2015.11.26
ビルマ(ミャンマー)総選挙に圧勝したアウンサンスーチー――軍の壁をどう乗り越えるか
有権者が託した思い
その日、ビルマ(ミャンマー)各地の投票所では、早朝から有権者が長蛇の列をつくった。2015年11月8日の日曜日。今度こそ「自らの思いを一票に託す」ことが可能となると信じた人々が、希望と熱意をもって投票所へと急いだのである。
今回のビルマ総選挙は、自由な投票と公正な開票、選挙結果の尊重が保証された「まともな」総選挙としては、実に55年ぶりのものだった。英領植民地期の1920年代と30年代に5回、独立前年の1947年に1回、すでに植民地議会の選挙が実施されているが(ただし1947年は制憲議会議員選挙)、独立後には3回しか行われていない。その最後のものが1960年だった。少なくともそれまでは、選挙結果に基づく政権の継続や交代を国民は経験してきた。
しかし、それ以後、総選挙は国軍に支えられた「ビルマ式社会主義」期の1970年代と80年代に4回おこなわれたものの、一党独裁の承認選挙だったため、民意が反映されることはなく、選挙による政権交代はまったく生じなかった。
そうした体制を倒すべく1988年には全国規模の民主化運動が生じた。しかし、国軍はそれをつぶし、ビルマ式社会主義にかえて、より直接的な軍政を実施した。その後、1990年に30年ぶりとなる複数政党制による総選挙が実施されたが、アウンサンスーチー(1945-)率いる国民民主連盟(NLD)が議席の8割を獲得して圧勝すると、その事実を嫌がった軍事政権は選挙結果を無視し、政権移譲に応じなかった。
有権者は今回、再び圧倒的な大差で国民民主連盟(NLD)を選び、アウンサンスーチーを指導者とする民主化推進への強い意思を示した。これは1990年の「幻の選挙」以来、彼らが25年間にわたって持ち続けてきた思いの表明である。
完全小選挙区制のもと、NLDは民族代表院(上院)の80%、人民代表院(下院)の77%の議席を獲得した。両院には軍人議員の枠がそれぞれ25%ずつ存在するが、それを含めても上院の60%、下院の58%の議席を占有するに至った。これによりNLD政権の誕生は確実となり、すでに同党は来年3月の政権交代に向けた準備に力を入れている。
一方、現与党の連邦団結発展党(USDP)は大敗を喫し、両院合わせて6.3%の議席獲得にとどまり、野党第一党とはいえ少数政党に転落した。USDP以外の政党で当選者を出したのは、無所属1名を除きすべて少数民族政党である(アラカン民族党ANP4.4%、シャン民族民主連盟SNLD3.0%、ほか2.5%)。ちなみに、同時に実施された地方議会(州・地域議会)選挙でもNLDは軍人枠を含めた議席総定数の過半数を制し勝利を収めている。
与党はなぜ大敗したか
選挙戦で与党USDPは、2011年3月の民政移管からはじまった4年半の改革路線への評価を訴え、すでに「変化ははじまっている」ことを強調し、アウンサンスーチーが政権を担うことを強く牽制した。与党としては政策論争に有権者を巻き込みたい意向があった。
しかし、有権者はそれに応ずることなく、改革路線がはじまる以前の過去23年間にわたる旧軍政(1988-2011)のネガティヴな側面を重視し、その流れをくむ現与党に拒絶の意思表示をおこなった。それは「政治の世界から軍に離れてほしい」という、軍政期から一貫した人々の強い願いの表明にならない。国民は「ドラスティックな変化」を望んだのである。
有権者はまた、指導者の交代を望んだ。国民の信託を得て就任したとはいえない現大統領テインセインの続投を拒否し、1988年以来、数々の抑圧に堪えながらこの国の民主化運動の先頭に立ち、1991年にノーベル平和賞を受賞して国際的知名度を誇るようになったアウンサンスーチーを、国家の指導者として選択した。
2011年3月末、それまで23年間続いた軍政に終止符が打たれ、当時首相で旧軍政ナンバー4の位置にいたテインセイン大将が軍籍を離れて大統領に就任、一連の民主化に向けた改革がはじまった。国際社会はそのスピードと中身の大胆さに驚いたが、新しい体制の土台となった憲法が国軍の権限を幅広く認めたものだったため、過去の軍政色が払拭されることはなかった。大統領自身は改革路線を歩む姿勢を見せていたが、憲法改正や少数民族武装勢力との停戦協定をめぐる交渉などで国軍の反対に直面し、リーダーシップを発揮できないことが多かった。
