える存在として、戦後の日本の発展に重要な役割を果たしてきた。こうした経緯を長年つぶさにみてきた著者による世論調査論。調査の具体的な手法に関する解説とともに、世論調査という手法そのものにフォーカスしているという点で貴重な一冊。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

この執筆者の記事