2014.07.15

カレー、チンして食べたら治りました――スプリング・躁鬱・スーサイド!

坂口恭平×末井昭×向谷地宣明

社会 #自殺#べてるの家#躁鬱日記

カレーをチンして食べたら、死にたい気持ちが治ってしまう!?――『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院)著者の坂口恭平氏、『自殺』(朝日出版社)著者の末井昭氏、「べてるの家」の向谷地宣明氏による、「自殺」をテーマにしたトークイベントの模様をお送りする。(構成/山本菜々子)

クレオール坂口恭平(4歳)

末井 『自殺』を書いた末井です。母親がダイナマイトで自殺しました。工員やキャバレーの看板描きやらを経て、白夜書房という会社で編集者をやってました。今は辞めてフリーで原稿を書いたり、編集の仕事をしています。

坂口 坂口恭平です。まぁ、躁うつ病の患者でございまして、この度『坂口恭平躁鬱日記』を出版いたしました。

向谷地 みなさん、こんばんは。向谷地と申します。僕は本を書いていないんですが、トークゲストということで今日は呼ばれました(笑)。簡単に自己紹介をすると、北海道にある「べてるの家」で生まれ育ち、精神保健の分野に関わっています。今日はすごく楽しみにしてきました。

『自殺』が去年の11月で『坂口恭平躁鬱日記』が12月に出たと。近い時期に出た本ですが、末井さんは坂口さんの本を読んでどう感じましたか。

末井 面白いです。僕も原稿書いたりしていますが、ものを創る人に対して、すごく刺激を与える本だと思いました。そうじゃない人にも面白いんですけどね。僕は『躁鬱日記』を読んで、1週間ぐらい前からですけど、自分でも日記を書き始めましたから。

それと、鬱の時と、躁の時の日記が入ってるんですけど、鬱のときの日記がすごい怖いんですよ。自己反省の反復というか、無茶苦茶暗いんですね。自分に才能があるんだろうかとか、そういうことが延々と続くんですよね。僕も鬱のときにノートにいろいろ書いていたんですけど、内容は違っても似てるんです。

でも躁になるとガラッと変わって、無茶苦茶元気なんですね。元気というか、なんというか、現実のような、現実でないような世界に行っちゃってるみたいなところがあって、その差がすごく面白いというか、怖いような感じがしました。

あとなんだろう。家族の物語ですよね。フーさんっていうね、いい奥さんがいらっしゃって……

向谷地 陰の主役のような存在ですよね。

末井 そうですね。それと、アオちゃんっていう女の子と、弦くんていう男の子のお子さんがいて、この4人の関係っていうのがすごくいいんです。バラバラな家族も多いと思うんですけど、これ読むと「家族っていいなぁ」と思って嬉しくなりますよね。

アオちゃんと坂口さんが自転車で走ってるところがいいですね。読んでて風が吹いてくる感じがするんです。アオちゃんと坂口さんは対等ですよね。親と子という感じじゃなくて、対等に付き合ってるようなとこがあったりして、そういうとこがすごく面白いなと。

坂口 アオは、「私が生んだ」って言いましたからね。僕のことを生んだと。

末井 あっ、アオちゃんが坂口さんを生んだ?

坂口 そうなんですよ、逆らしいんですよ。「私がここで出る」と自分で選んだようなんです。それを聞いて、泣いちゃって、アオに向かって「お母さ~ん!!」って抱き付きました。アオの世界で一本線がつながっているようなんですよね。僕は、アオのことを子どもだとあまり思ってない部分があるんです。

向谷地 あとがきで「クレオール坂口恭平(4歳)」というのが出てきますよね。もう一人の自分であると。それも興味深かったです。

坂口 本を読んでいない人にも説明をすると、妻のフーちゃんが、鉛筆をなめながら、「2人いることは確認してるのよね」と僕に言ったんです。

僕は躁鬱なので、躁と鬱と2人の人間がいて、2人までは確認ができてるけれども、それ以外はおぼろげで、輪郭がはっきりしていないと。だから、3人目の恭平を作ることを、今年の目標にしたらいいんじゃないかと言われました。僕も、なるほど、3人目かと。

向谷地 躁でも鬱でもない、3人目ということですね。

坂口 アオに「ママが言うには僕は3人いるらしい」と話しました。すると、アオが「3人目はもういますよ。しかも、その人はもうすでに描いていますよ。この前あげた絵をみてください」と言ったんです。

