2016.05.26
第二次安倍政権の教育政策――「お金をかけない教育改革」の是非
第二次安倍政権では、成長戦略を掲げた経済政策と、安保法制に代表される安全保障政策が大きな社会的関心を集めた。その一方、安倍政権の教育政策に関して、世論の関心は経済や安保ほど高くない。
しかし、安倍政権は「教育再生」を掲げてさまざまな改革を行っており、そのなかにはかなり大きな影響を及ぼす可能性のあるものも少なくない。後述するが、第二次安倍政権のこれまでの教育政策は「お金をかけない教育改革」がその特徴であると筆者は考えている。ここでは、第二次安倍政権のこれまで(2016年3月まで)の教育政策を振り返り、その特徴と今後の課題を展望してみたい。
第二次安倍政権での教育政策の概要
現在の政権は、大臣・副大臣などの政務三役による政治主導を志向した民主党政権とは異なり、首相・官邸主導による政策形成が行われる傾向が強い。加えて安倍政権では自民党の文教関係議員(文教族とよばれる、文科省とのつながりが深い族議員)と首相・官邸との距離が比較的近いことが特徴的である。それは自民党に設置されている「教育再生実行本部」の提言が政権の教育政策に反映されていることからもうかがえる。
これまでの自民党政権では、首相・官邸と文教族の関係は必ずしも常に良好というわけではなかった。たとえば小泉政権下の三位一体改革における義務教育費国庫負担金の削減や、1980年代の中曽根政権の教育改革などでは、首相・官邸の意向に反対する文教族が少なくなかった。小泉政権や中曽根政権と比較すると、安倍政権での首相・官邸と文教族の連携の強さは特徴的であるといえよう(徳久恭子「安倍政権の教育改革における連続性と変質」『生活経済政策』2016年1月号)。
第二次安倍政権での教育政策の流れとしては、与党自民党が改革を方向付け、首相直属の下に設置された「教育再生実行会議」がさまざまな提言を発表して政策化の順位や方針を定めたのち、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)や文部科学省内で具体的に施策化され実施に移されるという過程が観察される(徳久、前掲論文)。
時に教育政策形成において重要な位置を占めてきた中教審は、第二次安倍政権においては、自民党や教育再生実行会議が枠付けた方向性に関して具体的な制度設計を行う場となっている。
首相直属の「教育再生実行会議」は2013年2月から2015年7月にかけて8次にわたる提言を行った(表を参照)。このうち、第5次までに提言された道徳の教科化、いじめ防止対策推進法の制定、教育委員会改革、大学における学長への権限強化、小中一貫の義務教育学校の制度化、などは既に法改正などが行われ、実行に移されている。
また、小学校英語の教科化(現在は小学校5年以上で「外国語活動」を実施)、大学入試改革(センター試験廃止と新テストへの移行)、不登校者対策、教員制度改革などは現在中教審などで具体的な検討が行われている。なお現在は、教育再生実行会議はメンバーが入れ替わり、「多様な個性が長所として肯定され活かされる教育」に向けた検討を行っている。
教育再生実行会議の提言とその後(出典:『毎日新聞』2015年5月25日朝刊および徳久、前掲論文)
現時点では、先に述べた8次までの提言を受けてどのように具体的な制度改革が行われるかが焦点となっている。中教審では教育再生実行会議の提言を基に、2015年12月に「教員の資質能力」、「チーム学校」(教員以外の専門スタッフの強化)、「学校と地域の連携・協働」に関する3つの答申を公表した。
それを受けて文科省は2016年1月、3答申の内容を具体化するための「次世代の学校・地域」創生プラン(「馳プラン」)を公表し、教員免許制度の改訂など法改正に向けた準備が進められている。
第二次安倍政権での教育政策の概要
このように第二次安倍政権はその安定した政権基盤を背景に、約3年半の間でさまざまな教育改革(安倍政権では「教育再生」と呼んでいる)を行った。その特徴としては次の3点が挙げられよう。
(1)包括的かつ大規模な教育改革
2006年に発足した第一次安倍政権では、戦後直後に制定された教育基本法を変えることに成功した。第二次政権では加えて、
・道徳の教科化
