震災後の日本社会と若者

信頼が崩れた

 

小熊 それでは最後に、震災で何が変わったのか、について語りましょう。私は一番変わったのは、秩序に対する信頼感だと思います。

 

最近、高橋源一郎さんと内田樹さんがある雑誌で対談をしていて、面白いなと思ったことがあります。彼らによると、戦後は「金がすべて」でやってきたという。自分たちは68年に、「平和国家なんて嘘だ、金がすべてなんていやだ」と反抗をした。でもその後、なんとなく成功したりお金が入ったりすると、「なんとなく居心地悪いけど金がすべてでもいいかな」という気分になったという。

 

そこで前提になっていたのは、「原発推進派は悪者だから事故は起こさない」と思っていたことだというんです。原発推進派を「政府」や「官僚」や「自民党」や「経済界」と入れ替えても同じだけれども、大丈夫だと思っていたと。ところが今回の震災で、意外と彼らが無能だということがわかってしまった。その信頼が崩れたというのは、もしかしたら大きな変化かもしれないと私は思いました。

 

古市 自民党支持者でない人も、自民党という悪者に任せておけば、なんとかなるだろうとみんな思っていたということですね。そのような一種の信頼が、60代のおじさんたちの間でも崩れはじめている、と。

 

小熊 そうです。私の知り合いのある不動産屋は、政治意識は高くないですが、「日本政府があんなに情報を隠すとは思わなかった。あんな中国政府みたいなことをやるなんて」といっていました。こういう秩序への信頼の崩壊感覚が、これからどう出てくるかわからない。

 

古市 なるほど。

 

小熊 もちろんこの20年間、なんかおかしい、日本はだんだん崩れはじめている、とみんな薄々感じてはいた。けれども、まあ服も電気製品も買えるし、なんとかなるだろうという感じだった。ところが、本当に大丈夫だろうかという密かな不安のレベルが、ある水域を越えた。原発問題で、「政府のいうことは信用できない」という感覚は一般的なものになった。それが世論の7割が脱原発を支持するといったところに現れてきていると思います。

 

 

デモと投票行動

 

古市 しかし多くの人が密かな不安を抱いていたとしても、同時に僕たちは毎日の生業を続けていかなければいけないわけです。そういう意識の変化は、どのようなかたちならば社会を動かす原動力になるのでしょうか。

 

小熊 「どうしたら変わるか」を、「政党を作って議会で多数派をとって法律を作る」というふうにだけ考えていたら、行き詰ると思いますね。

 

たとえば、脱原発のデモをやっている人たちのことを、投票に行ったほうがいいんじゃないかと批判する意見がある。あるいは、どこかの政党にロビー活動するとか、新しく党を作ったりしなければ意味がないんじゃないかとか。でもデモをやっている人たちは、当面はそんなことを考えてやっているわけではない。そんなことを考えてばかりいたら、デモなんて意味がないということになるし、盛り下がってしまう。

 

そういう状態を、だからデモをやっている人たちは自己満足なんだとか批判する向きもあります。しかし私は、代議制民主主義という19世紀に成立したシステムを不変の前提にして考えるから、そういう批判の仕方になるんだと思いますね。

 

いささか極端なことをいうと、代議制民主主義というのは、もうかなり苦しいと思っています。代議制民主主義は、共同体や階級制度がしっかりしている社会のほうが成立するものなんです。議員とは「わが村の代表」であるとか、「わが労組の代表」であるとか、「労働者階級の代表」であるという意識がもたれているほうが機能するんですよ。

 

だけど、今どきそれはない。議員が「我々の代表」だとは思われていないんです。村とか労働者階級とかの、「我々」がなくなったからです。単に票を集めている人だと思われているにすぎない。だから何の正統性もない。

 

それに対して「国家という我々」を作れという話があるけれども、それだと「我々」が分裂しているのはおかしいから、一党独裁になる。それは20世紀前半に大失敗したので、どこの先進諸国も、機能不全になりながら代議制民主主義でやっている。

 

ではどういう制度を作ればいいのかといえば、それは簡単にはいえない。けれども、代議制民主主義が機能しなくなったときに、直接民主主義の表現形態としてデモが出てくることは必然だ、という程度のことはどんな政治学者だって認めます。

 

古市 一般論としてはそうでしょうね。

 

小熊 当たり前のことが起きているだけのことなんだから。それを適切な投票行動とか政党支持につなげるのも、悪いことではない。しかし既存の代議制民主主義と政党政治が機能不全になっているのに、それを改めないで、デモを無意味扱いするとか、無理やり既存の回路に回収することしか考えないというのは、発想が狭すぎると思いますね。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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