2015.09.09
選挙の度に分裂の危機!?「ベルギー」という不思議を徹底解明します
■遠藤乾・吉田徹のフライデースピーカーズとは
三角山放送局にて隔月最終金曜日の15:00~17:00に放送中。様々なゲストとともに、原発からTPPまで、老後のケアから読書ネタまで、その時々の大事な話題を熱く語ります。番組は、インターネット放送、iPhone放送で全国で聞くことが出来ます。(Podcastを配信中→http://www.sankakuyama.co.jp/podcasting/endo.html )
美しい国が持つ悲しい歴史
吉田 今回は、『物語 ベルギーの歴史 – ヨーロッパの十字路』(中公新書)の著者である北海学園大学教授の松尾秀哉さんに、ベルギーについてお話を伺います。
ベルギーといえば何を思い浮かべるでしょうか。日本だと「フランダースの犬」をイメージする方が多いかもしれませんね。最近では、東京オリンピックのロゴがベルギーのリエージュ劇場のロゴの盗作なんじゃないかという騒動もニュースで随分と話題になりました。
松尾 リエージュはドイツやオランダの国境近くにあり、第一次世界大戦時は非常に激しい戦地になりました。そんな歴史のある、重要な街なんですけど、今回のことはノーマークでしたね。
吉田 簡単にいってしまうと、ベルギーってどんな国なの? と尋ねられても、意外と思い浮かばないということでしょうか。ベルギーは松尾さんからみると、どんな国にみえるでしょうか?
松尾 ベルギーは、イギリス、フランス、ドイツというヨーロッパの三大国の真ん中にあります。それゆえに貿易の中継点となり、豊かな商業文化が育ってきました。
同時に、そのように魅力的な国であったために、色々な国の支配を受けてきた国でもあります。その結果、オランダ語を話す人びととフランス語を話す人びとが共存する多民族国家であり、2つのアイデンティティーを持つ国として独立して、今もまだそのまま存在しています。つまり「多様性」が、この国のキーワードです。
また、数々の悲惨な戦いの場となった国でもあります。例えば、ナポレオンが倒されたワーテルローの戦場もここです。第二次世界大戦でも、ドイツ軍はフランス軍の予想を裏切って、ベルギーを横切って攻めてきました。
フランスの国境近くにある町イーペルもそうです。第一次世界大戦の時、ここではドイツ軍による大規模な毒ガス攻撃が行われるなど、激しい戦いがありました。現在は猫祭りで有名です。あまり可愛くない猫の人形が歩いたりするんですけどね。でもこんな悲しい歴史も背負っているんです。
吉田 小国ゆえに大国に蹂躙され続けてきた国ということになりますね。その一方で、豊かで美しい街並みを持つ国のイメージもありますよね。首都ブリュッセルでは世界で最も美しい広場と言われ、世界遺産でもあるグランプラスが有名ですが、広場を取り囲む建物は各時代の特徴的な建築物で、とても華麗です。
松尾 グランプラスの周りにはスペインの支配下だった時代の領事館が残っていて、今はレストランになっています。入り口にはその歴史が記してあります。そのような建物がグランプラス周辺には多く、色々な国の文化が融合してるのがよく分かります。
なぜそうなっているかといえば、歴史的に、国よりも都市の方が先に発展しているからです。
グランプラスはオランダ語で「フロート・マルクト」。「大きなマーケット」つまり「市場」を意味します。商人たちが旅の途中で休みがてら市を開き品物を売買する場所でした。そこから商人たちの組合ができ、「自治」ができた。商業の拠点となった都市がまずあり、国境は遅れて出来ました。
特にオランダ語を話すフランデレン地方はその傾向が強い。そこが、ベルギーの一言で言い表せない多様性を証明している点です。
イギリスもフランスもそうですが、都市といえば真ん中に市役所や教会があって広場があって、という形をイメージしますよね。でも、ブリュッセルには商業組合なんかの建物がたくさんあって、その中の一つとしてグランプラスがある。都市国家からスタートした歴史が窺い知れるような、象徴的な場所です。国よりも先に商いがあった。それが多様性というキーワードに繋がっていくんです。
多言語国家
松尾 先にも話しましたが、ベルギーにはオランダ語とフランス語の二つの言語圏があります。厳密には第一次大戦後にドイツから割譲されたドイツ語圏もありますが、多言語国家であるという点も特徴的です。
初代国王であるレオポルド1世は、「多言語国家であることが、将来必ず力になる」と言いました。19世紀の初めによくそんな発想をしたなあと思います。「統一が力なり」が、レオポルド1世以降、この国の国是とされています。
吉田 ベルギーが建国された地域はもともとフランスに併合されて、その後オランダの支配下に移り、1830年に独立したという経緯を辿るのですね。そこからいま言われたように北部のフランデレン地方はオランダ語圏、南部のワロン地方はフランス語圏という2つの公用語を持つということになった。
松尾 地域言語制なので、道路標識なども地方によって書かれている言語が異なります。また、首都のブリュッセルは、北部にあるにも関わらず、昔から住民の8割がフランス語を話します。そこだけは両方を公用語としています。
吉田 ヨーロッパでいえば、公用語が複数というのはスイスもそうですね。フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語の4ヶ国語があります。このように小国であるがゆえに多言語国家であるという特徴が出てくる。
松尾 ベルギーに行くと、電車の車掌さんも銀行員の方も両方の言語を話します。しかも、私に対しては英語で対応してくれるんです。「多言語国家」であることが「力」になっているなと感じます。
吉田 そうなると、王様や首相や政治家も、基本的にオランダ語もフランス語もできないと、ということになるでしょうか。
松尾 はい。歴史を振り返ると、「国王のオランダ語が下手だ」と批判があって、その都度揉め事になったりしてきました。また、フランス語圏の政治家でも偉くなっていくと、オランダ語がどれだけできるかが人気に関わってきます。
史上最長の政治空白
吉田 ただ、多言語であるゆえに、揉め事が起こることもある。政府が作られなかった期間の最長記録を持っているのはベルギーと言われています。2010年6月の選挙以降、新政権発足までに約1年半がかかり、これは史上最長の政治空白と言われました。その原因はフランス語圏とオランダ語圏の対立にあったといわれていますが、具体的には何が問題になったのでしょうか?
