特集:生命

1.『生殖医療の衝撃』著者、石原理氏インタビュー「時間と空間を超える生殖が日常となる現代――日本で求められる法整備」

 

1978年に世界初の体外受精による子どもが生まれて以来、生殖医療の分野では数々の技術革新がなされてきた。精子と卵子はネット通販で世界中に送られる時代になり、さらに今までタブー視されてきた遺伝子レベルの生殖医療にまで足を踏み入れようとしている。商業化の動きや生命倫理の側面がクローズアップされる中、急速に進歩する生殖医療技術に対してどう向き合っていけば良いのか。『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者で、埼玉医科大学医学部産科・婦人科教授の石原理氏にお話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)

 

◇生殖医療で生まれた子どもたちの権利

 

――今日は、『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者の石原理先生にお話を伺います。まず、本書を書かれた経緯を教えてください。

 

1978年に世界初の体外受精による子どもが生まれて以来、生殖医療の分野ではさまざまな技術の進歩がありました。それに合わせて生殖に対する人々の考え方も変わりつつあります。欧米を中心に生殖医療に関する具体的な法律やガイドラインが整備されてきました。

 

僕は産婦人科の臨床医ですが、15年ほど前から人類学者の出口顯先生(島根大学教授)とともに、生殖医療や養子についてフィールドワークを続けています。イギリスやスウェーデン、デンマークなどの国々を回り、医療と家族のあり方をめぐる社会のさまざまな変化を目の当たりにしてきました。その調査がちょうど区切りの段階となってきたことが、この本をまとめるきっかけになりました。

 

それともう一つ、日本は世界的にみてもかなり特異な状況にあります。業界団体である日本産科婦人科学会の会告という、法律でも省庁ガイドラインでもないものが唯一あるだけで日本には生殖医療に関する法律が何もありません。技術面では日本は先を走っているのですが、それを支えていくインフラが十分に整備されていない。海外での調査は日本の法制定にも影響を与えうるだろうと考え続けてきましたが、結局、今回の国会でも法律は通りませんでした。とても悲しい状況です。

 

選挙の時の票や、直接的な経済効果に結びつく法律は簡単に通ってしまうのに、どうして精子・卵子提供や代理懐胎によって生まれた子どもたちの権利を保障する法律ができないのか。日本の議員さんたちの構造はやはりどこかおかしいという印象を持つようになりました。法律の制定のためにも、まず一般の人々の考え方を形成するお手伝いをしたいというのが、この本を書いた経緯です。

 

 

――具体的にはどのような法律が必要なのでしょうか。

 

まず、子どもを産んだ女性が母親であり、女性の夫が父親であり、配偶子(精子、卵子)提供者はその子どもを認知できない、この三点が明文化されるべきです。現在、実際に代理懐胎や配偶子提供で生まれた子どもたちの立場は不安定なままになっています。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

2.粥川準二「『新しい優生思想』とは――相模原事件、出生前診断、受精卵ゲノム編集」

 

遺伝子レベルの生命医療技術が進歩し、私たちの健康への欲望と優生思想との境目はますます曖昧になりつつあります。私たちの身近にありふれている「内なる優生思想」とはどういうものなのか、解説していただきました。

 

◇優生学とは? 優生思想とは?

 

「優生学」または「優生思想」という考え方がある。辞書的な定義をいえば、人類全体において、望ましい遺伝学的性質を増やす一方、望ましくない遺伝学的性質を排除することをめざす考え方のことである。その創始者が進化論で知られるチャールズ・ダーウィンの従兄弟フランシス・ゴールトンであることはあまりにも有名である。

 

優生「学」というと、大学や研究所で行う学問のように理解される可能性があるが、これは学問というよりもある明確な方向を持つ考え方なので、「優生思想」という場合も多い。「優生主義」と表現されることもまれにある。「優生意識」という表現もありえそうだが、本稿では「優生思想」で統一する。最近、この「優生思想」という言葉をマスメディアやネットで目にすることが増えてきた。その背景にはいくつもの契機がある。

 

