2014.01.17
変容し続ける「復興情報」をとらえ、災害の過去、現在、未来をつなぐ
東日本大震災からまもなく3年、そして阪神・淡路大震災から19年が経った。被災地はいまだ復興の途を歩み続けている。そんな中、日本災害復興学会は、災害後を生きるために「復興情報」という新たな概念を提唱し始めている。山積する復興の課題にいかに取り組んでいくか。われわれは災害から何を学び、語り継ぐことができるのか。共に弁護士である岡本正氏と津久井進氏が、防災情報や災害情報ではない「復興情報」について語った。(構成/金子昂)
『復興情報』の展開
津久井 今日は岡本正さんと、「復興情報」についてじっくり話をしたいと思います。
阪神・淡路大震災から数年後、関西を中心として日本災害復興学会が立ち上がりました。そして復興のあり方について見解をまとめ、仕組みついて提唱し、いろいろな提案をしてきたつもりです。しかし東日本大震災が起きて、様々な情報が、“届いていない”、“活かされていない”、むしろ“復興を後退させていることがある”という現象を目の当たりにして、阪神組の私としては、無力感を覚え、ときには罪悪感すら感じることもありました。
復興に関する情報は、次第に質が高くなってきています。しかし、「復興情報」という概念は、ありそうな言葉なのに、意外と聞いたことがありません。これからは「復興情報」という考え方をよりよいものとし、広く浸透させていく課題に取り組んでいかないといけません。そこで今日は、2013年10月12日に日本災害復興学会で開かれた、「『復興情報』の展開」という分科会を振り返り、「復興情報」の意味を考えたいと思っています。
岡本 分科会では、RCF復興支援チーム代表理事の藤沢烈さん、神戸新聞編集委員の磯辺康子さん、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員の開沼博さん、震災当時、岩手県庁法務学事課に所属されていた山本和広さんにパネリストとして参加いただきました。皆さんのお話から、「復興情報」とはどんなものなのか、なぜ必要なのかを改めて考えていきます。
「あと一歩」を届けるコーディネーター
津久井 さっそく具体的な話に入りたいと思います。最初に、なぜ被災者の皆さんに情報が届かなかったのかを考えてみましょう。
私が2011年の4月に岩手県の避難所に法律相談に行ったとき、行政からの張り紙が、壁に隙間がなくなるほど貼ってありました。「神戸から弁護士が法律相談に来る」という張り紙もありました。しかし、避難所にいる人たちは誰も私たちが来ることを知らなかった。情報はなかったわけではありません。むしろあふれていた。それがなぜ被災者の皆さんに届かなかったのでしょうか。
岡本 津久井さんのご指摘の通り、避難所には無数の張り紙があり、入り口には支援情報の冊子が積み上がっていました。また政府、メディア、NPO、民間企業は、様々な情報をHPなどで発信していました。しかし被災地には情報の受け皿がなかったんですね。
物理的なインフラ被害が原因である場合もあれば、情報があまりにも多すぎて優先順位の取捨選択をする時間もなかったというのが、自治体の職員さんの本音だと思います。いままでに経験したことのないような災害の中で、平時とは比べ物にならない数、さらには普段は扱わない情報を振り分けないといけなかった。
そうした状況で、たとえば、被災地で無料相談を始めた弁護士は、災害直後の情報の整理という役割を果たしたと思います。ずっと寄り添っていられたわけではなく、避難所を訪問した一時ではあるものの、顔をあわせてその方の悩みを整理し、役に立つ情報のメニューを提示することができました。当初から情報伝達の困難性を克服しようという意識があったわけではなかったのですが、結果的に情報提供のコーディネーターとしての役割を果たせたと思います。
津久井 岡本さんはいま重要なことを2つ指摘されました。ひとつは「顔をあわせて」ということですね。やっぱり人と人が実際に触れ合い、向かい合う機会を設けないと情報は伝わらないということ。そしてもうひとつは、情報を発信するだけでなく、コーディネートする役目が必要だということ。そしてその重要な担い手として、行政ではなくボランティアをはじめとする民間セクターがあげられるということです。
