2010.10.13

為替レートにまつわる議論の論点

為替レート(円ドルレート)の円高が進んでいる。サブプライムローン危機が顕在する直前の為替レートは1ドル=115円台であったが、世界金融危機が深刻化するにつれて円高が進み、2008年9月のリー マン・ショック時には107円となり、2009年11月には89円台となった。2010年4月には93円台まで円安が進むものの、その後はふたたび円高が 進み、10月8日には81円台に突入した。

円高の進行に際して「注視」を決め込んでいたかにみえた政府は、9月15日に総額2兆円あまりの円売りドル買い介入を行い、10月8日には「円高・デフレ対応のための緊急総合経済対策」を閣議決定した。そして日銀は10月5日の政策委員会・金融政策決定会合において、金融緩和策を決定したが、これらの政策をどのように考えることが可能なのか。

そして、これらの政策は円高とデフレに悩む日本経済にはたして効力があるのか、関連する論点にふれながら考えてみよう。

円高が進行する過程においてはさまざまな議論がなされたが、統計データや既存研究の知見に照らした場合に問題をはらむものが多い。まず事実認識について確認しておきたい。

ひとつ目は拙稿(「ドル安ではない。円高こそ重要だ。」Synodos Journal 2010/9/2)で指摘した、「円高が進むのはドル安が進むことによるのが原因である」という議論だが、これは事実に反する。現状、円はすべての主要国通貨に対して円高が進むが、ドルが独歩安になっているわけではない。

ふたつ目は、「実質実効為替レートをみると、現在は1995年の円高期と比較しても円高ではないため、深刻な問題ではない」という議論だ。この点は飯田泰之駒澤大学准教授が明確な反論を行っている(「為替レートに騙されるな いま本当に円高なのか?」Voice11月号)。

実質実効為替レートは、円と貿易相手国との為替レートを、貿易相手国との物価の相対的変化を考慮しつつ、日本の貿易シェアで加重平均した値であり、円ドルレートといったかたちによって、ひとつの相手国を対象とするのではなく、貿易相手国全体との貿易面での有利・不利を示す指標である。

実質実効為替レートは、日本が貿易相手国と比較して物価下落が進めば(輸出には有利となるため)下落し、日本が貿易相手国と比較して為替レートが円高になれば(輸出には不利となるため)上昇する。

貿易相手国との物価の相対的変化を調整していない名目実効為替レートをみると、今回の円高は1995年の円高期を越える円高水準(つまり上昇している)だが、物価の相対的変化を調整した実質実効為替レートでは、直近では上昇しつつも1995年の円高期を下回る水準である。

これらふたつの指標の差は、日本が貿易相手国と比較して物価水準が低下したこと、つまりデフレが進んだことを意味している。

円高やデフレが進むことで懸念されるのは、そのことで国内企業の収益条件や雇用環境が悪化し、一定の時間的ラグを伴いながら消費や投資、輸出入に影響を与えるためだ。

「実質実効為替レートでみると現代の円高は深刻な状況でない」という議論は、他国と比較してデフレが進んでいるから、輸出には有利であるということを意味しているのであって、円高およびデフレで懸念される、国内企業の収益条件や雇用環境の悪化等とは関係がないことに留意すべきだろう。

なお、購買力平価説に則って、「輸出物価ベースの購買力平価では1ドル=85円程度であるため大した問題ではない」という議論もあるが、これも実質実効為替レートと同じく貿易面での有利・不利を含意しており、現代の円高を考える際には適切ではないことに留意すべきだ。

三点目の議論は、マスメディアで度々登場する「通貨切り下げ競争」に伴う見解についてだ。浜田宏一イェール大学教授との拙稿(「日銀は「正しい歌」を思い出したのか?不胎化介入は自国窮乏化を招く」週刊エコノミスト2010.10.12号)で具体的に述べたが、為替レートの競争的切り下げ競争が近隣窮乏化を招くという議論は正しくない。

この点は既存研究から確認できる。バリー・アイケングリーン・カリフォルニア大学教授とジェフリー・サックス・コロンビア大学教授は、1930年代の金本位制下の世界経済において、金本位制の段階的離脱を伴った為替切り下げ競争は近隣窮乏化をもたらさず、むしろ大恐慌からの回復の契機となったことを示した。