松尾 見た目には言語の対立ですが、実際に問題を作ったのは南北の経済格差です。第二次世界大戦後に近代化が進み、ベルギーは福祉国家として確立されていきました。社会保障によって弱者を救済する。そのために年金や失業保険も整備されていきました。
もともとベルギーは豊かだったと申し上げましたが、当時の最大の財源は南部のワロン地方の石炭だったんです。そのため、建国当初は経済的優位を背景にしてフランス語による国づくりが進められました。
しかし、第二次世界大戦が終わるとエネルギー資源は石油に取って代わり、石炭が売れなくなります。するとワロン地方では失業者が増えていき、段々と荒れていく。
そういったときに、政府は衰退産業は諦めて、緩やかな海岸があり、貿易に適した地形の、北部のフランデレン地方に外資を誘致した。この経済政策によって、経済的に南北が逆転してしまいました。それが第二次世界大戦後からずっと続いているというのが格差の構図です。
さきほど少し触れましたが、その後、政府は福祉国家を目指して、社会保障制度を整え始めました。豊かな人々から税金をとって、貧しい人々に再分配していく。とても重要な制度なのですが、フランデレンの人々からすると、自分達が稼いだお金がどうしてワロンの働かない奴らに渡るんだ、ということになります。税金をどう集めて、どう分配していくかについて、民意は一枚岩にならなかった。
南北の対立は2007年くらいから2010年にかけて徐々に強まっていきました。そのなかでフランデレンの中から過激派といわれる分離主義者が台頭します。彼らは「ワロンとは決裂する、国もいらない」と、フランデレンの独立を主張し始めました。分離主義勢力は一気に支持を獲得し、2010年の選挙で第一党になってしまった。
おかしなことですが、ベルギーからの独立を宣言する政党が、ベルギーの第一党となったのです。その後1年半経って、第一党の分離主義政党を外した残りの政党で連合政権を作りました。
吉田 『物語 ベルギーの歴史』を読んで持った印象は、各地域を満足させようと分権すればするほど、逆に分離独立への志向が強まるという悪循環があるということでした。そうすると、対立を鎮めることがどんどん難しくなっていく。
松尾 はい。その通りです。2011年末に新政権ができた時、フランデレンとワロンのそれぞれが独自で政治をやっていこうという分権改革を進めました。それにも関わらず、2014年の選挙は分離主義政党が第一党になってしまった。原因は色々ありますが、その改革が逆に、彼らの言い分に正当性を与えてしまったということも言えると思います。
ベルギー型の民主主義
吉田 僕が編著者となった『野党とは何か――組織改革と政権交代の比較政治』(ミネルヴァ書房)という本では、松尾さんにベルギーの野党のあり方について解説してもらいました。
それを読んでも解るのですが、ベルギーの民主主義というのは、私達が普通に持っている民主主義のイメージとは違った形でもって成り立っているということ。具体的にいえば、選挙で多数派となった政党が政権を担うイギリスのような、多数派民主主義、いわゆるウェストミンスター型民主主義のように、勝ち負けがはっきりしていない民主主義です。
松尾 ベルギーには、我々で言う全国規模の政党がありません。右と左の政党が各地域にあって、全てが地域政党から成り立っています。だから数が多くて、選挙が終わると連立政権を組まないとどうしようもない。
吉田 選挙をしても単独過半数を取る政党がないので、選挙の結果が出た後にどういう政権を作るか、民主主義の別のプロセスが始まるということになるでしょうか。
松尾 政権形成交渉という第二段階が非常に重要なのです。そこでは多数決で物事を決めるわけではなく、話し合って、妥協をし合って決める。こうして新しい政権がスタートします。これは、オランダの政治学者レイプハルトの言葉で「多極共存型のデモクラシー」といいます。
吉田 そのレイプハルトはウェストミンスター型の民主主義に対するアンチテーゼとして多極共存型のデモクラシーを唱えていた。敗者を作らないで、みんなで少しずつ色々なものをシェアすべき、というのがその核心でした。
ただこのレイプハルトの主張は1960年代になされたものです。いまではウェストミンスター型の民主主義も本拠地のイギリスで様相を変えつつある。ベルギーの民主主義も、先に紹介した危機にみるように、崩れていっているようにもみえる。多極共存型の民主主義のもとではみんな仲良くやれるはずだったのに、対立が激しくなってしまい、合意と妥協の政治が成り立たなくなってきている。これはどうしてなのでしょうか。
