2013.05.31

終わりの始まりか、始まりの終わりか ―― アベノミクスの今後

矢野浩一 ベイズ計量経済学 / 動学的確率的一般均衡理論

経済 #金融政策#アベノミクス#リフレ#ニューディール#期待実質金利

概要

2013年5月23日に日本株式市場は激震に見舞われ、日経平均株価指数が(前日終値ベースで)約1100円以上も下落した。これはアベノミクス「終わりの始まり」を意味するのだろうか?

まず本稿ではアメリカで実行されたニューディールを振り返り、今回の急落はアベノミクスの「始まりの終わり」を意味するに過ぎないことを確認する。さらにリフレーション政策による雇用回復と賃金上昇を伴う景気回復が今後実現していくこと、また回復を妨げないため消費増税の延期を考慮すべきことを論じる。

激震の様相

5月23日木曜日、午後のゼミが終わり研究室に戻ろうとしたとき(2時半過ぎ)筆者をゼミ生が呼び止めた。

「矢野先生、日経平均がものすごく下がっていますが、何かあったんですか?」

筆者は携帯電話で株価情報にアクセスして、すでに1000円近く日経平均株価指数が下落していることを確認した。そのゼミ生はつづけた。

「矢野先生、アベノミクスはもうダメなんじゃないですか?」

それに対して筆者は少し笑いながら

「アベノミクス −−私はリフレーション政策(以下、リフレ政策)と呼んでいるけど−− は別に終わったりしないよ。そもそも株価の上昇は副産物にすぎないしね。」

そう答えた後、筆者はこうつづけた。

「しかし、本当にニューディールそっくりだね。」

ニューディールの経験

アメリカは、1929年から1933年までにGDP(国民総生産)が約25%低下し、失業率は約25%に上昇した。この急激な景気後退は大恐慌という名で広く知られているが、その悲惨な経済状況からの回復はフランクリン・ルーズベルト大統領によって実行されたニューディール政策よると考えられている。その経験は現在でも多くのことをわれわれに教えてくれる。

ニューディールではさまざまな政策がほぼ同時に実施されたため、どの政策が大恐慌からの脱出にもっとも効果的であったのか(もしくは脱出を阻害したか)についての議論が現在もつづいている。ケインジアンなら財政政策が効果的であったと主張するだろうし、マネタリストならマネーストック(マネーサプライ)が重要だったと主張するだろう。しかし、それらの議論とは別に「ニューディールがどのように進行したか」については議論の余地なく過去の「歴史的データ」が教えてくれる。

ニューディールによる大恐慌から脱出は少なくとも以下のような3つの段階を踏んで進行している。

(1)株価や為替レートの急激な変化(株高とドル安)

(2)それらの急激な変化の終了後、実体経済の回復

(3)1937年の金融・財政引き締めによる景気後退

このように歴史を振り返るとニューディールはかなり複雑な経緯を経て進行したことが分かる。

それぞれの段階をデータで確認してみよう。

まずダウ・ジョーンズ工業平均株価指数(以下、ダウ平均)を見てみよう。図1で背景が灰色になっている部分が大恐慌時の、背景が白色になっている部分がニューディール時のダウ平均を表している。

スライド1

図1を見れば分かるように、ニューディール開始直後からダウ平均が急激に上昇しているが、その「急激な上昇は数ヶ月程度しかつづかなかった」ことが分かる。さらに1933年半ばから1935年末まで、ダウ平均は一進一退をつづけたことが分かる。また、ダウ平均は上昇したものの、大恐慌時の急激な下落に比較すれば、その上昇率は弱々しいものだったことが分かる。

「(1933年半ば以降)株価が一進一退した」ニューディールは失敗なのだろうか? もちろんそうではない。ニューディールが成功したことは、世界史の教科書にも掲載され、現在では広く知られている。

「ニューディールが成功したかどうか」を確認するために、アメリカの実質GDPについて確認してみよう。図2を見れば分かる通り、1933年3月のニューディール開始後、1937年まで順調に実質GDPが増加していることが分かる(1937年の下落については後述する)。さらにこのグラフは、株価の停滞は実体経済回復の妨げとはならないことを示唆している。

スライド2

つまり、ルーズベルト大統領就任直後から、(1)株価の急激な上昇が数ヶ月に渡ってつづき、(2)その急上昇が一服した後は実体経済の回復が1937年までつづいたことになる。それは言うまでもなく雇用の回復も伴うものであった。

本来、ニューディールが目指したものはデフレからの脱却と景気回復であり、株価上昇はその副産物にすぎない。ホール・ファーグソン(2000)はわざわざ第9章の1節を割いて、ニューディールの目標は(1)デフレを阻止し、適度なインフレおこすこと(リフレーション)、(2)失業を減らし、(民間と政府の)支出を増やすことであったと述べている。

冒頭の「(アベノミクスは)本当にニューディールそっくりだね。」という筆者の感想は以上の歴史データにもとづいている。実際、昨年末からのアベノミクスに伴う日本経済がたどってきた経過は、驚くほどニューディールに似ている。

リフレーション政策の目指すもの

リフレ政策はすでに述べたニューディールの目標と同じ2つの目標を想定したものである。リフレ派は岩田(2004)に見られるように、ニューディールと高橋財政を出発点としており、(1)デフレ阻止(リフレーション)、(2)雇用の拡充を通じた景気拡大が目標であることは非常に自然なことであろう。

昨年末の野田前総理の解散宣言以来、右肩上がりに株価が上昇しつづけたため、「アベノミクスは株価上昇を狙っている」と誤解する向きも少なくないようである。しかし、アベノミクスの原型となったリフレ政策が目指すものは(先述の通り)株価の上昇ではないため、大きな誤解が生じているように筆者には思われる。

