2016.07.27

『憲法改正とは何か』――著者の独り言

阿川尚之 米国憲法史専攻

国際 #改憲#憲法改正とは何か

アメリカ憲法史と日本国憲法の改正問題

2013年7月末のある日、慶應の三田キャンパスで偶然会った本書の編集担当者氏からやや唐突に、「憲法改正についての本を書きませんか」と声をかけられた。せっかくの申し出だったけれども最初断わろうと思ったことは、本書のあとがきに記した。私は日本国憲法を系統だって勉強したことがないし、当時活発に議論されていた改正問題に首をつっこみたくない。そう述べる私に、その後さんざんお世話になる同氏は、「いやいやアメリカ憲法の改正についての本です」と説明し、「まあできれば、多少は日本国憲法の改正についても触れてもらえればとは思いますけれど」と付け加えた。

あれから3年経ち、ようやくこの本が世に出て、なぜこの仕事を結局引き受けたのだろうと改めて思う。一つには、アメリカ合衆国憲法が制定されて以来今日までに27回改正されたその歴史を自分自身が知りたいという、純粋な知的好奇心があった。憲法改正の歴史を書けば、私がここ20年ほど少しずつ勉強してきたアメリカ憲法史を、また別の観点から見られるかもしれない。

実際、調べはじめたらおもしろい。個々の改正にそれぞれ背景があり、理由があり、物語がある。また実現しなかった改正案の一つ一つが、アメリカ人の多様なものの見方、考え方を知る上で興味深い。その具体的な内容をこの本で時代順に書きたいと思ったけれども、与えられたページ数ではとても収まらず、内容が細かすぎるので、やめた。したがって、本書はアメリカ合衆国改正の通史にはなっていない。機会があればまた別のかたちで、まとめてみたいと思う。

もう一つ、日本国憲法の制定過程と歴史について、いろいろ素朴な疑問を抱いていた。特にここ数年、我が国で活発に行われてきた改憲に関する議論への、少なからぬ違和感があった。日本の憲法についてほとんど何も知らないままアメリカのロースクールで合衆国憲法を学んだ私は、日本の憲法について考えるとき、どうしてもアメリカ憲法の観点から見がちである。だからこの国の憲法について無責任な発言はしないようにしているのだけれども、わが国で憲法やその改正について論争が起きるたびに、どうしてもアメリカと比較してしまう。

第79条の規定にしたがって総選挙ごとに国民審査が行われているのに、なぜ一人も最高裁判事が罷免されていないのか。第81条の規定があるのに、最高裁は司法審査、特に政治的な影響のある司法審査を行うことに、どうしてこれほど慎重なのか。公の支配に属しない教育事業への公金支出を禁止している第89条の規定があるにもかかわらず、なにゆえ私学助成は問題にされないないのか。

何よりも改正の手続きに関する第96条の規定があるのに、なぜ日本国憲法は一度も改正されていないのか。よい悪いではなく、ただ不思議に思ってきた。あるアメリカの友人に第79条について説明し、まったく機能していないと説明したら、「じゃあ改正すればいいじゃあないか、なぜ改正しないんだ」と言われ、返答に窮したことがある。

実は20年ほど前、訪問研究員として最初は籍を置いたヴァージニア・ロースクールで、数年にわたり日本国憲法制定へのアメリカの影響について教えた。日本の憲法そのものについて専門的な知識はないが、このテーマならアメリカ憲法史とからめてなんとかやれるかもしれないと思い、引き受けた。慶應の学部生時代、日本国憲法制定と当時の国際情勢の関係について、一本論文を書いたこともあった。

ロースクールで教える準備をする過程で驚いたのは、日本国憲法制定へのアメリカ憲法とその歴史の影響が想像以上に大きいことである。日本国憲法は制定後、解釈や運用においてアメリカ憲法とはずいぶん異なる道を歩んできたけれども、その出発点において多くを受け継いでいる。もしそうであれば、そもそもアメリカの憲法史において憲法改正についてどのように考え、仕組みをつくり、実行してきたのか。依頼に応じて本を書いたら、日本の憲法改正について考え理解する上でも参考になるかもしれない。日本国憲法の改正については触りたくないと言いながら、ぼんやりとそう思っていた。

