2014年インドネシア政変――ヘビメタ大統領・ジョコウィの誕生と「新しい風」

ヘビメタ州知事

 

「対話です。対話から全ての解決策が生まれます。洪水対策も、露天商立ち退きも、労働賃金の問題も。すべて同じです。対話が、これまでのトップに欠けていたものなのです」

 

もの静かに、しかし自信に満ちた口調で筆者に説明するジョコ・ウィドド氏。通称ジョコウィ。インドネシアの首都ジャカルタ特別州の知事である。彼と初めて会ったときの会話を思い出した。

 

このときのジョコウィはイメージ通りの人だった。現場主義、庶民派、反エリート、クリーンで改革派……。横浜のスマートシティに関心を示しつつ、ジャカルタの発展ビジョンを淡々と語るその姿は、これまで見てきた政治家とは全く異次元の雰囲気を醸し出していた。胡散臭さがまったく感じられない珍しい人だった。

 

次に会ったとき、ジョコウィは半日の州内視察に誘ってくれた。事前予告なしでジャカルタ州内の役所を突然訪れ、末端の行政サービスに問題がないかを視察する。朝から昼過ぎまで各地を訪れ、サボっている役所はないか、怠けている役人はいないか、住民本位の行政を心がけているかをチェックする。まず待合室に座っているおじいさん、おばあさんに声をかけ、役所のサービスに不便はないかを訪ねる。みんなびっくりする。「ジョコウィが来た」と歓喜の声が上がり、あっという間に人だかりになる。住民は四方八方から彼にいろいろ語りかける。ジョコウィは聞く側に徹する。それを、カウンターの向こうの役場の職員たちが、緊張度マックス状態で眺めている。そんな光景が行く先々で見られた。

 

「抜き打ち視察」の理由を道中の車内で聞いてみた。「今までトップが末端組織をチェックしてこなかったから、行政組織は堕落したのです。緊張感を持たすには、抜き打ち視察が最も効果的です」ヘビメタ・バンド「メガデス」をカーステレオから流しながら、彼は両手の指でドラムを叩く仕草で次の移動先を運転手に告げた。この人が大統領になったら政治は大きく変わるだろうな。そう思った瞬間だった。

 

 

抜き打ち視察中のジョコウィ(筆者撮影)

抜き打ち視察中のジョコウィ(筆者撮影)

 

 

ジョコウィ勝利の「安堵」と「脅威」

 

7月22日、インドネシアの選挙管理委員会は、同月9日に実施された直接大統領選挙の結果、ジョコウィの勝利を発表し、彼を次期大統領に認定した。

 

戦った相手はプラボウォ。彼は、スハルト元大統領の長期独裁時代(1966-98)の国軍幹部で、人権侵害のシンボルだった陸軍特殊部隊の司令官として軍内に君臨していた人物である。軍人時代は、反政府活動家の拉致・失踪や、東ティモールでの住民虐殺への関与など、黒い過去が目立つ。さらにはスハルトの元娘婿でもある。プラボウォには、スハルト時代への回帰や反民主主義といったイメージがピッタリくる。実際、選挙キャンペーンでは、スハルト時代の栄光を語り、選挙ばかりの今の民主主義は国民を消耗させていると主張した。

 

ジョコウィとプラボウォの一騎打ちとなった大統領選挙で、苦戦を強いられながらもジョコウィが勝利を収めたことに、多くの人たちがほっと胸をなでおろした。インドネシアの民主主義は、守旧派勢力の脅威に勝った。そういう評価が国内外のメディアを賑わした。

 

勝ってよかった。私も心からそう思った。ただ、もっと正確には「プラボウォが負けてひと安心」という意味合いが強い。ジョコウィの勝利は、プラボウォという反民主主義のウィルスからインドネシアを救った。しかし、この「プラボウォとの戦い」という劇場選挙の裏で、ジョコウィは密やかに別のものと戦ってきた。それは、この国に深く根ざす権力エリートの政治文化から自律しようという奮闘である。その戦いは、「新たな風」を政治に吹き込もうとしている。その風が強くなるにつれ、ジョコウィを脅威に思う政治エリートが増えていく。こういう勢力とどう戦うか。その前途は多難である。

 

談合と馴れ合いの政治で、利権のパイを分けあい、権力関係の均衡と民主政治の安定を維持してきたのがポスト・スハルト時代のインドネシアである(前回のエッセイを参照)。このような政治システムを築き上げてきた民主化時代の政治エリートたちにとって、実は反民主主義を掲げるプラボウォよりもジョコウィのほうが長期的には脅威になる可能性がある。なぜか。それを理解するためにも、今回の大統領戦におけるジョコウィの戦いを振り返ってみたい。

 

 

選挙キャンペーン中のプラボウォ(プラボウォのフェイスブックから)

選挙キャンペーン中のプラボウォ(プラボウォのフェイスブックから)

 

 

プラボウォの台頭

 

そもそも、なぜジャカルタ州知事が大統領選に出馬することになったのか。その背景にはプラボウォの台頭がある。そこから見ていこう。

 