リフレ政策の仕組みがどのようなものであるかは「リフレ政策とは何か? ―― 合理的期待革命と政策レジームの変化(https://synodos.jp/economy/802)」などですでに論じたとおりであるが、その主眼は「(政策レジーム・チェンジを通じて)期待インフレ率を上昇させ、期待実質金利の低下により景気回復を実現する」ことである。株価上昇は副産物に過ぎない(期待実質金利の低下した場合、株価は上昇するが、それはリフレ政策の主眼ではない)。

まとめるとリフレ政策はニューディールと同じく、雇用回復と賃金上昇を伴う景気回復を目指すものであり、労働者全般に恩恵をもたらす政策である。「株価上昇により一部の人間に恩恵をもたらすことを目指している」というのは誤解にすぎない。

アベノミクスは第2ステージへ

「ニューディールが3段階を踏んで進行した」ことはすでに述べたとおりであるが、アベノミクスも同様な段階を経て進行すると思われる。

第1ステージ:株価や為替レートの急激な変化(株高と円安)

第2ステージ:それらの急激な変化の終了後、実体経済の回復

第3ステージ:金融・財政引き締めの時期や方法

すでに「アベノミクスの第1ステージ」は終了したようである。これはニューディールにおいてもダウ平均の急上昇が数ヶ月しかつづかなかったことと同様であり、そのことは景気回復の妨げとなるものではない。

今後も景気回復基調がつづくということは景気動向指数コンポジット・インデックス(CI)の先行指数が表している(図3)。CIは景気変動の大きさやテンポ(量感)を表し、先行指数は景気に先行して動くものである。この結果はアベノミクス以降順調に景気回復傾向にあり、当面はそれがつづくことを示唆している(ただし、直近のデータを見ると若干、頭打ちの傾向もあるため、今後も注視し、場合によってはさらなる景気刺激策が必要とされる可能性もある)。

スライド3

なお、本来であればアベノミクスにおける「事前実質金利(もしくは期待実質金利)の推定」や「動学的確率的一般均衡分析」等を行い、景気回復の過程を論じるべきであるが、それは筆者と共著者の研究が現在進行中であるため、時期を見て別稿でご紹介したい。

1937年の失敗

さらにアベノミクスの第2ステージが進行するに従って第3ステージ、つまり「金融・財政引き締めの時期」の議論が重要になってくるだろう。その際に教訓とすべきは「1937年の失敗」である。

その失敗をグラフで確認してみよう。図4は1937年にアメリカの実質GDPが下落し、不景気に逆戻りしていることを表している。

スライド4

この1937年の景気後退は「1937年の失敗」として知られており、従来の研究から財政・金融政策の引き締めによるものであることが分かっている(ホール・ファーグソン(2000)やRomer(2009)参照)。

この教訓を踏まえてRomer (2009)は、「景気刺激策をあまりに早くやめないように注意するべきだ」と述べている。この教訓は日本にも当てはまり、現在2014年に予定されている消費税増税を急ぐべきではないことを示唆している。(*)

(*) なお、個人的には今後の少子高齢化を考えれば、長期的にはどこかの時点で消費税増税や年金給付額削減等を考える必要が出てくるものと考えている。しかし、景気腰折れを避けるためにも、来年4月の消費税率上げはぜひ再考すべきである、というのが筆者の意見である。

まとめ ―― 始まりの終わり

2013年5月23日に日本株式市場は激震に見舞われ、日経平均株価指数が(前日終値ベースで)約1100円以上も下落した直後から、アベノミクス「終わりの始まり」だと論じる向きが少なくない。しかし、この下落はアベノミクスの「始まりの終わり」を意味するに過ぎない。

元来、リフレ政策は期待実質金利の低下を通じて、雇用回復と賃金上昇を伴う景気回復を目指すものであり、株価の急激な上昇はいわば副産物にすぎない。

また株価の停滞は実体経済の回復を妨げるものではなく、「リフレ政策=アベノミクス」の効果で実体経済の回復はこれからもつづいていくと考えられる。

さらに金融・財政引き締めの時期の議論では「引き締めを急ぐべきではない」と言える。とくに消費税率引き上げ実施を数年間延期することを議論すべきである。

参考文献

岩田規久男編著(2004)「昭和恐慌の研究」東洋経済新報社

P. テミン(1994)「大恐慌の教訓」(猪木武徳他訳)東洋経済新報社

T. E. ホール・J. D. ファーグソン(2000)「大恐慌」(宮川重義訳)多賀出版

堀雅博(2009)「百年に一度の危機と大恐慌」ESP, http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3486312/www.epa.or.jp/esp/09s/09s06.pdf

C. Romer, “Lessons from the Great Depression for Economic Recovery in 2009,”  http://www.brookings.edu/~/media/events/2009/3/09%20lessons/0309_lessons_romer.pdf(翻訳はokemosによる, http://d.hatena.ne.jp/okemos/20090311/1236779735

[補注] アメリカの大恐慌時のデータはFederal Reserve Economic Data (http://research.stlouisfed.org/fred2/)から、日本の景気動向指数は内閣府(http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/menu_di.html)から取得した。

プロフィール

矢野浩一ベイズ計量経済学 / 動学的確率的一般均衡理論

1970年生まれ。駒澤大学経済学部准教授、内閣府経済社会総合研究所客員研究員。総合研究大学院大学博士課程後期修了。博士(統計科学)。専門はベイズ計量経済学と動学的確率的一般均衡理論。

この執筆者の記事