2021.03.05

「普通の生活」を重度障害の当事者たちが繰り広げる――『当事者に聞く自立生活という暮らしのかたち』(三輪書店)

河本のぞみ(著者)作業療法士

当事者に聞く 自立生活という暮らしのかたち

著者:河本 のぞみ
出版社:三輪書店

「自立生活」という言葉を、知っているだろうか?

「自立」すると言えば、親からの経済的な独立、実家を出て自分で暮らしをうちたてること、依存しないことをイメージすると思う。インディペンデント・デイといえば国の独立記念日。そして、インディペンデント・リビングが自立生活。

私は在宅訪問サービスをする作業療法士でリハビリテーション界の人間だ。この業界では自立といえば、もっぱら身の回りの行為が人の手を借りずに行えることを言う。不自由になった身体でも、何とか練習して着替えができる、風呂に入れる、トイレで自分でパンツを上げられる。仕事ができれば言うことなしだが、日常生活が人の手を借りずに行えたらまずは大成功、そんな感じだ。だから病院では、ベッドから出て目的場所に自分で行く歩行などの基本動作とならんで、日常生活の諸動作の練習をまず優先する。

日常生活に人の手を借りるなんて情けないと思う人は、多い。人間として1人前に見なされない。尻の始末もできねえ奴が1人前の口をきくな、なんて落語では江戸っ子のセリフ(今はウォッシュレットがあるので尻の始末は問題にならないけど)。私たちは子どものころから、「一人で着替えたの?えらいねぇ」と褒められてしつけられる。依存は恥ずかしいことだと刷り込まれている。

ところが日常生活を介助で送る、もう一つの「自立」概念がある。全く分かりにくい話だが、障害をテーマに、リハ業界では人の手を借りないことを「自立」と言っている(看護・介護業界も医療も一般的にも)のに対して、障害当事者たちがそこへの異議申し立てをしたのが、介助を受けての「自立」であり、そこに向けての運動が「自立生活運動」だ。

始まり

これは昨日今日の話ではなく、日本では1970年代に起こった脳性麻痺者たちの運動に端を発している。アメリカでも60年代後半に四肢麻痺、呼吸障害というポリオの若者(鉄の肺という呼吸器を使用)が、カリフォルニア大学に入るための交渉をして、介助を受けながらの大学生活を始めたのが出発点と言われている。この時代は、日本でも海外でも若者が学生運動、反戦運動、など熱く燃えていた時代ではあるが、日米の障害当事者の運動を見ると、少し景色が違う。

脳性麻痺は周産期の脳損傷による障害であり、ポリオ(脊髄性小児麻痺)は子供のころに罹患した病気による障害だ(ちなみにポリオは第2次世界大戦後、世界的に流行したが、その後開発されたワクチンによって、現在先進国ではポリオウィルスは根絶している)。

脳性麻痺者は、「殺すな」と叫ぶことから、運動が始まった。障害児を持った母が、悲観して子供をエプロンの紐で殺してしまった事件に、母への同情が集まり減刑嘆願運動がおこった。それに対して、殺される側として当事者が異議を唱えたことが、脳性麻痺者の運動の出発だ。彼らは、「本来あってはならない存在」とされてきたことへの強烈な意識が根底にある。だから「殺すな!」と叫ぶ。脳性麻痺者は、不随意運動や言語障害があり、その声に耳を傾けられてこなかった人たちだ。青い芝の会という脳性麻痺者の当事者団体が、文字通り身体を張って、生きるための行政交渉をした。

アメリカの運動は、人工呼吸器(鉄の肺)を使うポリオのエド・ロバーツ氏が、カリフォルニア大学に入学を拒まれたところが始まりだ。大学は障害がある学生の入学を認めていたが、鉄の肺使用というところで、そこまで重度の学生を想定していなかったことが露呈した。(因みに日本では呼吸障害がある重度のポリオの子どもは、生きられなかった)。「生きよ」と言われて育ったポリオの青年は、大学に入る段になって「えっ、うちの大学に鉄の肺をもって来るって、、、、学生寮ってわけにいかないし無理でしょ」といわれたが、大学との交渉をして入学を果たし、その後はずっと様々な交渉の連続、そして他の重度障害の学生への入学の道を開いた。

日本の脳性麻痺者たちは、「生きさせよ」というところから始めているので、健常者の足元を揺さぶるような、生存の根源に迫るようなところがあった。捻じれた身体、絞り出す声で東京都庁前に座り込み、最初は施設処遇改善、施設に見切りをつけてからは、在宅生活を送るための介護保障を訴えた。

ロバーツ氏たちの運動は、勉学の機会を等しく持たせよ、から始まっているので出だしが随分違う。だが、いざ大学を出て何をして行くかという段になって、住むところ、介助者確保、経済的基盤など、病院や施設以外で暮らすにあたってなにも基盤がないことに直面する。そこで、重度障害があっても、普通に暮らすためにするべきことを「仕事」とした。それが「自立生活センター」の運営だ。行政への働きかけ、暮らし方のノウハウを伝えていくこと、介助者の派遣、重度障害があっても病院や施設では無くて、普通にアパートで、介助を受けながら自分の暮らし方を作り上げていく、同時に町のバリアフリー化もすすめる、そんな事業体が「自立生活センター」だ。

