「教育」に関する選挙公約比較

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はじめに

 

今回の選挙は、「教育なき」選挙である。

 

経済政策、外交、税制、原発・エネルギー、憲法といった骨太のテーマが連呼される一方で、「教育」は主要な争点になっていない。

 

もちろん、一応、どの政党も「教育」が大事だとは言う。自民党の下村博文文部科学大臣も、「教育再生と経済再生は安倍内閣の最重要課題であり、車の両輪」と述べてきた。だが、有権者に対するアピールという点で、「教育」の立ち位置は弱い。

 

表1は、各政党の選挙公約集における大項目・主要項目のテーマが、どのような順番で出現しているか示したものである。この順番が、政策的な優先順位を示しているとは限らない。だが、限られた紙面の中で、どの項目をどこにランクさせるかには、選択が働いていることも確かだ。

 

例えば自民党の場合、下村大臣の自負にもかかわらず、教育は7番目という微妙な位置にある。ちなみに経済は2番目。「両輪」というには、タイヤの位置がズレている感じだ。もっとも、ピンで項目になっているだけまだ恵まれている。教育が主要項目から選抜落ちしている政党もいくつかあるし、「国家システム」とか「活力ある日本」といったえも言われぬ項目の中に、「道州制」や「天下りの根絶」とかと一緒に収められているケースもある。

 

 

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表1 各政党の選挙公約集における教育・子育ての位置(クリックで拡大)

 

 

いや、もともと「教育」なんてこの程度の位置づけで今回に限ったことじゃない、という指摘は一応もっともである。だが、2007年の参議院選挙では、第一次安倍政権のもとにあった自民党は、全部で155ある公約のうち、なんと2番目から10番目を「教育の再生」にあてていた。文字通り最重要課題だったのである。さらに、2009年に政権交代を成し遂げたときの民主党のマニフェストでは、教育は7つの大項目のうち2番目に据えられている。

 

それに比べると、今回、教育は公約集の中でささやかに息づいている。ここには時代の空気が刻印されているかもしれない。今回の選挙で最大の争点の一つとなるであろうアベノミクスは、それまでの統治をめぐる言葉の前提を変えた。その空気は、実は「教育」をめぐる言葉と折り合いが良くない。

 

今思えば2000年代は「教育的なもの」の時代でもあった。ネオリベラリズムと呼ばれる文脈下では、自分で合理的に判断・選択し、その責任を取れる強い主体を目指すことが奨励され、政権交代から脱原発運動に至る流れの中では、意識の高い市民になることが奨励された。左右を問わず、より良い主体へのバージョンアップこそが賭金だった。だがリフレ政策は、過度に合理的な主体や強い主体を要請しない。主体、自己投資、訓練といった問題系を一時的に解除してくれる。

 

とはいえ、教育政策は、中長期的なスパンで社会に大きな影響を与えるものだ。政党選択における一つのポイントとして、検討してもらえればと思う。

 

 

11の論点

 

通常「教育政策」は、初等教育から高等教育までの間を守備範囲とするが、実際には、人間形成に関わる営みは、就学前の子育て・保育から、就労支援としての職業訓練まで幅広い。学校教育のアウトプットも、それら学校外部の「教育的営み」との連接の中で、意味をもってくることもある。実際に各政党は、学校制度内/外の区別に関係なく、それぞれ固有の「教育的営み」のパッケージをもっている。

 

よって本稿では、選挙公約に書かれた「教育的営み」について薄く広く見ていくことにする。その論点は多岐にわたるので11の論点に整理した。

 

(※少子化対策・両立支援については、筒井淳也「少子化対策・両立支援についての各政党の政策の比較・評価(https://synodos.jp/welfare/4756)」を参照のこと)

 

 

(1)子育て支援をいかに行うか

 

妊娠出産から学校卒業まで、子育てを行う親に対し、いかなる支援を行うかという論点がある。特に重要なのは、経済的負担の軽減と子育て機会の保障である。

経済的負担には、様々なものがある。子育てには、出産から保育、子どもの医療に至るまで、多様な場面でお金がかかる。これに対して、誰に、何を、何のために、どのような形で(現金か現物か)給付するかという論点がある。

 

