内集団ひいきの武士道vsウィン・ウィンの商人道──システム転換と倫理観のミスマッチ?

前回の「『流動的人間関係vs固定的人間関係』と責任概念」では、リスクの処理の仕方によって、人間関係のシステムが固定的なものと流動的なものに必然的にわかれることから、責任概念の違いが生じるのだということを見ました。すなわち、固定的人間関係がうまくいくための責任概念が「集団のメンバーとしての責任」で、流動的人間関係がうまくいくための責任概念が「自己決定の裏の責任」だということでした。

 

今回は、前回に引き続き、拙著『商人道のスヽメ』(藤原書店)でご紹介した、固定的人間関係と流動的人間関係のシステムの違いから起因するいろいろな特徴について見ていきます。

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

 

 

社会関係資本の試金石は一般的互酬性

 

例えば、有名なパットナムさんの「社会関係資本(ソシアルキャピタル)」という概念があります。人々の間での信頼関係の豊かさのことで、これがないと、見知らぬ人がタクシーに乗るとボラれるとか、為替で送金するとネコババされるとか、出資の呼びかけに応じても返ってこないとか、いろんなことが心配になって、取引や投資が萎縮し、余計なコストがたくさんかかってしまいます。

 

他方こんな心配がない社会では、食い物にされる恐れなくみんなが他者のために協力するので、のびのびと取引や投資が活性化して、経済のパフォーマンスもよくなる──だから、人間関係のネットワークや助け合いの精神は、工場などの物的資本や、知識・技能などの人的資本と並ぶ、一種の生産資本とみなせるとして、パットナムさんはこの言葉を提唱したのです。

 

この概念は便利ですので、たちまち世界の多くの研究者に広まったのですが、人間関係のつながりをなんでも社会関係資本として扱う誤解が生まれてしまいました。例えば、ムラ社会的なネットワークも社会関係資本と扱う議論も見受けられます。しかしそれは、パットナムさんのもともとの意図とは違うのです。

 

パットナムさんがこの概念を使ったのは、約20年にわたり南北イタリアの社会を調査した結果でした。なぜ北イタリアの経済パフォーマンスが良くて南イタリアはだめなのか。その答として、北イタリアには社会関係資本が豊かにあるが、南イタリアにはそれが乏しいということを見出したのです。

 

ここで注意すべきは、南イタリアにだって、例のマフィアを極例とする強固な人間関係のつながりはあるのだということです。パットナムさんも、もちろんそんなことを知らないわけではありません。しかしそれらはパットナムさんにとっては、そもそも社会関係資本ではないのです。

 

パットナムさんは、「社会関係資本の試金石は一般的互酬性の原則である」[*1]と言っています。互酬性とは「お互い様」の助け合いのことと思って下さい。

 

[*1] パットナム『孤独なボーリング』156ページ。

 

ここで大事なのは、「一般的」ということです。善意をほどこした直接の相手から近い将来助けてもらえるという話ではないのです。いつ誰から見返りが返ってくるかわからないけど、善意をほどこせば、そのうち誰かから恩恵が得られるという予想が成り立っていることが、ここで「一般的」という意味です。

 

このためには、他者一般に対する「薄い信頼」が必要だとされています[*2]。小さくて緊密な共同体ならば「厚い信頼」で協力が維持できますが、もっと大規模で複雑な状況では、非人格的・間接的な信頼がなければならないと言うのです[*3]。

 

[*2] 同上書159ページ。

 

[*3] パットナム『哲学する民主主義』212ページ。

 

 

南イタリアで支配的だったのは固定的人間関係

 

南イタリアにあったのは「一般的」互酬性ではなく、裏切りが即制裁に直結する「恩顧=庇護主義的関係」だとされています。パットナムさんは、これは社会的信頼と協力を維持するものではないとしています[*4]。また、親族関係や親友関係などの「強い」個人間の結合は、コミュニティの団結や集合行為の維持のためには「弱い結合」ほど重要ではないとも言っています[*5]。

 

[*4] 同上書217ページ。

 

[*5] 同上書218ページ。

 

