「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり

この連載は昨年10月に始まり、当初毎月一回一年間続けたものを書籍化する予定でしたが、PHP出版さんのご意向で、前回までの分で一旦出版し、続きについてはその一年後にまた出版することに決まりました。

 

そこで、シノドスさんには連載期間をその分延ばしていただき、一回あたりの分量を、これまでの半分ほどに減らして、ゆっくりしたペースで掲載していただくことになりました。読者のみなさんには、気長におつきあいいただけましたらうれしく思います。

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

 

 

責任のあり方が変わった

 

さて、ここまでのところでは、70年代まで普通だった国家主導型のシステムが、その後世界的スケールで崩れていった転換の本質は、「リスク・決定・責任は一致すべきだ」ということだったことを見ました。しかし実際にはこの転換は、新自由主義やブレア=クリントン=日本民主党型の「第三の道」路線によって、「小さな政府」への転換と誤解され、はなはだしい歪曲を受けて遂行されてきた、それが今日までの世界を覆うさまざまな混乱の原因だった──ざっとこのようなことを論じてまいりました。

 

ここで問題になるのは、では70年代まではリスク・決定・責任は一致しなくてもよかったのか、なぜ急に80年代以降このことが課題になったのかということです。このことは、なぜ新自由主義や「第三の道」のような誤解が生まれたのかということにもかかわります。

 

これを考える手がかりのために、まず今回は「責任」とは何かということをはっきりさせたいと思います。というのは、「責任」という言葉で表されているものには、全然違う二種類の概念が含まれているのですが、しばしば両者が混同されて、いろいろな問題を引き起こしているからです。

 

実は、人間関係のシステムのあり方によって、ふさわしい責任概念は変わります。この連載ではここまでで、国家主導型システムの行き詰まりを、リスク・決定・責任が一致せず、責任をとるべきところが責任をとらない仕組みから説明したのですが、しかしそうした世の中にそれまで責任割り当てのシステムがなかったわけではないし、急に70年代になってから人々が無責任になったわけでもないのです。世の中が変わって人間関係を律する責任のあり方が切り替わっているのに、社会の仕組みがそれを反映していなかったから、「リスク・決定・責任の不一致」が生じてしまったのです。

 

 

二種類の責任概念と「自己責任」論

 

結論から言いましょう。責任概念の二種類というのは、

 

 

(1) 自己決定の裏の責任:自分で決めたことのせいで他人に不利益を与えないようにし、万一不利益を与えたときにはきっちり補償し、自分が不利益を被ってもそれを自分で引き受けること。

 

(2) 集団のメンバーとしての責任:自分が決めたかどうかにかかわらず、ある集団に所属することにともなう役割を果たす責任。

 

 

ということです。自己決定を要件とするかどうかで大きく違うわけです。この二つは、どんな時代でもどんな国でも二つともあるのですけど、人間関係のシステムのいかんによって、どちらがメジャーになるかは変わってくるのです。

 

言うまでもなく、「リスク・決定・責任の一致原則」のいう「責任」というのは、上記の(1)、「自己決定の裏の責任」です。本連載でこれまで述べてきたことは、この意味での責任が適切にとられるシステムにしようということだったわけです。

 

そうすると、「おお、これは『自己責任論』ではないか、くわばらくわばら」という声が聞こえてきそうです。日本で新自由主義に反対する言論には、「小泉政権時代に『自己責任論』が唱えられるようになって以降、格差拡大が進行し……」というようなフレーズが「枕詞」のようについています。「自己決定にともなう責任」などと言うと反発する人が出るのはもっともなことです。

 

しかし、「自己決定の裏の責任」を重視する立場が、日本で流行った新自由主義的な「自己責任論」と同じとみなすのは誤解です。誤解というのは、まず、

 

(1) 日本で流行った「自己責任論」は、「集団のメンバーとしての責任」の方の責任概念との混同が大いにある。

 

ということであり、さらに、たとえその混同がなかったとしても、

 

(2) 「自己決定の裏の責任」論が社会保障や教育などの公的責任を否定するわけではない。

 

ということです。(2)の方はそれだけで大きな問題ですので後の回にまわすことにして、今回は(1)について述べたいと思います。

 

 

イラク日本人拘束事件での「自己責任」論のねじれ

 

ここで、この問題を考えるための材料として、2004年春に起こったイラクでの日本人拘束事件のことを思い出してみましょう。日本で「自己責任」という言葉が流行り出した始まりのような事件ですね。ストリートチルドレンの自立支援ボランティアや劣化ウラン弾の被害調査などのために、戦闘続くイラク入りして武装勢力に拘束された三人に対して、政府、マスコミ、インターネットでの書き込みなど、国中あげて、ヒステリックなバッシングの嵐が巻き起こりました。

 

このとき私が抱いた印象は、三人に対する擁護派と非難派の間で、「自己責任」という言葉の使い方があべこべになっているのではないかということでした[*1]。

 

[*1] 当時個人ホームページのエッセーで論評している。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_404091.html

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_404141.html

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_404281.html

 

私は、この三人は「自己責任」でヒトのために危険な活動をしているからこそ誉められるべきであり、そうである以上、日本政府は人質解放のために何もするべきではないと主張していました。日本人だから日本政府は救出に動けという主張は、簡単に「自衛隊の救出部隊を派遣しろ」という理屈につながります。後年、日本人10人が死亡したアルジェリア人質事件では、実際そのような声が聞かれました(ちなみにイラクのときには人質をバッシングしておきながら、アルジェリアの場合日本の石油確保のために働いているからという理由で態度を変えるのは首尾一貫した態度とは言えません。ストリートチルドレンの自立支援ボランティアの活動は、間違いなく戦後イラクでの日本資本のビジネスをやりやすくするだろうからです。もちろん私にとってはどうでもいいことですけど)。

 

ましてや米軍に救出を頼んだりしたら、人質ごと始末されかねません。自分が人質の立場だったら、頼むから政府は何もしないでくれと祈ることでしょう。しかし政府ではない個々の市民のとるべき態度は別です。「市民社会は自己責任での英雄的行動を讃えるべきだ」と思っていたのです。

 

ところが世間で起こったことは、三人をバッシングする側が「自己責任論」を唱え、擁護する側がそれをやっきになって否定するということでした。あまりにあべこべな事態に、私は毎日目を白黒させていました。

 

そうするうちに、海外の多くのマスコミが三人を擁護して、日本におけるバッシングの異様さを奇異の目でもって取り上げました。三人が帰国したとき、わざわざ空港まで行って「日本の恥」というプラカードを掲げた人がいましたが、そっちの方がよほど「日本の恥」だったわけです。アメリカのパウエル国務長官までが、この三人を讃えて擁護しました。本来三人はパウエル長官にとっては反米的な好ましからざる人物のはずです。にもかかわらずなぜそのような発言をしたかと言うと、そのように言うことがアメリカでは世論にかなった政治的に正しい発言だったのでしょう。うっかり三人を非難したりしたら世論から叩かれるという感覚があったのだと思います。

 

結局、アメリカ様だったらこんなふうに言うはずと思ってやっていたら、見事ハシゴをはずされたというのが、日本の「自己責任」論者だったわけです。それにしても、数人の人が何か勘違いしましたというならともかく、どうしてこれだけ大量の人が一挙同時に世界標準とずれた行動をとったのでしょうか。ここには何か世の中の仕組みに根ざした理由があるはずです。

 

 

 

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