松尾 ベルギーなどの多極共存型デモクラシーを掲げる小国は、冷戦後に新自由主義の勢力が大きくなった気がします。競争社会の中で自由な競争が大切とされ、国家が市場に介入することは正しくないとされた。合意よりも公平な競争や透明性が重視され、選挙後の妥協は公約違反だと言われてしまうようになりました。
これまで、合意と妥協で推し進めてきたので、多言語・多民族国家は維持されてきた。つまり、選挙前は「あいつはダメだ、うちに入れろ」と言っていたのに、選挙後に「では、一緒に妥協していきましょう」となることを人びとが黙認していたので、「多極共存型のデモクラシー」は成立していたのです。
ところが、それを公約違反と指摘する声が高まってきた。密室でずっと「妥協」のために話し合うことに対して「不透明だ」と批判が起きるようになった。その声を、先の分離主義者は代表しています。それもまた分離主義政党が第一党になった要因だと考えられます。
吉田 多極共存型の長所が短所になってしまったといえるかもしれませんね。そう考えると今の時代の民主主義は難しい局面に置かれているな、と思います。
今年のイギリスの総選挙でも、スコットランド国民党(SNP)が二大政党に対する批判勢力として、台風の目になりました。勝ち組を作れば、それでその国の政治が安定するわけでもない。さりとて、その対極にあるような、勝ち組を作らないベルギーの民主主義も行き詰まっている。
決めない政治
吉田 ベルギーは多層的なアイデンティティーがあって、それゆえに分裂をいつも中に抱えている。でもなんだかんだいって、ずっとひとつの国としてまとまっているでしょう?これには何か秘訣のようなものがあるのでしょうか。
松尾 前提として、ひとつの国が存続するために、「国民」としての強い結束力が必ずしも必要ではないと私は思います。日本でも、私たち全員が国を一つにまとめようという強い意識を常に持っているわけではない。強い国民意識が無くても、国は存続するんじゃないでしょうか。
また、『連邦国家ベルギー 繰り返される分裂危機』(吉田書店)でも書きましたが、もちろん経済格差による対立感情は常にありますが、それだけで「国の分裂」という事態が現実に生じることはないだろうと思うわけです。
「分裂」はあくまで政治家の対立があって起きているんです。政治家が「分裂」という印象的な言説を用いて、自分たちの票のために民衆を巻き込んでいるに過ぎないといえます。
だから選挙のたびに「分裂」は争点になり「危機」に陥る。しかしそう簡単に国は壊れない。拙著の副題の「繰り返される」のは「危機」なんですね。「分裂」まで至らないからこそ、分裂の「危機」が繰り返されるわけです。
だから、あまりに対立が長引くと、民衆がきちんと政権を作れとデモを起こすこともあれば、国王も政治家に対して怒る。独立運動は確かにありますが、みんな国を壊すとまでは考えていないのでしょう。
吉田 色々な対立があって、危ういながらもバランスを保っているというところがベルギーらしいということになるんでしょうね。
松尾 そうなんですよ。私達が日本のニュースで見るベルギーは選挙の時だけなので不安定なように映りますが、その後、時間を経ると、とりあえず落ち着くところに落ち着いていく。ただ、これからEUやギリシャの動向次第でヨーロッパ全体の文脈が変わるとすると、ベルギー内部でも新しい変化がでてくるでしょう。
吉田 日本はベルギーと比べればずっと大きい国ですが、一方でベルギーが持っているほどの文化的・言語的な多様性はないでしょう。1億2000万人の国としては非常に均質的であるとすらいえる。そんな日本もこれからは小国化していくことになる。そんな小国の先進国であるベルギーの知恵に日本が学ぶとしたら、どんなところでしょうか。
松尾 やや強引かもしれませんが、国の形をどうするか、早急に答えを求めないでじっくり話し合うことが大切ではないかと思います。「決められる政治」といいますが、大切なことを慌てて決めなくてもいいんじゃないか。ベルギーが1年半の間政権ができなくてもやっていけるのは、民主主義が重要であることを人びとが理解しており、時間をかけて考えていくからだと思います。
吉田 なるほど、決めない政治を「辛抱する民主主義」こそが、逆に国のまとまりを作るのかもしれませんね。
プロフィール
松尾秀哉
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。東邦ガス(株)、(株)東海メディカルプロダクツを経て、2007年東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。博士(学術)。聖学院大学政治経済学部等を経て、北海学園大学法学部教授。
吉田徹
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。