2014.12.17

タリバンの台頭と印パ関係――ノーベル平和賞からみえるもの

伊勢崎賢治×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#マララ・ユスフザイ

マララ・ユスフザイさんが史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞した一方、パキスタンタリバンが学校を襲撃する凄惨な事件が起きる――パキスタンでは何が起こっているのか。なぜタリバンは生まれたのか。印パ関係を軸に読み解く。TBSラジオ 荻上チキSession-22 「ノーベル平和賞と印パ関係」より抄録。

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

粋な計らい

荻上 今日のゲストは、東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治さんです、よろしくお願い致します。

伊勢崎 よろしくお願いします。

荻上 伊勢崎さんは1957年生まれで「紛争屋」を自称されています。国連PKO上級幹部として東ティモール、シエラレオネの日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮されていました。

最新の著書に朝日新書『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』があります。一方でトランペットを吹き、ライブハウスでジャズを演奏する音楽家でもあるんですよね。

今回のノーベル平和賞が注目を浴びましたが、伊勢崎さんはどうお感じになりましたか。

伊勢崎 9条護憲だけで実際に何もしていない日本人が取るよりも、マララさんのように実際に現場で血と汗を流して勇気ある活動をされている方が取る方がいいに決まっています。

印パ両方の人権活動家がペアでもらった点に、ノーベル委員会の粋な図らいが感じられますね。歴史的に印パ戦争の主戦場になってきたカシミールでは、両国が核を保有して以来、小康状態が続いていたのですが、つい最近チョット激しい衝突がありました。また、ヒンドゥー極右のナレンドラ・モディがインドで政権をとったこともあり、世界中が緊張したのです。極めて(良い意味で)政治的なものを感じます。

荻上 これから何かを成し遂げるという期待を込めての受賞という事もあるでしょうね。

伊勢崎 マララさんとカイラシュさんがお互いの首相に対して授賞式への出席を要請するのも面白いですね。特にモディ首相の方がどのように出るのか。僕はここ2年ぐらい印パ戦争の主戦場のカシミールに関わっているんですけれども、モディ首相が就任した直後は、印パ関係がうまくいくのではと期待していました。

彼の母体であるBJP(インド民主党)は、ヒンドゥー至上主義路線で、インドのナショナリズムを強化しつつあります。ですから、普通に考えたら印パ関係は悪くなるって考えるのが妥当です。

ですが、右傾的な政治政党が政権を握ると、印パ関係ってうまくいくところがあるんです。事実、前回のBJP政権の時は、カシミールは静かだったと言われます。タカ派だからこそ、タカ派の民意に阿るのも、逆に一線を超えないようにコントロールもできる。だからモディ首相には期待していたんです。

荻上 タカ派だからこそ、と。

伊勢崎 そうです。実際に、モディは、自身の首相就任式に、建国以来はじめてと言われたのですが、敵国パキスタンの首相を招待したのです。そして、両首脳は、前政権以来滞っていた外相レベルの和平会議の再開を約束したのです。しかし、先月、突然、それを、一方的にキャンセルしてしまった。その衝撃はすごかった。特に、カシミール民衆にとっての。カシミールは軍事境界線で分断され、イスラム教徒が多いこの地は、戦禍の直接の犠牲となってきました。だからこそ、就任直後のモディに期待が膨らんだのです。

通常、印パ間の首脳会議には、カシミール問題が核心になります。直接の戦禍を被るカシミールでは、当然、民衆運動が盛んで、その中でも分離独立もしくはパキスタン併合を求める運動が歴史的に強くカリスマ的な指導者も複数いる。でも、共通のビジョンがあるわけではない。当事者抜きでカシミール問題を語ることは許せんと鼻息だけ荒い。彼らを同席させたら、まとまるものもまとまらない。かといって、無視するわけにもいかない。だから、首都デリーに置かれたパキスタン政府代表部が事前に彼らを呼んで言い分を聞くというのが、過去の政権下、同様の和平首脳会議の通例であったのです。

モディの首相就任式の合意後、この通例通り、パキスタン政府代表部は、カシミールの指導者たちを招待。そして、その一人が、同代表部の門をくぐった途端、待っていたようにインド政府は、首脳会議のキャンセルを表明したのです。僕は前日に、招待された中でも最も長老格で最も強硬派といわれるある指導者に会っていたのです。両社会に衝撃が走りました。

モディ側は、前政権の慣例なんか関係ない。分離独立を企てる危険な奴らと、インド政府、どっちを優先するのか、と。まあ、正論です……。相手を持ち上げるだけ持ち上げてハシゴを外す。そして、体面を汚されたと、外交交渉の初っ端から優位に立っている。スゴい指導者が出現しました。

火に油を注ぐ行為!?