そして岡田靖・元内閣府経済社会総合研究所主任研究官と浜田宏一教授は、変動為替制度における為替切り下げ競争は、世界経済で望ましい状態をもたらすことを示している。つまり、金融緩和(広義のオペレーションを含む)は近隣窮乏化にはつながらないのである。

これら既存研究の議論は、金融緩和策を伴う為替レートの切り下げが、自国の金融緩和を通じた内需増加と、為替レート切り下げを通じた外需増加をもたらすかぎり成り立つ。ポール・クルーグマン・プリンストン大学教授はニューヨーク・タイムズのコラム(A Note On Currency Wars 2010年10月4日)で、アイケングリーン教授とサックス教授の研究が現在成立するか疑義を投げかけている。

だがクルーグマン教授の議論は、現代のゼロ金利下において各国がマネーに近い短期資産(たとえば政府短期証券)を購入するという政策を行っても、金融緩和を通じた内需増加を生み出さないことを意味しており、上記研究とは別の話題(どのような金融緩和策が有効か)を含むことに留意しておく必要があるだろう。

為替レートと経済政策を考える前提条件

前節では、「円高が大した問題でない」とする議論は正しくないことを論じたが、為替レートと経済政策を考えるにあたって最初に確認しておくべきことは何だろうか。それは「国際金融のトリレンマ」としてよく知られているものだ。

現代において、「国際資本移動の自由化」、「固定為替相場制度」、「独立した金融政策」のみっつの目的を同時に達成することは不可能である。日本は、「国際資本移動の自由化」と「独立した金融政策」を選択し、為替レートは変動相場制を採用しているため、為替レートを直接コントロールすることはできない。このことをまず押さえておくことが必要だ。

しかし直接コントロールすることは不可能であっても、為替レートの水準に影響を与えることは可能である。為替レートは貿易相手国との通貨(貨幣)の相対的価値を示す指標だが、各国の通貨(貨幣)の価値は、その存在量と予想(期待)収益率に依存してきまる。つまり、為替レートは貿易相手国との通貨の相対的な存在量と相対的な予想(期待)収益率に依存して決まるのである。

以上からは円高が進むのは、日本が貿易相手国と比較して円の相対的な存在量が少なく、相対的な予想収益率が高い場合ということになる。

金融緩和政策を行えば、円の存在量(マネーストック)は拡大し、予想収益率は低くなるため、円の価値は下落(インフレ)して為替レートには円安圧力がはたらく。そして高橋洋一嘉悦大学教授のコラム(「菅・小沢「代表選」政策論争で決定的に欠けている「金融政策」30~40兆円の量的緩和で1ドル100円に」現代ビジネス2010年9月6日)で明らかなように、現在円高が進むのは金融緩和政策が十分でないことの影響が大きい。

関連して、リスク回避により円高が進むという議論もあるが、この点は、同氏のコラム(「菅直人と小沢一郎、日銀をうまく操縦できるのはどちらか?相変わらずトンでも発言を繰り返す白川総裁に政府も不信感」現代ビジネス2010年9月13日)で示されているとおり、スイスフランについては成り立つかもしれないが、日本円については成り立たない。

まとめると、国際金融のトリレンマを念頭におくかぎり、為替レートを直接コントロールする政策を取ることは不可能であるし、すべきでもない。ただし金融政策は為替レートの水準に影響を与える。

為替レートの動向に過度に配慮した金融政策を行うことで、国内経済が犠牲になった失敗の経験は数多い。たとえば、1970年代前半の「狂乱物価」は、スミソニアン協定で設定された限度ぎりぎりの円安水準に為替レートを維持するため金融緩和を持続したことが、インフレをもたらした。そして、1990年代以降の長期停滞の原因ともなったバブルをもたらしたのは、「プラザ合意」に伴う急激な円高効果を是正するために行われた金融緩和策が一因である。

だが、デフレと円高が進む現状においては、デフレから脱却するため、さらには過度な円高に伴う企業の収益悪化や雇用悪化に対処するために、金融緩和策を通じた為替レートの円安を促していくことが必要なのは明白だろう。

政府の為替介入と円高対策は十分か

これまでみたように、円高を是正するには金融政策が鍵を握るわけだが、政府の為替介入と円高対策は妥当なのだろうか。

まず9月15日に行われた総額2兆円あまりの為替介入だが、それまで注視をつづけた政府にあって、2兆円という過去最大規模の為替介入は、当時82円台だった為替レートが介入によって、一時85円台半ば~後半まで回復したように、サプライズ効果もあいまって一定の効果をもたらしたといえる。

