2018.03.23

旧大槌町役場庁舎に「第三の道」を――保存か解体かの二元論を超えて

永松伸吾 災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

社会 #大槌町#震災遺構

旧大槌町役場庁舎を巡る町民意見の分断

旧大槌町役場庁舎をご存じだろうか。2011年3月11日に発生した東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町が、当時町役場庁舎として利用していた建物である(写真参照)。巨大な津波にのみ込まれ、屋上への避難が間に合わず、一階・二階部分にいた当時の町長と職員40名がここで犠牲となっている。

この旧庁舎は部分的に解体されながらも、現在もまだ入り口部分は被災直後の様子を留めている。周辺部は土地区画整理によりかさ上げが進み、一段低くなった土地に旧庁舎は取り残されたかたちになっているが、逆にそのことによって、震災前の大槌町の土地がどれぐらい低かったのか、そしてその後の復興事業がどのようなものであったのかについても、雄弁に語っている。筆者は幾度となくこの庁舎を訪れているが、震災や津波の衝撃を生々しく伝えるという意味では、これほど胸を締め付ける施設は数少ない。

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旧大槌町役場庁舎((特活)まち・コミュニケーション代表 宮定章撮影 2018年3月13日)

この旧大槌町役場庁舎(以下旧庁舎とする)はまもなく解体される予定である。本稿を執筆する直前の2018年3月15日に、大槌町議会は旧庁舎の解体費用を計上した補正予算案を可決したからである。だが、この採決は賛否が6対6の同数で、最後は議長裁決による可決であった。それほどまでに町民の意見を二分する大きな問題であった。

もちろん、このような僅差での解体方針の決定に保存派は納得しているわけではない。報道によれば保存を求める住民団体は、住民監査請求など様々な手段で、拙速な解体を阻止していく考えであるとコメントしている。

そもそも、旧庁舎の取り扱いはかねてから大槌町の論争の種であった。2011年に旧庁舎の保存を求める署名が町議会に提案されたものの、保存のための財政負担や遺族感情の観点から不採択となっている。

2012年10月に学識経験者や職員遺族ら11人による「大槌町旧役場庁舎検討委員会」が出した報告も明確な判断を避け、当時の碇川豊町長に意思決定を委ねることとなった。これを受けて碇川町長は、2013年3月に旧役場庁舎の正面部分を一部保存する方針を表明した。震災の教訓を後生に伝え、残された家族や子孫、町民の安全を願っているであろう犠牲者の思いに答えたい、というのがその理由であった。

しかしながら、当時からこの庁舎を見ることが耐えられないという声は根強くあった。現町長の平野公三氏は、2015年の町長選挙で旧庁舎解体を公約として掲げ、当時現職の碇川氏を破って初当選した。平野氏は震災当時総務課長としてこの庁舎で被災し、多くの上司や部下を津波で失っている。

河北新報のインタビューによれば、個人的思いで旧庁舎の解体を訴えているわけではないと主張するが、庁舎を見ることが耐えられないという遺族らの声を誰よりもよく理解する一人であったことは間違いない。その意味で今回の解体予算案の提案は、被災者に寄り添った苦渋の決断であることは想像できる。

しかしながら、この旧庁舎を震災遺構として保存し、東日本大震災の教訓を後生に語り継いでいくべきだという意見は決して弱まっておらず、むしろ切実さを増しているように思われる。旧庁舎の保存を訴える住民団体「おおづちの未来と命を考える会」が今年2月に結成され、解体方針の再考を求める請願書を平野町長に提出している。

保存派は町の復興に対する強烈な危機感がある。現在、大槌町の中心部を訪問してみると、土地区画整理事業はほぼ完了しているものの、住宅が建設されていない空き地が目立つ。震災前に約1万6000人あった人口は、2017年9月の段階で1万2148人まで減少している。今後これらの人口が回復していく兆しもない。

これまでは、少なからず震災教訓を学習する目的で大槌町を訪問してくれる人々もいたが、被災のシンボル的な旧庁舎を失えば、復興の重要な手がかりを失い、取り返しのつかないことになると考えているようだ。そこで解体か保存かの二者択一を超えて、大槌町の復興を見据えた議論をしようというのが保存派の主張である。