軍政から民政に移管する前年、2010年11月に実施された前回総選挙では、アウンサンスーチーは長期自宅軟禁中で政治参加が認められず、NLDも選挙参加を見送った。選挙の結果は当時の軍政が結成したUSDPの「圧勝」となり、同党が両院の圧倒的多数を占める与党となった。しかし、これは民意を反映したものではなかった。その後、民主化に向けた改革がはじまると、2012年4月の補欠選挙でアウンサンスーチー党首を含む計43人のNLD議員が当選して上下両院に加わったが、立法府の大勢に影響を与えることはなかった。国民はこうした現実にフラストレーションを覚え、「幻の選挙」となった1990年総選挙の時と同じ規模の強い支持を、再びNLDに与えたのである。
勝者に立ちはだかる国軍の壁
1988年の民主化運動で政治デビューして以来27年の長い時間を経て、アウンサンスーチーは国民の信託に基づきビルマの指導者として政治を司ることが可能となった。デビュー当時は43歳だった彼女も、いまや70歳である。
しかし、現実には厳しい局面が彼女とNLDを待ち受けている。まず憲法の資格条項による制約があり、アウンサンスーチーは大統領になれない。外国籍の家族がいる者を正副大統領の有資格者から除外することを定めたこの規定は、現憲法を制定した当時の軍事政権が、彼女を未来永劫、大統領にさせないためにつくったものである。このため、アウンサンスーチーは別の人物を大統領に据えコントロールする必要がある。
選挙運動の最後の段階で「私は大統領の上の存在になる」と明言した彼女だが、これは「たとえ大統領に就任できなくても、それは欠陥憲法のせいであり、自分は大統領を外からコントロールする存在となって国民のために闘う」ことを有権者に約束したものである。多くの有権者はこの発言で彼女の強い意思を確認し、NLDへの投票の気持ちを固めたと想像される。
ただ、彼女がだれを大統領に指名するにしても、組閣にあたっては国防、内務、国境担当の3つの大臣ポストは国軍最高司令官によって指名される決まりがあるため、軍と警察と国境管理に関する権限は合法的に軍に握られてしまうことになる。
憲法を改正するにしても、上下両院それぞれの75%+1名以上の議員の賛成がないと発議できないため、各院で25%の指定席を確保している軍人議員の一部がNLD側につかない限り、改憲は不可能となる。
国軍にとって現憲法は自分達が国政に深く関与するための命綱である。1988年から23年間にわたった軍政期において、15年もかけて慎重につくりあげられたこの憲法は、行政と立法の分野において様々な権限を国軍に与えている。その主なものを示すと次のようになる。
(1)上下両院、州・地域議会において、それぞれ25%の議席を軍人が確保する。
(2)憲法改正は上下両院それぞれの議員の75%+1名以上の賛成をもって発議され、そのうえで国民投票を実施し、有権者名簿登載者数の過半数の賛成を経て承認される。
(3)国防相、内務相、国境担当相については、国軍最高司令官が指名する。
(4)正副大統領計3名のうち、必ず1名は国軍関係者が就く。
(5)大統領が国家非常事態宣言を出せば、国軍最高司令官が期限付きで全権を掌握する。
これらに加え、既述したようにアウンサンスーチーを正副大統領に選出させないための「資格条項」もある。国軍はこうした憲法上の権限を基盤に新しく発足するNLD政権を合法的に制御できる立場にある。総選挙でのNLD圧勝は国軍から見て「痛痒い」程度のショックだったのではないかと想像される。彼らは今、憲法上の規定を思う存分活かし、NLD政権を強く牽制することを考えているとみなして間違いない。
したがって、アウンサンスーチーが対話を通じて国軍に憲法改正に向けた説得をおこなおうとしても、それは無視される可能性が高い。すでに総選挙前にNLDが中心となって憲法改正の発議を両院で一年間かけて試みたが、文言の一部修正を除いて、悉く軍人議員に反対され、与党の賛成も少数しか得られなかった。今後、国民の圧倒的信託を力にアウンサンスーチーはあらためて国軍に改憲への協力を求めることになるが、その成果が短期間に出るとは考えにくい。
軍に好都合にできているこの憲法を民主的なものに変えることこそ、NLDの選挙公約であり、アウンサンスーチーの当面の最大目標であるが、その壁はこのようにきわめて厚く高い。そのため軍と協調関係を築き、対話を通じて同意をとりつけることが改憲への必要条件となる。
総選挙で圧勝した彼女の最初の仕事は、自らに代わる大統領選びよりも、来年3月の新政権発足までに軍の協力を得て、政権移譲のソフトランディングを図ることにあるといってよい。彼女はNLD圧勝が確実になると、すかさずテインセイン大統領とミンアウンフライン国軍最高司令官に「国民和解」を進めるための対話を申し入れた。大統領と司令官は受け入れ姿勢を示したが、その後、日程の設定が流動的となり、早期の実現に暗雲がかかっている。