憲法改正は国民の基本的権利

もっとも本書を書きはじめたとき、憲法改正とは何かについて特定の結論を導き出そうなどとは思っていなかった。書き終わった今も、特定の結論に達したわけではない。ただ3年間、忙しいなかで苦しみながら書き、書きながら考えて調べて、憲法改正について自分自身新たな発見をし、理解を得た。

たとえば憲法の制定と憲法の改正には、多くの共通点がある。どんな憲法も何もないところから生まれるわけではない。すべての憲法制定がそれまでの国のかたち(文書にされていてもいなくても)を変えるという意味で改憲であり、逆にすべての改憲がそれまでの憲法の内容を変更する、あるいは内容を追加するという意味で、憲法の部分的制定である。

実際、アメリカ合衆国憲法の制定は形式上それまでの連合規約の改正であったし、日本国憲法も大日本帝国憲法の改正のかたちをとった。ただし変化の内容が根本的であったので、新憲法の制定と呼んだ。憲法制定と憲法改正は密接不可分なものであり、はっきり分離できるものではない。

また国民は憲法を制定する権利とともに、憲法を改正する権利をもつ。上述のとおりすべての憲法は、もともと同憲法制定以前に存在した何らかの憲法(国のかたち)を変えたものである。過去のこうした憲法の変更が人々の権利行使の結果として正当化されるのであれば、将来さらに変更する権利もあるはずだ。

そもそもロックが唱えた抵抗権の思想から大きな影響を受けたアメリカ独立宣言は、「いかなる政府でもその目的に反するときには、人々はその政府を変更あるいは廃止し、新しい政府を樹立する権利を有している」と謳った。旧北米英植民地の人々はこの権利を行使して独立を達成し、その延長として憲法を制定して合衆国を創設した。「いかなる政府でも」とある以上、この抵抗権は新政府にも及ぶ。

ただし現在の政府になにか問題があるたびに、一々革命に訴えて「政府を変更し」、政府を倒して「新しい政府を樹立する」わけにはいかない。それでは国家の統一と安定がはかれない。そうであれば、憲法の改正によって少しずつ国のかたちをよくしていくのが望ましい。それは抵抗権の延長にある人々の権利であり、また暴力に訴えずに国のかたちを変えていく智恵である。イギリスの思想家バークがフランス革命を徹底的に批判しながらも、「変更のための手段をもたない国家は、自己を保存する手段をもたない」と述べたのは、このことだろう。

アメリカ国民はこの権利を27回行使して少しずつ国のかたちを変えてきたけれども、日本国民はまだ1度も行使していない。

ただし憲法改正が国民の権利であるとしても、むやみに行使すべきものではない。憲法とその改正のあいだには明らかに緊張関係がある。憲法は国家の基本的枠組としての性格を有するものであるから、改正が手軽になされては憲法全体の構造と微妙なバランスが崩れ、正統性が失われてしまう。連邦の枠組が強固であればこそ、憲法は最高法規であり基本法なのである。

したがって、アメリカでも日本でも憲法改正は法律の改正に比べて、そう簡単にできない仕組みになっている。基本法である憲法は安易に改正されてはならない。しかしそれでもなお憲法改正は国民の基本的権利であり、現実的なオプションである。この矛盾する2つの命題のあいだの絶妙なバランスを保つことが、憲法にもとづく統治にとって何より重要である。

憲法を守ることは、それ自体究極の目標ではない

さらに憲法が規定する正式な改正の手続きにしたがわなくても、憲法は実際に変化してきた。アメリカの憲法史はそのことを示している。そもそも憲法が文書のかたちを取り言葉が不完全なものであるかぎり、憲法を適用するには解釈を必要とする。正式な手続きによる改正が難しいように設計された憲法のもとで、アメリカの立法府、行政府、司法府は独自の解釈にもとづいてそれぞれ仕事をしてきた。解釈をめぐって激しい論争があり、訴訟があり、連邦最高裁が判断を示した。

