2015.05.26

赤旗はなぜ十字架を恐れるのか――中国キリスト教の苦悩

田島英一 中国地域研究

国際 #中国#キリスト教

まわりくどい伝言

北京で全人代、全国政治協商会議が開催されていた、3月15日のことである。香港の『明報』に、興味深い報道があった。全国政治協商会議委員であり、中国カトリック呼和浩特教区司教でもある孟青録氏が、「昨年すでに中央から、浙江省に十字架破壊の停止指示が出ている」と証言したのである。

浙江省では2014年1月頃から、「違法建築」を理由とした教会会堂や十字架の破壊が、地方政府の手で進められていた。この「三改一拆」と呼ばれた運動は、同4月に温州市の三江教会が、1000人を超えるとも言われる武装警察隊と信徒らのにらみ合いの末に破壊されたことで、海外メディアからも注目を集めるにいたる。

温州は、近代以降欧州等に多くの移民を送り出した地であり、国外との人的ネットワークが、海外の思潮、特にキリスト教流入を促してきた。「東洋のエルサレム」と呼ばれ、総人口の10数パーセントがクリスチャンであると推定されている。温州は改革開放以降、欧州のファッションモードをたくみに模倣しつつ、アパレル産業を興して急成長を遂げた。21世紀以降は獲得した資本を不動産に投資し、「温州人=地上げ屋」との風聞が全国各地で絶えなかった。

経済力を持ったクリスチャンは「老板基督徒(社長クリスチャン)」と呼ばれ、彼らの経済力が地域全体の信仰活動を支えている。温州農村部だけでも、400以上の教会堂が存在する。こうした土地柄が背景となり、温州は、共産党政権による宗教バッシングのターゲットにされやすかった。1958年には温州市平陽県が、「無宗教区」を作る実験地にされたこともある。海外メディアが注目したのは、宗教、特にキリスト教への扱いが、米国が関心を寄せる「人権問題」であるとともに、そうした歴史の記憶も作用したからであろう。

上記報道は、そうした海外からの関心に、中国側が間接的に答えたものだと考えられる。問題の敏感性から考えて、委員が個人の判断でリークしたとは、到底考えられない。海外メディアが北京に集まるこの時期をねらって、委員に意を含めた上での発信に違いない。

おもしろいのは、発信者の人選である。取り壊しの対象になっているのは、中国南方の浙江省、しかも主にプロテスタント教会である。にもかかわらず、それについて語ったのは、浙江省から遠く離れた内蒙古自治区の委員で、カトリック教会愛国会副主席の孟司教であった。近くにいる者は、かかわらない。それだけこの問題が、対岸から語らないと自らにも延焼しかねない、危険な火事なのだということであろう。

社会主義改造とキリスト教

言うまでもなく、中国共産党が選挙も経ずに統治の合法性を主張できるのは、それが「プロレタリアート階級の前衛」だからであった。彼らによれば、つまるところ西洋自由主義は、ブルジョワ階級による富と権力の独占にほかならず(その根拠として彼らは、西側の選挙には資金が必要で、富裕階層でないと議員になりにくい事実等を指摘する)、真の「民主」はプロレタリアート独裁でしかありえない。そして、「その前提としてプロレタリアートの前衛組織、つまり共産党の統治が必要だ」と主張するのである。

こうした国体の論理に、あらかじめ党の存在が必然として組み込まれているわけで、結局これが、中国における「国」と「党」の渾然一体とした関係を生む。また中国共産党は、国体の論理に組み込まれたことで、ある意味、日本国体における天皇と同じ地位を占めることになる。つまり、単なる権力機関なのではなく、価値を創成し権力を正当化する権威としてもふるまうのである。

日本では、安倍政権の批判はできても、天皇制を否定することは難しい。米国では、オバマ政権の批判はできても、彼が手をおいて宣誓した『聖書』を否定することは難しい。権力は批判の対象たりうるが、権威への挑戦は、たとえ「民主主義国家」においてであっても、難しいのである。神聖不可侵な権威となった中国共産党も、同様に批判の埒外に超然と存在することになった。

