舛添騒動で得たものと失ったもの

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乏しい候補者リスト

 

都知事選の候補者選びが難航している。特に民進党が深刻で、蓮舫氏、片山善博氏、松沢成文氏など国会議員や知事経験者の名前がいくつかが上がったがいずれも候補から消えてしまった。首都東京の顔である知事の座は政治家にとって魅力的ははずであるが、なかなか有為な人材候補が名乗り出ようとしない。これは異常な事態である。

 

これは舛添騒動の思わぬ余波である。舛添氏は政治資金の支出の公私混同問題で辞任した。これはこれで国民の意思である。しかし、政治資金の支出ルールはそもそも明確でなかったので、舛添氏ほどではないにしろ多少の“公私混同”を行っていた政治家は多いと思われる。(注1)過去にさかのぼって支出内容を精査され、公私混同が見つかれば政治生命を失うとなれば、どんな政治家もしり込みするだろう。

 

(注1)たとえば、地方のセミナーに一泊出張した際、ホテルの同室に家族を呼び寄せて泊まり、翌日一緒に観光して帰った場合はどうだろう。舛添氏の「正月の家族旅行に知人を呼んで議論して会議扱いにした」事例よりは罪が軽そうであるが、その差は微妙である。

 

これを察知してか自民党は早くから非議員で候補を探す方針を固めて官僚出身者を中心に候補者を探していたし(注2)、民進党の場合、議員など政治経験のある人に依頼しては固辞されつづけ、結局公示日3日前に民間人に候補にするにいたっている(注3)。過去に政治資金の公私混同問題がない人という制約をつければ、候補者リストが乏しくなることは避けがたい。

 

(注2)「都知事候補の本命不在:自民、非議員擁立で調整 民進、知事経験者らの名」 2016/6/29付日本経済新聞 朝刊

(注3)「都知事選 民進党、石田純一氏と古賀茂明氏の2人を軸に調整」フジテレビ系(FNN) 7月11日(月)5時5分配信

 

このような結果を招いた原因のひとつは舛添騒動が炎上的になり、落ち着いた議論ができなくなってしまったからである。通常は炎上はネット上のことであり、今回のようにマスメディアが主導する場合は狭義には炎上とは呼ばれない。また、ネット上の炎上が少数者の書き込みで起こりうるのに対し、今回の批判は明らかに国民の大多数の意思を反映していた点も異なる。

 

しかし、多くの批判が殺到して発言が一方的になり、議論が不可能になってしまうという点では、炎上と同じ現象が起きた。議論が不可能になったため、決着のつけ方が過激化してしまい、その結果多くの人材が立候補できないという事態を招くことになったと考えられる。本稿では、舛添騒動をネットではなくマスメディアが主導した変わったタイプの炎上事件としてみていくことにする。

 

理想を言えば炎上の程度を抑え、もう少し落ち着いて議論をしていれば事態はちがっていかもしれない。たとえば、支出の公私混同はこれから先は厳に慎むことにし、過去については自分で精査して公私混同部分を返上して自腹で弁済すればよしとする。そういうルールにすれば、舛添氏が辞めた後、新たな候補者は自らの過去を清算して出馬することができるから、都民はいまよりも豊富な候補者リストから知事を選ぶことができただろう。

 

しかしながら、炎上してしまうとそのような妥協的な決着はありえない。燃え上がる正義の炎は、相手を社会の表舞台から消すまで止むことはない。かくして炎上の炎の中で政治生命を失っていく知事の姿を見た政治家たちは恐れおののき萎縮してしまい、その結果、都民は乏しい候補者リストから知事を選ばざるを得ない事になったと考えられる。

 

もとより炎上には民主主義の発露の面もある。公私混同を正さんとすると国民の声が貫徹されたのはよいことであり、今後は政治家は襟をただすことになるだろう。しかし、行きすぎた炎上は行動の萎縮というコストももたらす。本稿は炎上の良い面を認めつつも、そのコストを減らすため炎上をもう少し抑制できなかったかどうかについて考察する

 

 

炎上を抑制する余地はあったか

 

炎上の程度を抑制し、もう少し落ち着いて議論をしたうえで辞めさせることは可能だっただろうか。そもそもそんな議論の余地はあっただろうか。舛添辞任時にはどのメディアもネットも舛添叩き一色であり、とても議論は成立しなかったように思える。しかし本当に人々の意見は一色だったのだろう。これをみるために、都民に対して簡単なアンケート調査を行った。問いは、都議会が舛添知事を辞めさせたことについて、辞任させるべきだったと思うか、辞任させなくてもよかったと思うかを問うたものである。図1がその結果である。調査日は2016年6月30日で知事が辞職した2週間後の時点で、サンプルは東京都在住の2400人である。(注4)

 

(注4)調査モニターは「アンとケイト」のモニターである。この会社のモニターの信頼性は不明であるが、得られた結果は一貫しているので大きなバイアスはないだろうと推測する。以下、この推測の下で議論を進める。

 

 

図1

図01

 

 

辞任させるべきだったを選んだ人が74%で圧倒的に多数派であり、予想通り舛添辞任すべしの世論は動かない。しかし。辞任させなくてもよかったを選んだ人が15%存在する(後に見るようにネットが情報源の人に限るとこの比率は20%程度に上昇する)。この数字なら議論は成立するレベルである。議論をしても舛添辞任すべしの結論は動かないだろうが、政治資金の支出のあり方についての議論が深まり、次の都知事期選に悪影響が出ないような決着がつけられたかもしれない。

 

論点はいろいろある。政治資金の使途を制限すると政治活動の自由を侵さないのか、公私行動の公私の区別をどうつけるのか。区別がついたとして適用は過去にどこまでさかのぼるのか。違反したときのペナルティをどうするのか。政治資金の使途についてはこれまでルールがなかったので、論点はさまざまに考えられる。舛添知事を辞任させるべきという側と辞任させなくてもよいという側が議論すれば、おのずからこれらの論点に話題が及び、議論が深まることになる。

 

ちなみに辞任させなくてもよかったと考える人がなぜそう思うのかはあまり知られていないので、自由記入で書いてもらった。すると「選挙するとかえってお金がかかる」「彼は有能であり、無給でやると言っているからやらせた方がよい」「似たようなことは他の政治家もやっており、彼は金額が小さく、大した問題ではない」の3つが大きな理由である。

 

一方、辞任させるべきという理由はすでに多くの人が表明しているように、せこい、公金を私的に使うなど信頼できないなど政治家としての資質に関する指摘が多い。辞任させるべきと考えている人は行使混同にあきれ、彼の資質に見切りをつけているのに対し、辞任させなくてもよいと考えている人は、他の政治家も同じことをしており、そのなかで彼は能力的にましな方だと考えているようである。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.266 

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