しかし、先の国際金融のトリレンマや為替介入の効果を論じた既存研究のインプリケーションからも分かるように、為替介入自体は短期的な意味で正当化されても、それ以上のものではない。効果として確認できるのは、市場参加者の期待に与える影響が主である。

さらに現行制度では円売りドル買い介入を行っても、さらなる緩和といった金融政策の変更を伴わないかぎりは、為替介入により供給された円は吸収されて効果は失われてしまう。

政府の為替介入の決定に際して日銀は、「現状を放置する」という姿勢を鮮明にしたが、これを政府は歓迎する意向を示した。政府は自らが行った為替介入の効果が、ゆくゆくは自動的に打ち消される羽目になるにも関わらず、歓迎するという状況は滑稽といわざるをえないものだ。

後日、財務省は、円売りドル買い介入のために、日銀から調達した円を即時返済するのではなく、償還期限ギリギリまで市中に放置するとの報道がなされた。市中に放置しておけば、そのあいだは擬似的に金融緩和の効果が持続する。

政府は為替介入をタイミングよく行い、市場参加者への期待に影響を与えるとともに、介入額をできるだけ市中に放置して、日銀に必要な金融緩和を行わせるプレッシャーとして利用すべきである。

この意味で、10月5日の日銀の政策決定と同時に為替介入を行わなかったのは、絶好の機会を逃したといえる。結果として為替レートは81円台に突入し、仙谷官房長官が限界ラインと語った82円台を突破した。

そして政府は10月8日に、「円高・デフレ対応のための緊急総合経済対策」を閣議決定した。中身をみると、財政拡大策がメインとなっているが、財政拡大策は総需要を増加させることを通じてデフレへの対処策にはなっても、円高対策ではないことに留意すべきだろう。

マンデル=フレミング・モデルの知見からも明らかなように、財政支出の拡大は金利の上昇を招き、ひいては円高につながる。原田泰氏が論じるように、当面の円高対策と円高後の対策を区別することが必要なのである(「円高対策なのか、円高後対策なのか」大和総研コラム2010年10月7日)。

日銀は「正しい歌」を思い出したのか?

さて、2010年10月5日、日銀は同日の政策委員会・金融政策決定会合において、大きくみっつの措置からなる金融緩和策(「包括的な金融緩和政策」)を実施すると発表した。

一点目が政策金利として誘導対象としている無担保コールレート(翌日物)を0.1%ではなく、0~0.1%程度で推移するように促すというもの、二点目として「中長期的な物価安定の理解」にもとづく時間軸の明確化、三点目は資産買入れ等を行うための基金の創設である。

ひとつめの措置は、政策金利を0.1%以下に許容するというものであり、0%に近い水準に政策金利が誘導される可能性はあっても、実際そうなるかは別問題である。事実、補完当座預金制度の適用利率、固定金利方式・共通担保資金オペレーションの貸付利率、成長基盤強化を支援するための資金供給の貸付利率は0.1%が維持されている。

報道では「実質ゼロ金利政策」といわれているが、政策金利が0.1%を下回るかたちで推移している状況を追認したものと理解すべきものだろう。

ふたつめの措置は、「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心に考えている」との「物価安定の理解」にもとづいて、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、政策金利を0~0.1%に維持するというものだ。

この措置により、いつまで政策金利の変更が生じないかという時間軸が明確になったというわけだが、この点については、先の量的緩和解除およびゼロ金利政策解除の際の経験を鑑みると十分とはいえない。そして「物価安定の理解」は文字通り理解であって、拘束力を伴った目標ではない。

「実質インフレ目標」に日銀は移行したとの報道もあったが、インフレ目標とは明確に異なることにも留意すべきだろう。そして時間軸の明確化による金融政策の効果(時間軸効果)は、近年の量的緩和政策に関する実証研究の知見によれば効果が小さいことにも留意すべきだ。

最後に三点目の措置は、多様な金融資産の買入れと固定金利方式・共通担保資金オペレーションを行うために、バランスシート上に基金を創設するというものである。国債、CP、社債、ETF、J-REITといった多様な金融資産の買入れに踏み込んだ点や、この措置に伴う長期国債買入れは日銀券ルール(長期国債買入残高は銀行券発行残高を上限とすること)の対象外であることは評価できる。

