固定化される言葉に挑む取材とは

震災から2年がたち、関心の低下とともに「フクシマ」をはじめとした被災地のイメージが固定化、単純化されつつあるいま、ジャーナリストになにができるのか。『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』著者の開沼博氏、河北新報編集委員・寺島英弥氏、ジャーナリストで法政大学社会学部教授の水島宏明氏が語り合った。(構成/山本菜々子)

 

 

「見えない現場」

 

水島 日本ジャーナリスト教育センターでは、今年の5月にいわき市で「ジャーナリストキャンプ2013」を行いました。「震災後の福島に生きる」をテーマに、全国から集まった記者15名と5名のデスクが2泊3日で取材をし、その原稿はダイヤモンドオンラインにて現在発表しております(*1)。今回は、デスクを務めたお二人に、今回のキャンプの成果報告も踏まえ、ジャーナリストとしてなにができるのかをお話頂ければとおもいます。まず、開沼さんはどのようなことに気をつけましたか。

 

開沼 現場に来る前に持っていた先入観をいかに乗り越えるか、意識してもらうようにしました。そのためには手持ちの材料から仮説をたて、それを突き崩して何度も作り変えながら現場を回る必要があります。キャンプは、記者3名にデスク1名がつく形でチームを作り、基本的にはそのチームごとに議論を進め事前準備から記事完成までのやり取りをしました。私はデスクだったわけですが、デスクを中心にした事前準備は4月中にはじまっていて、各チームごとに実際に集まったり、facebookで取材対象を探したりしていました。

 

私のチームでは、記者の方に「研究計画書」を出してもらいました。研究者が研究をはじめる前に作る計画書のフォーマットにそって取材案を書いてもらったんです。どういうことかって言うと、研究って「問いを立て、仮説検証作業をすること」なんです。研究計画書を作ると仮説検証のための材料が揃う。その材料をしっかり揃えてから現場に臨んでもらおうと思っていました。やはり、メディアが震災を描く際には、なかなか問いを洗練していない報道が多いと感じていたからです。

 

たとえば、「被災者はパチンコばっかりしている」「被災者は避難先の地域の人ともめてばかりいる」っていうような、時にメディアが好んでセンセーショナルに描きたてるところの被災地イメージにとらわれてしまうと、現場に来た所で「パチンコをする被災者」「もめる被災者」ばかりに目がいってそれで終わってしまいます。でも、そんなはじめから答えありきで書いた記事なんて、別に現場来なくたって書けるわけです。実態はそれだけではない。そういう固定化したイメージを超えて、なにが被災地で起こっているのかということを知ってもらうために、事前に何度もメールでやり取りをしていました。

 

水島 寺島さんは普段仙台の河北新報で取材をされていますよね。自分のテリトリーとは違ういわき市で取材をしてみるのはどのような感じでしたか。なにか、気をつけた事はありますか。

 

寺島 私は事前のやり取りは行いませんでした。被災地を歩いて、そこで直に感じたテーマを書いて欲しいと思ったからです。いわきというのは、津波と原発事故の被災地でありますが、それを忘れられたような扱いをされている場所です。福島県双葉郡など近隣の被災地からの避難者を受け入れ、「仮の町」をつくろうという話も持ち上がっています。ある意味では「見えない被災地」といってもいいでしょう。取材場所がいわきであることで、今まで発信されて来たものとは違う震災報道ができるのではという期待がありました。

 

水島 たしかに、いわき発のニュースと言うのは聞くことが少ないですよね。私も日本テレビの「NNNドキュメント」で、福島や宮城といった被災地に入りました。震災直後は特に、津波被害が激しいところばかりがニュースになったという印象があります。津波の被害がなくとも、内陸では潰滅的に家が潰されてしまった地域が沢山あるのですが、そのような地域のことはほとんど報じられていないと、地元の人も言っていました。

 

開沼 いくつか被災地での地域間報道格差についての研究も出てきていますが、やはり、いわきというのは人口や被害、原発からの距離などの多さ・大きさに対して総体的に報道が少ないんです。福島県のテレビ局や新聞の中枢的な機能が福島市と郡山市に寄っているのも一因でしょう。福島市からいわき市まで車で2時間かかりますので、いわきよりも、飯舘村や南相馬市といった県北の近場の方が報道されがちです。それと呼応するように、震災直後は南相馬の櫻井市長がYoutubeで情報発信して世界的に話題になったり、「飯舘村の悲劇」が東京のメディアではよく報じられるようになったりもしました。一方で、福島市から離れた、県南のいわき市や楢葉町、広野町は報道格差の劣位におかれていたという問題意識がありました。

 