荻上 せっかく関係が構築されると思った矢先に、崩されてしまったと。今回、ノーベル平和賞を受賞したマララさんを銃撃したのは、タリバンの武装派でした。

伊勢崎 パキスタン・タリバンですね。今はアフガン・タリバンとパキスタン・タリバンを、国際社会では意識的に分けようとしています。

荻上 その区別の意図を解説してください。

伊勢崎 アフガン・タリバンを「まともな敵」だと思い込もうとしているわけです。じゃないと、今年2014年末までにNATOとアメリカの主力部隊をアフガニスタンから撤退させる政治的土台が崩れてしまいます。アメリカ建国史上最長となったこの戦争を継続することは、政治的も財政的にも不可能です。でも、対アフガン・タリバンに軍事的勝利をあげるのは不可能。だから、アメリカはその「出口戦略」として2つの軸を立てた。一つは、「後は任せた」とアフガン国軍を肥大化させ、そしてアフガン・タリバンと政治的和解を模索すること。これで、軍事的には敗北だけれど、「民主主義の勝利」は辛うじて演出できる。

だから、アフガニスタンにしか興味のないアフガン・タリバンを交渉ができる「まともな敵」に、そして、世界のアルカイダ系なるもの、今では「イスラム国」とも協働しつつあるパキスタン・タリバンを交渉の余地のない「気のフレた敵」に、意識下、区別するしかない。まあ、本当のことは、誰も分かってないんですけどね。

そういう中、タイミング良く、その「気のフレた連中」が幼気なマララさんを撃った。彼女はパシュトゥーン族。これはアフガン国境を跨ぐように広く分布し、アフガニスタンでは最大民族です。ここから「タリバン」は生まれました。パキスタン・タリバンは、TTP(Tehrik-i-Taliban Pakistan)と呼ばれます。

荻上 マララさんのような動きをこれからどうやって支援していくのかが議題設定になっていくのでしょうか。

伊勢崎 難しいですね。マララさんは全くもって勇気のある女の子です。しかし、彼女が闘っている「教育の機会」の教育は、どちらかというと、西洋教育、宗教からかなり独立している、原理主義的な人々から見ると宗教を冒涜するものと映るんですね。

2008年から、パキスタン軍はパキスタン・タリバンと熾烈な戦闘を繰り返しているのですが、その主戦場、マララさんが生まれ育ったスワット:Swatという場所に、ちょうど大きな戦局の直後、パキスタン軍の案内で行ったことがあるのですが、非常にオーソドックスな場所なんですよ。その直後にマララさんが撃たれた。

荻上 「オーソドックス」とは、どのような意味なのでしょうか。

伊勢崎 女性の地位向上や教育機会の平等のような、ぼくらの感覚としたら真っ当に感じることを主張した時、それは必ずしも地元地域には好意的に受け止められない。スワットはTTPの拠点になります。

しかし、このままだと、我々の側の最上の教義である「人権」と、それを信じないものとの間の「文明の衝突」になってしまう。なぜ彼らが生まれたのか、何が彼らをそうさせたのかを考えないといけません。

冷戦時代にソ連がアフガニスタンを侵攻した時、パキスタン側のこの地から、多くの男たちが聖戦の戦士として越境したわけです。そして、それをアメリカは支援した。

荻上 当初は対ソ用だった。

伊勢崎 そしてソ連を打ち負かす。しかし、ソ連がいなくなった後の力の空白を巡って、元々危うい共闘戦線をつくっていた軍閥たちが仲違い、アフガニスタンは内戦に突入。そこに、「世直し運動」として現れたのが、タリバンなんですね。そして、アフガニスタンにタリバン政権が誕生。それが、当時から反米テロを繰り返しお尋ね者になっていたビンラディン率いるアルカイダを匿う。そして、運命の2001年9.11同時多発テロ。即座にアメリカとNATOのタリバン政権への報復が始まる。国際法上の“戦争”としてテロに立ち向かう「テロリストとの戦い」の幕が開くわけですね。

「イスラム教に基づく清く正しい国をつくるために起ち上がったタリバンをアメリカが虐めている」。この義侠心から、ここでもまた、パキスタンから多くの男たちが、パシュトゥン族が人口の多く占めるスワットを含むアフガン国境沿いの北西辺境州から越境していったわけです。

