集団的自衛権の「問題点」を一気に学ぶ

国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除の任に就き、「紛争解決請負人」「武装解除人」として、戦場でアメリカ軍、NATO軍と直接対峙し、同時に協力してきた東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏。日本人で最も戦場と言う名の現場を知る氏が昨年刊行した本『戦場からの集団的自衛権入門』の中から、重要な部分を引用する。(構成 / 編集集団WawW ! Publishing 乙丸益伸)

 

 

安保法制懇

 

対テロ戦争は、アメリカ自身に大きな打撃を与え、日本の自衛隊派遣の活動内容に多くの課題を残しました(「集団的自衛権の歴史」を一気に学ぶ

)。しかし、それに対する真摯な検証は一切されないまま、「なお一層アメリカに協力をしないと有事の際に助けてくれない」というイメージが先行する形で、日本は集団的自衛権の行使容認に向け、ひた走っています。

 

しかしその動きは、本当に正しいのでしょうか?

 

*  * *

 

本記事では、その根本的な問題を検討していくために、まずは、これまでどういった経緯で、安倍首相が集団的自衛権の行使容認に動いてきたかを振り返ってみたいと思います。

 

安倍首相が本格的に動き出したのは、第一次安倍政権の時代の2007年5月、安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)の初の会合が開催されたあたりからでした。(略)安倍首相による集団的自衛権の行使容認議論は、この安保法制懇がリードする形で推し進められてきました。懇談会は、2007年8月30日の第5回会議まで開催されました。

 

第一次安倍内閣退陣後の2008年には報告書をまとめ、当時の福田康夫首相に提言をしましたが、議論は一旦、棚上げになっていました。しかし、2012年12月26日、再び安倍(第二次)政権が発足すると、安倍首相は、かつてとほぼ同じメンバーで有識者会議を行います。

 

当初は、憲法改正要件を定める憲法96条を改正し、憲法改正のハードルを下げようとしましたが、国民から多くの批判を浴びたことで方向転換。次は、憲法9条の解釈変更に動き出します。(略)

 

 

なぜ憲法改正ではなく、解釈の変更なのか?

 

では実際、安保法制懇はこれまでにどんな主張をしているのでしょうか。その中身は、2008年6月と、2014年5月の2回に分けて提出された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の2回目の報告書の次の記述を見ればわかります。

 

 

〈集団的自衛権について〉

「政府のこれまでの見解である、『(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき』という解釈に立ったとしても、その『必要最小限度』の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、『必要最小限度』について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではない。

事実として、今日の日本の安全が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難い。したがって、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈して、集団的自衛権の行使を認めるべきである。」

 

〈国連PKOへの参加について〉

「憲法第9条が国連の集団安全保障措置への我が国の参加までも禁じていると解釈することは適当ではなく、国連の集団安全保障措置は、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力の行使に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。」

 

「国連PKOの活動の性格は、『武力の行使』のような強制措置ではないが、紛争当事者間の停戦の合意を維持し、また、領域国の新しい国づくりを助けるため、国連の権威の下で各国が協力する活動である。このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用は、そもそも『武力の行使』に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。」

 

 

つまり、「集団的自衛権の行使を容認し、それと同時に、今までは禁止されていた国連PKOでの軍事行動である本体業務に自衛隊が参加するのを認めるべき」と提言しているのです。

 

日本の報道では、集団的自衛権の行使容認の話ばかりにスポットライトが当てられていますが、決して見逃してはいけないことがもう一つあります。それは、安保法制懇の提言のなかには、「集団的自衛権の行使容認」の他に、「国連的措置であるPKOの活動の幅を、これまでも行っていた後方支援活動から、海外での軍事的行動を含む本体業務にまで広げるべき」というものも含まれていることです。

 

私が先の記事で、「国連による集団的安全保障は、国連的措置と呼ぶべきである。なぜなら、国連的措置とは全く異なる概念である集団的自衛権と名前が似ているため、混同が起きかねないからだ」としたのは、そのためです。(「安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと」の「1.集団的自衛権と集団安全保障は明確に違うもの」( http://synodos.jp/international/14646 )参照;構成者注)