固定化したイメージとしては、「福島からは人が大量に出て行って困っている」という話もありますが、それは必ずしも福島全体に一般化できる問題ではありません。もちろん、線量が高く子どもを連れて県外避難する人達が多いなど、人口流出問題も非常に重要な問題ですが、いわき市では避難者が多く移住し、工事関係者も訪れているため、人口が増えている。震災前に30万人ほどだったところに、3万人弱人が流入しているという話もあります。1割増というのは数字だけみたらたいしたことないのかもしれませんが、市の行政や医療機関などには大きな影響が出ていて機能不全に陥りそうな面もある。

 

このように、同じ福島の中でも人口が増えたり減ったりしているのですが、外からみると「放射能に恐れおののいた人達が福島から出て行っている」といった問題にされてしまいます。重要なのは、増えていることも減っていることも、両方ある。単純化せずに、でも伝わるようにその両方を伝えることです。

 

避難の話自体をとっても「放射線を恐れて、お母さんと子どもが避難している」というわかりやすいイメージで捉えられがちな問題ですが、避難者には男性も、単身の女性もいます。あるいは、一度避難したけどさまざまな要因で戻ってきた人も大勢います。いわきで取材をすることで問題の多様性を理解し、議論の幅を広げることができるのではとおもいました。

 

水島 実際現場に行ってみると、東京との報道のギャップに驚かされます。去年の秋に、除染がどのように進んでいるのか、福島で取材しました。東京での報道では、夏休みに校庭の土をひっくり返す場面が流れ、高圧洗浄機での除染が効果的に進んでいるような印象を受けました。しかし、実際に保育園などで機器を使い線量を計ってみると、除染前と数値の変化はあまりなく、改善されていないことがよくわかりました。

 

このように東京では伝わってこない実態というのがあります。現場に行き、取材をすればさまざまな問題がわかるので、多分地元のメディアでは報道されているとおもうんです。しかし、東京のメディアではほとんど触れられていない。そのギャップに私は驚きました。東京と地元とのギャップをお二人は感じていましたか?

 

開沼 そうですね。東京でニュースをみてみると、除染作業を行いました、だとか、補償が始まりました、という話が報道されています。それを聞くと、福島の状況は進んでいるのではないかとおもうのも仕方ありません。つまり、「もう福島は大丈夫」と思わせる情報がある。

 

一方で、魚から何百ベクレルの値が出ただとか、除染業者が手抜きをしている、さらにソーシャルメディアでは「実は福島では人が死にまくっている」「本当は今も放射線量が上がり続けている」などという情報も流れてきます。そういう情報を元に「フクシマはもう住めない」「どんどん人が流出している」といった、固定化された「もう福島は危険過ぎる」像が出来上がってしまう面もあります。

 

しかし、実際の福島は「すごく安全」でもなく「すごく危険」でもありません。実際に住んでいる人の実感は、そういう両極端のイメージとは別なところにある。もう十分に安全で復興が進んでいる面もあるし、まだ危険で復興が遅れている面もある。そういう色々なものが入り混じった、安全・危険や復興が進んでいる・遅れているという二項対立では語りきれないような「第三の現実」がある。現実はわかりにくく、一言で言えるものではない。でも、このわかりにくい現実って、外には伝わりにくいんです。ジャーナリストというのはその現実を拾い上げていく必要があるのかとおもっています。

 

水島 現在のジャーナリズムでは、最初から現場のイメージを作ってから、取材をすることが多いです。それがステレオタイプな報道につながっているのだとおもいます。なかなか、現地の人がどうおもっているのか、背景まで丁寧に取材していく感じにはなりません。東京目線と現地の生活には差がありますよね。今回は若手のジャーナリストを教育するという目的でしたが、寺島さんはベテランの記者として彼らにどのような働きかけをしましたか。

 

寺島 今は、誰でも自らのメディアを手にして表現者・発信者になれる時です。そこでどんな新しいジャーナリズムが可能か、ベテランも若い世代も共に模索する時でもあります。

 

実は私、こうしたキャンプに参加するのは2回目なんです。1回目は「スイッチオン・プロジェクト」といって、さまざまなメディアの現場の有志と大学生が一緒に活動し、アポの取り方や取材方法、誰に向けて書くのか?といった基本的なことも含めてやりました。今回は、実際に報道機関で働かれている人が多いので、このようにやれば、このようなストーリーで書けるといった前提を共有できていました。

 

今回は特に、いわき市でなにができるのかといったところが重要でした。先ほどの話にもあがったように、いわきというのは、被災地でありながら被災地でないような扱いを受けている場所です。

 

ある参加者は、いわきの海の神を祀るみこしの若い担ぎ手が震災でいなくなり、高齢者たちがふんばってコミュニティの復活に動き回っている状況を取材しました。また、震災後のいわきで現地取材をした縁から、自分もなにか役に立ちたいと、実際に地元の港で釣れた魚を持ち帰り、一人の消費者として食べてみるような体験取材をした参加者もいました。

 

(*1)http://diamond.jp/category/s-fukushimajournalist

 

 

 

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vol.216 特集:移動

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