分析美学ってどういう学問なんですか――日本の若手美学者からの現状報告

シノドス編集部から「分析美学について記事を書いて下さい」と依頼を受けたとき、困ったな、というのが正直な感想だった。ある学問について、よくわからないので知りたいと思うことはある。とりわけ新興の、目新しい学術分野が出てきたときはそうだ。神経倫理学とは? 人口経済学って何? 今回の「分析美学ってどういう学問?」という質問もおそらくこの種の質問だろう。

 

たしかに近頃、「分析美学」という学問分野は、新しく、盛り上がっている学術分野だという印象を与えているようだ。日本では2013年に『分析美学入門』(勁草書房)、2015年には『分析美学基本論文集』(勁草書房)といった翻訳が刊行され、2015年秋の分析美学をテーマにしたブックフェア(紀伊国屋書店新宿南口店開催)は記録的な売り上げを残した(注1)。だが困ったことに、分析美学というのは、新しく現れてきた学問でも、最近盛り上がっている学問でもないのだ。

 

この記事では、日本の美学業界の特殊事情にも触れつつ、分析美学という学問とその現状について説明する(注2)。そしてちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないが、本稿の主たる主張は「分析美学って普通の美学ですよ」というものだ。

 

なお編集部からの依頼では「字数制限はないですよ」と言われたので、この記事は長い。よって全体の構成を先に示しておこう。以下では、1.「分析美学」「分析哲学」という学問についてまずは大まかな見取り図を示した上で、2.「論述のスタイル」「学問的価値観」という点からより具体的な説明を加える。その後、3.なぜいま分析美学が盛り上がっている「ように見える」のかについて、日本の美学界の特殊事情をふまえつつ説明した上で、最後に4.分析美学の面白さと分析美学を学ぶメリットについて若干の私見を述べたい。

 

 

1. 分析美学とは、分析哲学のなかの美学的な事柄をあつかう一分野だ

 

「分析美学って何ですか」という質問への教科書的、かつ穏当な答え方は、「分析哲学の手法を用いて美学的な問題をあつかう学問ですよ」というものだろう。だがこの説明で「わかりました」と納得する人はあまり多くないだろう。むしろこの記事を読む人の中には「美学という学問があるなんて初めて聞いたし、分析哲学という分野のこともよく知りませんよ」という人のほうが多いかもしれない。そういう人たちに向けて、まずは(1)美学とは何か、(2)分析哲学とは何か、について若干の概説と文献紹介を行なっておく。

 

 

(1)美学とは何か

 

美学とは、〈美しいもの〉や〈面白いもの〉などを見てとるときに働く「感性」(注3)について考える学問である。「美学」という名称をつけてこの分野を確立させたのは、18世紀の哲学者バウムガルテン(注4)だ(学問が確立したのは18世紀であるが、感性や美について考察しようとする試みは古代のプラトン、アリストテレスにまで遡ることができる)。18世紀以降の西洋社会においては、芸術こそが感性の働きが典型的に現れる場だと考えられたこともあって、18世紀以降の「美学」とは「芸術哲学」とほぼ同義でもあった(注5)。

 

美学という学問についてはすでに良質な入門書もいくつか出ているし(佐々木健一『美学への招待』(中公新書)、小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会))、web上でも秀逸な記事を読むことができる(「佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16))。また上記ブックフェアの記録ページにも「美学の基本書」というパートがあり、そのパートの解説文から、概略的に美学という学問の歴史をたどることができる。

 

 

(2)分析哲学とは何か

 

分析哲学とは、20世紀初頭に生まれた哲学の一動向である。初期は主に概念や言語使用の分析を行う学問として発展してきたが、今では認識論や科学哲学などと結びつきつつ、主題、手法ともに多様化している。この定義や論証の厳密性を重視する傾向が強いなど(こうした特徴は、フランスなどの「大陸系」哲学やアジアの伝統的哲学などと比較した時につよく浮かび上がる)、論述スタイル上のいくつかの特徴はいまでもおおまかに共有されてはいるが、もはや分析哲学を厳密なしかたで定義することは非常に難しいというのが実情だ。

 

「分析哲学」という言葉を、初期の言語分析に特化した時期の動向だけを指すものとして使う人もいるが、むしろ最近は、「初期の分析哲学の伝統を引き継ぎつつ行われている現代の哲学」という広い意味で用いられることが多い。分析美学もこの伝統のもとに発展している一分野だといえる。

 

分析哲学とは何かについても、近年読みやすい入門書がいくつか出ているし、(八木沢敬『分析哲学入門』(講談社)、青山拓央『分析哲学講義』(筑摩書房))、すでにWikipediaレベルでまとまった概説が読める。また勁草書房が載せてくれているブックガイドも、分析哲学の諸問題を把握するには有用だろう。