・教育委員会改革
・大学のガバナンス改革
・小中一貫教育の制度化
・大学入試改革
・教員制度の改革
など、多岐にわたる幅広い制度改革が既に行われているか、または具体的な検討が進められている。
直前の民主党政権と比較すると、民主党政権では家庭の教育費負担軽減、教員の量と質の改革、教育ガバナンスの改革の3点に事実上焦点を絞り、これらを4年間かけて取り組むとしていた。結果的には、途中で参議院が少数となる「ねじれ国会」が生じたため、公立高校授業料の無償化など一部の施策のみが実現するにとどまった。
それに対して、第二次安倍政権は6-3制や教育委員会など戦後長く続いている制度を含めた抜本的な改革を行おうとした。このことは憲法改正など「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権の方針とも合致するといえる。
(2)保守的な側面
教科書の記述において近隣のアジア諸国に配慮する、いわゆる近隣諸国条項の見直しや、いじめ対策の一環として議論され導入に至った道徳の教科化はその一例であるといえる。また、国立大学にも国旗掲揚と国歌斉唱を「要請」したことは記憶に新しい。
民主党政権と比べるともちろんそうであるが、連立与党への配慮が必要となった1990年代以降の自民党政権のなかでも、安倍政権では保守的な色彩の強い教育改革が行われているといえる。これは安倍政権の政策選好であると同時に、官邸一強といわれる政権の権力構造とも関係があるだろう。
(3)経済戦略としての教育政策
国際的に経済のあり方が大きく変わるなかで、日本経済に持続可能な成長をもたらすため、グローバル化に対応した人材の育成を図ろうとしている。具体的には、
・小学校英語の拡充(早期化と教科化)
・スーパーグローバルハイスクール(SGH)
・大学改革(スーパーグローバル大学事業など)
・留学支援の強化
などが挙げられる。また、2016年度内に国の教育課程の基準となる学習指導要領の改訂が予定されており、そこではアクティブ・ラーニング(一方向型の講義形式とは異なる、学習者自身による能動的な学び)が前面に打ち出されるといわれている。アクティブ・ラーニングは従来の知識習得重視の学習だけでなく、課題発見能力、問題解決能力など、グローバル化に対応できる能力を育成しようとする方向の一環であるといえる。
安倍政権の下では格差が拡大しているとの批判もある一方で、教育再生実行会議では社会人の学び直しや不登校者支援、貧困家庭への支援も提言されている。教育政策以外もそうした面があるが、安倍政権の政策は格差拡大と格差是正の両面が混在しているようにも見える。
しかし、グローバルな競争に打ち勝つエリート層の育成と、過度の格差や貧困の発生を防ぐことは、経済戦略としての教育政策という観点を重視するならばともに必要なことであり、経済政策の一環としてみるならば合理的であるともいえる(もっとも、教育政策を経済戦略の「手段」と考えることには賛否両論がありうる)。
なお、これまで述べた3つの点に関わることとして、教育政策決定のガバナンス構造が変化したことも重要である。というのも、教育政策に関する権限集中が進んでいるからである。
国レベルでは安倍政権以前から首相や官邸の影響力が強まっているし、自治体レベルでは知事・市町村長から一定程度独立した合議制の教育委員会は残ったものの、教育行政の基本的方針を知事・市町村長が策定できるようになるなど、その権限が強化された。また、大学のガバナンス改革では教授会の権限が弱められ、学長に権限が集中することとなった。
これらは時代に即した改革を容易にする一方で、教育に関わる意思決定に特定個人の意向がより反映しやすくなるため、時に中立性・公平性の確保が懸念される。また、リーダーが暴走・失敗した際の歯止めが利かなくなる危険もある。過去の歴史を考えると、このことのメリット・デメリットにはより自覚的であらねばならない。
今後の課題――「お金をかけない教育改革」は可能か
以上に述べたように、第二次安倍政権では幼児教育から高等教育に至るまでさまざまな制度改革が行われており、今後、その影響が少なからず現れてくるだろう。