実は、その話が出るちょっと前に、「壁にこれを貼っておいてください」と鬱状態で寝ている僕にアオが絵を持ってきたことがありました。お札のような感じで、人間みたいなのが一人いて、虹がかかっていました。

その時は、これはアオを描いているんだろうなと思っていましたが、絵をよく見たら横に「パパ」と書かれていました。少し怖くなりましたね(笑)。アオは「3人目のパパは4才」と教えてくれました。

向谷地 それが、クレオール坂口恭平だと。クレオールというのは、たとえば異なる言語を話す人々が集まって生活するようになると、自然発生的に発達する混合言語のことですね。宗主国の上層言語である英語やフランス語と植民地の現地語が統合されて発達するとか。

坂口 そうです。友だちにこの話をしたら、「それってクレオール文学じゃん」と言われたので、読んだことないですけど、「クレオール坂口恭平(4歳)」と名付けることにしました。

向谷地 まさに、クレオール坂口恭平は、アオちゃんが生み出してくれたんですね。

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パラボラアンテナ

末井 弦くんは今何歳ですか?

坂口 1歳になりました。

末井 弦くんが、なにか神さまみたいな感じありますよね。笑ってるだけで、泣かないんですよね。

坂口 彼は両手にますかけ線があるんです。徳川家康もそうで、1万人に一人しかいないらしいです。

向谷地 すごい手相なんですね。

坂口 そういう話を家でしてて。アオが「私の手相は?」ってやってきて、見たら僕の手相に似ているんです。それだけなんですけど(笑)。

僕は、時々体がぼご~って変形してパラボラアンテナみたいになるんですよ。そのときに、色々なことを受信できて、すごい偶然が起きたりするんです。僕だけではなくて、そういう偶然って、みんなありますよね。

先日も仲がいい女の子と、獣のようにセックスをしている夢を見まして。夢であっても、申し訳なかったので、その子に「すまぬ」と謝ったんです。そうしたら、「実は、私、まだ誰にも言ってないんだけど……」って言うんです。

「エッ、オレのこと好きなの?」って思ったんだけど、そしたら、「実は妊娠が昨日わかって」って。「だから、セックスとか裸とか、言われて、びっくりしたんだけど」と。

なんかあるのかなぁっていう話とかを、つい先週しましたね。なんかパラボラアンテナみたいなときあるんですよ。

向谷地 なにか受信するんですね。

坂口 そう、みんな気づいていないで受信してるはずなんですよね。

末井 胸騒ぎとかあるし、受信しているのは確かなんでしょうね。

ほうじ茶タイム

向谷地 『自殺』を読んで、坂口さんはどのような感想を持ちましたか。

坂口 非常に興味深かったのは、なんら、メッセージを放っていないということです。僕はそう感じたんです。

(携帯のアラームが鳴る♪)

すいません。一応、お薬を飲んでねということなんで、バイブにしてても鳴るようになってるんですよ。

向谷地 服薬のお知らせですか。

坂口 そうです。服薬の時間です。ちょっと失礼します。(薬を飲む)

話を戻しますけど、『自殺』にはメッセージが感じられませんでした。死にたい人間に「死ぬな」とは言わないんです。

そのスタンスが、妻のフーちゃんと似ているように思いました。妻は僕にメッセージを放ちません。つまり、死にたいという人間に対して、死ぬなと言わない。死ぬなと言わないけれど、不思議なことに、あなたが死んだら悲しいような気がする、と言う。死ぬことを禁止してないにもかかわらず、あなたが死んだら悲しく思うというのは、僕にとっては不思議なんですけどね。

鬱の僕は、必死に死のうとして、躁の僕は必死に生きようとしています。狡猾なネズミみたいなんですよ。ちょっとだけ動物っぽいんです。そういう時に、「死ぬな」ってメッセージはなんにも効きません。

僕が鬱の時、彼女がベビーカーを押して家に帰ると、玄関の入口のところに、僕のグジャグジャになった内臓があるんじゃないのかという映像が出てくるらしいんです。いつか飛び降りるんじゃないかと思って。でも、僕のほうは、「それで楽になるというのであれば死んだほうがいいんじゃないか」って囁く悪魔に騙されそうになる。

向谷地 「死ぬな」というメッセージでは、自殺は止まらないと感じているんですね。

坂口 「死ぬな」と言われるよりも、話を聞いてもらったほうがよかったりします。

フーちゃんは「ほうじ茶タイム」というのを設けてくれるんです。僕の家の壁には穴がいっぱい開いています。石膏ボードで囲まれてる世界じゃ、躁状態、鬱状態の俺は、止められないわけですよ。「うわぁ~」って悪魔を押し出さなきゃいけないんです。「悪霊だぁ」って言うんですよ。

