2011.09.02
民主党が失ったもの ―― 党内デモクラシーの実践
野田新内閣が発足した。海外メディアでは「5年で6人目の首相」という常套句が流されている。菅前首相の辞任を受けての民主党の代表選をめぐっては、前原前大臣の意向や小沢グループの動向やその処遇などに注目が集まり、付随して各候補者の増税や野党協力などの姿勢がフォーカスされたように思える。
しかし、ことは一国家の新たな政治リーダーを選出することにあったということを強調しておく必要がある。たしかに、どのような候補者がどのような立場でもって代表選に臨むのかを知ることは大切である。しかし、こうした「本質論」と並んで、「どのように選出されるのか」という「形式論」が蔑ろにされていた感は否めない。つまり、内閣総理大臣の座に就くことになる民主党という政党の代表が誰によって、どのようにして選出されるべきなのか、という点である。
政党内デモクラシーの無視
今回の代表は菅前首相の辞任記者会見から、代表選挙までわずか3日のあいだで決められ、投票権は両院の民主党所属議員にかぎられた。そのプロセスで、各県の支部や党員が介在する余地はなかった。たしかに、いまの経済社会の状況からすれば、あまりにも長い政治空白は許されない。さらに、民主党の党規約は、代表が任期途中で辞任した場合、両院議員総会で新代表を選出できるとも定めている。しかし、民主党はもともと、「党派」に拠らない、開かれた党組織を目指して、議員・党員以外(「サポーター制度」)にも代表選での投票権を認めた、さきがけ的存在だったことを忘れてはならない。「裾野の広いデモクラシー」という観点からは、今回の代表選のあり方もまた、大いなる落胆だった。
民主政治の担い手のひとつである政党の内部のデモクラシーをどのように担保するかは、昔から、理論的かつ実践的な関心だった。有名な「寡頭制の鉄則」という言葉は、そもそも20世紀初頭に、ドイツSPD(社民党)党員だった社会学者ミヘルスが党内組織を観察して残した言葉だ。彼は、構成員の平等を謳う社民主義政党が、保守政党と同様に実際には少数エリートによって支配されていることを実証した(彼はその後、党員がより平等なイタリアのファシズム運動に参画する)。その後、政党は自らを組織化する際に、いかに構成員間の平等を確保し、自発的な参加意識を引き出すのかにずっと苦慮してきた。ドイツの緑の党が、発足当初、党員間の徹底した平等を可能にし、政治の素人と玄人と区別しない組織設計にこだわったのも、こうした背景がある。「寡頭制の鉄則」をいかにして回避するのか、多くの、とりわけ左派政党は試行錯誤を繰り返してきた。
政党の国際比較では、日本を含め、90年代に入って先進国の政党の何れもが、諸組織の民主的実践を政治的価値として認めるようになり、政党そのものにおいても、一般党員あるいはその他一般有権者によるリーダー選出が60年代から徐々に慣行として定着してきている。つまり、組織としての政党をなるべく開かれたものにし、多くの人間がリーダーを選ぶための一票を持つことで「裾野の広いデモクラシー」を実現させ、権力の偏向を防ごうとするのが、参加型のリーダーシップ選出を正当化する論理のひとつである。
民主党が持っていたもうひとつの「革新性」
民主党では、実際に党員とサポーターが参加しての代表選は、過去10回の代表選(無投票選を除く)のうち、2002年と2010年の2回しかない。党員に対してだけでなく、そのときどきの状況で、地方の議員に投票権が与えられたり与えられなかったりする点でも、民主党は自民党と変わらない政党になってしまった。これは、政党が現在求められている役割に大きく逆行している。
折しも、菅首相は辞任会見の冒頭で、閣僚や国会議員と並べて「党員サポーター」にも感謝する旨、発言している。上に述べたように、民主党は、所属国会議員や県代表、さらに党員以外にも代表選での投票権をはじめて大々的に認めた政党だった。その目玉が2000年に導入された「サポーター」制度だ。各議員には党員・サポーターの獲得のためのノルマも課せられた。このように、民主党が持っていた革新性は、政策マニフェストの内容などよりも、政党のあり方や編成のされ方そのものに関わっていたものだった。