 

我々国民は、集団的自衛権の行使容認の話と、PKOで軍事行動を行っていいかの話を、きちんと別個のものとして認識し、その上で、それぞれの是非を考えていかなければいけないのです。

 

 

様々な反対意見と「限定容認論」

 

では、これまで実際の政策論議の場では、何が起こってきたのでしょうか。一度、時系列で整理しなおしたいと思います。

 

当初、憲法9条の解釈変更については、自民党内部から反発がありました。これまで長きに渡り、政府が堅持してきた姿勢を一内閣が崩すというのですから、「強引すぎる」と、戸惑う声が後を絶ちませんでした。また、憲法改正ではなく、解釈の変更というのも批判の的でした。厳しい条件をクリアして、正当なルートで法を変えるべきだというのが彼らの言い分です。長年守ってきた憲法解釈を変えることに対し、国民の意見も揺れ動いていました。

 

そこで自民党は、2014年3月31日に、集団的自衛権の行使容認を議論する安全保障法制整備推進本部(本部長・石破茂幹事長〔当時〕)の初会合を開きます。この時、高村正彦副総裁が持ち出したのが「限定容認論」というものです。

 

これは、集団的自衛権をすべて認めるのは国民の忌避感が強いので、限定的に集団的自衛権を認める方向で、憲法の解釈を変えましょう、ということです。

 

4月1日の毎日新聞の記事では、高村副総裁は次のように語ったとされています。

 

 

「『「必要最小限度」には集団的自衛権の範囲に入るものもある。個別的自衛権はいいが、集団的自衛権はダメと、内閣法制局が十把一からげに言っているのは間違いだ』と批判。」

 

「容認の範囲については『(地球の反対側には行かないなど)地理的範囲は国民の納得のためならあり得ない話ではない』と指摘した。」

 

 

いわば、「必要最小限度であれば集団的自衛権の行使を認めよう。また、自衛隊がどこまで出ていくかについては、地理的にその限定範囲を決めることを検討“しなくもない“」ということです。これに対し、自民党の初会合に出席した156人の議員からの目立った異論は出ませんでした。

 

そうして「限定容認論」は、世論をも動かすようになっていきます。

 

自民党の会合直前の3月29、30日の2日に渡って行われた毎日新聞の全国世論調査によれば、集団的自衛権の行使容認に57%の人が反対し、賛成する人は37%にすぎませんでした。

 

ところが、自民党の初会合が終わった後の、4月19、20日の全国世論調では、「限定容認論」が出てきたことで、集団的自衛権の行使容認に反対の人が38%にまで減り、限定的になら賛成という人が44%に達したのです。

 

では、この限定容認論の「限定」が、具体的に何を指しているのか理解できている人はいるでしょうか。私は、「集団的自衛権を限定的に容認する」という話を聞いた時、多くの人が、次のように受け止めたと思っています。

 

「必要最小限度の集団的自衛権に〝限定して〞、自衛隊が出ていく範囲も日本近海周辺までに〝限定〞するんだろうな」

 

しかしそもそも〝必要最小限度の集団的自衛権〞とは何なのでしょうか? 本当に、自衛隊の出ていく範囲が日本近海周辺に限定されるのでしょうか?

 

 

必要最小限度の自衛権とは何か

 

まずは、必要最小限度の自衛権とは何か? について確認していきましょう。「必要最小限度」に関する、内閣法制局長官の解釈を引き出したのは、奇しくも安倍首相本人でした(当時は、第一次安倍内閣発足前の一議員)。話は、2004年1月26日の国会論戦にまでさかのぼります。

 

安倍首相は当時、秋山收(おさむ)内閣法制局長官に対し次のような質問をしました。

 

 