パキスタンでは、残念ながら、マララさんを支持する層はエリートたちを中心に一部です。大部分の北西辺境州のような貧しい、国内の構造的暴力の底辺にいる層にとっては……だからこそ原理思想が浸透しやすいのですが……マララさんとそれを推す西洋=アメリカは、存在論を懸けた挑戦と映るのでしょう。

荻上 なるほど。マララさんの主張する内容がオーソドックスな啓蒙思想で、西洋的な価値観と捉えられている。このノーベル賞が火に油を注ぐような効果を与える可能性もあるということですね。そうなると、ノーベル平和賞の意図する目的は当然達成されません。

伊勢崎 おっしゃるとおりです。

政治的なノーベル平和賞

荻上 番組に届いたメールを紹介します。

『ノーベル平和賞で関係改善はどうなんでしょうか。昔アラファト議長がノーベル平和賞もらっていましたけど特に平和になった感じはしないし。』

今回の受賞をきっかけに、「和解に向かって動こう」「教育に力を入れよう」という動きを取る人もいる一方で、「許すまじ」と暴力に傾いてしまう人たちもいると思うのですが。

伊勢崎 二人共、一個人として立派な功績を残されている方ですし、下手をするとマララさんやカイラシュさんの功績に茶々を入れるようになっちゃうので、あんまり発言したくないのですが……。今までの受賞者を見ても分かる通り、ノーベル平和賞はすごく政治的なものです。

でも、今回のは、「平和賞」が双方の「排他性」を深める結果になっている。僕らの方も、健気なマララちゃんを撃った無軌道な奴ら、と、彼らへの排他性を強めているし。

荻上 平和主義の「平和」の理念がそもそも西洋近代側の主張する平和という事に過ぎない、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、そういう風に映るわけですよね。

伊勢崎 我々にとって平和への道とは、その平和を害するもの、もしくは、我々が信じる「人権」を害するものを排除する事ですから。マララさんを撃った相手がもしパキスタン・タリバンじゃなかったとしたら、彼女は受賞していたのか、という問いかけも出来ます。

印パ関係のはじまり

荻上 こんな質問メールが来ています。

『インドとパキスタンが争っているのはカシミール地方だと思いますが、何故争うことになったんでしょうか』

伊勢崎 南インド、インド亜大陸にムガル帝国が入ってきてから、いわゆる土着のヒンドゥー的なものとイスラムの抗争がはじまります。

ヒンドゥーの寺院が壊され、モスクが建てられたり、その逆があったり……こういう歴史的な建造物の宗教的帰属問題が今でもナショナリズムを煽る論争の種なんです。インドでは、ナショナリズム=ヒンドゥー至上主義みたいなところがありますから。ヒンドゥー教徒の方が圧倒的多数ですから、そういう時の最高裁の判決が生ぬるいと感じると、そうでなくても、過去の怨念を鼓舞する好機となり、全国レベルの暴動に発展する。

荻上 宗教的な対立もあった。

伊勢崎 そもそも、植民地時代の昔はインドもパキスタンの区別もなく、イギリス領のインドしかありませんでした。そこで、マハトマ・ガンジーなどの民族独立への運動につながっていきますが、結果、一つのインドとして独立することができませんでした。

植民地時代は、宗主国の分割統治政策によってイスラム教徒は優遇されていた面もあり、少数派の引け目を感じることは、それほどなかった。ですが、独立してしまえば、多数派のヒンドゥー教徒に牛耳られてしまう。この危機感から、ガンディーさんの説得も虚しく、ジンナーたちを中心として分離独立することになります。それが、パキスタンです。

もともと混住が進んでいたので、これを機に民族大移動が起こります。そこで、双方が双方への恨みが爆発します。「お前らのせいで田畑や家を捨てなければならない」と。

リチャード・アッテンボローの『ガンジー』を観てください。映画で観るのが一番てっとり早いと思います。殺し合いから両国の歴史が始まったわけです。

英国の財産をそのまま引き継いだのはインドの方です。だからパキスタンは本当にゼロからの建国でした。それも、ベンガルを含む東パキスタンと、政治的中心だった西パキスタンに分かれた。

ところが、同じイスラム教でも、言語、民族の違いから、東と西で対立が起ります。そして、そこにインドが肩入れするのです。内戦の末、東パキスタンはバングラデッシュとして分離、そして独立します。イスラムという教義で人民をまとめきれなかった。それもインドの介入で。これが大きなトラウマとなります。その反動で、二度とこういうことがないように、自身を更にイスラム化することが加速します。