 

 * * * *

 

分析美学にはっきりとした定義を与えることの難しさは、分析哲学に定義を与えることの難しさと共通する。分析美学も、それを含む分析哲学も、いまではあつかう主題も論述の手続きも多様化しており、「どこからどこまでが分析美学なのですか」という問いに明確な答えを出すのは難しい(注6)。

 

せいぜいできるのは、論述のスタイル(用語や論証形式をできるだけ明確化しようとする)や、そこで依拠されている学問的価値観(論争をつうじて協働的により良い理論構築を目指す)、所属する学会や発表される媒体(分析美学の主戦場はThe Journal of Aesthetics and Art CriticismBritish Journal of Aestheticsといった学会誌だ)などの点から、これはより分析美学「的」な論考だ、という特徴を指摘することぐらいだろう。

 

このことをふまえた上で、次節では分析美学の特徴を、「論述スタイル」と「学問的価値観」という点から、もうすこし具体的に説明していこう。しかし以下に続くような説明をすればするほど、それって普通の学問なのでは?という印象を持たれることになるだろうが……。

 

 

2. 分析美学のスタイルと価値観:「芸術の定義」を例に

 

以下では、分析美学が大きな成果を挙げたトピックのひとつである「芸術の定義」を事例に話を進めよう。分析美学の中では長らく「芸術を定義することができるか」とりわけ「芸術に必要十分条件を与えることができるか」ということが大きな問題となっていた(前衛芸術が芸術の枠組みをどんどん拡張していた20世紀、「芸術とは何か?」という問いは重要、かつ芸術実践に直接的に関わる問いであった)。

 

ざっと概説的に論争の流れだけ見ておくと、「芸術は定義不可能だ」と主張したワイツに始まり(注7)、「作品がもつ他のものとの関係から定義できるのでは?」と示唆したマンデルバウムを受けて(注8)、ダントーやディッキーが芸術制度(アートワールド)と関係づけつつ制度的定義を提唱すると(注9)、それを受けて歴史的定義(注10)、歴史説と美的機能説とのハイブリッドである歴史的機能主義(注11)、複数の特徴を組み合わせてゆるやかかつ発展可能な定義をつくろうとする束説(注12)など様々な立場が生まれてきた(注13)。

 

細かな議論はさておき、ここではその論争の進められ方に注目したい。そこから分析美学の重要な特徴が浮かび上がるからだ。この論争でのひとつの目標は「芸術に必要十分条件を与えること」、つまり「Xという条件を満たしているものは芸術であり、芸術であればこの条件Xを満たしている」という条件Xを探すこと、であった。

 

論争はおおむね以下のように進む。ある論者が「条件Xとはこういうもの(たとえば「アートワールドと関係しているもの」)ではないか」と主張する。すると別の論者から「その条件ではコレコレ(たとえば非西洋地域の部族の人形)が芸術に含まれなくなってしまうではないか」とか、「芸術とはとうてい言えそうにない物体(ギャラリーにある家具、美術館の収支報告書など)が芸術になってしまうではないか」といった反例が挙げられる。その反例を受けて、問題を解決するために、別の新たな条件Xが提唱される――。こうした作業を通じて、より良い「定義」が作り上げられていくのである(注14)。

 

分析美学の歴史を見ると、こうした理論構築の作業が実に協働的に進められてきたことがわかる。論争に参加するものは皆、ある目標を共有し、その目標に向かって少しでも理論を前進させようとして努力してきた(注15)。「あの大先生のおっしゃられていた(難解な)芸術論は、つまるところどのような主張だったのか」と皆が頭を悩ませることは少なく、むしろ、提案されていた既存の理論の問題を少しでも解決し、より良い理論を目指して議論を前進させることが重視された(注16)。

 

分析系哲学者たちは、「論争を通じての理論の前進」をとても重視する。もちろん、学問を評価するための評価軸は様々ありうるが、分析系の哲学はその中でも、「より良い論争を行うこと」にとりわけ高い優先順位を与えるのだ。以下に分析哲学的な論述スタイルの特徴をいくつか挙げてみるが、それらはすべてこの「よい良い論争を行う」という目標に資するものといえる。【次ページにつづく】

 

 

 

 

■■■ アンケートにご協力ください。 ■■■

 

 

1 2 3 4
300_250_5g 困ってるズ300×250 α-synodos03-2

vol.198 特集:大人の学習

・関本保孝氏インタビュー「棺桶に夜間中学の卒業証書を入れてほしい――夜間中学における大人の学習とは」

・舞田敏彦「成人にも開かれた教育機会を――求められる『リカレント教育』とは」

・福田一彦「朝活学習は効果的なのか?」

・石村源生「サイエンスカフェの拓く未来――市民が互いの学習環境を能動的にデザインしあう社会を目指して」