2015.07.08

「紛争解決請負人」が語る安保関連法案

伊勢崎賢治×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#安保法制

問題意識は正しいけど、ディティールがズレている!? PKOの考え方が変わるいま、「紛争解決請負人」からみた安保関連法案の問題点とは。 2015年06月16日放送、TBSラジオ荻上チキSession- 22『紛争解決請負人』が語る安保関連法案より抄録。(構成/島田昌樹)

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

近年の国連PKOの変化

荻上 今夜のゲストは、国連PKO幹部として東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理、武装解除の実務に当たった経験から「武装解除人」「紛争解決請負人」の異名を持つ伊勢崎賢治さんです。

現在は東京外国語大学教授として紛争に関する授業などを行っておられるわけですが、伊勢崎さんのお弟子さんは育っているんですか?

伊勢崎 以前は世界的に見ても武装解除の専門家はいなかったのですが、今は国連のミッションに従事して現場で働いている若い日本人もいます。特に女性の活躍が著しくて、海外進出している日本人のほとんどは女性です。男はやっぱり……内向きなんでしょう(笑)。

荻上 日本国内でまだまだ女性は評価されにくいから、海外に行くんでしょうか?

伊勢崎 日本から女性たちがプッシュされるひとつの要因だと思います。

荻上 ここ最近で紛争解決の考え方に変化はありますか?

伊勢崎 国連平和維持活動(PKO)自体の考え方が、ここ10年でガラッと変わりました。政治交渉の末、停戦したところで、第三者として中立な武力を入れる。その状態を長続きさせ、和平に繋げる。昔はこれが主要任務でした。

しかし、1994年のルワンダのジェノサイドのように、PKOの目の前で停戦が破られ住民が虐殺される。当時は、国連が中立性を失い「紛争の当事者」になることを恐れ、撤退し、100万人の住民を見殺しにしてしまった。この教訓から「保護する責任」という考え方が生まれ、それが実行されるまでに10年以上の時間がかかるわけです。

だって、住民の保護は、そもそもその国家の役割ですので、国家に代わって、住民を傷つけようとする勢力に対して「武力の行使」をする、つまり、国連が「紛争の当事者」になる。今では、国連は中立性をかなぐり捨てて、住民を守ることを決意したんです。

荻上 今の国会の答弁でもそうですが、雰囲気的にも、「集団的自衛権はどこかの勢力に肩入れすること。中立的ではないから危険」「PKOは他の国もやっているし、連帯のためにも協力すべき」というストーリーになりがちですよね。

伊勢崎 もちろん住民を助けるわけですから、PKOは良いことなんでしょうけど。しかし、現在は国連PKOへの派遣は、「紛争の当事者」になることが前提になります。日本にはいまだにPKO派遣5原則があり「停戦が破れたら自衛隊は帰ってくればいい」というような話になっていますが、それだったら最初から行くなということなんです。もし停戦が破れたとしても、住民を守らなくてはいけないんです。

この変化について日本の政府も野党もまったく分かっていません。今、国会で行われている議論は根本的に間違えています。憲法9条によって国際紛争の解決には武力を使わないことになっているのだから、憲法を変えなければ自衛隊を派遣できないと考えるべきです。

荻上 安保について議論する際、憲法を取り巻く状況も重要ですが、同時に国際的な動きも抑えておく必要がありますよね。

伊勢崎 激動している国際情勢を前提に、自衛隊派遣に関する法律を作るわけですからね。当然です。この点で安部総理の主張は正しいのですが、具体的にどう激動しているのかは正しく把握していません(笑)。

荻上 問題意識は正しいけど、ディティールがズレているというわけですか。

伊勢崎 国連PKOの話に戻しますと、現在、国連が中立性を喪失しているというのは、国連自身にとっての深刻なジレンマなのです。やっぱり国連は戦争したくないし、しちゃいかんのですよ。

荻上 国連が中立なのかと言うと、その趣旨からして思惑はあります。でも、建前としては中立ですね。

伊勢崎 中立の立場を取っている限り、国連の職員や兵士によって構成されるピースキーパーを傷つけることは国際法違反になります。しかし、敵対勢力と交戦になり「紛争の当事者」になったら、このプロテクションは無くなり、ピースキーパーは敵対勢力から見る国際人道法上の合法的な攻撃目標になります。この国際法の解釈については、国連の事務局と法務局が1999年以降はっきりさせています。

それでも、国連が中立の立場を捨てたのは、ルワンダの虐殺で100万人を犠牲にしてしまった経験があるためです。何もせずに撤退したために起きた結果です。あの時、紛争当事者になる覚悟があれば命を救えたはずなんです。