一方で、インドには、中国という、領土戦争の相手がいます。その中国が、インドの頭の上で、核実験をやる。これに対抗し、インドも核実験へ。パキスタンはそれを黙って見ているわけにはいかない。

 

荻上 脅威が増えたという事ですからね。

伊勢崎 やっぱりパキスタン人には、元々ヒンドゥー教徒の思惑は一つのインドとして独立であり、バングラデッシュでの介入もあり、国の「形」を破壊する脅威として、インドを捉えている。下手をするとインドに吸収され、国家がなくなってしまうという恐怖が今でも根底にある。

国力も通常兵力も段違い。印パ戦争は全てインドが勝っています。その主戦場であるカシミールに引かれている軍事境界線を見れば、明らかです。大部分をインドが占拠しています。ほとんどがイスラム教徒なのにインドが支配しているんです。

劣等感に苛まれるパキスタンは、どうやって対向するのか? 二つの方法しかありません。一つは、同じように核を持つこと。もう一つは、インサージェント化、つまりインド国内に残留するイスラム教徒に対して地下で支援をして“テロリスト”にする方法です。

荻上 内部にいながら工作をする。

伊勢崎 その場所がカシミールだったわけです。

“テロリスト”の養成を一手に行ったのが、ISI。これは、パキスタン陸海空軍を統合する諜報機関です(頭文字が似ていますが、「イスラム国」ではありません)。アメリカのCIAみたいな感じです。パキスタンでは、別名「政府の中の政府」と呼ばれ、国として民主主義の体裁があるも、実質、軍部が裏から国政を牛耳る「軍政民主主義」を担ってきた組織です。そして、冷戦を象徴する局地戦が始まりました。アフガニスタンです。

印パ関係とタリバン

荻上 テロ個別戦を学んでいたら冷戦があって、しかもソ連がやってくるという事になった。

伊勢崎 そうです。アメリカは、そのISIを使います。ソ連に対抗するアフガン民兵をインサージェント化する。同じ手法で。

荻上 抵抗勢力として、いるやつを使おうと。

伊勢崎 地政学上、パキスタンには、アフガニスタンに介入する自身の理由がある。もしアフガニスタンに親インドの政権が作られてしまったら大変なことになると。

アフガニスタンとパキスタンの国境にはパシュトゥーン族がいます。歴史的に「パシュトゥニスタン」を標榜する文化がある。もしインドがバングラデッシュの時と同じように、肩入れしたら……。パキスタンには、アフガン国境沿いに、バロチスタンというもう一つの分離独立を標榜する民族運動があるのです。

だからパキスタンにとっては、アフガニスタンに親パキスタンの政権を作ることが、ずっと、今でも、国是であり続けるわけです。だから、アフガンの戦士たち(軍閥の連合)がソ連に勝利し、その撤退後の力の空白を巡って内戦に突入する混乱期に、タリバンを支援したのです。

 

荻上 アフガニスタンに親パキスタンの政権をつくるために、パキスタンは具体的にどういった事をしたのでしょうか。

伊勢崎 武器と資金、そして、「カシミール戦」で培ったインサージェント化手法。パシュトゥーン族の貧困層から生まれたタリバン運動。あんな短期間で政権を握るのは、パキスタンの支援がなければ不可能だったでしょう。

それと、やっぱり内戦に明け暮れる軍閥政治への反動です。民衆は、タリバンに世直しの期待をかけたのですね。急速に、支持を伸ばした。

荻上 “テロリスト”は、インドや冷戦構造のカウンターの力から生まれてきたわけですね。その矛先が、アメリカなどの西洋に向いた経緯はなんだったのでしょうか。

伊勢崎 アルカイダの出現は大きな一つの要因でしょう。ビンラディンはサウジアラビアのセレブ家庭出身です。彼の“国際デビュー”は、アラブ版NGOワーカーとして、だったのです。ソ連のアフガン侵攻で国を追われてパキスタン側に大量に避難した難民支援です。サウジをはじめとする親米金満アラブ諸国の金持ちの贖罪意識に響いたのですね。彼は赤い悪魔に蹂躙された同胞ムスリムを救う寵児になってゆきます。

そういう彼は、どんどん武闘化するんですね。そして、ミッション達成。ソ連に勝利すると、まあ、やることが無くなった。そこに、サダムフセインがクウェートに侵攻するんですね。湾岸戦争です。