パネリストのひとりであるRCF復興支援チーム代表の藤沢烈さんの発表の中で、「復興支援員」の存在が重要だというお話がありました。
岡本 国によってできた「復興支援員」という制度の人的なサポートをされるなかで、情報を伝える難しさを体感されてきた藤沢さんは、必要な人に必要な情報をどのように伝えるか、そしてその情報を地域に行き渡らせるようなコミュニティづくりに専念されています。国や大企業など、いわば縦からくる情報を整理し、しっかりと横、すなわち被災者一人ひとりに伝えていくことの重要性についてお話いただきました。
津久井 藤沢さんは、復興支援員の役目を語るなかで、「情報のラストワンマイル」というキーワードを提示されました。
たとえば、仮設住宅と借り上げ住宅の違いに目を向けると、どちらにも広報紙は届いているのに、仮設住宅の住人にはしっかり情報が伝わり、借り上げ住宅には伝わっていないという現象があります。仮設住宅では住人間で、区画整備や高台移転の議論など自分たちに関わる情報が口コミで広がっていく。一方、借り上げ住宅にはそうした口コミがないので、情報が詰まった広報紙が届いていても、その意味や価値に気付かない。その「あと一歩」をつなぐところに復興支援員の役目があるというお話です。
岡本 藤沢さんは、「防災情報」や「災害情報」よりも長いフェーズでの、まさに「復興情報」のお話をしてくださったと思います。
神戸新聞社20年の「忘却との戦い」を復興の希望に
津久井 岡本さんはいま「長いフェーズ」と仰いました。阪神・淡路大震災でも、発生後2カ月ほどはたくさんの被害情報と災害情報が飛び交いました。しかし時間が経つにつれ、被災地外での風化が顕著に進み、被災地との温度差を強く感じるようになりました。そこで岡本さんにお尋ねしたいのは、復興情報を長く継続して伝えていく社会的意義はどこにあるのかという点です。
岡本 阪神・淡路大震災からもうすぐ19年になります。パネリストの一人である神戸新聞編集委員の磯辺康子さんは、当時の被災者がたどった軌跡を丹念に追ってきた方です。
なぜ磯辺さんがわざわざ18年間も阪神・淡路大震災の被災者を追ってきたのか。そしてなぜ、大々的ではないにせよ、神戸新聞に欄を設けて絶え間なく声を伝え続けてきたのか。結論を簡単な言葉でいうと、それは忘れさせないためです。
わが国には、18年前から今に至る、阪神・淡路大震災からの復興の成果があります。それを語り継ぐことは、同時にこれからの復興の知恵として使えるはずです。もちろん阪神・淡路大震災と東日本大震災を、全く同じように語ることもできないでしょうし、今後、起きるであろう震災も同様でしょう。しかし、今までの経験にはいろいろな知恵や克服してきた課題がたくさん宿っている。それを眠らせずに呼び起こしていく。磯辺さんの、先例をしっかりと残すことが、復興の希望となるというお話は非常に印象的でした。
津久井 加えて、磯辺さんは、生の声が重要だと指摘されました。18年も経てば「阪神・淡路大震災とはこういうものだった」「復興とはこうあるべきだ」という、ステレオタイプな印象論を語る人が増えます。それはむしろ東日本大震災の被災地では“害”――という言葉は強すぎるかもしれませんが――になることさえある。
なぜそういった語りがなされるのか。それは、復興という営みの実相を長く追いかけていないためです。阪神・淡路大震災では、3年後には「復興を遂げた」という言葉が記事にあふれました。しかし実際は、現在もまだ復興のプロセスは続いているんですね。
18年経ってようやく阪神・淡路大震災を語ることができるようになった人もいる。神戸新聞のようにこまめに長く追い続けているからこそ、その時どきの、そして18年後のいまの課題をキャッチできる。だからこそ、生の情報、一人ひとりの生の声に迫ることが重要なんですね。
フクシマ・オリエンタリズムからの脱却
津久井 磯辺さんのお話は、開沼博さんの問題意識に繋がる部分があると思うんですね。
東日本大震災を語る際に、福島第一原子力発電所の事故の話は避けることができません。「福島」という地を中心に、いろいろな困難を強いられている人びとがいる。その困難のなかで、情報が果たしている功罪がある。私は開沼さんの、情報にフォーカスをあてた福島の実相をお聞きして、感じることが多くありました。