まあ、私の感想としては、南イタリアであれどこであれ、ひとつの地域にはいろんな生活のしかたをしている人がいるものです。とくに現代では、ネットで常時世界とつながって仕事をしている人もいます。だから、「南イタリアでは」と、地域における人間関係をひとくくりに一色に塗りつぶすものの言い方は危険なところがあるのですが、一応ここでは、昔からその地域に形成されてきた支配的な社会システムのことを指しているとしましょう。

 

そうすると、要するにここでパットナムさんが言っていることは、南イタリアで支配的な人間関係システムは固定的人間関係で、そこでは、裏切ったら制裁されるという予想が成り立つことで秩序が維持されていたということですね。それに対して、匿名で制裁が効かないような流動的人間関係のシステムが、高いパフォーマンスで機能するためには、他者一般を信頼しあう社会関係資本が必要だということです。

 

もっとも、その後あまりにもいろいろな人間関係が「社会関係資本」だと言っていっしょくたにされてしまったために、今日の標準的研究では、固定的人間関係の内部の結束を強める絆を「結束型社会関係資本」と呼び、本来の社会関係資本である、さまざまな異なる人をつなぐネットワークの方を「橋渡し型社会関係資本」と改めて呼んで区別するようになっており、パットナムさん自身も現在ではこの方式を受け入れた上で、両者の区別を強調するようになっています[*6]。

 

[*6] パットナム『孤独なボーリング』19-20ページ。

 

ちなみに、同様に、人間どうしのつながりあいを、「強い」ものと「弱い」ものに分けて、「弱い」つながりあいの持つ、「橋渡し」機能の重要さに注目する議論には、社会学者のグラノベッターさんの「『弱い紐帯』の強さ」[*7]と題した有名な古典的研究があります。家族や親友のような「強い」つながりは、力を行使するには役立つが、情報伝達には優れていない、情報伝達や社会的な組織化のためには、むしろちょっとした知り合いのような「弱い」つながりの方が重要であるということを明らかにした研究です。「弱い」つながりは異なった社会集団間の「橋渡し」をしているからだと言っています。

 

[*7] M. S. Granovetter, “The Strength of Weak Ties,” American Journal of Sociology, vol. 78, Issue 6, 1973, pp. 1360-1380.

 

 

損してもいいから足をひっぱる性質が秩序を生む場合

 

さて、これまでの話で、固定的人間関係を作る理由が、裏切ったら制裁をくらう関係の中でものごとをすますことで、人間関係上のリスクをなくすことにあることがわかりました。しかし、ここにはまだ根本的な問題が残っています。なぜ裏切り者に対して制裁をすることが期待できるのでしょうか。制裁をすることにはコストがかかります。ぶんなぐれば手が痛いし、逆襲されてこちらがやられるかもしれません。警察のような専門家を雇うにもコストがかかります。いったいそんなコストをだれが負担するのでしょうか。

 

メンバーみんなが少しずつコストを出し合うのでしょうか。みんなで殴りにいくとか。警察を雇うおカネを出し合うとか。しかしそういうことに協力しあうこと自体への裏切り者がでたらどうしますか。結局、問題が先送りされているだけで、また同じ問題に直面します[*8]。全員が合理的に損得を計算するなら、制裁自体成り立たないのです。

 

[*8] 「二次的ジレンマ」と言う。山岸俊男『社会的ジレンマ』(PHP研究所)2000、pp. 98-99。

 

制裁が成り立つためには、個人の合理性を捨てて、自分にコストがかかってもいいから、他人に損をさせることを望む心情が必要です。たしかに世の中には、自分が損をしてでも、他人をやっかんですすんで足をひっぱる行動は見られます。これは、伝統的な主流派経済学の「合理的個人」という想定からは出てこない行動ですので、近年の実験経済学などで興味を引くトピックになり、「スパイト行動」と呼ばれて、さかんに研究されてきました。

 

とくに、西條辰義さんはこの問題に取り組んできて、このような一見不合理な行動がとられる合理的機能を解明しています。その実験[*9]では、学生を被験者にして、相手不明でペアを組みます。そして、被験者各自がまずゲームに参加するかどうかを決めます。ゲームというのは、自分とペアの相手が互いに知られることなく決めた額のおカネを出し合い、それぞれの出した金額に応じて、あらかじめ周知の表にしたがって決まるおカネを受け取るというものです。