サウジの王様は「サダムが勢いにのってこっちに来るのでは」とビビりました。セレブで王家とも親しかったビンラディンは、サダムは俺たちがやっつけるから心配無用と。ちょうど新しいミッションを探していたところだし、と。

しかし、王様が選んだのはアメリカでした。サウジアラビアに、アメリカ軍が駐留することになります。ですが、スンニ派の聖地二つ、マディーナとメッカがある所ですから、ここに異教徒の軍隊が入るなんて……。ビンラディンはキレるわけです。

そして、アメリカなるもの(それに協力する不埒なイスラム教徒も含めて)への聖戦が始まるわけです。

そして、ビンラディン率いるアルカイダは在外公館を爆破するなど、アメリカに対して様々な攻撃を仕掛けていきます。当然、国連はアルカイダを制裁対象とし、追い詰めてゆきます。そして、行き着いたのが当時のアフガニスタンのタリバン政権。国際社会は国連決議でタリバンにアルカイダの引き渡し要求をするわけです。しかし、タリバンはそれを撥ね付け、9.11が起こるんですね。

荻上 9.11をきっかけに、互いの立場がより固定されていったんですね。「タリバンを許すわけにはいかない」/「アメリカに与するわけにはいかない」という思想がより強化されていく。紛争の構図がより大きく、より確実なものになっていったと。

利害の絡み合い

荻上 インドとパキスタンは当初同じ国として独立を目指そうとしていたわけですから、その段階では、両者が原理的な事を主張していた訳ではなく、ある種の平和の形を模索していたわけですよね。

伊勢崎 ガンディーを始め、当時の独立運動を主導した人たちはそうだったのでしょう。今はもう60年以上続いていますからね、ずっと戦争の。そうすると戦争自体が既得利権化するわけですよ、両軍にとって。

荻上 戦争しているから偉くなったという人もたくさんいるでしょうからね。

伊勢崎 そして戦争があるからこそ、軍は予算をいっぱいとれると。

荻上 支援する国も出てくる。

伊勢崎 アメリカや中国などからの支援もあります。戦争の維持が既得利権化するわけです。インド国軍は陸軍だけで100万人近くいます。そして、その半分をカシミールに駐留させている。パラミタリーも含めると75万人。住民7人に対して1人兵士がいる計算です。

僕も色んな戦場行っていますが、あれほど軍事化された地域は見たことがないです。平和を強制するってああいう状況なのかなと。そういうものが見たいと思ったら、ぜひカシミール行ってみてください。

荻上 これだけ、利害関係が絡み合っている中で、マララさんが呼び掛けているような、インドとパキスタンがお互いに紛争解決して緊張関係を解いていこう、というのは遠い道のりのように思えてしまいます。今まで、紛争解決はどのような手続きで行われてきたのでしょうか。

伊勢崎 今は、散発的な武力衝突があるものの停戦状態といえますよね。すごく語弊があるかもしれませんが、両国が核を保有してから大きな通常戦はありません。

通常戦に対しては、核の抑止力が働いていると言わざるを得ません。これは日本人としては非常に言いにくい事ですけれども。だからと言って核を肯定するわけじゃないですよ、そこが難しい。

荻上 にらみ合いの状態がこれからも続くだろうと。

伊勢崎 1度、ボタンが押されそうになったことがあります。先進国の大使館が引き上げるほどの緊張です。そこで両国間の信頼醸成にすぐ介入したのがアメリカです。

荻上 反米感情のある組織にわたってしまった場合、アメリカに対して使われてしまう可能性があるからでしょうか。

伊勢崎 “テロリスト”のような「国家に準じる組織」に核弾頭を操れるようなノウハウがあるとは考えられません。ですが、ダーティ・ボム、核物質を拡散させることは十分起こり得ます。インドの場合、軍からも独立した機関が核を管理しているんです。しかし、パキスタンの場合、歴史的にインサージェント化戦法で“テロリスト”と親和性のある軍部が管理している。どこに核があるのかはCIAでも分かりません。

ご存知のように、パキスタンに核を保有させたのは個人の努力です。パキスタンの「核開発の父」と呼ばれ、パキスタンを世界最初の核保有イスラム国にしたカーン博士が、「貧者の核」、つまりウラン濃縮の技術・部品を裏で密輸入するシンジケートを築き上げ、それを成し遂げちゃったのです。彼は、北朝鮮やイラン、当時のガタフィともつながりがありました。

 