岡本 例えば、開沼さんからは、福島県の失業率について、あるいは県内の人口がどのくらい減っているかについてアンケートをとると、極端な数値が返ってくるというお話がありました。統計をみると、震災直前程度に回復している場合があるにもかかわらずです。
開沼さんは「復興オリエンタリズム」という言葉を使っていらっしゃいました。オリエンタリズムというのは善意の中で誤解を含んだ単純化されたイメージを押し付けることを意味していますが、今、まさに「福島とはこういうものである」「復興とはこうすべきである」というレッテル張りによって、誤った情報が流れてしまっている。長期化すればするほどそのイメージが浸透してしまう。
データに裏付けされた情報を発信することの重要性は、報道をきっかけによく指摘されることですが、改めてその重要性を実感しました。そうすることで、新聞の見出しで使用されるステレオタイプなキーワードはだいぶ変わるでしょう。「福島 震災後 人口減る」ではなくなる。
津久井 もうひとつ印象的だったのは、いま福島を語る際に「若い人たちが出て行ってしまう」「産業が衰えて雇用が不安定になる」「コミュニティが崩壊している」といった話題が出てくるけれども、これは福島特有の話ではなく、日本中の各地で震災前から抱えていた問題ではないか、それを「福島の課題」というかたちで解決しようとしていないか、という指摘です。
そうした実相から乖離したステレオタイプな情報は、外からの支援を誤らせることになり、さらに地元の人たちも「なんか違うような……?」と思いながらその流れに身を任せざるをえない状況を作ってしまう。それは復興を阻害する可能性を内包しています。発信だけでなく、情報を正しく受け取るリテラシーも大事だということですよね。
岡本 復興のために必要にみえる情報と本当に必要な情報は乖離があるという開沼さんの指摘は、われわれもハッとしました。
津久井 もうひとつ新鮮な印象を感じたのは、「復興は動的な概念だ」ということです。私たち法律家は、ルールや法律といった、普遍的で時間の概念をあまり考えない、静的なモノサシで物事を考えがちです。しかし、復興は現在進行形で、常に変わっていく概念なんですね。被災者が必要とする情報も、被災地から紡ぎだされる情報も、常に変わり続けているのに、静的なモノサシをあててしまうと、情報が息苦しくなって本来のものとは違った形になってしまう。
「防災情報」は未来のことを想定するもの。「災害情報」はいま起きている状態の結果。一方、「復興情報」は、行ったり戻ったり、膨らんだり萎んだりする、非常に捉えがたいものなんですね。必然的に、情報の捉え方も届け方も、二者に比べて難しく、工夫や技術が必要になると感じました。
個人情報取り扱いのパラダイムシフト
岡本 藤沢さん、磯辺さん、開沼さんと、これまで国や行政などの間隙を埋める、ある意味で民間の担い手の側面からお話をしてきました。一方で、復興では行政も大きな担い手となります。むしろ行政があるからこそ活動できるところがある。
津久井 行政の存在は極めて重要ですね。行政は一般的に批判の的になって、課題の集積場のように語られがちですが、今回は、行政によって非常に上手に情報が流通した例もあったんですよね。
岡本 避難所での法律相談にせよ、ボランティアにせよ、まずは行政や自治体の理解、手引きがなければ動けません。そして行政内にコーディネーター役がいて、情報を適切に回せる土壌が作られているほど、われわれは動きやすくなるんですね。そうした中で岩手県の取り組みは注目に値するものでした。そこで当時、岩手県法務学事課で災害復興支援に当たっていた山本和広さんに災害後の岩手県の取り組みをお話いただきました。
岩手県は、避難所の安否情報リストを率先して開示し、また避難所にいる障がいを負われている方、とくに視覚障がい者の方の情報を民間支援団体に提供しました。もちろん、本人の同意はとっていません。いま考えてみれば、当然のことをやったまでだと言えるのですが、本人の同意もなく個人情報を提供するということは、これまでの行政の常識から考えるとたいへん思いきったことなんです。
津久井 東日本大震災では、ほとんどの自治体が個人情報を開示していませんね。