こうした過程を経て、特定の解釈が、あるいは解釈の積み重ねが、憲法の内容そのものを変化させ、やがて実質的な改憲にまで至るのは当然の帰結であった。その是非については、憲法学上さまざまな意見がある。しかし事実として、正式な手続きにしたがわなくても憲法は解釈によって大きく変わってきた。

ただし解釈による憲法の変化が単に技術的なものに留まらず、改憲に匹敵する内容の変化をともなう場合、それが定着するかどうかは一概に言えない。ある種の変化は正式な改正でなければできない。一方ある種の変化は、正式な手続きによる改正なしでも実現する。たとえば連邦行政府の権限拡大は、1930年代後半に通商条項の解釈をめぐる激しい憲法論争を乗り切ってからは、ほとんど問題にされなくなった。正式な改正なしに、憲法史上もっとも大きな内容の変化が起きた。憲法が変わるときは変わるのだとしか、言いようがない。

さらに、アメリカでは国難と呼べるような危機において、特に国家の安全保障に関わる情勢、たとえば南北戦争の際などには、憲法が守られたとは言いがたい事例さえあった。もちろんいかなる危機や戦争においても、大統領は憲法のしばりから自由ではない。その権限は無制限ではない。しかしそうした事態に直面したとき、大統領は憲法を遵守するという憲法上の義務と、国の平和を維持し国民の安全を守るという義務、その2つのあいだで板挟みになる。

憲法を守るのは、それ自体究極の目標ではない。憲法を守ることによって国家の独立と国民の安全・繁栄・自由を確保するのが目標である。であれば字句通りに実定法としての憲法を守っていては、本当の目標が達成できない。そう大統領が判断したとき、大統領があえて実質的に憲法を無視することがありうる。それは決して許されるべきでないのか、一時的には仕方ないとして許容すべきか。とても難しい。

そして憲法を改正する、あるいは解釈によって実質的改憲を行うのは、多くの場合単に憲法の文言の問題ではない。それは究極的にどのような国のかたちが国民にとって必要であり、望ましいか、あるべきかという、大きな課題への取り組みである。そして憲法の解釈とその現実問題への適用は専門家である裁判官、学者、議会と行政府のロイヤーが主として行うにせよ、国のかたちの選択は基本的に政治問題であり、それを最終的に判断するのは一般国民である。

したがって、どんな改正も国民の支持がなければ効果を発揮しない。司法の憲法解釈による憲法の内容の大きな変更も、国民が認めなければ実質上の憲法改正として定着しない。逆に大多数の国民が望むのであれば、正式な手続きを踏んでの改正も可能だし、改正なしに憲法が大きく変化することもある。

無論アメリカのような多様性に富んだ国では、あるべき国のかたちについて人々が抱く夢や考えもまた多様であり、時に真っ向から対立する。なかなか合意は成立しない。しかし憲法改正や実質的改憲をめぐる激しい論争が、憲法をめぐる議論の内容を深め、国のかたちが極端な方向に向かうのを防いでいる。憲法改正と解釈改憲の仕組みそのものが、マディソンが唱えた人々の利益や思想の多様性をベースとする抑制と均衡の考え方をうまく利用している。そんな風にも思われる。

日本国憲法の改憲論議に関する感想

本書では憲法改正とその他の変化について、以上のような観察を記した。アメリカの憲法史にもとづく帰結であり、私としては比較的常識的で当たり前なものだと感じるけれども、大方の日本人にとっては存外新鮮であるかもしれない。読者諸子はこれらの観察にいろいろな感想をもつだろうし、日本国憲法にあてはめて考えることであろう。実際、そうした感想がすでに世に出ていて、なるほどそんな風に読んでくれたのかと、うなづいたり首を傾げたりしている。

私自身も本書で日本国憲法の改憲論議に関する感想を若干記した。第1にこの憲法が一度も改正されていないのは、やはりいかにも特殊であり、他国の憲法と比べて異質であると感じる。もちろん改正の必要がないほどこの憲法が完璧で非の打ち所がないなら、改正しなくてよい。けれども日本国憲法がそれほど完全無欠であるとは、とても思えない。憲法も人が書いたものである以上、無謬ではない。無謬でないものを無謬であるかのように扱うのは、危険ですらある。また憲法改正が国民の権利であるならば、それを実行しないのは権利そのものを弱めることになる。そう思う。