筆者はこの問題に関してはまったくの部外者であり、詳しい議論の経緯を必ずしもフォローできているわけではない。しかしながら、多くの町民と同じように、こうした町民意見の分断に心を痛めているものの一人である。

旧庁舎を保存して復興の資源にするしても、あるいは解体して跡地を有効利用するにしても、大槌町の復興に向けた重要なステップとなるべき決断である。その部分で町民が深刻な対立を抱えたまま、庁舎の解体という、一旦行われると取り返しのつかない方向へ踏み出すことは、今後の復興に町民同士のわだかまりを遺すことになりかねない。

また将来的に復興が頓挫すれば、その責任を互いになすりつけ合う事態は容易に想像がつく。お互いが冷静になって、町の将来を語り合うことが何よりも必要であり、そのためには保存派が主張するように、「保存か、解体か」という二元的な対立を超えた、新たな選択肢も含めた議論が行われなければならない。

大槌町の震災復興ツーリズムとしての価値は約7億8000万円

私が勤務する関西大学社会安全学部に、被災地に積極的にボランティアに出かけていたある4年生の学生がいた。彼女は多くの震災遺構が解体される方向になっていることに心を痛め、震災遺構の防災学習効果を定量的に評価するような卒論を書きたいと私に訴えてきた。震災遺構を遺すことがどれだけの社会的な便益を生むのかが明らかになれば、世論が変わるかもしれない、地元の意見も変わるかもしれない、というわけである。震災遺構は社会にとって価値があることは誰しも認めるところだが、いったいどの程度の価値なのかはこれまで誰も明らかにしてこなかった。

そこで、我々は、環境経済学などでしばしば用いられるゾーントラベルコスト法を用いて、大槌町の震災遺構としての価値、すなわち震災学習の場としての観光価値を測定することにした。その結果、2014年から2016年の3年間における大槌町の震災遺構としての価値は約13億円におよび、今後観光客がこれまでと同じように減少していくと仮定しても、今後30年の価値は7億8133億円であると推計された。詳しい計算方法や仮定については、こちらを参照してほしい。

旧庁舎を仮に保存するとなった場合は、初期費用として8400万円、年間の維持経費は120万円であるということが、すでに町の調査で見積もられている。初期費用も含めた30年間の維持費用総額を、観光価値と同じ条件で現在価値に換算すると約1億553万円となる。つまり大槌町の震災遺構としての価値は、旧庁舎の維持管理費用の7倍以上にも及び、純便益は約6億7579万円にもなる。このことは、旧庁舎を解体することで、最大で6億7579億円が失われてしまうことを意味している。

なお、ここでは、大槌町の震災遺構としての価値をほぼ旧庁舎の価値と言い換えている。これには旧庁舎の価値を過大評価しているという批判はあるだろう。大槌町を震災学習目的で訪問するのは、必ずしも旧庁舎を訪れることだけが目的ではないからだ。しかしながら、旧庁舎が大槌町の震災教訓を伝える中核的な施設であることは論を待たず、それゆえに激しい論争になっていることを考慮すれば、7億8000万円のかなりの部分は旧庁舎の価値が占めると考えても差し支えないであろう。

7億8000万円は我が国全体の利益

ところで、この7億8000万円は、経済波及効果という意味ではない。この数字を見ると、旧庁舎を保存することで、観光客が町に訪れ、彼らが大槌町に落としていく金額が7億8000億円に及ぶ、そのように理解する人がいるかもしれないが、そうではない。それどころか、はっきり言えばこの金額は大槌町民のくらしとはまったく関係がない。

この7億8000万円という数字は、震災・復興ツーリズムの訪問先としての大槌町の価値である。いわば、日本国民が、震災学習の場として大槌町を訪問することの価値を金銭換算し、それをすべての訪問者で合計した金額だと考えて欲しい。したがってこの数字が示すことは、旧庁舎の解体は、日本国民全体にとっては大きな損失であることを意味する。