また、権威は価値の創生者である。明治日本において、政治制度は伊藤博文の設計になるとしても、『教育勅語』のような道徳的価値は、権威たる天皇が発信者であった。ところが中国では、執政者たる胡錦濤前総書記が自ら「八つの名誉と八つの恥」という道徳訓話を行い、習近平政権も「社会主義核心価値」を発表、これをもって国民を教育せんとつとめている。こうした封建王朝的とも見える現象も、彼らが単なる権力なのではなく、権威でもあるのだという点をふまえれば、不思議ではなくなる。

彼らが強調する諸価値は、おおむね「社会主義」と「愛国主義」に収斂する。「資本主義の最終形態は帝国主義である」とのレーニンの立場を継承し、資本主義への戦い(民主革命)と帝国主義への戦い(民族革命)が、弱小民族国家においては両立すると主張する。こうして中国共産党は、「プロレタリアートの前衛」および「中華民族の前衛」となるのである。そして、前者の立場を代表する価値が「社会主義」、後者の立場を代表する価値が「愛国主義」である。日本的文脈からは、あたかも左翼と右翼が混線したかのように見える。

通常、自由主義的民主主義においては、政治が価値の客体、社会が価値の主体になる。政治の論理や政策は、自律的社会が持つさまざまな価値により検証、批判される。例えば、原子力発電、脳死の法制化、同性愛婚等をめぐる制度や政策は、絶えず社会の諸宗教や様々、生命倫理、エコロジー思想等の検証を受けている。

だが中国では、主体と客体が逆転する。価値の創生者たる党が主体で、社会はそれに雷同する客体になる。検証、批判にさらされるのは社会の側で、社会の構成員に党の「社会主義」「愛国主義」に反するかのような振る舞いがあれば、ただちに「反革命」「漢奸」といったレッテルがはられ、政治的権利が剥奪されてきたのである。

それが制度として可視化していったのが、1950年代であった。各レベルの政府(中国には地方公共団体が存在せず、行政機関は末端まで国家の出先機関となる)はもちろん、都市部における居民委員会(日本の自治会に近い組織)や単位(福利厚生をも担う職場)、農村部における人民公社、生産大隊、生産隊に至るまで、党組織が指導し、大衆への「社会主義」「愛国主義」教育を行っていった。

宗教であれ自発的アソシエーションであれ、それまで社会の自律的アクターとして振る舞ってきた集団に、今後も存在が許されるかどうかは、「社会主義」「愛国主義」からの検証、批判に耐えられるかどうかにかかっていた。その検証を制度化したのが、1950年代に制定された、社会団体、宗教団体に対する厳しい管理制度である。

社会が主体の日本では、「何をもって宗教とするか」「某カルト教団は邪教か異端か正統か」といった問題は、政府の関知することではない。政府が宗教と関わるのは、せいぜい、自らを宗教と主張する団体が宗教法人認定を求める時くらいであろう。しかし党が主体の中国では、何が宗教で何が邪教かも、党が一方的に規定した。いわゆる「中国五大宗教」、すなわち道教、仏教、イスラム教、カトリック、プロテスタントのみが宗教として認められ、条件付きで活動が許された。

また、それぞれに「愛国宗教団体」という翼賛組織が設けられ、あらゆる宗教活動はその指導下におかれた。無論、社会の自律性を無視したこうした手法は、その後に禍根を残すことにもなった。例えば、ウイグル族を中心としたスンニ派とスーフィズムの影響を強く受けた回族を、同一組織(中国イスラム協会)で管理することは難しい。50年代末に発生するチベット動乱も、経典言語からして全く違う漢伝大乗仏教、雲南省を中心とした上座部仏教、チベット仏教を、十把一絡げに同一組織(中国仏教協会)に放り込んだ無理が、一つの背景となっている。