今のユドヨノ政権の船出が2004年。その後10年に渡って安定政権を維持してきた。第一次ユドヨノ政権は2004年からの5年間。2009年の大統領選で再選を果たし、今の第二次政権が2009年10月からの5年間である。この10年間の政権安定の秘訣は、なんといっても巨大な連立与党体制を作って維持してきた点にある。連立与党で国会議席の7割を占めるので、野党の批判にはびくともしない。内閣ポストも連立のパートナーたちに配分して、パワーシェアリングを大事にしてきた。慎重で石橋を叩いて渡るタイプのユドヨノらしい安定政権の作り方である。

 

しかし、この巨大連立による安定には大きな代償が伴った。改革の停滞や汚職の蔓延である。「虹色内閣」と呼ばれるように、ユドヨノ政権は、政治的方向性やイデオロギーのまったく違う政党の「ごった煮」状態で歩んできた。例えば、スハルト時代の翼賛政党であったゴルカル党が反改革の先鋒となり、急進イスラム勢力の福祉正義党が各地でイスラム勢力の強化をテコ入れする。カラーの違う政党同士が一緒に政権運営をできる大きな理由は、パワーシェアリングで利権の旨味を離したくないからである。各省庁に絡む公共事業の利権は、担当大臣の所属政党に落ちてくる。この仕組みが10年間で強化されてきた。

 

こういう問題が年々顕在化していくなかで、ユドヨノのリーダーシップに対する国民の不満も蓄積していく。特に2つの汚職事件が政権不信を決定的にした。ひとつは、ユドヨノ率いる民主主義者党の若手幹部たちによる汚職である。同党は、「ユドヨノ新党」ということで、当初はクリーンで改革派のイメージを売りにしてきた。それにも関わらず、2010年以降、党首のアナスを含む次世代のリーダーと言われてきた党のメンバーが、次々と大型収賄容疑で逮捕されていった。「政党政治家はやっぱり信頼出来ない」そういうムードが国民に充満するのは当然である。

 

さらに2013年、今度は憲法裁判所の長官が巨額の贈収賄容疑で逮捕された。憲法裁は、違憲立法審査や大統領の罷免、選挙結果の有効性を決める重要な機関で、いってみれば政治的公正性の砦である。その長官さえも汚職まみれだった。これで国民の怒りと政治不信は頂点に達した。

 

このような政治的失望感を、うまく自分の売り込みにつなげたのがプラボウォである。彼はスハルトの娘婿として、90年代の半ばには、国軍で最大の影響力を持つ将校だった。1998年のスハルトの退陣に伴って彼も失脚する。勝手に陸軍特殊部隊に秘密工作チームをつくり、反政府活動家の拉致を命令したという理由で、同年、軍籍も剥奪された。その後、雲隠れのごとく、ヨルダンに渡ってビジネスをやっていたが、6年後には政界復帰の可能性を試すために、2004年のゴルカル党の党大会に参加し、党の大統領候補者選挙に立候補した。この党内選挙では最下位だったが、政界へのカムバックに対して国民の反発がさほど強くないと読み、以後、本格的に大統領への野心を持つようになる。

 

その足場として、2008年にグリンドラ党を設立した。大資本家である弟のハシムが政党立ち上げの資金を出し、党のコンセプトは右腕のファドリが考えた。右翼ナショナリズムとポピュリズムを融合したようなスローガンを掲げ、強い意志と決断力に長けたプラボウォが、強いインドネシアを復活させる、というイメージ戦略を重視した。

 

これがユドヨノ政権の末期になって、国民のハートに響くようになっていった。新党であるグリンドラ党はユドヨノ政権に参加していないので、今後の期待ができる。強いイメージがあるプラボウォなら、今の閉塞感を打破してくれるかもしれない。他党の党首をみても、例えばゴルカル党のバクリ党首は、自ら率いる財閥バクリ・グループの悪評でうんざりだし、イスラム系政党の党首たちも汚職疑惑で信頼ならない。野党第一党の闘争民主党のメガワティ党首も一度大統領をやっている。次を期待できる候補がいない。であるならプラボウォに賭けてみたい。そう考える人が急速に増えていった。

 

SMRCという信頼度の高い世論調査機関がインドネシアにある。2012年に行われた5回の世論調査を見ると、「次にどの大統領がよいか」との問いに「まだわからない」とする回答者が多いものの、選んでいる人のなかでは、プラボウォが常に一位を占めるようになっていた。当時、上述のファドリ(グリンドラ党副党首)も、「この勢いでいけば2014年は勝てる」、「これから2年かけて周到に党とプラボウォの両方を売り込んでいく」と筆者に自信を語っていた。

 

以上のことからわかるように、「プラボウォの台頭」という現象は、ユドヨノ時代の政治に対する国民の失望の裏返しである。パワーシェアリング政権を作って、安定にこだわってきた代償として、汚職は深刻化し、行政改革は進まず、大統領は決断力も発揮できない。ポスト・ユドヨノ政権に、その打破を期待したい。それができるのはプラボウォだけかもしれない。こういう声が徐々に広がっていったのである。【次ページにつづく】

 

 

強い男プラボウォをアピール(グリンドラ党のフェイスブックから)

強い男プラボウォをアピール(グリンドラ党のフェイスブックから)

 

 

 

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