グローバル資本主義の中の「非営利」――「バーチャル政府」の意外な可能性

グローバル化とナショナリズムの狭間で

 

世界中がグローバル化とナショナリズムで大揺れである。英国がEUを離脱し、米国もトランプ大統領となって自国第一主義へ大きく舵を切った。フランスではテロが頻発するたびに極右政党がその存在感を強めている。いたるところでグローバル化と反グローバル化とナショナリズムが三つどもえとなって衝突している。

 

世界も迷っているのだ。どこへ向かうべきか道は見えない。世界的なナショナリズムの高揚は、国家(Nation State)という、世界を成りたたせている基本の枠組みが、グローバル資本主義に翻弄されて、かつてないほど弱い立場に立っていることの裏返しではないか。様々な問題が噴出しているが、それを市場も国家も解決できなくなっている。これから先は、グローバリズムだけでは足りない、ナショナリズムでも解決できない。何かが必要だ。それは何か。

 

この問題を考える上で、ひとつの補助線を引いてみたい。それが「非営利」である。「非営利」は、後に論じるように、営利でも反営利でもない不思議なあり方だ。慈善活動やボランティアを含むが、それに尽きるものでもない。どうやらグローバリズムや資本主義とも共存しているようだ。資本主義に対する真っ向からの反対ではなく、批判も含んだ共存や共生のあり方ではないか。しかしそのためにはいくつかの「条件」が必要だ。

 

本稿は、1990年代に米国の非営利セクター論を展開したレスターM.サラモンらの理論を批判的に再検討しながら、「非営利」概念がもっと拡大可能であり、それが意外な可能性を引き出すのではないか、ということを論じる。

 

 

冷戦後の世界で

 

1990年代初頭、東西冷戦が終結した後に残された大きな問題は、崩壊した巨大な社会主義国家の担っていた役割のうち、資本主義化できない部分を、どこがどう担うか、ということだった。国家は国家を直接支援することはできない(内政干渉になる)。そこで米国の民間財団等は非営利セクター研究者レスターM.サラモンらの主導により、民間の非営利セクターの育成とそれによる社会運営という手法によって旧共産圏諸国の支援に乗り出した。非営利セクターの育成は、旧社会主義国が資本主義と共存する方法として考えられた米国流のソリューションだったのだ。

 

この見方は9.11以後、楽観的すぎると批判されるようになった。しかし、世界的な格差社会の拡大や「福祉国家」の危機など、様々な社会問題の噴出にたいして他に有力な方法は見つかっていない。サラモンによれば、近年では、IT産業やグローバル資本主義の中で成功を収めた富豪たちが、この「非営利」という補助線をたどって「社会的インパクト投資」という手法を応用しはじめているという。それが米国流の「フィランソロピー」や「ソーシャルビジネス」であり、「米国流の福祉国家」なのだという。さらに米国では、「政府」と「非営利」が「バーチャル政府」を形成して問題の解決にあたる、そういう方法が動いているという。そこでは「政府」も「非営利」も、従来のような実体的な存在ではなく「バーチャル」なかたちで機能を果たす方向へと変化しているのだ。

 

もちろん「非営利」が根本的な解決策だとは思われないし、楽観的になりすぎるのも考えものだ。しかし、この補助線を引いてみると、今まで欠けていた何かが見えてくるのではないか。

 

 

グローバル化と格差社会への処方箋─ピケティとサラモン

 

貧困や格差など、様々な福祉課題は、かつてなら「福祉国家」という枠組みの中で解決がはかられたはずだ。ところがグローバル化によって国境や国民という概念が溶解しはじめるとこの枠組みが機能しなくなる。こうした世界的な格差問題への解決策として、近年、もっとも注目されたのは、フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』(原著2013)である。この中で、ピケティは世界的な経済格差拡大の原因を、所得よりも資産の格差に求めている。所得以上に資産の生み出す富が大きくなっているからだ。そして、この問題への究極的な解決策として「世界規模での資産課税」を提案している。

 

この解決策の評価は、分かれている。所得ですら正確には補足困難なのに、資産を世界規模でとらえて課税できるものだろうか。そのためのグローバル課税には現在の国家以上の「世界国家」がなければ不可能ではないかという批判である。だが現実には困難でも、理論的には正しいところを突いていたのではないか。

 

サラモンの「非営利セクター論」や近年の『フィランソロピーのニューフロンティア─社会的インパクト投資の新たな手法と課題』(原著2014)に注目したい。これは一見、ピケティの議論と無関係に見えながら、じつは同じ問題関心を、米国流に反転させたものと考えられる。しかしサラモンの議論は、ピケティとは異なる米国流の価値観を前提にしている。まず、巨大で強大な国家は認めない(社会主義や共産主義、ましてや世界政府などもってのほかである)。ついで、政府ではなく、民間の自由な活動による社会問題の解決こそが望ましい。自由な資本主義のもとで自由に経済活動を行い、その結果、資産を増やしたら、その富を社会を改良するために有効に使いたい、というのが米国流のグローバル資本主義が選好する社会問題の解決方法なのだ。

 

この「米国流」の「自由」の条件を満たしながら、世界の社会問題を解決していく道を考えると、「社会起業」や「ソーシャルビジネス」、その発展型としての「社会問題解決型の社会的インパクト投資」などがあげられるだろう。国家による問題解決は、米国の価値観に合わない。ということは、グローバル化する資本主義にも合わないだろう。つまりピケティ方式でない方法が必要なのだ。

 

 

非営利はどこから来たのか、どこへ行くのか?

 

そもそも「非営利」とは何なのか。考えると謎だらけだ。営利の否定なのか、市場と経済の否定なのか、社会主義に回帰しようという試みなのか、つまるところ資本主義の否定なのか。

 

そうでないことは明らかだ。非営利セクターは、資本主義の中心となる国々でこそ大きいからである。ちなみに資本主義の中心であるニューヨークは、巨大な非営利団体の本部が集結する中心地でもある。米国だけでなく現代の先進資本主義国では、どこもボランタリーセクターや非営利セクターが大きくなっている。アフリカや中東、アフガンなど貧困と紛争の頻発する地域などで活動する多くの団体がNGOなどの「非政府」組織としてその活動が注目されている一方で、資本主義の中心には「非営利」が大きく存在するのだ。

 

では「非営利(Non Profit)」というシステムは、いったい、どこで生まれたのだろうか。それは間違いなく資本主義の中心地米国からである。非営利セクターの歴史を研究するハーバード大学のピーター・ドブキン・ホールによれば、「非営利」という考え方は、米国東海岸のマサチューセッツ、なかでもボストンや、同じく東海岸のフィラデルフィア周辺から歴史的に展開してきたという。これは米国における資本主義の発祥地と同じだ。これまで「非営利」は、近代資本主義の矛盾に反対し、対抗するために生まれてきたと考えられていた。しかしホールは、歴史的にみると米国の資本主義でもっとも成功した人たちの中から「非営利セクター」が生まれてきたことを論証している。

 

だとすれば、奇妙なことではないだろうか。営利を合理的に追求する資本主義の、その中心から「非営利」が生まれてきたことになるからだ。米国では資本主義と非営利という一見したところ正反対のものが生まれ、ともに発展してきた。しかも敵対するのでなく相互に結びついている。

 

こうして見ると、米国由来の「非営利」は、どうやら反・資本主義でも、反・経済でもなく、むしろ資本主義の発展とともに展開してきたようだ。そして今、グローバル資本主義の発展とも、うまく共存している。【次ページへつづく】

 

 

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