1つは昨年7月に起きた相模原の殺傷事件である。障害者施設に入り込んで19人の障害者を殺した容疑者が「障害者なんていなくなればいい」と供述したことが広く知られると、彼の考え方を、多くの識者やネットユーザーが優生思想と呼んで議論した。筆者もその1人である(「容疑者と私たちは、さほど違わない」、『毎日新聞』2016年8月23日夕刊 http://mainichi.jp/articles/20160823/dde/018/070/018000c )。

 

もう1つは出生前診断である。出生前診断とは、厳密には新生児が生まれる前に母子に対して行う診断行為すべてのことをいうが、実際には妊娠を継続するかどうかを判断するために、胎児に障害があるかどうかを検査することを意味する場合が多い。2013年から、血液検査だけで胎児に染色体障害があるかどうかをある程度推測できる「非侵襲型出生前診断(新型出生前診断)」の試験的運用が日本で始まったが、そのことを議論する文章のなかで、優生思想という言葉をよく見かける。筆者も出生前診断を論じるときに言及した(「“新型”出生前診断をめぐって」、『SYNODOS』2012年10月22日配信 https://synodos.jp/science/1064 )。

 

そしてもう1つは受精卵ゲノム編集である。ゲノム編集とは、まるでワープロで文章を編集するように、遺伝情報が含まれるDNAを切り貼りする技術のことである。人間でも動物でも、ゲノム編集をする対象が体細胞であれば、改変された結果がその子孫に伝わることはない。しかし受精卵や初期胚、精子、卵子であれば、改変結果は子孫に伝わる。人間の受精卵ゲノム編集に倫理的な懸念が指摘されるはこのためだ。

 

もしこれを人間の受精卵に行えば、たとえば重篤な遺伝病を子孫に伝えることを防ぐことができるかもしれない。さらには外見や認知能力(ようするに頭のよさ)を、親の望み通り向上させることも理論的な道筋はできつつある(拙稿「「神の領域」に近づくゲノム編集 人間での研究はどこまで許されるか」、『アエラ』2016年9月12日号およびその転載『.dot』2016年9月10日配信[ https://dot.asahi.com/aera/2016090800161.html ]、など参照)。

 

優生思想には、理論上2種類のものがある。ここでは、望ましくない遺伝学的性質を排除しようという思考を「消極的優生思想」と呼び、望ましい遺伝学的性質を増やそうという思考を「積極的優生思想」と呼ぼう。だとするならば、出生前診断は消極的優生思想を実現し、受精卵ゲノム編集は消極的優生思想と積極的優生思想の両方を実現できるテクノロジーといえよう。近代黎明期の優生学者たちの夢は、いちどはナチスドイツなどの横暴でバックラッシュを受けてくじかれたが、現在、高度なバイオテクノロジーによってかないつつある。いやテクノロジーだけではない。私たち個々人の誰もが持つ健康・健常への欲望もまた、優生思想との境目は曖昧であり、優生学者たちの夢を後押しするものだ。これを「内なる優生思想」と呼ぼう。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

3 .打越綾子「生命の観点から人と動物の関係を考える」

 

近年、飼育放棄された犬・猫の殺処分や動物実験をめぐる問題が関心を集めていますが、さまざまな意見が交錯し、なかなか解決の糸口がつかめない状況にあります。動物の保護活動にかかわる人々や、実験動物の研究者、畜産動物の生産者など、それぞれの専門家が「仕切られた動物観」の中で意見を主張し、各種の法制度や価値観が作られていると打越さんは指摘します。動物への配慮ある社会を実現するためにどうすればよいのか、改めて考えます。

 

◇はじめに

 

この数年、不要として飼育放棄された犬や猫の殺処分問題への関心が高まり、その命を救い、新しい飼い主を探すための活動を展開する人々が増えてきた。その中には、もともと何十年も前から地道な保護活動をしてきた個人のボランティアもいれば、寄付金を集めて専門的・継続的に活動する団体もあり、さらに最近は、企業の協賛金やクラウドファンディングなどの方法を用いて多額の運営資金を確保し、自前のシェルターや保護猫カフェ(保護した猫の飼い主を探すマッチングの場と猫カフェのサービスを並行的に提供する)を通じた活動をする団体も出現している。これらの人々は、犬や猫の命を心から大切にして努力している。

