変化するパートナー関係と共同生活――家族主義を問う

シノドス国際社会動向研究所(シノドス・ラボ)ではシリーズ「来たるべき市民社会のための研究紹介」にて、社会調査分析、市民社会の歴史と理論、政治動向分析、市民運動分析、地方自治の動向、高校生向け主権者教育、などの各領域において、「新しい市民社会」を築くためのヒントを提供してくれる研究を紹介していきます。

 

今回は「多様化するパートナーシップと共同生活」(『入門 家族社会学』所収)執筆の阪井裕一郎氏に、パートナー関係と共同生活に関する国内外の現状や歴史についてご寄稿いただきました。

 

 

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1.はじめに

 

結婚しない人が増えたことによって子どもが減っている――。多くの人にとって疑う余地のない「常識」だといえるだろう。しかし、先進国のなかには、婚姻率が低下しているにもかかわらず、出生率が上昇傾向にある国も多くある。

 

このような事態を理解するには、結婚をしないで同居するカップル、すなわち事実婚や同棲(cohabitation)の増加に目を向けなければならない。

 

今も多くの日本人の常識では、「恋愛→結婚→妊娠→出産」こそが“正しい順番”である。もちろん、実態としてこの“正しい順番”は今日では少なからず揺らいでいる。近年では結婚より妊娠が先となる「妊娠先行型結婚」の割合が増えており、すでに2000年の段階で、結婚全体のおよそ25%にあたり、特に10代では81.7%、20代前半では58.3%を占め、現在まで上昇し続けている。(『国民生活白書』)

 

とはいえ、日本社会の特徴は、出産の時点ではほぼすべてのカップルが結婚しているという点にある。「子どもは結婚している夫婦から生まれなければならない」という嫡出規範が根強く存在しているのだ。

 

一方、欧米社会の状況を見ると、「結婚している夫婦が子どもを産む」ことが自明のことではなくなりつつある。先進諸国の婚外出生割合を示した図1を見てほしい。2012年時点で、日本が2.2%であるのに対し、スウェーデンやフランスでは過半数を占めており、そのほかの国でも3割から5割を占めているのが分かるだろう。つまり、もはや結婚した夫婦から生まれる子どもが少数派になっている国さえあり、先進国を比較するとこうした国で出生率が高いことが明らかになっている。

 

 

図01

 

 

もちろん、婚外出生率が高くなれば出生率が上昇すると安易に結論づけるのは早計である。とはいえ、現代の家族問題を考えるうえでは、婚外パートナー関係や婚外出生率の増加が何を表しているのかをじっくり検討することは不可欠である。本稿では、変化するパートナー関係と共同生活に関する国内外の現状や歴史について論じていきたい。

 

 

2.欧米社会における同棲の普及

 

アメリカのロックバンドBon Joviのヒットシングルに“Living in Sin”がある。歌詞の一部を抜粋しよう。

 

I don’t need no license

To sign on no line

And I don’t need no preacher

To tell me you’re mine

I don’t need no diamonds

I don’t need no new bride

(中略)

I say we’re living on love

They say we’re living in sin

 

この曲は、正式な結婚を拒んで(あるいは認められず)同棲したカップルが世間から非難されることを歌ったものだ。当人たちがいくら「愛のため」と言っても世間からは「罪」として否定される――。曲そのものは1989年に発表された比較的新しいものではあるが、婚外の性交渉を厳しく禁じるキリスト教道徳が支配的であった欧米社会では、長らく同棲は“living in sin”(罪に生きる)と呼ばれ不道徳なことだとみなされていた。そして、婚外子は道徳に反する者(Bastard)とされ法的・社会的な差別を受けたのである。

 