その、もうドストエフスキーみたいになってますから、「悪霊ども、退散せよ」て言って。アオは「えっ!? 悪魔くん来た!」みたいなことで、盛り上がってしまって。「エロイム エッサイム、うぉ~っ」てやって、壁を蹴る(笑)。

そうすると、一回霊気が抜けて、ちょっと落ち着くと。そしたらフーちゃんが手彫りの木のお盆を持ってですね、「はい、ほうじ茶タイム始まります」っていうんです。その時は2人で少しだけ落ち着いて会話ができる。

『自殺』はほうじ茶タイムに似ていました。書物というよりも、場というか。末井さんと対話しているような気持ちになる。対話はメッセージではないですから。雑談をすることで落ち着く感じがこの本にはありますね。

末井 自殺はいけないとか、命を大切にしようとか、言えないんですね。そういうことを言う気もないし、言っても絶対届かないと思いますから。

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「自殺」を笑って欲しい

向谷地 僕はこれを、精神科クリニックとかで読んでたんですよ。そうすると、タイトルと、この装丁からして、注目をひくというか。「向谷地さん、すごい本を読んでいますね」と言われました。

末井 病院のなかで読むとまずいらしいですよ。僕の奥さんのお兄さんの奥さんが、ガンのうたがいがあって検査入院してたんですけど、『自殺』をベッドの上に置いていたら、看護婦さんがそれを見つけて、それまで病院の外にも自由に行っていいですよって言ってたのに、出るときは声をかけてくださいねって言うようになったと。

向谷地 そうでしょうね(笑)。

末井 カバーして読まないとね。

向谷地 僕は、そのまま読んでいたし、読みながらゲラゲラ笑っていたので注目されてしまいました。内容は深刻なんですが、読んでいて笑ってしまうポイントがけっこうあったりします。しかも、僕にとって知り合いが結構出てくるんで、よけい面白くて。なんで、『自殺』ってタイトルなのに笑っているんだと、周りからしたらすごく奇妙に見えたらしいんですけど。

末井 笑って欲しいというのは、希望としてあったんですよね。それと、坂口さんがさっきおっしゃった、なんかこう、奥さんとお茶飲みながら会話してるようなって。いまここに自殺する人がいると想定して、その人に話しかけるみたいな気持ちで書いていたから、両方ともすごい嬉しい。嬉しいお言葉だと思いました。

向谷地 執筆のきっかけはなんでしょうか。

末井 きっかけは頼まれたからですね(笑)。まえがきに書いたんですけど、最初はすごくイヤだったんですよ、自殺について書くっていうのは。なんか、書いても楽しくないだろうなと。あと、僕は自殺についての知識が、自殺に関するデータのこととか、そういうのが全然なかったんで、じゃ、何書いたらいいのかなっていうのがあって。

しばらく書くような書かないような、あいまいな状態で、担当編集者の方と打ち合わせを2ヵ月に1回ぐらいやってたんです。それが1年ほど続いて、だんだんひょっとしたら書けるかな、みたいな気持ちになってきて。それで、3.11が後押しになって書き始めたっていう。ちょっと時間がかかっちゃったですね。

向谷地 『自殺』を書く前と書いた後で、自殺に対して思うことは変化しましたか。

末井 こうしてトークイベントとかやっていると、いろいろ教えられることがあって、少しずつ変化してますね。あの、変な言い方だけど、自殺する人っていうのは、命がけなんですよね。

向谷地 そうですね。文字通り「命がけ」ですね。

末井 自分が果たして、じゃあ命がけでなにかやったことあるのかって、反省じゃないけど、自問するわけですよ。そうすると、僕はちょっといい加減で、ダラダラ生きている人間だなぁと思って。ホントに命をかけて何かをしたかっていうことはないんで、どんどん、その、自殺する人に対してコンプレックスを持つっていうのはありますね。最初っから、自殺する人にはかなわないって思ってましたから。そういう気持ちがどんどん強くなってるっていうのはありますね。