 

[*9] Saijo, T., T. Yamato, K. Yokotani, T. N. Cason, “Voluntary Participation in Public Good Provision Experiments: Is Spitefulness a Source of Cooperation?” (revised version of “Emergence of Cooperation” with more data) 1997; Revised, 1998, (http:// www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/researches-e.html). 『経済セミナー』1997年11月号pp. 42-47に紹介がある。

 

この表によれば、相手が参加しないならば自分だけでも参加しなければ大損するのですが、相手が参加してくれるならば自分は参加しない方がぬれ手に粟でもうかるようになっています。このとき、どの程度参加するのかは、実は合理的に計算で出てくる均衡の参加率があって、ゲームを何度も繰り返すうちに損得にあわせて少しずつ手を変えていけば、その均衡の参加率に落ち着きます。これを「進化的に安定な均衡(=ESS)」と言います。

 

これを日米で共同実験して比較しました。すると、アメリカ人を被験者にした場合、相手が参加しようが参加しまいが、それぞれのケースで自分が一番トクをするようにおカネを出す傾向が観察されました。その結果、参加率は実験を繰り返すうちにESS付近に落ち着きました。

 

それに対して日本人を被験者にした場合、相手が参加しなかったならば、相手がぬれ手に粟でもうかるのを阻止するために、自分は一番トクにはならなくてもいいから、相手に打撃を与えるようにおカネを出す額を決める傾向が観察されました。その結果、参加率は実験を繰り返すうちに、ESSを超えてどんどんと高まっていきました。すなわち、自分は少しぐらい損してもいいから他人の足をひっぱる行動が、不参加を選ぶことへの制裁として働き、協力を引き出していったわけです。

 

もともと、日米で比較実験したら、アメリカ人よりも日本人のほうがスパイト行動をする割合が高いことは観察されていました[*10]。西條さんのこの実験で新たにわかったことは、一見不合理なこの行動は、メンバーが決まった人間関係において、人々の協力行動を維持する機能があったということです。

 

[*10] T. R. Beard, R. O. Beil, Jr., 又賀喜治, “Cultural Determinants of Economic Success: Trust and Cooperation in the U.S. & Japan”, 1998. 日本経済学会1998年度秋季大会(於、立命館大学)報告。

 

 

流動的人間関係の中では最悪の結果をもたらす

 

と同時に、西條さんが明らかにしたのは、この性質がこのようにうまく働くのはメンバーが決まった集団に限られる。メンバーが固定しない、不特定多数の人々からなる社会では、みんながこのような行動を取れば、みんなで足をひっぱりあって最悪の結果になる[*11]ということです。

 

[*11] Ito, M., T. Saijo, and M. Une , “The Tragedy of the Commons Revisited: Identifying BehavioralPrinciples,” Journal of Economic Behavior and Organization 28(3) , 1995

 

私なりに敷衍して言えば、例えばアメリカで寄付やボランティアが盛んなのは、ひとつの理由は、自分の貢献で公共的なものができて、その恩恵が返ってくるのを期待するからでしょう。各自はそのコストと恩恵を秤にかけて、一番自分にとってトクになるように貢献します。当然中にはただ乗りすることを選ぶ者も出るし、その一方で巨額の寄付をする者も出ます。

 

他方、ここで従来の日本人的に振る舞うと、自分が奉仕してできたものの恩恵を、ただ乗りするヤツが出たら「くやしい」と思うことになります。ただ乗りされても自分自身の損得とは何も関係がないはずなのですが、なぜか、「くやしい」から貢献するのがばかばかしいと思い、みながその公共事があったらいいなと思いながら、誰もそのために貢献するものがいなくなるわけです。

 

これが固定的集団内部でのことならば、制裁のターゲットを特定できます。ただ乗りするヤツが出たら、みんなから白い目で見られていろいろ足をひっぱられますので、それを恐れてほとんどの人が貢献するというすばらしい状態が実現できます。しかし、その同じ心情が、匿名の流動的人間関係になるとまったく逆の結果をもたらす方向に作用するわけです。

 

 

 

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