そのような欧米社会で、この40年間に「家族」をめぐって生じた最も大きな――そして誰も予期していなかった――変化が、結婚せずに同棲するカップルの増加である(Nazio 2008;Ciabattari 2017)。1980年代までは、同棲はあくまで結婚までの一時的な形態という見方が支配的であったが(注1)、現在では同棲が結婚につながる割合は著しく低下している。出産・子育てまでが結婚しないでおこなわれることも珍しいことではなくなった。それゆえ、今や家族研究では同棲カップルは決して無視することのできない存在となっている。

 

(注1)実際のところ、たとえば1980年代におこなわれたアメリカの調査でも、同棲全体のうち45%が最初の1年以内に、70%が2年以内、90%が5年以内に結婚するか関係を解消するという結果を示していた(Gold 2012)。

 

まず、同棲が普及したプロセスとその意味の変化を確認しておきたい。欧米社会では、1960年代から70年代頃より徐々に同棲が増加した。同棲の普及過程については、おおよそ3つの段階に区分して説明されることが多い(Kiernan 1999 ; Morgan 2000;Nazio 2008)。  

 

第1段階は「アヴァンギャルド現象」としての増加である。すなわち、同棲がキリスト教的伝統への抵抗としての一部の者たちによる実践であり、「対抗文化」や「逸脱」と位置づけられている段階である。男女平等や人権をめぐる社会意識の変化により、結婚制度への反発・不信が高まったことが背景にある。

 

次の第2段階は、「同棲から結婚へ」というライフコースの標準化ないし規範化である。1980年代になると、同棲を経由せずに直接結婚に至ることのほうがむしろ「逸脱」へと転じる。婚前に同居することで、将来の配偶者との相性を確認するという「トライアル」のプロセスが一般化したのである(注2)。

 

(注2)あるイギリスの調査によれば,1960年代には結婚前に同棲する女性の数はわずか5%程度であったが,1990年代になると女性の70%以上が将来の配偶者と同棲を経て結婚に至っている(Haskey 1995)。

 

そして第3の段階は、同棲が「結婚の代替」あるいは「結婚とほとんど区別できないもの」として受容される段階である。特に1990年代後半ごろより北西欧諸国では、同棲カップルにも法律婚カップルと同等の生活保障を与えることで、同棲と結婚の二つに大きな違いがなくなっていく。代表的なものとしては、フランスのPACS(1999年)が挙げられる。当初は同性カップルの生活保障を主な目的として制定されたPACSであったが、ふたを開けてみれば異性愛カップルの多くにも選択されることになったのである。

 

多くの国で、こうしたパートナーシップ制度に登録することで、税や社会保障、相続、財産の分割といった法律婚に与えられた権利の多くが同棲カップルにも適用されることになった。婚外子に対する法律上の差別も撤廃され、結果として婚外出生の割合も増加したのである。

 

特に1990年代以降の若者の結婚回避と同棲の増加については、社会構造の流動化や不安定化という観点から分析されることもある。たとえば、ドイツの社会学者E・ベック—ゲルンスハイムは、若年層を中心に増加する同棲を「リスク解消戦略」だと指摘する(Beck-Gernsheim 2002)。現代では人々が結婚や再婚に踏み切るときには、高い離婚統計、あるいは、不安定な労働市場といった構造的条件を考慮に入れる。人々のリスク認識の高まりが、結婚よりもより緩やかな関係である同棲が選ばれるようになった要因だというわけである(彼女は“With less to lose, it is easier to separate.”と表現する)。

 

 

3.日本における同棲と事実婚――その歴史と特徴

 

このように、欧米社会の多くで社会構造の変化が若者を同棲という選択に導いているのに対し、日本は今なお結婚外での同棲がきわめて少ない社会である。厚生労働省による2015年の『第15回出生動向基本調査』によれば、同棲経験のある18歳から34歳の未婚者の割合は、女性7.0%、男性5.6%に過ぎない。

 