 

ただし、動物の生命、そして人と動物との関係を冷静に考える際には、多種多様な位置づけの動物のことを考える必要がある。それは、いわゆる愛玩動物のみにとどまらない。野生動物、動物園動物、実験動物、畜産動物と、人間の暮らしに関わっている動物は、私たちが日常的に意識している以上に多岐に渡る。

 

◇視野の狭い動物観

 

ところが、多くの日本人は、これらの多様な動物の位置づけを幅広く議論することはほとんどない。議論するどころか、意識することすらないのが通常である。

 

例えば、善良な動物愛好家は、犬や猫などの身近な動物については、その命を絶つことを「悪」と見なす。しかし、自らの暮らしの中で直接的に見えない動物については、その命を絶つことに無関心であることが多い。非終生飼養、すなわち最終的に殺すことが決まっている動物に対して、手間暇やコストが跳ね上がっても、生きているときに十分なケアを施すべきと考える人はほとんどいない。

 

具体的には、医療や科学の進歩によって、我々が安全・安心で豊かな生活を享受できるようになったのも、数限りない実験動物のおかげである。犠牲になってくれた動物の苦痛に思いを馳せ、感謝と慰霊の気持ちを持ちながら、これまでの科学の進歩を無駄にせずに現在利用されている実験動物への最大の配慮を重ねていく、そのような思考回路を持っている人は、結局のところ動物実験に関わる研究者以外にはほとんどいるまい。動物実験の恩恵を日常的に受けているのは、我々一般の患者や消費者であるが、こうした問題に関心を持つ人は非常に少ない。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

4.杉田俊介「優生と男性のはざまでとり乱す――優生思想についてのメモ」

 

「自立しなければ生きている価値がない」、「人は生きているだけで価値がある」という矛盾を超えるにはどうすればよいのか? 昨年出版された、立岩真也さんとの共著『相模原障害者殺傷事件 ――優生思想とヘイトクライム』(青土社)、『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』 (集英社新書)もぜひあわせてお読みください。

 

相模原の障害者施設で一九人もの人が殺害された事件によって、優生思想の生々しさがあらためて論点になった。

 

加害者の植松聖青年は、衆議院議長(と安倍晋三首相)宛ての手紙の中で次のように書いていた。「私の目標は重複障害者の方が家 庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」「今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです」。

 

これをどこまで優生思想の影響と考えていいのか、現時点では何ともいえない。事件の全容や犯行動機については、今後少しずつ司法の場やジャーナリズムによって明らかになっていくだろう。しかし、明らかなのは、植松青年の手紙の内容にひそかに共感し、そこには某かの真理や道理があると(意識的もしくは潜在的に)感じてしまった人たちがある程度存在したことである。つまり、植松青年の言葉の「優生思想的」な側面に共感する空気が私たちの社会に蔓延し、醸成されていた、ということである。

 

気になったのは、植松青年の言動には、自分で自分を差別する、他者を差別する論理によって自らの存在を叩く、という「内なる優生思想」の気配が滲んでいたことだ。報道にあるように、植松青年が何らかの精神疾患の当事者であるなら、彼の中の内なる優生思想/障害者殺しの思想は、彼自身の身体や生命へも差し向けられていたはずだ。そこに厄介なねじれがある。そしてそのねじれゆえに、彼の言葉には奇妙な切実さがあり、感染力があった。その点を甘くみることはできない。

 

過剰な刺青の入れ方と言い、顔の整形手術と言い、彼には身体改造の欲望があり、別の存在へ変身し変貌しようとする欲望がみられた。彼のそうした異形のキメラ的な身体は、そのまま――昨年一二月に刊行した立岩真也氏との共著『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(青土社)の中でそれを私は、マイノリティともマジョリティともつかないアイデンティティのキメラ的混乱、と呼んだ――、内なる優生思想や自己破壊の軋み、歪みを兆候的に示しているかに見えた。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

5.岩崎秀雄「生命美学とバイオ(メディア)アート――芸術と科学の界面から考える生命」

 