ただし、これだけの便益があるからといって、大槌町が旧庁舎を保存すべきだという結論には必ずしもならないことには注意が必要だ。震災遺構の保存に関して現行制度では、維持管理の費用は地元市町村が負担しなければならないことになっている。さらに、我々の分析では、旧庁舎をつねに目の当たりにしてつらい思いをする人々の心理的費用は考慮できていない。これらも地元の大槌町民が負担しなければならない費用である。

他方で、保存の便益は大きかったとしてもほとんどは大槌町民のものではなく、地元としては負担の方がはるかに大きい。こうした地元の負担を無視して、旧庁舎を残すべきだと外野から圧力を掛けることはあってはならないと思うし、筆者はそうしたことを意図しているわけではない。

筆者が主張したいことは、第三の道の可能性である。大槌町に震災・復興学習の場としてこれだけの高い価値があるということは、新たな方法を考える余地が十分にあるということだ。

保存費用に比べて観光価値が6億円以上も高いということは、それだけの金額を代替的な方法のために投じることは正当である。そしてその金額を国民全員の負担で行うことも理にかなっている。このことを踏まえ、旧庁舎の保存か解体かという二元論ではなく、解体派が納得し、それでいて大槌町の震災学習の場としての価値を失わせないような方法を模索すべきである。

保存か解体かの二元論を超えて

どのような第三の道があり得るのか。たとえば、解体派は旧庁舎を見ることが辛いという。ならば、見えないようにドームや施設で覆ってしまうというのも有力な選択肢であろう。むしろそれと併せて複合的な防災教育施設を建設するといった、発展的な提案も検討するに値する。

あるいは、解体するとしても、別の場所に移設するのも一案だろう。もちろん、被災したその土地にあるということは、それ自体が大きな情報であり、教訓としての意味は高い。しかしながら、移設することによって、より多くの人々が、より津波の脅威をわかりやすく示すということは可能である。教訓を伝える目的においては、必ずしもそのまま残すことがベストだとは限らない。それを見るのがつらいという声を考慮すれば、町外移設も検討されるべきかもしれない。

筆者は神戸にある「人と防災未来センター」という防災学習施設に6年勤務したが、震災から20年以上経過した今も、毎年50万人前後の来館者を集めている。そしてその施設があるということが、阪神・淡路大震災の教訓を伝える上で非常に重要な役割を担っている。我々の計算は、時間の経過とともに徐々に訪問者が減ってくるという前提の計算であったが、もしもこうした施設によって大槌町の訪問者を維持することができれば、上記の7億8000万円という社会的価値はより大きくなることが期待される。

ここであげた案は私の思いつきに過ぎず、いずれも莫大な費用がかかるだろう。しかしながら、仮にこうした第三の道の提案が地元から国に対して行われるならば、そのための費用負担を国は積極的に受け入れるべきである。

現在の復興庁の震災遺構に関する制度では、保存のための初期費用だけを国が負担し、しかもそれが解体費用を大きく上回らないことが条件となっている。だが、我々の研究成果は、大槌町旧庁舎はそれ以上の価値のある施設であることを示しており、より積極的な国の財政的関与を十分正当化できる金額を算出している。仮に制度上難しければ、クラウドファンディングや寄付によってでも、その費用を集める努力をすべきである。我々の研究成果は、そうした可能性も十分あることを示唆している。

旧庁舎をめぐる最終的な結論は、大槌町民が決めることであり、筆者はそこに介入するつもりはないし、すべきでないと考えている。だが旧庁舎が防災教育施設として有する価値は非常に高く、災害大国日本で暮らす我々にとってかけがえのない財産だということは強く指摘しておきたい。

今回の決定で、本当に旧庁舎が解体されてしまうことになったとしたなら、こうした人類の負の歴史を伝える資産を残していくために、現状の制度や意思決定の仕組みが適切かどうか、改めて検討されるべきである。

プロフィール

永松伸吾災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

関西大学社会安全学部教授。1972年福岡県北九州市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程退学、同研究科助手。2002年より神戸・人と防災未来センター専任研究員。2007年より独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員を経て2010年より現職。日本災害復興学会理事。2015年より南カリフォルニア大学プライス公共政策大学院客員研究員。 日本計画行政学会奨励賞(2007年)、主著『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)、村尾育英会学術奨励賞(2010年)など。

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