このことを忘れてはいけません。国連は好き好んで「武力の行使」をしているのではなく、住民を死なせないためにやむを得ずやっているんです。

この最たる例が、コンゴ民主共和国です。国連がいながら、ここ20年の間に内戦で540万人死んでいます。現在、コンゴ民主共和国、それに隣接する南スーダン、中央アフリカ共和国という3つの国で起きている紛争がPKOのチャンレンジのスタンダードです。

これらすべてにおいて、住民の保護は−――すべてのPKOミッションには安保理が与えるマンデート(任務と権限)がありますが――筆頭マンデートになっています。現在、自衛隊が派遣されている南スーダンも、です。

荻上 安全保障の話は保守派で「軍事通」な人の意見に寄る節がある一方、リベラル側の改憲観、安全保障観はなかなか表に出てきません。

また、今年は戦後70年にあたり、証言がとれる最後のチャンスかもしれないということで、証言ベースの声が多くなるかもしれません。それも大切なことですが、組織論ベースの検証を踏まえたうえで今後の自衛隊のあり方を議論することもやっていかなくてはいけませんよね。

伊勢崎 PKOに関しては、日本のような先進国が部隊を出すニーズはありません。過去に自衛隊が担ってきた兵站・工兵部隊でも、その武器使用基準は、戦闘部隊と同じですから、ニーズはありません。

それらは、まず、伝統的に、余っている部隊を国連に貸し出して外貨稼ぎをしたい発展途上国。そして、昔は「中立性」が損なわれると問題視されていた周辺国です。

でも、住民の保護が筆頭マンデートになるなかで、派遣国の問題が自国にも降りかかるという集団的自衛権的な動機で“真剣”になって戦ってくれるということで、周辺国が主力になるということは、PKOミッションの設計の前提になっています。先進国は、それ以外の“非戦闘的”で軍事作戦の運用に直接的に関わる地位の獲得を目指します。その一つが、国連軍事監視団。

国連には伝統的に、非武装で行う軍事監視という役割があります。多国籍の将官クラスの軍人が武装を解いたチームを作り、敵対勢力の懐の中に入り込み、交戦を未然に防ぐ信頼醸成装置のなるんです。軍人が非武装だから意味があることで、僕がやっても意味がありません(笑)。

荻上 特別な意味が出てくるわけですね。

伊勢崎 これはPKO部隊とは一線を画していて「安保理の目」と呼ばれています。PKOという概念が生まれる前から存在する機能で、国連PKOのミッションでは必ず軍事監視団が存在します。国連自体が中立性を失った時代だからこそ、国連の中に唯一残された中立の部署なのです。これは、周辺国では、もちろんダメです。利害関係が全くないということ、そして、国のイメージが非常にいいということで、日本に一番向いている業務だと思います。

他方、日本は、9条との兼ね合いから「武力の行使」ということに気を遣ってきた。そうなら、現代PKOの国際人道法の運用にも、もっと気を遣うべきです。ご存知のとおり、国際人道法とは、人道的な戦争をやるための流儀を定めるものです。攻撃していいものと悪いものを区別する。

例えば、今までのように自衛隊が工兵部隊としてあるPKOに派遣されるとしますね。その同じPKO内の戦闘部隊が住民の保護のために武装勢力と交戦しますよね。このとき、その戦闘部隊だけが国際人道法上の紛争の当事者なのか、それとも、PKO部隊全体なのか、という議論があります。現在は、これは後者だということになっています。

荻上 一部の部隊の行動で、全体が戦闘当事者になるんですか。

伊勢崎 敵側から見て区別ができないためですね。敵も合法的な紛争当事者ですから、交戦はフェアでないといけません。ですので、自衛隊が一発も撃たず基地の中でジッとしていても、他の部隊が交戦になれば、国際人道法上の紛争当事者になるのです。つまり、政府が「一体化しない」というのは、真っ赤なウソです。そして、この状況は、国際紛争に武力を使わないという9条と、モロにバッティングします。

荻上 「こういう事情があるためにやる必要があるんだ」という説得をしたうえで、憲法9条改正などを踏まえた憲法論や安全保障論に発展しないんでしょうね。今のところ範囲内はこれだけだし、後方支援だからリスクも少ないし、ホルム海峡以外は想定してないという話になってしまうのは不思議ですね。

伊勢崎 あと、僕は「後方支援」という言葉を使わず、「兵站」と言うようにしています。とてもミスリーディングな言葉なので(笑)。

荻上 訳し方のまずさはありますよね。対外的には「兵站」(logistics)と説明している部分を、日本語訳では「後方支援」としています。

伊勢崎 日本で通用する「後方支援」や「非戦闘地域」という言葉は、現場の人間からするとおかしな言葉です。戦闘地域と非戦闘地域を区別することはありません。強いて言えば、基地の中だけが非戦闘地域で、一歩外に出たら戦闘地域になります。そこにあるのは、危険度のグラデーションです。通常、5段階に分けています。そして、それは日時変化します。白黒スッパリと分けられるようなシロモノではありません。

荻上 今の報道のされ方だと、白の時に行き、黒になったら即座に注視して撤退するみたいな話になっています。

伊勢崎 ありえない話です(笑)。

現在の安全保障問題について

荻上 安全保障の話をしたいと思います。長い間、問題とされてきたテーマでもありますが、最近、議論が盛り上がりを見せています。今の安保関連法案の議論の進め方、報道のされ方をどう見ていますか?