向谷地 書いたことによって、「自殺する人、すごいなぁ」と敬うような感覚になったのでしょうか。

末井 かなわないっていう感じですよね。あと、自殺する人が好きというか、いとおしい気持ちもありますね。

向谷地 これを読んでいて、自殺について語るのが前向きになりました。自殺も精神疾患も、社会にあるはずなのに、見て見ぬふりされていますよね。このトークライブでは、それをあえて見る趣旨があるかもしれませんね。

末井 だいたい自殺する人のことを負け組だとか脱落者として見ますよね。見るんじゃなくて、意識の中でそう決めて、見ないようにするんだと思うんですけど。その人のなかに、自分もひょっとしたら、みたいなところもあるかもしれないし、それで自殺ということが禁句みたいになるんですけど、どんどん話すことで気持ちも楽になるし、解決策も見えてきたりしますよね。

向谷地 なんかこう、語られていない言葉がいっぱいある。

右肩下がり

末井 向谷地さんは、べてるの家で、ずっと育ったわけですよね。

向谷地 はい。

末井 べてるの家って、みなさんご存知かどうかわからないですけど、僕が知ったのも今年になってからなんですよ。医学書院の『べてるの家の「非」援助論』っていう本を読んでからなんです。それを読んでビックリしましたね。べてるの家って北海道の浦河町にあるんですけど、そこでいろんな精神病の方々が生き生きと暮らしているんです。

言葉として覚えているのは、右肩下がり。右肩上がりってみんな思ってますよね。学校で一生懸命勉強するのも、一流企業に就職するのも、みんな今日より明日のほうがよくなると思ってるわけですよ。明日の自分が今日より素晴らしくなってると。経済なんかも、みんなそういう考えですよね、明日のほうがもっと景気がよくなるとか。明日のほうがダメになるって誰も思わないんですよね。でも、その右肩上がりっていうのを止めてくれるのが病気なわけですよね。

向谷地 そうですね。アラームのように。

末井 アラームが鳴るように病気になるんですね。幻聴が聞こえ出したり、気持ちが沈んだり。

坂口 右肩上がりって気持ち悪いですよね。「俺は右肩上がりだぞ」って歩いている人多いですが、右上がりの時は、ちょこっと戻さないといけない。

末井 電車に乗るとすごいんですよね。僕もあんまり最近満員電車に乗らなくなったんですけど、すごい顔してますよ、みんな。朝なんか睨まれちゃう、女の人に。別に痴漢しようと思ってこう触れているわけじゃないんだけど、後ろから押されると、どうしても身体がくっついちゃったりするんで。「すいません」って感じでいるんだけど、向こうはギッとこう睨み返して。

まぁ、顔がちょっと痴漢に見えたのかもしれないけど。なんかそういうこと毎日、みんなやってるのって大変だなっていう。あそこでもうくたびれちゃう感じありますよね。

向谷地 べてるでは、ありのままを大事にしています。自分にそぐわない頑張り方をすると、やはり無理が出てくるんです。たとえば、患者さんの早坂潔さんは、嘘をつくと具合が悪くなるんですよ。

たとえば、彼はパチンコが好きなんです。「潔さん、最近パチンコ行ってるらしいね」って声をかけられて、負けてるのに「勝ってる」って見栄をはってしまったとします。そうしたら入院するんですよ。我々は「パチンコ入院」って言ってるんですけどね(笑)。

末井 嘘ついたら身体調子悪くなるって、いいですね。僕は平気で嘘ついたりしてた時期があるんですけど、嘘つくと気持ちが沈んで元気がなくなるんです。会社にいたときなんか、みんなの前で心にもないことなんか言ったりすると、とたんに元気がなくなって、声も小さくなってくるんです。

嘘つくと、自分の中に罪悪感みたいないや~なものが残ってきて気持ちが悪くなるんです。ホント、嘘つかない生活っていうのはいいなぁって、あこがれてたんですけどね。まぁ、結婚してるのに愛人がいたり、なんやかんやで、そんなこと妻に言えないですからね。すごいつらかったんですけど。今は嘘つかないからもう晴れ晴れして。

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脳の誤作動

向谷地 これまでに、鬱病と診断されたこともあると伺いましたが。

末井 はい。何ヵ月も会社休んだこともあるんです。もともと僕は、慢性的にちょっと鬱じゃないかなと思うんですけど。でも、そんなに落ち込むってことはなくて、軽い鬱状態が続いている感じですね。

『自殺』に書いてるんですけど、一時期ホントに自分がなんにも能力がないみたいな気持ちになって。いまの奥さんと一緒に住み始めたころに、奥さんに責められ続けてた毎日があるんですけど、それで自己嫌悪になってしまって。ギャンブルばっかりやって、嘘ばっかりついて、お金を人にバンバン貸して、みたいな。