しかし、新たに買い取りが発表された規模は、すでに行われている固定金利方式・共通担保資金オペレーションの30兆円分を除く5兆円であり、当座預金残高やマネタリーベースといった緩和の量という視点からは不十分な規模である。そして、長期国債や社債の買入れに際して、今後1年間で残存期間1~2年の資産を対象としていることも、緩和効果を減衰させる。

浜田宏一教授との前掲拙稿では、日本が金融緩和策を伴わない為替介入を行う一方で、他国が金融緩和策により為替レートを切り下げると、それは日本にとっての「自国窮乏化策」になると述べた。

今回の金融緩和策はタイミングのずれはあるものの、政策変更を伴うという意味で評価できる。しかし、金融政策の中身を仔細にみれば、その実態は「思い切った緩和政策」ではなく、「見かけ倒しの緩和政策」であることは明白だ。

事実、日銀政策決定会合前には為替レートはわずかに円安にふれたが、その後ふたたび円高が進んだ。そして日経平均株価はいったん上昇して9700円をうかがう動きを見せたが、10月12日には下落して9388円となり、10月5日の政策決定会合前の水準に戻ってしまった。

今回の金融緩和策は、マスメディアの好意的な報道も相まって、株価へは一時的なサプライズ効果を与えたものの、政策の中身が明らかになるにつれ、市場は落ち着きを取り戻しているようにもみえる。結局、当初想定した為替レートの切り下げは十分に生じずに、貿易相手国の通貨のみが減価して、「自国窮乏化」が現実のものとなるのではないか。現状ではそのような懸念を拭い去ることができないのである。

政府と日銀が行うべきこと

日銀の政策変更には、急速に進む円高による経済のリスク要因の高まりに加え、政府の為替介入や日銀法改正の動きといった影響も背景にあるだろう。

政策金利を0~0.1%にうながすという措置は、政府が為替介入を断続的に行い、円を市中に放置しつづけることで、0.1%を有意に下回る水準にとどめる圧力にもなる。今後「実質ゼロ金利政策」ではなく、真のゼロ金利政策の採用に踏み切るべきだ。

そして時間軸の明確化は、日銀法改正が成立すれば「物価安定の理解」ではなく、「物価安定の目標」としてより強固なものになり、政府が目標を決め、日銀が手段の独立性を有するという、「手段と目標の独立性の所在」を明確にすることも可能となる。

さらに長期国債のみならず、社債やCP、ETF、J-REITといった資産の買取りを進める際には、日銀が購入した資産の価値が目減りした場合に政府が保証するという仕組みが必要だろう。これらはすべて政府のリーダーシップとバックアップが必要であることを意味している。

リーマン・ショック後に各国と比較して日本経済の立ち直りが遅く、円高となり、デフレがつづいているのは、危機に際して積極的な金融緩和を行わなかったことが大きく影響している。つまり、経済政策の失敗が現在の状況をつくりだしたのである。

今回の政策決定で、遅ればせながら積極的な金融緩和を行うための「道具」は整ったともいえるのかもしれないが、だとすれば、政府と日銀が共同して「道具」を有効かつ十分に利用することこそが、円高とデフレを止めるために必要だろう。

推薦図書

安達誠司氏の著作では、為替レートと物価との関係に関する記述がたびたび登場するが、本書は過去の著作で部分的に提示されていた考え方を、「円の足枷」というかたちで統一的に論じていることが特色である。

為替レートと金融政策との関係について実証分析を交えた明確な議論と、世界金融危機以前の国際金融状況についての考察は、世界金融危機後の世界経済、さらに日本経済の問題点を考える上でいまだ示唆に富む。現在の局面こそ再読の意義がある書籍のひとつだろう。

プロフィール

片岡剛士応用計量経済学 / マクロ経済学 / 経済政策論

1972年愛知県生まれ。1996年三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社。2001年慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程(計量経済学専攻)修了。現在三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済政策部上席主任研究員。早稲田大学経済学研究科非常勤講師(2012年度~)。専門は応用計量経済学、マクロ経済学、経済政策論。著作に、『日本の「失われた20年」-デフレを超える経済政策に向けて』(藤原書店、2010年2月、第4回河上肇賞本賞受賞、第2回政策分析ネットワークシンクタンク賞受賞、単著)、「日本経済はなぜ浮上しないのか アベノミクス第2ステージへの論点」(幻冬舎)などがある。

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