特に、キリスト教は厳しい管理、干渉の対象となった。カトリックでは1957年に中国天主教愛国会、プロテスタントでは1954年に中国基督教三自愛国運動委員会が成立、全教派全信徒が、その指導下におかれることになった。国外ミッションとのパイプを持つキリスト教は、防諜の必要からも、戦時において翼賛政策の標的にされやすい。この点は、宗教団体法に基づいて日本基督教団を成立させた戦時日本と、よく似ている。

この時すべての中国教会は、国外との関係断絶を求められることになった。問題は、カトリックにおいてバチカンとの関係を絶つことは、ローマ法王という教義の本質を喪失することにもなるという点にある。当然のことながら多くの聖職者がこの方針に反抗し、投獄の憂目を見た。また、服従を潔しとしない聖職者、信徒たちが、信仰の純潔を守らんとして地下化するきっかけになった。

プロテスタントにおいては、もっと複雑な事情があった。三自愛国運動委員会を率いた呉耀宗、丁光訓といった指導者たちは、その大半が米国等でリベラル神学を学んでいた。彼らの留学時代とは、まさに米国において神学的リベラリストとファンダメンタリストが鋭く対立する時代であった。そして中国には、ファンダメンタリストの立場を採る教団、聖職者も、少なからず存在していたのである。彼らはリベラル神学の信仰を「偽クリスチャン」として、その指導下には入ろうとしなかった。こうしてプロテスタントにおいても、ファンダメンタリストを中心とした地下化現象が起こることになる。

50年代後期の「反右派運動」から、60年代半ばに始まる「文化大革命」において、社会に官製の価値を押し付ける教育は、暴力的な大衆運動へと変容してゆく。党内左派は、この運動を利用しつつ、「遅れた文化」としての封建時代の文物を破壊し、宗教活動を徹底的に迫害した。結果として中国天主教愛国会、中国基督教三自愛国運動委員会の指導下にある「公認教会」が、壊滅的な打撃をこうむったのである。そして改革開放の時代、地下化したせいで政治運動の暴風をやりすごした「非公認教会」が、その信徒数において「公認教会」をはるかに上回るという、皮肉なねじれ現象が生まれた。

都市部「非公認教会」の勃興

現在、中国には少ない推計で6000万人、多い推計では1億人を超えるクリスチャンが存在すると言われている。ただし、うちカトリック信徒は1000万人程度であり、大半はプロテスタント信徒が占める。プロテスタント信徒も、「公認教会」の発表では1000万人から2000万人程度でしかない。つまり、「非公認教会」のプロテスタント信徒が、少なくとも3000万人、場合によっては1億人近くいるという計算になる。中国初の民間シンクタンク「世界と中国研究所」を設立した政治学者李凡は、プロテスタント「非公認教会」を「中国最大規模のNGO」だと称している。

プロテスタント「非公認教会」は、大きく言って3グループに分類できる。第一は、50年代以来のファンダメンタリスト教会。2013年に逝去した林献羔(サミュエル・ラム)率いる広州の大馬站教会(後に榮桂里に移転)などは、その典型であろう。第二は、80年代から河南省、安徽省などで爆発的に広がった、カリスマ主義的な教会である。異言の奇跡等を重んじる彼らの教義は、一部が農村に従来から存在する民間信仰と習合し、「東方閃電」に代表されるようなカルト集団をも生んでいる。

第三は、90年代から目立ち始めた都市部の新興教会である。神学的には改革派が多く、ホワイトカラー層や大学生などが多いことも特徴である。北京の「守望教会」、四川省成都の「秋雨之福」教会等が、これに該当する。このうち、中国当局にとって現時点で最も頭が痛い存在は、第三グループであろう。第一のグループは指導者の高齢化で曲がり角にさしかかりつつあるし、第二のグループはカルトの汚名を口実に取り締まることもできる。