伊勢崎 一番良くないのは、今回の安保法制を廃案にできたとして、それでメデタシ、メデタシでお終いになってしまうことです。はっきり認識しなくてはならないことですが、安倍政権になってから新しい自衛隊の派遣は1度も行われていません。国際法的に問題のある派兵を行ってきたのは、これまでの歴代内閣。特に小泉内閣の時です。

住民の保護が筆頭マンデートになった南スーダンに、自衛隊を派遣した民主党政権もひどかったですね。それまで自衛隊が派遣されてきたPKOとは一線を画しているミッションなのですから、PKO派遣5原則の根本的な見直しをすべきでした。紛争の当事者になることを前提にした、9条との整合性を根本的に議論するべきでした。でも、しなかった。皆、同罪なのです。

また、日本には軍法が無いという問題があります。海外に送った自衛隊が戦時国際法、国際人道法違反となる軍事的過失を犯したとき、どうするのかを極めて作為的に意識の外においてきたのです。そして、反対派もそこで思考を停止させた。僕は、これを右・左の意識下の「談合」だと捉えています。

荻上 派遣先で現地の人を加害する犯罪に関わる、誤射するなどいろいろなケースも考えられます。

伊勢崎 法治国家ならば、そういうことを想定し法整備する必要があります。国連には軍事法廷が無く、軍隊が国外で問題を起こした場合、各国の軍法で裁くことになるためです。PKOや有志連合による軍事作戦では、国連もしくは統合司令部が一括して地位協定や軍事業務協定を現地政府と結ぶことで現地法からの訴追免除の特権を付託されます。

日米地位協定があるから、業務外・内の区別はありますが、米軍は日本の法律で裁かれないじゃないですか。あれと同じように、いわゆる外交特権を得られるわけです。しかし、だからといって、裁かれないではすまない。

荻上 自主的に何かやらないといけないわけですね。

伊勢崎 だから、軍法が必要なんです。その国の軍隊である限り、どこにいようと適用されます。しかし、日本にはそれに当たるものがありません。

刑法を適用しようにも国外犯規定があり、日本人が国外で業務上過失をした場合は裁けません。仮に国外に派遣された自衛隊が人を殺したとしたら、刑事で刑法の国外犯として裁くことになります。ロス疑惑と同じです。あの時はアメリカまで検察を送りましたが、戦場ではそう簡単にはいきません(笑)。

軍事行動は個人の意思が極度に制限される国家の命令です。なのに、その過失は自衛隊員個人が責任を負う。これが最もおかしな点です。

荻上 それから、民事の場合、訴訟の対象が法的に提起しないとなかなか成立しないですよね。もし、自衛隊が海外で問題を起こしたとしても、国は何も対応しない。被害者は起訴の方法どころか、日本語さえ分からないということも……。

伊勢崎 おそらくそういうことになるので、起訴は難しいでしょう。これが現在もなお、南スーダンにいる自衛隊が直面している現状です。

荻上 想定の話ではなく、現在進行形の話なんですね。

ISEZAKI

「基地なき同盟」

荻上 今の安保法制が違憲であるならば、憲法も含めてどうすべきか議論しなくてはなりません。また、集団的自衛権、国連などの活動に参画する際に制限があるという現状もあります。

これらの問題に対して「なんとなく独立した独自の憲法が欲しいから」「もっとガンガン行きたいから」という昔の大局観ではなくて、現状分析の結果を踏まえて考える必要があるでしょう。

例えば、現在の中国脅威論などから動員する改憲論についてどうお考えですか。

伊勢崎 おかしいですよね。日本はアメリカに「9条変えるから、見捨てないでね」ってすがりついているようにしか見えないというか……。

荻上 忠誠心を誓う儀式っぽいという感じでしょうか。

伊勢崎 基地があるんだから、アメリカは日本を見捨てませんよ。

荻上 アメリカも世論があって、世論の動員によってはその範囲が限られるという話もありますが、これはどうですか?

