2024.04.24
2024年6月12日(水)開催
【レクチャー】アドルノの思想から考える現代社会(全4回)
片上平二郎 ホスト:坂本かがり
- 開催日時
- 2024年6月12日(水)20:00~21:30
- 講師
- 片上平二郎
- ホスト
- 坂本かがり
- 場所
- Zoom【後日、アーカイブ動画での視聴も可能です】※本レクチャーは6/12、6/26、7/10、7/24の全3回です。
- 料金
- 9800円(税込)
アドルノの思想をいま考える
このレクチャーでは4回に分けて、20世紀の思想家テオドール・アドルノの思想を概観し、同時に、その枠組から私たちが生きる現代社会について考察します。
1903年に生まれ、1969年に死去したアドルノはまさに激動の時代を生きた人物です。当初、音楽家を志していたアドルノは、ナチス政権下のユダヤ人迫害によって、アメリカへと亡命することになります。しかし、その新天地アメリカも彼にとって、理想的な社会と言えるものではありませんでした。資本主義が大きな力をふるうアメリカにおけるポピュラーカルチャーは、ヨーロッパ的な教養人であるアドルノにとっては、きわめて粗暴なものと感じられるものでした。ファシズムの暴力から逃れたアドルノは、今度はあらゆるものが商品として扱われてしまう資本主義の暴力を目の当たりにしたのです。
しばしば“難解”であると語られるアドルノの思想はこのような彼の経験が刻みつけられたものであり、その経験をふまえて具体的な社会と暴力の関係に目を向けて読解したときにきわめてアクチュアルなものであると感じられることでしょう。みなさんと一緒に、現代社会における暴力の問題や文化の可能性について考えながら、アドルノの思想を読み直していきたいと思います。
第1回 アドルノの「音楽的な哲学」(6/12)
第1回の講義では「芸術・文化」をテーマにしてアドルノ思想をとらえます。若き日に作曲を学んだアドルノは、哲学や社会学を研究するようになった後にも、音楽が持つ思想的な可能性について考え続けていきました。新ウィーン学派の音楽に傾倒していたアドルノは特異な文体やスタイルによって「音楽のように考える」ことを行っています。「無調音楽的な哲学」という彼のスタイルをまずは紹介します。
亡命先であるアメリカで、アドルノは彼が「文化産業」と名付けるような商業化された文化状況と出会います。一部で悪評が寄せられる彼のジャズ批判もこのような文脈の中で行われたものです。いまとなってはアナクロな議論に感じられるかもしれないアドルノの「文化産業批判」ではありますが、メディアが当時よりもさらに大きな力を持つ現代の中で再考してみると、現在だからこそ見えてくるアクチュアリティがあるかもしれません。
第2回 「アメリカ」、そして「ポピュリズム」(6/26)
第2回では、初回の議論をふまえて「アメリカ」という問題について考えていきます。アドルノが亡命をした20世紀前半という時代は、世界の文化の中心が、第一次世界大戦で疲弊した「ヨーロッパ」から、“新天地”「アメリカ」へと本格的に移行していった時代です。いまだ「アメリカ」が大きな力を持ちつつ混迷する現在の世界の中で、典型的な「ヨーロッパ」教養人であるアドルノがとまどいとともに観察した「アメリカ」という文化空間について考えてみましょう。
アドルノはアメリカ在住期に、『権威主義的パーソナリティ』という民主主義社会下でのファシズムの潜在的成立可能性について考察する研究グループに参加しています。この研究は、トランプ現象を考察するに辺り、再度注目されることにもなりました。「アメリカ」について考えるとともに、「ポピュリズム」という現代的現象についても目を向けてみたいと思います。
第3回 社会学と実証 ――アドルノは「統計調査」批判者か?――(7/10)
第3回は、「社会学の方法と理論」をテーマとして扱います。アドルノは亡命時、音楽的知識を買われ、ラジオ調査のプロジェクトに参加することになっていました。しかし、そこでの「統計調査」の位置付けをめぐり、プロジェクトの責任者であるラザースフェルドとの間で深刻な対立が生じ、彼はこのプロジェクトから離脱することになります。アドルノからすれば、数字で「文化を測定する」研究は、それ自体が文化に対する愚弄のように感じられました。しかし、同時にアドルノは、『権威主義的パーソナリティ』の中で、社会を知るための方法として「量的調査」、「質的調査」、「理論的思惟」を組み合わせ、社会を調査することの重要性を主張しています。
後に「実証主義論争」に参加しもするアドルノの「実証主義」に対する複雑な態度をふまえながら、改めて、社会を知るための方法と理論について考えてみましょう。
第4回 暴力性から脱する社会構想のために(7/24)
最終回では、「現代社会と暴力」という広いテーマについて考えてみましょう。アドルノの最も有名であろう言葉に「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というものがあります。「文化」の可能性を誰よりも強く信じていたアドルノですが、それだけに20世紀の中でふるわれた暴力の強大さの中で、「文化」の無力さを痛感することは必然でもありました。『啓蒙の弁証法』や『否定弁証法』の思索の中にも、社会的暴力に対する深い考察と批判を読み取ることができます。
私たちの社会は、ハラスメントのようなミクロなかたちでも、戦争や虐殺のようなマクロなかたちでも、無数の暴力的な出来事にあふれています。モダニティと暴力という問題系に基づいて現代史を読み解く中で、なんとかこの暴力性から脱するための社会構想の端緒を見出すことができるかもしれません。あえて、講義の最終回ではこの大きな問いをみなさんとともに考えてみたいと思います。
〈受講者のみなさんへ〉
とりあえず、この講義では受講者のみなさんとさまざまにおしゃべりをしてみたいと思っています。硬質な哲学的な話題とやわらかい日常や趣味の話題がどんどんと絡み合い、融合しながら、他の場所では成立しないような“密度の濃い雑談”が生まれたときに、学問的なコミュニケーションは成功するものだと考えています。普段は出会わないような人々がふとした偶然から出会い、その場だからこそ生まれる関係性が生じる、そんな“ちょっとした奇跡”のような感覚をつくれるようにがんばって話題提供のための準備をしていきます。気軽に、でも、どこか真剣さも伴いつつ、ご参加ください。よろしくお願いします。
プロフィール
片上平二郎
1975年生まれ。立教大学社会学部准教授。理論社会学、現代文化論を専門とする。著書に『アドルノという社会学者 ――社会の分光と散乱する思想――』(晃洋書房、2018年)、『「ポピュラーカルチャー論」講義 ――時代意識の社会学――』(晃洋書房、2017年)。最近参加した書籍としては奥村隆編『戦後日本の社会意識論 ――ある社会学的想像力の系譜――』(ミネルヴァ書房、2023年)、限界研編『現代ミステリとは何か ――二〇一〇年代の探偵作家たち――』(南雲堂、2023年)などがある。