生命科学、バイオテクノロジーの手法を取り入れた近年のアート作品を紹介していただきながら、「生命とは何か?」「アートとはどのような体験なのか?」二つの親和性について考えます。

 

生命とは何だろうか? 「生命」は、洋の東西を問わず、ひとびとが古来歴史的・思想的・文化的に育んできた複合概念の総称だ。考えてみると生命は、何かとの対比において語られることが多い。たとえば、生命と死、生命と物質、生命と人間、生命と神、生命と機械、生命と知能、生命と情報、生命と宇宙などなど。その語りのそれぞれにおいて、生命のどの側面が問題になっているのか、文脈依存的に変わる。そして、芸術はそれらの文脈を巡るおよそすべての表現に関わってきたと言ってよい。その意味で、芸術においてどのように生命が表現されてきたのかを知ることは、多様な生命観に触れることでもある。

 

最近では、バイオアートあるいはバイオメディア・アート(注1)と呼ばれる、生命科学やバイオテクノロジーと関連する表現分野が台頭してきた(注2)。たとえば培養細胞工学、遺伝子工学の手法を取り入れた作品たち。バイオテクノロジーの進展が投げかけるさまざまな問いを巡るクリティカルな作品たちや、SF的な近未来像をシミュレーションする作品たち。生物や細胞に制作プロセスを委ねる作品もあるし、生物と鑑賞者の間で何らかのフィードバックをデザインする作品もある。手法的にも方向性的にも多岐にわたっているが、まず最近の作品からいくつか具体例を紹介する。その際、話題になることの多い「社会とテクノロジーの関係性を問い直すタイプの作品」を紹介し、そのスタイルと背景、そして若干の注意事項をまとめておく。そしてそのあとで「生命とは何か」という本題に繋げるために重要な、より思想的・人文的含意を孕む作品たちを紹介したい。そして最後に、芸術・表現を通じて生命を探究する位相と意義について、生命科学におけるそれと比較参照しながら論じていきたい。

 

◇バイオテクノロジーと社会に関するバイオメディア・アート

 

まずは、テクノロジーと社会の関係を問い直したり、SF的に未来を描いて見せたりする作品群をいくつか見ていこう。一時期バイオアートのアイコンともなった作品に、ブラジル出身のアーティストEduardo Kacが手掛けたプロジェクトがある。遺伝子工学的に蛍光タンパク質を発現させることで全身蛍光緑に発色したウサギを、そのまま発表した「アルバ」だ(注3)。これは色々な意味で興味深いパフォーマンスで、まずこのウサギ自身はKacではなくフランスの研究機関が別の目的で作ったものをアートの文脈で展示したレディメイド・アートであった。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

6.齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第1回:加齢と向き合う

 

新連載『Yeah! めっちゃ平日』、毎月15日号にて配信予定です。イラストは齋藤直子さん、エッセイは岸政彦さんに執筆していただきました。

 

 

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先日、さいとう先生と神戸を散歩していて、元町ポートピアホテルの前を通りがかって、懐かしさでいっぱいになった。大学の2回生ぐらいから卒業したあとぐらいまで、関西でジャズミュージシャンの真似事をしていて、あちこちでウッドベースを弾いていたのだが、その店のひとつにポートピアホテルのなかのバーがあったのだ。大阪から神戸の元町まで電車で、スーツを着て、ウッドベースをかついで、もう片方の手にベースアンプまで持って通っていた。若かったなと思う。あんなことはもう無理だ。

 

しかしこれが単純な体力の問題かというと、そうでもないような気もする。ゼミ生たちと飲んでるとよく、3回生ぐらいの学生が生意気にも、最近歳を感じますなどと言うので、思わず鼻で笑ってしまう。どういうときにそう思うねん。最近ね、オールで遊べないんですよ。昔はよく朝までカラオケとかしてたんですけど。もう歳ですね。いや違うねんそれは。それは体力の衰えとかじゃなくて、単に「そういう遊びに飽きちゃっただけ」やねんて。……つづきはα-Synodos vol.212で!

 

 

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