岡本 個人情報保護条例の解釈の問題です。行政の現場としては、本人の同意をとらないと個人情報を開示したり、別の目的で利用することはなかなか難しいんですね。ただ、実は条例にもいろいろと規定があって、緊急性があるときは、本人の同意なく個人情報を提供してもよいことになっているんです。
行政は、普段からそういった、本人の同意なくして個人情報を共有するという緊急事態を想定しているわけではありませんから、そんな思い切ったことをやろうと考えないのは仕方ないことです。しかし岩手県は、個人情報保護条例やガイドラインをしっかり調べて、既存の法令でできる範囲のことはやろうとした。かなり初期の段階から、避難者名簿を必要としている民間支援団体と情報を共有していたとのことです。そのおかげでNPOなどが、各市町村の避難所をまわって、きめ細やかに障害者などの生活再建支援するという実績ができたんですね。
津久井 岩手県の実践は、平成25年度の災害対策基本法の大改正に影響していると思っています。そういう意味で非常に先例価値が高い。
岩手県に限らず、行政、自治体は情報を開示する必要性は十分承知していました。しかしどうしたらよいのか悩んでいるのが現状です。そんな中、岩手県は新しい仕組み作りをしているんですよね。
岡本 そうです。岩手県の先例に対して「緊急性の高いときだったからこそ例外的にできたのでは」と言われることがあります。しかしその指摘が正しいとしたら、次の災害でも、なかなか個人情報の共有が進まないということが繰り返されてしまうということです。岩手県はあくまで、冷静に個人情報保護条例を解釈して政策を実践したと評価できます。
岩手県は、将来の災害を見据えた上で、緊急時や安否確認のフェーズだけではなく、生活再建のフェーズでも個人情報を共有できるような仕組みを作りました。他の自治体や民間の支援団体が、復興支援のために網羅的な個人情報(名簿など)を必要としていた場合に、本人の同意がなくても個人情報を提供できる仕組みです。大まかにいえば、目的に正当性があり、団体に適格性があるような場合は、情報を提供できることになりました。つまり、いままさに人命にかかわる事態に陥っているという状況でなくても良いのです。岩手県の個人情報保護審議会がこの新しいルールを承認しました。
これはたいへん貴重な取り組みです。復興支援という名目で、他の災害でも使えるような、いままでの実務の常識を覆す大転換となる先例価値があります。これが日本全国に広まれば、首都直下型地震や南海トラフ地震が発生しても、速やかに個人情報を支援団体に提供でき、より迅速に救助・救命、そして復興が行えるようになるわけです。
行政も住民も個人情報保護と共有の実務を知ることからスタートを
津久井 個人情報を同意なく提供されることに反対する声も予想されますよね。
岡本 確かにそういう声は自治体職員の中からもありました。
私自身も、個人情報共有の必要性について言及してきました。岩手県以外にも先例はいろいろとあります。例えば、日ごろから見守りや孤立防止の取り組みをするために、本人の同意なくして、高齢者などの個人情報を、行政と支援者とで共有している自治体もあります。住民にとってみると、最初は「どうやってうちに来たんですか?」と戸惑われる方もいるものの、目的を説明するとむしろ感謝されるんですね。クレームはあまり聞かないそうです。
津久井 そうですよね。私の経験からもそう思います。
岡本 クレームを恐れるのは、個人情報に関する仕組みが知られていないためです。住人にも自治体職員にも、もともと個人情報は、共有した上での活用ができるということを知ってほしいと思います。
津久井 行政も自治体も情報共有の必要性は感じているものの、それをシステムが阻害している面がある。復興情報の課題のひとつは、情報を流通させる制度にあると、山本さんのお話を通じてよくわかりました。
災害復興法学――災害後を生き抜く知識と情報の収集
津久井 これまでの話を踏まえつつ、岡本さんご自身のお話も伺いたいと思います。
岡本さんは、日弁連の「東日本大震災無料法律相談事例集」というデータベースを構築する責任者として活動されてきました。なぜこのデータベースを作ろうと思ったのでしょうか?