第2に日本国憲法は、改正できなくても実質的にその内容を変化させてきた。その事実は否定できないと思う。社会構造の変化、政府の解釈変更、国民の意識の変化などにより、憲法が変わるときは変わる。アメリカでも日本でも、それが現実である。

もちろんいわゆる解釈改憲が好ましいものなのか、許されるべきことなのかについては、多くの論争と主張がある。ただ我が国では皮肉なことに、いわゆる護憲派が憲法の改正に抵抗すればするほど、解釈改憲の必要性が高まる。もし彼らが解釈改憲を危険と考えるならば、むしろ正式な改正手続きによる憲法改正によって自分たちの主張を実現すべきではないか。そう思える。

第3に、日本人は憲法を神聖視しているけれども、必ずしも大切にしていないと感じる。多くの護憲派は憲法改正反対を唱え、憲法を平和主義という絶対のドグマを包含した「不磨の大典」と捉えるが、戦前に大日本帝国憲法を「不磨の大典」と捉え、天皇機関説を痛罵し、統帥権干犯を言い立て、日本を戦争への道に導いたのは、軍部を中心とする勢力であった。

一方一部の改憲派は逆にこの憲法を、日本をだめな国にした元凶とみなして敵視し、罪悪視し、すべて取り替えねばならないと主張する。護憲派の神聖視の裏返しであるが、どこかに通底するものがある。戦後日本がだめな国になったかどうかは知らないが、もしそうだとしても、それが憲法のせいだとはとても思えない。護憲派も改憲派も、完全な憲法、理想の憲法に執着しすぎて、現実の憲法をおろそかにしている。

くりかえしになるが、政府の目的は国民の平和と安全、自由と繁栄の確保であって、憲法はその手段でしかない。憲法を守ること自体が国家の目標ではない。憲法はしばしば不完全であるし、その意味するところも時としてよくわからない。けれどもクーデターや革命などによる体制の急激な変更を避け、独裁や圧政を防ぎ、漸進的に前へ進んでいくには、不完全な憲法であっても、それを大切にし、守り、必要ならば少しずつ変えていって、賢く利用する。国民全体がそうした冷めた態度を保持することが、何より必要だろう。

20世紀初頭の有名な最高裁判事であったオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、ある判決の反対意見のなかで、「自分の(言論の自由を広く認めるべきだという)憲法解釈は、(絶対なものではなく)すべての人生がそうであるように、一つの実験である。我々は毎日のように、不完全な情報にもとづく予言に賭けて、なんとか救済されている(生き続けている)」と述べた。

憲法によって国のかたちを定め、運営していく立憲主義そのものもまた、実験の一つなのかもしれない。この実験はこれまで比較的うまくいってきた、あるいはそうひどい結果はもたらさなかった。たかが憲法、されど憲法。魂の救済はもたらさないが、魂の救済について異なった考えを持つ人の共存を可能にする。憲法はそもそもそういうものだと思う。

他にもまだ日本国憲法についての感想はあるが、本書にも記したし、このあたりにしておこう。不思議なもので、自分が書いた本は、いったん世に出ると、妙に遠く感じられる。私の本を見知らぬ人が取り上げ、読んで、感想を持つのは、自分の子供、あるいは孫が、世に出て活動しているのを、遠くから眺めているのに似ている。

この本も、その一冊一冊が、読者と勝手に対話をするだろう。そうであれば著者である私はあまり饒舌に自分の本について語るべきではないだろう。少ししゃべりすぎたので、この辺で筆を措こうと思う。

プロフィール

阿川尚之米国憲法史専攻

1951年、東京都生まれ。同志社大学法学部特別客員教授。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学法学部中退、ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィスならびにロースクール卒業。ソニー、米国法律事務所勤務等を経て、慶應義塾大学総合政策学部教授。2002年から2005年まで在米日本国大使館公使。2016年から現職。主な著書に、『アメリカン・ロイヤーの誕生』、『海の友情』、『アメリカが嫌いですか』、『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)、『憲法改正とは何か-アメリカ改憲史から考える』(新潮選書)。(写真:打田浩一)

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