伊勢崎 アメリカは日本以外とも地位協定を結んでいますから、比較して考えなくてはいけません。米軍を受け入れたうえで、どうやって主権を守るかという問題があります。主権を放棄してまでアメリカの軍隊を置いている日本は特異です。

例えば、同じ枢軸国のドイツやイタリアでも、そしてアメリカの植民地であったフィリピンでさえも、米軍はあくまでも基地を使わせてもらっている客のような立場です。

基地はあくまでもフィリピンのものという位置づけで、米軍はそこに何を置くか、何をやるかすべて了承をとる必要があります。そのうえ、フィリピン政府はいつでも調査を行うことができます。当たり前ですが、主権を護持しながら、同盟関係も維持する。

フィリピンのようなやり方すれば、同盟を傷つけずに地位協定を改定する道はあるわけです。「(主権を放棄した)基地なき同盟」――アメリカと対等なパートナーになりたいのなら、これは最初の一歩だと思います。日本の愛国者は、すべてを差し置いても、なぜこれを目指さないのか。

平和的改憲

荻上 改正という話で言えば、自衛隊の取り扱いを明記することもできますが、そのことで活動範囲を、より平和的な意味で明記するといったプランもありうるわけですよね。

伊勢崎 そうですね。僕は護憲派で通っているんですが、皆さんによく考えてほしいのは、安倍内閣が登場する以前から日本は特措法によって集団的自衛権の行使は実質的にやっているということです。

例えば、インド洋の給油活動が挙げられます。あれはNATOの集団的自衛権を行使する「不朽の自由作戦(OEF)」の一部です。国際法的に見たら、非NATO加盟国の日本が協力したことになります。

その2年後には、陸上自衛隊をイラクに送りましたよね。あの時は世界で最も強力な軍事同盟、NATOでさえ割れてしまいました。国連を無視して開戦するアメリカに正義はないとして、フランスもドイツも離脱しました。

そんな状況で、日本は自衛隊を送ったんです。国際法的に考えれば、日本はもう立派に集団的自衛権の行使を行っているわけです。明確な憲法違反です。でも、そういう感覚はありませんよね。

荻上 これからの問題として集団的自衛権の話が出てきていますが、実は法的は問われていないだけで宙吊り状態になっている過去のケースも多々ある、と。

伊勢崎 そうです。しかし、外から見たら集団的自衛権の行使を明らかに行っているわけです。でも、国民に、その感覚がない。これは、まずいでしょう。こういうことができちゃうのは、憲法に欠陥があると考えるのが真っ当じゃないですか。今後どんな政権が現れてもこういう違憲行為ができないように、ドイツのように憲法に永久条項を規定することも考えられます。これも改憲のひとつの形です。

荻上 平和的改憲も可能ですね。今、「護憲」と「守憲」は別、という議論があります。要は立憲主義のことですけど、改憲派の小林節氏のように、「改憲を望むが、今ある憲法はとうぜん守ろう」というスタンスは自己矛盾していませんよね。

伊勢崎 仰るとおりです。

荻上 そうなると今の憲法をなぜ守るべきなか、なぜ変えるべきのか。どのような議論をするにしても国際社会に対する安保観や外交観は、当然、問われてくるわけですよね。直近の話ではなく将来的な話になりますが、いつかは憲法を変えたほうがいいと思っていますか?

伊勢崎 そうですね。本当にやってはいけないことを永久条項にできたらいいのですが、今のところ、憲法9条全体は永久条項にはできないと思います。現に自衛隊を持っていて、これを解散させるという政治力はありません。共産党でさえ認めているわけです。

荻上 違憲だとしつつも。

伊勢崎 そもそも軍隊というのは、その社会において最も殺傷能力のある兵器の独占を信託された集団です。そういう人達が、我々が享受している自由を持ってしまったら困ります。もちろん人権は尊重されるべきですが、一般人と同じように独自の判断を持って政治活動を許してしまったら、軍事クーデターを合法化しているようなことになります。

荻上 公務員や教師などに対しても、その立場を利用して自由に政治的主張をすることは許されていません。

伊勢崎 それ以上に軍隊には制限をかける必要があります。自衛隊に対して特別な法体系を作るための冷静な議論をして、国際紛争を解決するために自衛隊の武力を絶対に使わないということを永久条項にできたらいいと思っています。いつできるか。今はダメですが。

荻上 侵略戦争は不戦条約で指定されていることですが、さらにもう1つロックを掛ける意味はある、と。ただし、国際紛争の場に出て行く場面はむしろ複雑性を増しているので、敵対視されるような行動については議論しておかないといけないということですよね。

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プロフィール

伊勢崎賢治国際政治

1957年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。東京外国語大学大学院「平和構築・紛争予防講座」担当教授。国際NGOでスラムの住民運動を組織した後、アフリカで開発援助に携わる。国連PKO上級幹部として東ティモール、シエラレオネの、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮。著書に『インドスラム・レポート』(明石書店)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)、『紛争屋の外交論』(NHK出版新書)など。新刊に『「国防軍」 私の懸念』(かもがわ出版、柳澤協二、小池清彦との共著)、『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎)、『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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