子育て機会の保障において、まず重要になるのが、保育施設の問題である。待機児童があふれる中で保育サービスの総量を増やすのが急務の課題だが、これを認可保育園など厳正な基準に基づく公的施設を増やすのか、基準を緩和して株式会社も含めた多様な供給主体にゆだねるのかという違いがある。またとくに後者の場合、その保育の質を、保育労働者の待遇や専門性も含め、いかに保証するかという論点もある。

 

同時に、親による育児の時間・機会の保障も重要である。これは育児休業の確保やワークライフバランスの実現、育児後の職場復帰の問題として位置づけられる。ただし日本では、それは女性の生き方の問題として認識されがちだが、男性も含めた全労働者の育児機会の保障、さらには労働時間の規制という射程の中で捉えられているかどうかは、政党によって異なる。

また、子育てという論点の裏面には、児童虐待への対応や、親の不在・育児放棄に伴う児童養護施設や里親制度の利用という問題系も随伴している。これらの論点が視野に入っているかどうかも、評価の一つのポイントである。

 

 

(2)平等な教育機会を保障できるか

 

不平等には「結果の不平等」と「機会の不平等」という二つのタイプがあるが、このうち、本人に帰責できない「機会の不平等」は許されない――これは、政治的立場を超えた近代社会の理念である。生まれた家庭の経済的困窮によって、就学機会や社会への十全な参加が奪われるという「子どもの貧困」はその最たるものであるが、その問題をそもそも認識しているか、認識していたとして、いかなる方法(現金給付/現物給付)で解決しようとしているのか。この点は各政党の、教育のみならず社会への基本態度を見る上で重要なポイントである。

 

また、学校の多様性の増大や学校選択制の拡大は「機会の不平等」を拡大させうるという社会学が明らかにしてきた知見に対して、いかなる位置にあるかという問いも、同じ問題圏域にある。

 

 

(3)いかなる学力をいかにして形成するか

 

個性を伸ばす教育か詰め込み教育か――この対立は明治以降何度も繰り返されてきた。世論を二分する「ゆとり教育」をめぐる議論もその意味で「平常運転」だったが、今回は幸いなことに論点に上っていない。だが、学力形成をめぐる対立軸は何本も走っている。

 

まず、競争を重視し飛び級や習熟度別教育などの差異的処遇を肯定する方向と、過度な競争を否定しつつ全ての子どもの学力保障を求める方向がある。後者は、そのための少人数学級の実現と教員の増加がセットになっている。

 

さらに基礎学力の上に、何を求めるかという点にも特色が出る。政党によって、英語教育、理数教育、職業教育、コミュニケーション力や人間力の育成など、多様なものが加わる(道徳教育については別途記載)。

 

 

(4)教員の専門性・自律性をどこまで保証するか

 

教員は学校教育の要であるが、1970年代以降に、教育問題が教師の問題としてフレームアップされる慣習が出来上がると、教師叩きは政治家や評論家が手軽に点数を稼ぐ手段となり、「教育改革」のたびに教員の職場環境はめまぐるしく改変されてきた。

 

一般的に教師に対する管理と評価が強化され、多忙さは増大している。この文脈で、大きな対立軸は、教師に対する管理を強化するか、自律性を認めて緩和するかというものである。後者のベクトルには、教師の労働強化の解消のために、教職員数の増加や、非正規教員の正規化を進める方策も含まれる。

 

もう一つは教師の専門性をめぐる問題系である。この間進められてきた研修の強化や教員免許更新制を肯定するか、それとも別の形で専門性を高めるかという対立軸がある。そのもう一つ外側に、そもそも教師の専門性なんて不要とする立場がある。それは民間他業種からの教員登用を進める立場である。

 

 

(5)さまざまな脅威(いじめ・体罰・地震・交通事故)から子どもをいかに守るか

 

子どもの安全対策としては、ハード面とソフト面がある。

 

ハード面に関しては、地震に対する耐震補強や通学路の交通安全対策がある。震災後に、重要な論点として浮上してきた項目である。

 

ソフト面に関しては、いじめや体罰といった教育問題に対する対策があげられる。昨年の大津市のいじめ事件は、その対応をめぐって、学校や教育委員会、自治体の首長などが激しい批判にさらされ、久々の一大教育論議を巻き起こした。

 