そういう僕を見て、すごい不安になったんだと思うんですよ。それで、「末井さんは人にいい顔したいだけなんじゃないの」とか、「大切にしたいものがないんじゃないか」とか、「もとの奥さんのところに帰ったらいいんじゃないか」と決定的なことも言われて、すごい落ち込んで、じゃぁ自分は何をすればいいのかみたいなことで悩んで、泣きながらオロオロ近所を歩き回ったりしていた時期があって、そのころノートに書いていた日記みたいなのが残っているんです。それが、坂口さんが鬱日記で書いていたこととすごく似てるんですよ。

坂口 (笑)。

向谷地 『坂口恭平躁鬱日記』を読んでいると、躁の時はイメージ優位な感じがありますが、鬱の時は言葉優位というか、イメージの跳ねが無くなっていますよね。

末井 同じこと繰り返してますよね。

坂口 鬱の時に、緑をみても、グレーに見えるんです。躁になると全然鮮やかに変わってしまいます。緑の絶妙なグラデーションまでもが一気にわかるようになります。妻についつい説明したくなっちゃって。「緑のこれ、ブルー入ってるよね?」とか。

そんなことを繰り返していくうちに、坂口家の家訓がだんだん作り上げられてきました。「鬱状態の時は、脳の誤作動が起きるので、そこで言ってることは、嘘である。躁もまた同じ」と。

向谷地 素晴らしい家訓ですね。

坂口 鬱だけではなく、躁状態も誤作動なんです。躁状態の時に奇跡が起きて、素晴らしい作品が生まれて何万部と本が生まれてしまうと、坂口家はうるおいますよね。「鬱との違いはどう説明つけるんですか? お父さん?」と聞かれてしまったら、そこはまた言語化しなければいけませんが、土台にあるのは鬱も躁も誤作動だということです。

YouTubeで、「鬱病治療の今」といった映像をみまして、アメリカの最先端の医療では患者の頭蓋骨に穴をあけて、ストローみたいなものを刺されるんですね。「はい、電力通しますよ」と言った瞬間に、普段はモノクロの世界だと言っている患者が「緑がっ」て急に鮮やかに世界が見え出すようなんです。だから、躁も鬱も脳の誤作動で脳みその動きなんです。

向谷地 アメリカの鬱治療はすごいんですよ。電極を脳に刺して、手術してバッテリーを埋め込むんですよ。扁桃体に電気を流し続けて、鬱を治す方法がある。

潜水服

坂口 僕は、鬱状態の時にもすごく意味があると思うんです。躁状態の時に鬱状態の時のことを書くと、全部海の中の話なんですよ。日常のこと書いてるんですけど、嫁とか子ども、全員潜水服着てるんです。

向谷地 海中のイメージがあるんですね。

坂口 鬱状態の時は全部、水の中の話なんです。それで、鬱がよくなった時を書き出したら、いきなり、排水ボタンを押したように水が部屋の中からなくなって、嫁も子供も潜水服をとって、「じゃ、散歩行こうか」ってなる。

向谷地 誤作動だと自覚しているんですか。

坂口 できないですよ、そのときは。

向谷地 そのときはできないんですね。「誤作動起きてるね」って周りが言ってくれたらどうなんですか。

坂口 僕の中の支配人みたいなのがいるんですが、そいつがすごい堅物なんです。「都合のいい考え方をするな」と言ってきます。「こっちのほうが生きやすいと思ったら、都合のいい考え方をしても良いのではないですか」と、一応脳内の会議では言うんだけど。

そうすると、その場にいるみんながヒソヒソ悪口を言っている。「君は躁状態の時、こんな文章を書いてますよ~」とか言って、見せられたりして。「今、読めます? これ、どう、読めます?」って言われたりもして。

「いや、これは恥ずかしくて読めません」って断るんですが、「音読しなさい」「この本、六刷だって。売れとるらしいねぇ。み~んな読んでるらしいよ~」って言ってくるんです。そうなると「死にたい、死にたい」ってなってしまうんですよね。だから僕、『躁鬱日記』で、鬱状態の自分に向けて手紙を書いたんですよ。