日本では、結婚をせずに同居するカップルを大まかに「内縁」と「同棲」の二つに分けることができる。内縁は、婚姻の届け出はなくとも「婚姻意思をもって事実上夫婦として共同生活を営んでいる男女の社会的生活実態に基づき、法解釈上婚姻に準ずる関係として法律上の効果と保護を認める概念」である(曽田ほか 2013:7)。今でも法律上は「内縁」と表記されるが、近年では当事者らを中心に「事実婚」と呼ばれるものである。単なる同棲とは異なり、本人たちに「結婚」や「夫婦」という認識があり、多くは住民票を同じにする、あるいは結婚式を挙げるなどの何らかの公的な手続きを経由しており、子どもを持っているカップルも多い(注3)。

 

(注3)筆者がおこなったインタビュー調査では、「内縁」と「同棲」のどちらの言葉に対してもネガティブなイメージを持つ人がほとんどであった。「事実婚という言葉が広まったおかげで助けられた」と語る人もいた。

 

この事実婚(内縁)の歴史について少し確認しておきたい。

 

実は、戦前日本は欧米よりもはるかに内縁の多い国だった。イエ制度に関連した規範や慣行によって、正式な法律婚から締め出された女性が多く存在したことが主な要因である(太田・久貴 1973)。

 

一つには「足入れ婚」と呼ばれる慣行の存在がある。これは、正式な結婚をする前に、女性が夫側の「家風」に合うかどうか、「嫁」として適格であるかどうかを試される期間があったことを意味する。妊娠が分かってから初めて「嫁」として認められ正式に結婚することも多かった。跡継ぎを生むことが何よりも重視されたイエ制度のもとでは、女性が子を生めなければ離婚させられることもありふれたことであった(江戸時代の道徳書『女大学』の「子なければさる」は有名だろう)。それゆえ、結婚後に離婚して“戸籍を汚す”ことがないよう、あらかじめ妊娠を待って正式な結婚をしたというわけだ。

 

もう一つの理由は「妾」が多かったことである。たとえば、明治時代にアメリカから教師として来日したアリス・ベーコンは、著書『明治日本の女たち』のなかで、日本は離婚が多いことと並び「一夫多妻」を当たり前としていることに驚きを示している。また、山川菊栄は、「多少身分のある家なら、妾のいない方が不思議がられるくらい、それは一般的なものであり、自分の家に妾のいるのも、妾腹の子が何人もいるのも珍しくない場合が多い。……妾が何人いても、それを統制し、服従させて、家の中にごたごたを起こさせないのが賢婦人だとされていました」(山川 [1943]1983:134-137)と記している。妾を“抱える”ことは時に「男の甲斐性」を示すものであり、隠すべきどころか誇示するものでさえあったのだ(注4)。

 

(注4)小室直樹との対談で山本七平が紹介する政治家・三木武吉に関する次のようなエピソードも興味深い。「『あいつには妾が三人いるんだ』と反対派に選挙演説で攻撃されて、『三人なんてのは間違いだ、五人いるんだ。ただ五人の世話は一生やるつもりだ』と答えたら選挙民みんな感動してね。……三木武吉が最高点で当選しちゃったというんですね。つまりそのときには『そんなものはいません』ってうそついたらだめだ。……『三人じゃない、五人います』と、こういわなくちゃいけないわけね」(小室・山本 [1981]2016:235)。

 

このような事情もあり、戦後には「内縁を消滅させるには家族制度そのものを打破しなければならない」(中川編 1955:123)といったように、内縁はイエ制度批判の観点から問題視されるようになる。当時、川島武宜や我妻榮といった代表的な法学者たちは、家族の民主化を推進するためには、法律婚主義の徹底化が必要だと主張していた(川島 [1947]1950など)。戦後しばらくは、事実婚こそが「封建的」な存在と考えられていたのである(注5)。【次ページにつづく】

 

(注5)ちなみに、1991年に刊行された武居正臣著『内縁婚の現状と課題』の冒頭にも、「私の諸論文の最終目的は、内縁という現象を消滅させる方法をさぐること」と書かれているように、長いあいだ家族研究者の多くは「内縁の減少」を目標に掲げていた。

 

 

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