これに対して第三のグループは、法律に明るい有識者を抱えており、政府宗教管理部門もむやみに手出しができない。中国の将来を担う名門校の大学生が新たな信徒として次々と参加していることも、当局の危機感につながっている。

市場経済化の加速が「社会主義」の褪色につながった1990年代、中国共産党は「愛国主義」の片輪走行に打って出たが、結局国民糾合の核心たりえず、社会には価値の空白が生まれていた。自らの富の最大化以外、人生の目的が見いだせない者、特に若者が、必死に新たな人生の座標軸を求めていた。改革派教会では、教会員が長老の選出選挙を行い、牧師ではなく長老が運営の最高責任者になる。こうした民主的雰囲気と、神という絶対的な価値の座標軸、および猜疑心をはさまずにつきあえる教会独特の「交わり」が、若者たちの心をとらえたのだと言っていい。

こうして、知識人や大学生を多く抱えることになった第三グループの「非公認教会」は、総じて市民意識、参与意識が高い。翼賛団体を拒否し、真の意味でのボランタリー・アソシエーションとして振る舞おうとする彼らは、長い目で見れば、「党=価値の主体、社会=価値の客体」という中国的構図を、逆転させてしまう可能性すらある。ここが、中国共産党にとって最大の脅威なのである。

中国共産党がこうしたキリスト教会、特に「非公認教会」の動きに神経をとがらせる理由は、他にもある。第一に、その国際性。世界教会とつながるキリスト教が活動を活発化させることで、国境を越えた市民社会の影響が、中国社会にも及ぶ可能性がある。例えばカトリック教会は、フィリピンにおけるマルコス政権の打倒、南アフリカにおけるアパルトヘイトの廃止、1989年東ヨーロッパの体制崩壊にも、一定の役割を果たしている。「カラード・レボリューション」や「アラブの春」を警戒する中国共産党にとって、カトリック教会は不気味な存在であるに違いない。

プロテスタント教会についても、すでに韓国教会関係者が中国国内で「脱北者」逃亡にかかわるなど、国内社会への影響が見られる。また、教会が国外の政府とつながる可能性もある。2006年、法学者王怡、同李柏光、および作家余傑(いずれも著名な教会指導者ないしクリスチャン)がホワイトハウスでブッシュ大統領と会見、中国の「非公認教会」問題への関与を求めたことなどは、その典型であろう。

第二に、キリスト教には公益アソシエーションを組織し、福利厚生事業、教育事業、慈善事業等に進出するという伝統があり、事実中華民国期の中国には、数多くのミッション系諸学校、孤児院、老人ホーム、病院等が存在した。中国共産党は、国体の論理に加えて、成果の独占を合法性のよりどころにしている。つまり、経済成長をはじめとする中国のありとあらゆる成果は党の功績なのであり、これも統治の合法性の一根拠だとしているのである。

従って、中国共産党は自らと功を争う別組織の存在を嫌う。成果をあげた社会団体も、その点はよくわかっていて、通常「党と政府による指導のよろしきを得て、ようやくこれだけのことができました」といった説明に終始する。逆に、政府がうまく処理できなかった事業を社会団体が成功させ、それをうっかりメディアが称賛したために、罪のない社会団体が民政部門から陰湿な意趣返しを受け続けているといった事例もある。市場経済化で穴のあいた福利厚生を社会団体が埋めてくれるのは、党と政府も原則的に歓迎しているが、その成果を宣伝されては困るのである。まさに、痛し痒しである。

こうした状況から、中国共産党からキリスト教への警戒は、当面解かれまい。浙江省における十字架破壊のような事件は、今後も断続的発生が予想される。

プロフィール

田島英一中国地域研究

慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は中国地域研究、中国社会団体、宗教団体研究、公共宗教論。著書に、『「中国人」という生き方』(集英社新書)、『上海』(PHP新書)、『弄ばれるナショナリズム』(朝日新聞社)、『協働体主義』(共編著、慶應義塾大学出版会)等

この執筆者の記事