「『憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。』(略)こういうふうにありますが、『範囲にとどまるべき』というのは、これは数量的な概念を示しているわけでありまして、絶対にだめだ、こう言っているわけではないわけであります。とすると、論理的には、この範囲の中に入る集団的自衛権の行使というものが考えられるかどうか。その点について、法制局にお伺いをしたいというふうに思います。」

 

 

これに対し、秋山長官は次のように答弁を行っています。

 

 

「憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。

我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。

お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。

したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。」

 

 

つまり、秋山法制局長官は、「必要最小限度」=「三要件の範囲内」であると、明確に解釈しているのです。

 

簡単にまとめると、「必要最小限度の実力の行使は、

 

 

(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと

(2)この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと

(3)その上で、実力行使の程度が必要限度にとどまる限りにおいて行っていいもの

 

 

だから、「他国が攻撃されているから日本が助けに行くという意味での集団的自衛権の行使は、(1)の要件を満たしていないので、必要最小限度の幅を超えている――現在の憲法下において、集団的自衛権の行使はできない」と、そう言っているのです。

 

この時、秋山長官に質問しているのは、安倍首相本人です。つまり首相は、これまでの政府の解釈で、「必要最小限度」とはすなわち「三要件の範囲内」であるという解釈を知っているのです。

 

にもかかわらず、安倍首相は「必要最小限度の〝集団的〞自衛権」という、これまでの政府の解釈にはない新しい概念を持ち出してきている。これは明確に、安倍首相が考えている「必要最小限度」の範囲が、これまでの政府解釈からの逸脱を意味しているということです(略)

 

では、安倍首相は、何をもって「必要最小限度」と考えているのでしょうか? 安倍内閣は、安保法制懇の第2回報告書が出された後の7月1日に、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」――すなわち、集団的自衛権と今後の国連的措置に対する自衛隊の関わり方に関する閣議決定を行いました。

 

閣議決定全文の中から、その答えを探してみると、次のような記述が見つかります。

 

 

「こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」

 

 

すなわち、今回の閣議決定によって安倍政権は、「必要最小限度の自衛権の範囲」を、次のように広げようとしているのです。

 

 

〈安倍内閣の指針〉

1.我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、

2.これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、

3.必要最小限度の実力を行使する

 

 

安倍内閣は、

 

 

「必要最小限度の自衛権」を「専守防衛的な、自分の身を守るための必要最小限度の行動(個別的自衛権の発動)」というかつての意味から、

 

 ↓ ↓ ↓

 

「アメリカ(などの日本と密接な関係にある国)が、他国から攻め込まれた時に、(日本に明白な危険がある場合)アメリカなどと一緒にその国を叩く(集団的自衛権の行使)」

 

 

という意味に変更する指針(閣議決定)を出したのです。

 

言ってしまえば、これは単に、「集団的自衛権の行使を認める」と言っているだけにすぎず、「何かを限定する話」は入っていません。

 

確かに、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」という文言が含まれているため、集団的自衛権が、〝その場合に限定して〞認められる――という意味で〝限定的に〞容認されている――ように感じられるかもしれません。

 

しかし、この閣議決定には、「では、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合とは具体的に何か?」、「どういった基準でその判断が下されるのか?」が、一切語られていません。

 

そのため、「(その後、原則として事前に国会の承認が必要とされているものの)そういった状態を判断するのは、その時々の政権しだい」ということに変わりはなく、結局のところ何も限定されていないのです。

 

さらに、昨今の国際情勢の変化によって、国際的な「(個別的と集団的の両方を含めた)自衛権」の意味が、本来の「正当防衛」という意味での自衛権からかけ離れた概念になりつつあるということにも注意が必要です。

 

例えば、これまで通り、日本が独自で自国を守るための個別的自衛権であれば、憲法9条の縛りがあるため、「個別的自衛権の行使=専守防衛のための武力行使」という構図が成り立っていました。これこそ、「専守防衛に〝限った〞個別的自衛権の行使」であり、真の意味で日本は、〝限定的な〞個別的自衛権を有した国だったと言えます。

 