荻上 そうしたケースを聞くと、今後も個人のネットワークを使って、各団体が持つというシナリオがあり得るかもしれないわけですね。

伊勢崎 アメリカが一番心配しています。次の9.11は核かも……と。だからこそ、パキスタンに気を使うのです。パキスタンもそれを知っていて、中国とも仲良くし、絶妙なバランスをとっている。地図を見てください。中国にとってパキスタンは、直接アラビア海に出られる陸の回廊なんですよ。

話はずれますが、中国とスリランカの関係も注目しなければなりません。同国の内戦は26年間続いて、日本も含めて西側社会が和平の調停をやっていたんですが、中国は同国政府に軍事支援し、ちゃっかり完全勝利させたのです。この島国の南端に、海軍の拠点をつくっていて、地図を見てください。すでに、敵国インドを封じ込めています。シーレーンはもう中国のものです。中国はもう、日本がケンカできる相手ではありません。

荻上 集団的自衛権の議論とかですね。

伊勢崎 南アジア、東南アジア、北東アジアは、アメリカと中国、そしてインドが醸し出す緊張で成り立っていくのです。日本のプレゼンスなんてありません。そこを冷静に見切り、日本しかできない立ち位置を構築してゆかなければなりません。

適度な緊張

荻上 緊張のまま時間が経っていく事によってそれが緩和していく時代を待つ、という感覚でしょうか。

伊勢崎 適度な緊張。散発的な警察力間の衝突、低度の武力衝突があるかもしれないが、それがそのままエスカレートしたら失われるコストを容易に想像させうる、経済を中心とする緊密な非軍事的な外交チャネルがある状態を「平和」と言っていいのではないでしょうか。

 

荻上 パキスタンは中国も重要な地域と位置付けているので、当然ながらアメリカも簡単に手を出せない。そうした中で、今が一つの平和状態だと皮肉を込めて言うこともできるけれど、状況を良くするためにはどうしたらいいのでしょうか。

伊勢崎 カシミールの軍事境界線のインド側が問題なのです。イスラム教徒の彼らはパキスタンの手先だと思われ、インド治安当局による大変深刻な人権侵害が起っています。印パ間の「適度な緊張」とは、核の抑止と共に、カシミールの人々のこういう犠牲を伴う両軍の既得利権の維持の上に成り立っていると言えます。

ですが、こういう深刻な構造的暴力の被害社会には、原理思想が侵入しやすい。常に圧倒的な軍事的抑圧の下に若者が置かれたらどうなるか。過激な思想に崩壊する自我を帰依させるしか選択肢はない。

 

荻上 カシミールをほおっておくと、「テロしかない」「宗教しかない」という考えがより強化される土壌が生まれる可能性がある。

伊勢崎 露悪的になりますが、両国のキャピタルにとっては、この「適度な緊張」の維持、つまり「平和」のためには、カシミールの犠牲など取るに足らない、となるのでしょう。しかし、パレスチナ問題がそうであるように、カシミールのようにイスラムの悲劇を象徴するところのそれは、「大義」を直接的に、そして普遍的に形成してゆくのです。このリスクを我々は真剣に考えなければいけません。

その危険性を経験上いちばん分かっているのはアメリカなんです。実際に、アフガニスタンとイラク戦の葛藤の中で2006年、アメリカは軍事ドクトリンの大きな転換をします。Winning the war戦争に勝つ、ではなく、Winning the people住民の帰依を獲得する。こうしないと、テロリストとの戦いは戦えないと。

武力だけでは制圧できないことをアメリカは知っているけど、できない。このジレンマの中で、今年2014年、軍事的勝利の無いまま、アメリカとNATOは、アメリカ建国史上最長の戦争となったアフガニスタン戦に区切りをつけるのです。

 

荻上 いま、そこにある侵害を何とかしないと、過激な思想は再生産されてしまう。そこに対して国際社会がどう投資していくのか、という議論になっていくと思います。そういったことも含めて、今回のノーベル賞の受賞も考えなければいけないのですね。

今夜は東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治さんをお迎えしてお送りしました。伊勢崎さんありがとうございました。

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サムネイル「Malala Yousafzai」Statsministerens kontor

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プロフィール

伊勢崎賢治国際政治

1957年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。東京外国語大学大学院「平和構築・紛争予防講座」担当教授。国際NGOでスラムの住民運動を組織した後、アフリカで開発援助に携わる。国連PKO上級幹部として東ティモール、シエラレオネの、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮。著書に『インドスラム・レポート』(明石書店)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)、『紛争屋の外交論』(NHK出版新書)など。新刊に『「国防軍」 私の懸念』(かもがわ出版、柳澤協二、小池清彦との共著)、『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎)、『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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