その一つの帰結として6月18日には「いじめ防止対策推進法案」が、自民、民主、公明、生活、みんな、維新の6党で衆院に提出された。このように「いじめ」は、今回の教育に関する選挙公約のなかで大きく取り上げられてはいるが、与野党共同での法案提出後ということもあり、大きな対立軸を形成できていない。ここで注目すべき対立軸は、同法案に見られるような道徳教育の強化や厳罰化で対応するか、管理や競争の緩和や体罰の撤廃、少人数学級の実現、スタッフの増員など、よりケア的なアプローチで対応するかというものである。

体罰に関しては触れている政党は二つのみである。不登校は一つであるが、これは学校への復帰を前提とするのではなく、フリースクールなど学校外の場への公的支援によって、学校からの「避難」を含んだものなのかという点がポイントである。

 

 

(6)地域の役割をどこまで拡大するか

 

選挙公約の中で「地域」という文言は、(1)「中央に対する地方」の意味と、(2)「学校に対する近隣の住民」という意味で使われている。

 

(1)をめぐっては、国は最低限の教育水準の維持のみにとどめ、市町村や現場の学校に任せた地域の特性に応じた教育を行うべきという立場があり、もう一方で、国の管理統制を重視する立場がある。

 

(2)に関しては、学校経営に地域住民・親を参画させるコミュニティスクールや学校評議会などの構想があるが、これは政治的立場を超えて広く支持されている。

 

(1)(2)の両方の論点に関わる教育委員会をめぐっては、大津のいじめ事件の影響もあってか、一般には地味な論点であるにもかかわらず、いくつもの政党が取り上げている。抜本的な改革が掲げてられているが、権限強化を求める政党がいる一方、廃止に言及する政党もあり、方向性はばらばらである。

 

 

(7)教えるべきは道徳か権利か

本来、両者の関係は、排他的というわけではない。だが教育論議においては、その両者が対立するものとして浮かび上がることが多い。

 

一つの極に、高い規範意識や道徳、ナショナリズムに裏打ちされた価値や知識を教え込もうとする立場がある。これを先鋭化するのが、教科書検定・採択の場面であり、国による教科書検定の強化を通じて領土教育などを徹底することが求められる。

 

もう一方の極に、個人の内面の自由を擁護し、国家道徳やナショナリズムの押し付けを拒否しようとする立場がある。後者が、それに代えて重視するのが、人権教育やシティズンシップ教育などである。

 

上記の対立以上によりラディカルな対立軸が、国が何かしらの道徳・規範(国家主義であれ人権であれ)を一律に教えるべきという立場と、それは最低限にとどめ地域や各学校に任せるべきという立場の間にある。

 

 

(8)大学をどう改革するか

内向きな提言が多かった学校教育に対し、大学については、秋入試の実施や留学生の増加、国際学術交流の推進などを通して、さらなる国際化を図ろうとする立場が目立つ。

 

そのほかは、研究費の増額や、研究者の待遇・雇用の改善などを通じて、研究基盤の強化を図ろうという提言が見られる程度である。

 

 

(9)障がい児やマイノリティの教育はどこまで配慮されているか

 

障がいのある子どもの支援を、インクルーシブ教育として取り上げている政党がいくつかある。それがどのような具体性をもって書かれているかが重要である。なお、外国人の教育については、ほとんどの政党が触れていない。

 

 

(10)若者をはじめとする労働者への就労支援は行われているか

 

若年雇用の改善については、取り上げている政党が多い。ポイントは、第一に、それが若者自身の雇用可能性を高めようとしているのか、第二に、就労構造の改善という枠内で行われているのかという点である。

 

第一の点については、それがキャリア教育なのか、職業教育なのかによって、方向性は異なってくる。第二については、非正規労働者の待遇の改善をいかなる形で進めようとしているのか、その中に職業訓練は位置付けられているのか、という点に注目したい。

 

 

(11)教育/子育て予算は明記されているか

 

先進国の中では平均を大きく下回る教育・子育て予算(GDP比)であるが、予算額の目標を明記するか否かという選択がある。また、その場合の財源が明記されているかという点も、注目点の一つである。

 

ここまで、政党間の教育政策の比較のために有効と思われる論点を抽出してきた。もちろん、このほかにもいくつもの公約は存在する。それらについては、直接、選挙公約・マニフェストを確認して頂きたい。

 

以下では、各政党の教育政策の特徴について、上記の論点のうちいくつかのものに注目しながら、概観していく。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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