ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

前回は、ソ連型システムの時代のハンガリーの体制批判経済学者、コルナイさんの言っていたことに基づき、ソ連型システムがなぜうまくいかなくなったかを見ました。

 

リスクと決定と責任がズレていると、リスクを無視した無責任な決定がどんどんとなされてしまう。リスクと決定と責任を、できるだけ一致させるような仕組みにすることが、ソ連型システム崩壊にともなう転換に課せられていた本当の課題だったのだ。その点から言うと、西側資本主義世界でもこれと同じ課題はたくさんあるのに、ソ連崩壊の教訓にのっとったつもりで、かえってこれと逆行するような誤解した政策が新自由主義サイドによって推進されてきた……ざっとこのようなことを見ました。

 

さて、同じくソ連型システム批判と言えば、西側においては、最も根源的な批判をしてきた人として、誰もが筆頭にあげるのが、自由主義経済思想の巨匠、フリードリッヒ・ハイエク(1899-1992)でしょう。

 

今回は、ハイエクのソ連型システム批判の要点を検討する中から、やはり、新自由主義側の人々が、ソ連崩壊の教訓にのっとったつもりで、かえってハイエクによるソ連批判が最もよくあてはまるようなことをやってしまっていることを確認したいと思います。キーポイントはここでも、

 

リスクと決定と責任

 

そして

 

予想は大事

 

です。

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

 

 

自由主義の巨匠ハイエク

 

ハイエクは、中欧オーストリア帝国の帝都ウィーンで生まれました。ウィーンは、今日的な、数学の微分概念を使う自由主義経済学(「新古典派」と呼ばれます)の創始者の一人、メンガーがいた街で、メンガーの弟子たちによって、「オーストリア学派」と呼ばれる経済学者グループが作られていました。オーストリア学派は、自由主義志向がとくに強いことが特徴の一つです。ハイエクも、第一次大戦を経た帝国崩壊後の小国オーストリア共和国の首都になったウィーンで、オーストリア学派の経済学者として活躍を始めます。

 

その後1931年に、ファシズムが台頭してきた故国を後にしてイギリスのロンドン大学に移りました。当時は大不況の最中でしたけど、イギリスには、不況からの脱却のために国家が積極的に経済に介入すべきだと提唱するケインズがいて、ほどなく一躍ヒーローになっていきます。それに対してハイエクは、経済自由主義を擁護してケインズとたたかう役回りになっていきました。

 

そんな中で、1944年に『隷属への道』を出版して、ファシズムとソ連型システムを根源的に批判。評判を呼んでベストセラーになりました。第二次世界大戦後の1950年には、ソ連との冷戦が激化するアメリカのシカゴ大学に移ります。シカゴでは、やはり自由主義経済学の泰斗であるフランク・ナイトらがシカゴ学派と呼ばれるグループを創始していて、ハイエクはその一画に加わることになります。後に、このシカゴ学派から、1980年代以降ケインズ派の天下を打ち倒していく、フリードマンやルーカスなどのバリバリの市場自由主義の経済学者が出ています。

 

ハイエクはその後、1960年代に西ドイツに移り、生涯徹底した自由主義思想を説き続けました。

 

 

「社会主義経済計算論争」

 

さて、そのハイエクによるソ連型システム批判ですが、基本的な論点が打ち出されたのは、いわゆる「社会主義経済計算論争」においてです。

 

この論争は、ロシアにソビエト政権ができて、世界中でこれに影響された運動が盛り上がっていた頃、オーストリア学派のミーゼスが、「社会主義の経済計画なんて無理だ」と文句をつけたことから始まりました。市場がなければ生産手段に適正な価格が付けられないから経済計算できないというわけです。

 

これに対して、ランゲというポーランド出身の社会主義者の経済学者が、「いや社会主義の経済計算は可能だ」と反論しました。この人は、社会主義側の教祖マルクスの労働価値概念は全然使っていなくて、経済学の手法としてまったく主流の、非常に優秀な新古典派一般均衡論使いなのですが、にもかかわらず「マルクス主義者」を自認しています。戦後、居並ぶ普通のマルクス経済学者など役に立たなかったのでしょう。スターリン一派に重用されて、故国の共産党独裁政権下ですすんで経済運営を担ったので、私を含め多くの人のランゲに対する評価は微妙になっていますが。

 

このランゲが社会主義経済計算論争で言ったのは、計画当局が計算上の価格を企業や消費者などの人々に提示して、それに基づいて人々がいろいろなものの欲しい量や提供したい量を当局に表明し、そのギャップを見てセリのように当局が計算上の価格を上下させるというような「試行錯誤」によって、必要なものが必要なだけ生産される計画がちゃんと計算できるというものでした。これは、当局のコンピュータの中の計算手続きの話だと解釈することもできますが、後には、実際に市場での売り買いで価格が動く、いわゆる「市場社会主義」の話とも解釈されるようになりました。

 

これは、これ自体ではまったくもって完璧な答で、この論争は一旦はランゲの勝利とみなされました。ところがこの論争にハイエクが参戦し、全然違う論点で、「社会主義経済計算」はやはり不可能だという反批判を行ったのです。それは、人々が何をどれだけ欲しいとか提供したいとかいう膨大な情報を、当局がどうやって集めることができるのか、ということです。それらは各自の身の回りの、そこにしかない情報で、当人にも意識すらされてないかもしれない。そんなものを集めるのは無理だと言うわけです。

 

実はランゲのイメージした経済モデルは、新古典派の創始者の一人のワルラスが作った、主流経済学標準バリバリの一般均衡論モデルそのものから直接出てくるものです。普通の新古典派が資本主義経済の働き方を表したものとみなしているモデルを、社会主義経済の経済計画の作り方として解釈し直したものだと言えます。ということは、この理論の大前提をひっくり返すようなハイエクの批判は、そもそも主流経済学の大前提をもひっくり返すことになってしまいます(この問題を主流派経済学がとりあげることができるようになったのは、ずっと後年ゲーム理論と呼ばれる分野が発展してからになります)。

 

それゆえハイエクは、主流新古典派の経済理論から一歩身をおいた孤高の経済思想家として、これ以降、自由主義経済思想を説き続けることになります。

 

 

 

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