向谷地 躁の状態の坂口さんが、鬱の状態の坂口さんに向けて書いたんですね。

坂口 そうです。最近は、手紙だけではなくビデオ撮影までしています。鬱の僕を多角的に救っていくしかないんですよ。記憶が10分ずつ失われていく人が描かれている『メメント』っていう映画があるんですが、それと一緒です。主人公は記憶がなくなるので、必死に刺青とかを入れて未来の自分に記憶を残そうとする。そんな風に、次は右に曲がれだとか、将来の自分に書いておかないと。

向谷地 うつ病の時は記憶がないと本では書いていますよね。

坂口 事物の記憶はあるんですよ。ただ、感情記憶が失われるんですよ。今日のトークショーのことは全部覚えてるけど、どういう気持ちでトークショーをしてたのかは失われてしまう。

鬱状態になると、悪い記憶がすべて吸着されます。昔失敗した記憶なんかと結びついて、3人くらい嫌な奴に睨まれていたとか、そんなことを思い出してしまう。

今、僕は多少上がり気味なのですが、躁状態になりきると、すべての人間が今日は楽しんでいるんだと誤解してしまうわけですよ。それは誤解ですよね。極端なんです。自分だけを疑えって僕は決めてます。

「カレー、チンして食べたら治りました」

向谷地 「誤作動」という言い方は、べてるの家でもするんですよ。もしかしたら、偶然の一致かもしれないですけれども。基本、精神疾患というのは、五感にいろいろ変調が出てきて、幻聴とか幻視もそうですけど、基本、誤作動だらけなんですよね。

末井 べてるでは、「幻聴さん」と呼んでますよね。2000人の幻聴さんがいる人もいるとか。

向谷地 そうです。誤作動に名前をつける。幻聴の他にも、触られてないのに触られたとか、叩かれてないのに叩かれたとかそういった誤作動もあります。

「死にたい」と思うのも誤作動です。患者さんに「死にたい」と言われたら、「あっ、それは誤作動だな」と僕たちは受けとめるんですよ。「今日は、なんの誤作動だと思う?」って聞くことにしています。そしたら、「う~ん、あれかな、これかな」と本人は言うんですが、「ところで、ご飯食べた?」って言うと、「朝から何も食べてない」って返ってきたりして。

「じゃ、何か食べてみたら?」と言って家に帰したら、「カレー、チンして食べたら治りました」って電話がかかってきたり。つまり、「空腹誤作動」だったわけです。ただ空腹なんだけども、「空腹」ってサインをなぜか本人が「死にたい」と感じてしまう。

坂口 僕も、夫婦で喧嘩がはじまったときに、「ちょっと待て、フーちゃん!」と。「この展開は覚えがあるぞ」って。「おそらく俺らは餃子を食べたら治るはず」って。そして、治るんですよ(笑)。

向谷地 夫婦で誤作動を起こしてるんだ。

坂口 そうそう。すぐに感情とか揺さぶられるので。僕はいつも、「メカニックな方向に行け」って言うんですよ。ヒューマニズムの方に走ったら、ろくなことにならないので。

ヒューマニズムに目をむけたら、死ぬ! 情死! 心中! みたいな勢いになってしまうんですが、たぶん人間ってもっとメカニックですよね。

(後編へ続く 本記事はα-Synodos vol.152号から転載です。)

(2014年4月 末井昭『自殺』×坂口恭平『躁鬱日記』発売イベント「スプリング・躁鬱・スーサイド!」(UPLINK)第一部より、一部抄録)

プロフィール

末井昭編集者

1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。
『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。平成歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北宋社→角川文庫→ちくま文庫→復刊ドットコム)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『純粋力』(ビジネス社)、『自殺』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞受賞。

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坂口恭平作家・建築家・画家・音楽家

1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。作家・建築家・画家・音楽家。路上生活の達人の生活を記録した『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)で注目される。2011年5月に独立国家を樹立、新政府総理に就任。その経緯と思想を綴った『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)がベストセラーに。自らの躁鬱病体験を当事者研究した『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院)を刊行し話題を呼ぶ。最新作は『坂口恭平のぼうけん 第1巻』(土曜社)。

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向谷地宣明「浦河べてるの家」

1983年北海道生まれ。北海道浦河町の社会福祉法人「浦河べてるの家」理事で北海道医療大学教授、向谷地生良氏の長男。生まれた頃から、べてるの家の精神障害を体験した当事者達と共に育った。国際基督教大学卒業。べてるの商品を扱う株式会社エムシーメディアンの代表取締役。当事者研究のワークショップを各地で主催するほか、各地域の家族会や当事者会活動を応援している。

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