一方、安倍内閣の「日本の存立が脅かされ、国民に明白な危険がある場合」という集団的自衛権の限定容認も、正当防衛の範疇(はんちゅう)であるかのように見えます。しかし、我々日本人は、アメリカ同時多発テロ後のイラク戦争で、アメリカを含むNATOが武力行使を行った法的根拠が、「集団的自衛権」であったことを忘れてはなりません。

 

NATO諸国は、〝密接な関係にある〞米への9・11テロ攻撃を、ムスリム過激派が移民として入ってきていたNATO諸国にとっても同根の危機――すなわち〝我が国の存続が脅かされる〞危機――と捉えていたからこそ、集団的自衛権を発動したのです。

 

今回の閣議決定の形で日本が集団的自衛権の行使を認める場合、同じロジックで、何千キロも離れた戦場に、それこそ地球の裏までも、自衛隊を送ることが可能になる決定がなされているということです。

 

また、集団的自衛権の行使容認を自ら進んで行った後に、次にイラク戦争のようなこと(アメリカの集団的自衛権の発露による戦争)が起こった場合、日本が「この戦争には大義がないので、参加しません」などという主体性を発揮できるか? という視点も大切です。

 

 

安倍内閣は自衛隊の派兵範囲を限定するつもりはない

 

では、「集団的自衛権の行使に際して、自衛隊が出ていく範囲を〝限定〟する」と言っていた、高村副総裁の限定容認の話はどうなったのでしょうか? 実は、今回の閣議決定に、自衛隊が出ていく範囲を限定する類の話は一切含まれていないのです。

 

その理由は明白です。安倍内閣はそもそも、「集団的自衛権の行使に際して、自衛隊が出ていく範囲を〝限定する〞つもりはない」からです。

 

そのことがよく分かるのが、安保法制懇の2回目の報告書に書かれた次の文章です。

 

 

「個別的又は集団的自衛権を行使する自衛隊部隊の活動の場所について、憲法解釈上、地理的な限定を設けることは適切でない。『地球の裏側』まで行くのか云々という議論があるが、不毛な抽象論にすぎず、ある事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるか、かつ我が国の行動にどれだけの効果があるかといった点を総合的に勘案し、個別具体的な事例に則して主体的に判断すべきである。」

 

 

集団的自衛権の行使容認に際して、自衛隊がどこまで出て行っていいかの判断は、これまた結局「その時々の内閣の判断に委ねられる」ことになっているということです。これは、自衛隊が出ていく範囲に関して一切のしばりがない(何も限定されていない)状態同然であるということです。

 

つまり、安倍政権が掲げている「限定容認」の真の意味は、「『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある』と、その時々の政権が〝主観的に〞感じた場合に〝限定して〞、集団的自衛権を行使することを認める」という意味での〝限定〞にすぎないのです。

 

これは、何かを限定しているなどと言えるような代物でしょうか。繰り返しますが、そこには、「どういった場合が、日本の存立が脅かされ、国民に明白な危険がある場合に当たるか?」は一切示されておらず、「自衛隊が出ていく範囲」にもまったくしばりはかけられていないのです。

 

これは、「集団的自衛権の限定容認」などとは一切言えず、「単なる、集団的自衛権の行使容認」にすぎないものなのです。

 

毎日新聞の世論調査で「集団的自衛権を限定的に容認すべき」と答えた、国民の44%の人のうち、何%の人がこの事実を知ったうえで、そう判断していたでしょうか。

 

日本国内で、ここまで分解して、真剣に安倍内閣の閣議決定の内容を検討した人は、そんなにいないのではないかと思います。賛成するにしろ、賛成しないにしろ、戦後最大とも言える、日本の将来像を変えうる政府の方向転換に関して、我々国民は、あまりに無自覚だったのではないでしょうか。(略)【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

・仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」

・宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」

・北村毅「戦争の『犠牲』のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの」

・神戸和佳子「『わからなさ』の中でいかに語り考えるのか——沖縄をめぐる哲学対話の実践から」

・山本ぽてと「沖縄トイレットペーパー産業史」
・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」