このサポーター制度のように、代表選出権の母体をなるべく広く認める方向性は、新たな政党組織編制のトレンドに合致している。基本的には、一国の代表ともなる政党リーダーの正当性を広く認知してもらうために、なるべく多くの有権者に参加してもらうことを目的として、こうした方向は定着してきたものだ。もはや党派性だけに頼っていては、政党という存在そのものが有権者から支持されないからだ。
イギリスとドイツの保革両政党を比較した政治学者スカロウは、意思決定の場により多くの参加者を招く「包括性」、政党のどのレベルで意思決定が下されるのかの「集権化」、そして政党リーダーと党員の関係がどの程度直接的なのかの「媒介」の3つの次元で、多くの政党が「包括性:高」「集権化:低」「媒介:低」の方向へと収斂しているとしている。多くの政党は、政党は有権者に対する自らの代表性の立場を強化し、一般党員の参加を促し、代表選出や政策に関するコンサルテーション・投票、女性候補者の選出、若者に対する職位付与などの組織改革を積極的に進めていっているという。
もちろん、党員以外にも選挙母体を求めることにはプラスがある。まず、代表が選出される過程で、政策や政治理念に関する議論が広く周知されるという、教育効果がある。それも党員以外が投票権を持っている場合、立候補者はたんに党派性やイデオロギーだけに訴えるわけにはいかず、広くアピールできるような政策を提示する必要に迫られる。いわば、オーディエンスが多ければ多いほど、最適解に近づくようになるわけだ。
このことは、代表の座に就こうとする候補者の教育にもつながる。アメリカの予備選のように、1年をかけて潜在的リーダーが争うというところまで行かないまでも、候補者同士、あるいは候補者と選挙民が切磋琢磨し合うことによって、政治家と有権者の質がともに向上することが望める。オバマ旋風の源泉は、こうしたリーダー選出のあり方と深く関係している。フランスでは、社会党が次回の大統領選に向けて、有権者登録をしている成人であり、「左派的価値」にコミットする宣誓書にサインすれば国籍を問わず、誰でも予備選で投票できる制度を整えた。
政治リーダーの基盤はどこから来るのか
政局報道中心メディアと政治の人格化が共鳴しあって、政治リーダーが投射できるタイムスパンと基盤はますます移ろいやすいものになっている。たしかに、日本の首相の任期が短いのには多数の制度的・状況的な要因に拠っている。たとえば、菅首相が辞任記者会見でいったように、選挙の頻度が多いことの影響は大きい。
他方で、政治リーダーの選出のあり方と、政治の移ろいやすさが無関係ともいえない。もし、政党幹部や議員といった政治エリートだけでなく、党員・サポーターが参加するかたちでの選出がもっと頻繁になれば、それは党首・代表を支える、大きな正当性を担保することになるからだ。たとえば、どんなに党内の有力者や世論支持率の一時的低下があっても、入念に準備され、討議や熟議を経た上で代表を選出するという作法がもし定着すれば、その政治リーダーの足腰は、いまよりは強くなるはずだ。
推薦図書
民主党という政党は、自民党と似て、多様な潮流をかき集めた臨機応変な政党だ。だからこそ、政権交代を実現できたとすらいえるだろう。この本は、ノンフィクション作家がその実像に内側から迫った数少ない「真面目な」民主党本。まずは政党の実態を知らなければ、なぜ機能していないかを知ることはできない。その一助になるだろう。ちなみに、2009年に朝日新聞で「政党はいま」と題された各方面の専門家・運動家によるオピニオン・インタビューも、政党がどのような課題を抱えているのかを知る良い材料になるはず。
プロフィール
吉田徹
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。