岡本 東日本大震災の教訓を挙げるとすれば、もともと私たちは、どれだけの防災知識を持ち、またどれだけの支援の仕組みを理解していたのだろうかという問題にたどり着くように思います。わが国は、日ごろの防災教育によって、地震や津波から身を守るという意味では、おそらく世界で最も高い防災知識を持っていると思います。しかし、その上で、生き残った後になにができるのか、どんな仕組みで被災者支援が始まるのかは、なかなか知られていない。弁護士である私も、東日本大震災になってようやく、いろいろな制度を知りました。
難しい法律の知識を持っている必要もなければ、仕組みの技術的な部分を知る必要はありませんが、「こういうときにはどうすべきなのか」くらいの知識、あるいはわからないときはどこで調べればいいのか程度の、復興情報に関するリテラシーがあるべきです。
今回、弁護士はデータベース化されただけでも4万件以上の無料法律相談を受けました。この情報を眠らせてしまうのは、せっかく相談してくれた人たちの期待に応えていないのではないかと思いました。そこで被災地ごとに、どれだけの人数から、どういった相談があったのかデータベースを再構築してみたんですね。すると、たとえばある地域で津波に関する相談が多いということが分かる。そこで、津波に対する対策や新しい制度が必要かもしれないと考えられる。あるいは「こういう制度がありますよ」と紹介することができるようになります。
どんな制度があるかを知っているだけで、被災者の避難生活の心持ちは全然違います。避難所で絶望していた人の心も少しは軽くなると信じます。震災直後から東北沿岸部の被災地で無料法律相談を実施していた弁護士からはそういったお話を必ず聞きます。
津久井 はい、確かにそうでした。
岡本 それを有志の弁護士だけでなく、自治体の職員やNPO、民間企業ができるようになったらいいと思うんですね。
私はいま大学で災害復興法学という授業を開いています。被災者の生の声をもとに、どういった復興政策をつくることができるかを考えるものです。いまは復興という長いフェーズでの法制度知識は、一般教養化していません。教育という立場でそれを広めていきたいんです。
津久井 災害のあとの復興の過程でどのような課題が起きるかシミュレーションして復興訓練をすることも必要でしょう。近時は「事前復興」という概念も提唱されています。
日本災害復興学会で、東日本大震災の前年に災害復興基本法試案をまとめました。その中に「復興には,被災者及び被災地の自律的な意思決定の基礎となる情報が迅速かつ適切に提供されなければならない。」(第12条)という条項を設けました。パネリストの皆さんは、まず情報は正しくないといけないとおっしゃった。そして「適時」は、開沼さんの動的な概念にリンクするものだと思います。
岡本 今回の分科会で、様々な分野の方から意見を聞くことができました。それらは一見ばらばらに見えるかもしれませんが、復興という長いフェーズの中で、それぞれが必要な考え方であり、大切な取り組みだと思います。それらを上手に重ねあわせて「復興情報」をよりよい形で作り上げていきたいと思っています。
津久井 復興の課題はとくにかく山積していますが、それらを解くカギは「情報」にあると私たちは考えています。分科会のお話の中には解決のキーワードがいくつもちりばめられていました。引き続き深めていきたいと思います。
(2013年12月19日 日本弁護士連合会にて)
プロフィール
岡本正
弁護士。医療経営士。マンション管理士。防災士。防災介助士。中小企業庁認定経営革新等支援機関。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。慶應義塾大学法科大学院・同法学部非常勤講師。1979年生。神奈川県鎌倉市出身。2001年慶應義塾大学卒業、司法試験合格。2003年弁護士登録。企業、個人、行政、政策など幅広い法律分野を扱う。2009年10月から2011年10月まで内閣府行政刷新会議事務局上席政策調査員。2011年4月から12月まで日弁連災害対策本部嘱託室長兼務。東日本大震災の4万件のリーガルニーズと復興政策の軌跡をとりまとめ、法学と政策学を融合した「災害復興法学」を大学に創設。講義などの取り組みは、『危機管理デザイン賞2013』『第6回若者力大賞ユースリーダー支援賞』などを受賞。公益財団法人東日本大震災復興支援財団理事、日本組織内弁護士協会理事、各大学非常勤講師ほか公職多数。関連書籍に『災害復興法学』(慶應義塾大学出版会)、『非常時対応の社会科学 法学と経済学の共同の試み』(有斐閣)、『公務員弁護士のすべて』(レクシスネクシス・ジャパン)、『自治体の個人情報保護と共有の実務 地域における災害対策・避難支援』(ぎょうせい)などがある。
津久井進
弁護士。マンション管理士。1969年愛知県名古屋市生まれ。1993年神戸大学法学部卒業。1995年弁護士登録。弁護士法人芦屋西宮市民法律事務所代表社員。民事・刑事・家事など幅広い分野で弁護士活動をするほか、災害復興の制度改善や被災者に対する法的支援に取り組む。日本弁護士連合会災害復興支援委員会副委員長、阪神・淡路まちづくり支援機構事務局長、関西学院大学災害復興研究所研究員、兵庫県震災復興研究センター監事、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン監事、福島大学大学院東京サテライト非常勤講師、神戸松蔭女子学院大学非常勤講師ほか。主な著書「Q&A被災者生活再建支援法」(商事法務)、「大災害と法」(岩波新書)、(以下いずれも共著)「災害復興とそのミッション」(クリエイツかもがわ)、「3・11と憲法」(日本評論社)、「災害救助法 徹底活用」(クリエイツかもがわ)、「東日本大震災 復興の正義と倫理―検証と提言50」(クリエイツかもがわ)、「住まいを再生する」(岩波書店)等多数。