彼女にとって国民和解の推進は人生を賭けた目標である。それは「国軍と国民との和解」「少数民族と中央政府との和解」「宗教間対立の克服」の3要素から成る。なかでも国軍との協調関係の樹立は、政権の安定にも直接関係するだけにきわめて重要である。憲法改正をめぐって対立関係にあるとはいえ、彼女がどのように国軍と和解推進に向けた対応をとるかが今後最も注目すべき点となろう。
待ち受ける中長期的課題
アウンサンスーチーとNLDにはこのほかにも様々な中長期的課題が待ち受けている。その中でも教育改革と保健衛生の向上、そして農村開発については早急に取り組む必要がある。これらは国際社会が援助を通じて最も貢献できる分野でもある。実際、軍事政権期にもこれらの分野には海外からの支援が多かれ少なかれなされていた。
まず教育分野においては、軍政期に抑圧され機能を著しく低下させた国立大学の改革が必須となる。具体的には教育研究施設の改善に加え、政治的理由から地方に分散させられたキャンパスの再統合、教員の質の向上、カリキュラムの改正、入試制度の改革、学生活動の自由の保証などが急務だといえる。これに加え、独立以来の目標である義務教育の導入、不足する小中学校教員の養成、私立学校の拡充、「暗記中心」から「考える力を養う」カリキュラムへの改善などが重点課題となる。
保健衛生については、軍政期からODAの供与や国際NGO等の活動を通じた支援がなされていた。今後も最も援助の得られやすい分野だといえる。しかし、海外からの援助に頼るだけでなく、自ら国家予算の配分比率を高め、マラリアや各種伝染病の撲滅をはじめ、病院・保健所の拡充、医師・看護師・保健師の育成などに積極的に取り組む必要がある。
農村開発においては、無医村解消や少額負担で治療が受けられる医療制度の確立、農民に対する低利融資の拡充、農村部の生活道路の整備などが課題となる。農業自体の近代化促進も求められる。日本をはじめとする外国の対ビルマ支援は、工業やそれに関連するインフラ整備に傾きがちだが、この国の「得意科目」はあくまでも農業であることを考えた場合、この分野の近代化にこそ一番の力を入れるべきであろう。
これら3つの分野で成果を出すことができれば、たとえ憲法改正が国軍の抵抗でうまく進まなくても、NLD政権は国民から支持を獲得し続けることが可能になろう。民主化に向けた憲法改正、行政機構の改革、公務員の再教育、司法制度の整備といった「法による支配」が貫かれる国づくりという長期的課題は最も大切な事柄であるが、それと並行して、ここに示した中期的課題は国民の日々の生活と密接に関連するだけに、NLDはかなりの力を入れて取り組む必要がある。
一方、これらと次元の異なるより深刻な課題もアウンサンスーチーを待ち受けている。一つは様々な少数民族武装勢力と中央政府との間の停戦・和平達成に向けた取り組みであり、もう一つは多数派仏教徒による少数派ムスリムに対する排他的態度を抑え、両者の和解に向けた政策を実施することである。国際的に強く批判されているロヒンギャ問題についても、これまでのような排斥的態度を取り続けることはけっして許されない。
これらは5年の任期だけではとうてい達成できない「超」長期的課題である。しかし、「国民和解」に人生のすべてを賭けているアウンサンスーチーにとって、この2つの重たい課題克服に向けたスタート台だけは、なにがなんでも作り上げたい気持ちが強くあるはずである。それは茨の道以外のなにものでもないが、たとえ半歩ずつであっても、彼女は前に歩み続けようとするのではないだろうか。
プロフィール
根本敬
1957年生まれ。上智大学外国語学部教授。専門はビルマを中心とする東南アジア近現代史。国際基督教大学教養学部卒、同大学院比較文化研究科博士後期課程中退、文部省アジア諸国等派遣留学生としてビルマに留学(1985-87)、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所勤務を経て、2007年4月より現職。ロンドン大学東洋アフリカ研究院(SOAS)訪問研究員(1993-95)。主著に『アウンサンスーチー:変化するビルマの現状と課題』(田辺寿夫と共著、角川書店、2012年)、『ビルマ独立への道―バモオ博士とアウンサン将軍』(彩流社、2012年)、『抵抗と協力のはざま―近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(岩波書店、2010年)ほか。