日本では少子化と財政難という教育政策にとっての大きな制約があり、将来世代のための財政支出は先送りされがちである。一方で、教育政策はイデオロギー的な政策やガバナンス改革など、費用をかけずに手をつけられるところが少なくない。
あえていえば財政難でもイデオロギーやガバナンスなど、多額の予算を投入することなく手をつけられる部分があることが(安倍政権に限らず)教育政策の特徴であるといえる。そして、第二次安倍政権下では文教予算は微減傾向にある。
第二次安倍政権に限らず、最近の教育改革では政治主導が目立っている。政治的リーダーシップによる改革は既得権益の打破や大胆な変化をもたらすことが可能であるが、反面で教育に必要な政治的中立性や専門性の確保が難しくなることや、政権交代のたびに教育政策が大きく変わり現場に混乱を招く危険もある。
また政治主導は短期間で結果を求めるため、目に見えやすい学力テストの点数や競争原理を強調しがちな傾向がある。しかし、よく言われるように教育の効果は長期間かけて現れることも多いため、実際に政治が教育改革の責任を取れることは少ない。政治主導が強まる一方、中長期的には政権交代がありうる政治的環境のなかでは、政治的中立性や専門性、また安定性・継続性に配慮した教育政策のあり方が今後もっと検討されてよい。
より具体的かつ急を要する課題としては、教育現場の疲弊をどう軽減するかという点が挙げられる。現場の疲弊が続けば優秀な人材は教職を敬遠するようになり、やがては公教育の質の低下を招く。教員の多忙化は問題解決の必要性が世論にも認められつつある。
この課題の原因は多々考えられるが、環境変化にともなう教員の負担増を政策面でカバーできていないことも大きい。世間からは見えにくいが、筆者が身を置く大学も多忙化が進んでおり、論文数の減少や国際的地位の低下など、教育に比べて成果が目に見えやすい研究面では明らかに多忙化の弊害が現れてきている。
教育現場の疲弊については文科省も認識しており、教員以外のスタッフを増強する「チーム学校」の検討などさまざまな対応が図られているが、財政的な制約が強いため人員の強化が難しく、多忙化の解消には至っていないのが実態である。
先に述べた学習指導要領の改訂により、アクティブ・ラーニングなどの新しい考え方や小学校の英語教育などが導入されると教員も改めて学ぶことが求められるが、現状ではそのための時間の確保が難しいといわざるをえない。このことは学校教育の質に直結するがゆえに深刻である。
教育にとってイデオロギーやガバナンスは重要ではあるが、具体的かつ効果的な問題解決はそれだけでは難しい。財源投入なき教育改革は現場の「改革疲れ」を招くなど副作用も大きく、有害であることすらありうる。もっとも社会保障や経済政策など教育の他にも緊急かつ重要な課題は山積しており、「未来への投資」を掲げるだけで教育への財源投入に対する世論の支持が得られるほど現状が甘くないのも事実である。教育再生実行会議では、将来的に消費税の一部を教育目的に充てるといったアイディアも提言されているが、「お金のかかる教育改革」に対してどのように世論や政治の支持を獲得するかは非常に難しい問題である。
しかし、「お金をかけない教育改革」はその限界が見えてきているのも確かである。教育問題の改善・解決への財源投入に政治的リーダーシップを発揮できるかが、今後の政権の重要な課題といえるだろう。
プロフィール
村上祐介
専門分野は教育行政学・行政学。研究関心は、教育行政の政治学的分析。主に教育委員会制度や地方教育行政を分析対象にしている。1976年愛媛県生まれ。1999年東京大学教育学部卒業。2004年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、愛媛大学法文学部講師、准教授、日本女子大学人間社会学部准教授を経て、2012年より東京大学大学院教育学研究科准教授。博士(教育学)(東京大学)。著書に『教育行政の政治学―教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究―』(単著)(木鐸社、2011年)、『教育委員会改革5つのポイント』(編著)(学事出版、2014年)、『地方政治と教育行財政改革』(共編著)(福村出版、2012年)、『テキストブック地方自治 第2版』(分担執筆)(東洋経済出版社、2010年)、などがある。