日本で脳性麻痺者が耕した、「生きさせよ」の土壌に、アメリカの自立生活運動のノウハウが種まかれて、「自立生活」という介助を受けての自立、暮らし方を自分で決める、家族介助によらない暮らしの形が作られていった。

当事者が作った制度と暮らし

日米いずれも、彼ら当事者たちの運動は根底にリハビリテーションへの批判がある。つまり、リハビリという名前の、健常に近づけるための訓練は、結局のところは障害があってはダメだというメッセージを排出し続けている、健常に近づくことでやっと社会の中に居場所を作ってやると言ってるのと同じというわけだ。リハ業界に身を置く私は、それはちょっと言い過ぎでしょ、と言いたいが、障害を個人に帰するもの、個人の努力で克服するものという一般通念とリハビリが、非常に近しいところにいることは否めない。

障害があるままで普通に暮らす方法があるということ、そのための制度も彼ら当事者が、地を這うようにして、整えていったこと、そしてその暮らしはどんな風なのかをつぶさに見てやろうじゃないかと思った。

まず、9人の当事者を取材した。それから先駆者と介助者に話を聞いた。

彼らは、ひとつひとつヘルパーに指示をして暮らしを作る。多くの人が想像する高齢者介護のヘルパーと、少し趣がちがう。ヘルパーは、気を利かせたりしない。言われたことだけをする。主体は当事者にある。だから、例えば月が替わってもめくられていないカレンダーは、めくってと言われなければそのままにする。決して先回りはしない。当事者は失敗する自由もあるのだ。冷蔵庫から出した食べ物が少し匂ってたら匂ってますよとは言う。だが、食べると言えば、そのまま出す。私だって、多少古くても自分のおなかが大丈夫だと思えば食べたりする。そうやって、自分固有の基準で判断する。そういう普通のこと、普通の生活をしようというだけなのだ。

どのアクセサリーをつけて出かけるか、冷蔵庫に残ってるもの何、じゃお昼はキムチ納豆でいいわ、その机の上を拭いてください、そっちは拭かなくてもいいです…ヘルパーへの指示は多岐にわたる。とはいっても、誰でも普通の生活は割合とワンパターンだ。日常の買い物だって、そんなに変わったものを買っているわけではない。だが時には、あ、あの焼き鳥がおいしそうだから買って帰ろう、そして今日は家でビールを飲もう、そういうことはある。ヘルパーと外出から帰る途中で、そんな風にヘルパーに指示を出して焼き鳥とビールを買って帰り、家で介助によりビールでプハーっとする。

健常者の大人が普通にやっているそういう暮らしを、重度障害の当事者たちが繰り広げる。映画館に最終ロードショウを見に行く、釣りに出かける、旅に出る。居酒屋で仲間と談笑する。施設に居たらできなかっただろうという、そんな暮らし。自分で決める、自分で管理する、自分で選択する、介助者はあくまでも黒子に徹し、判断をさしはさまない、そんな暮らしの様子を書いた。

暮らしというものは、他人には見えない。街でヘルパーと買い物をする車いすの人を見かけても、その暮らしに思いを馳せる人は居ないだろう。だがそれは実は、攻めの暮らしだ。ヘルパー介助の時間数を、役所に行って交渉して増やしてもらう。自分で面接をしてヘルパーを採用する、条件が合わなければ採用を断念する。介助による「自立生活」という言葉はこうして成立する。

うまく伝わるだろうか。重い障害がある人が、介助者と共に作り上げる、普通のそして固有の暮らし。

こんな風に暮らしていいんだと思えること、彼らと一緒にいることが、随分私(健常者)を楽にする。そして、彼らの暮らし方は、何というかとても丁寧だ。

「殺すな」という声は、今でも聞こえる。実際に、障害者や要介護者が殺されている。

家族が全て抱えてはいけない。それは、やってはいけないことなのだ。だからと言って施設ではなくて、地域で普通に暮らしていい。そのモデルは、脳性麻痺や頚髄損傷や筋ジストロフィーや、え?あんな人たちがと言われている人たちが作った。そして、我が国は何を隠そう、その道ではけっこういい線を行っているのだ。

そのことを知ってほしくて、書いた。

彼/彼女らは、向こう側ではなく、私(健常者)の立っているところの地続きに居るということがわかるまでに、ちょっとばかり時間がかかった。なぜなら、私は彼らの批判の鉾先、リハビリ業界に身をおいているので。

そういうわけでこの本はリハビリテーションと障害に関しても、少しばかり踏み込んでいる。

ドリアン助川氏の書評

https://www.bookbang.jp/review/article/628611

プロフィール

河本のぞみ作業療法士

作業療法士として訪問看護ステーション住吉(浜松市)に所属。重度障害者9人の暮らしを取材し、「当事者に聞く自立生活という暮らしのかたち」を2020年3月三輪書店より上梓。看護とリハ、重い障害と車いすといったテーマで取材、執筆をしている。演劇者(里見のぞみ)として路上演劇という活動にも従事。

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